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*プロローグ

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「待ちなさい、リヒト=ベルガー! まだ話は終わっていませんよ!」

 ヒステリックな声をあげる初老の男性教師が、僕に向かって怒鳴りつけてくるも、構わず僕は廊下をずかずかと歩いて行く。

 ――ああ、なんだってここはこんなにも窮屈で退屈なんだろう。

 お揃いの服を着せられ、並んで頭の固い教師たちのお説教にしたがって、それが紳士たるものだなんて言われて、何が楽しいんだろう。教師の机の引き出しにヒキガエルを仕込んだ方がよっぽどましだ。
 良く晴れ渡った空から降り注ぐ陽射しを浴びながら、僕は教師からのお説教を受けていた校舎を飛び出し、少しは慣れたところにある展望室へ向かう。そこならば口うるさい教師は来ないことを知っているからだ。

「はー……父さんも母さんも、僕に何を期待してるんだか。いい加減、僕が紳士なんかになれないってあきらめてくれたらいいのに」

 好きで入ったわけではない全寮制の学校は退屈の極み。だから退屈しのぎをしているだけなのに、怒られてばかりで、心が腐ってしまいそうだ。
 世にいう青春真っ盛りである十八の初夏に、僕はこんなところで何をしているんだろう。

「あーあ……何か、面白いこと起きないかな……」

 そんなことあり得ないのは、この学院に来ていやというほど思い知っている。だから、サボりの生徒がたむろするこの展望室で昼寝するくらいしかないんだ。
 明り取りの窓から覗く空は青く、こういう日に何か楽しいイベントに出かけられたら最高なのにな……なんて考えながら、僕はウトウトしていた。心地よい風は昼寝するのにちょうどいい塩梅だ。

「ヒカル! こんなところにいたのか! いい加減目を覚ませ!」

 校内でも滅多に人が来ない、ガラの悪い生徒がたむろすることで有名な場所のはずなのに、突然そんな言葉をかけられ、たたき起こされた。
 ワケも解らず開けた目に映し出されたのは、まばゆいばかりに美しい銀髪の長い髪を後ろに一つにまとめた、すらりと背の高い深い青色の涼し気な瞳。僕とそう歳が変わらなそうな、同じ制服を着た男子生徒だった。
 美しい、だけど初めて会ったはずの彼は、まだ寝ぼけている僕の顔を見るなり、まるで心臓をわしづかみにされたかのような苦しげな顔をして僕に抱き着いてきたのだ。

「……やっと見つけた、ヒカ……」
「は? あんた、誰? 僕の名前は――」

 彼が探し求めていたらしいヒカルという人物ではないと説明しようとした時、突然、体にどこからか落下するような、急激に下へと引っ張られるような感触が走る。同時に、目の前の銀髪の彼の姿が、黒髪の、同じように涼しげな目元の若い男に一瞬変わった……気がした。まるで水面に映し出された姿が揺らぐようにそれは一瞬だけ現れ、すぐに銀髪の彼に戻る。
 たった一瞬だけ現れたその姿に、僕は何故か胸が苦しくなるほどの衝撃を覚え、彼の方を見つめる。銀髪の彼は、真剣で何か言いたげな目をこちらに向けている。

「俺の、“ここでの名前”はハイターだ」

 名を訊ねてきた彼はそう答えたけれど、知らない名前で呼ばれた僕は自分の名前がとっさに思い出せない。さっき、教師に呼ばれていたはずなのに。
 衝撃の大きさに呆然としたまま、それでも僕は自分の名をつむごうとするのに、出てこない。
 
(――僕は……誰だ? ここは、どこだ?)

 ごく当たり前に過ごしていたはずのその場所も、向かい合う青い目に映し出される、栗色の髪をした緑の目の自分であろう人物の名前も、僕はすぐに思い出せず、呆然とする。ほんのついさっきまで、僕は、いつものようにここに居て――

(あれ? そもそもなんで僕はここにいるんだったっけ?)

 その内にどこからか鐘が鳴る音が聞こえてきて、僕らがいる場所の外からは人の声がたくさん聞こえてくる。授業が終わったようだ。
 すると、それまで僕を抱きしめていたはずのその銀髪の彼はそっと僕を解放し、するりと頬に触れてきた。その目は、やはり何か言いたげに潤んでいる。

「必ず、お前を連れ帰るからな」

 “ここでの名前”? “必ず連れ帰る”? 妙な言い回しに引っ掛かりを覚えている内に、ハイターは僕から離れ、やがて僕を置いてそこから去って行く。
 明るい、陽射しがたっぷりと降り注ぐそこは、外の雑踏からは切り離されたように静かで、一人きりで考え事をするにはあまりにおあつらえ向きな場所と言えるけれど。

「……寝ぼけていたのかな、あの、ハイターとかって人も」

 そうとしか言いようのない出来事に、僕はまだぼうっとしつつも、徐々にここがどこであり、自分が何をしていたかを思い出し始めていた。

(……僕は、リヒト=ベルガー……18歳で、この学院で8年生で……)

 だけど――思い出してくるそれらに、僕は微かな違和感を覚え始めてもいた。その正体が何であるのかは、全くいまはわからないけれど。
 わからない。そのぼんやりとした不安のような感情が、のちに様々な事象の鍵となることを、僕はまだ気づいていなかった。


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