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*二十五章 ゆめつげの彼女からの伝言

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 ぼくが連れ去られていた金路の家は、ぼくらの家のあるお狐様の敷地と大きな御神木のクスノキ挟んで真裏に当たりの場所にあった。
 距離としては回り道しても十キロもなくてたいしたことないんだけれど、紺が有無も言わさず人力車を呼び止めてくれたので乗り込んだ。
 車に揺られながら、ぼくも紺も何も言わなかった。いつも偶然ではあったけれど結果的に紺に何度か金路と会ってしまっていたのを黙っていたこと、今回は連れ去られた上に紺をあの場に呼び出してしまったことを謝りたかったけど、言える雰囲気ではなかったから。
 さっき不思議な力で――きっと、お守りの力なんだろうけれど――ぼくのところに来てくれて助けてくれたことにありがとうと言いたかったけれど、それもできそうにない。
 ぼさぼさに乱れた長い銀髪を整えることなく、紺は黙って遠くを見つめていた。
 ゆっくり暮れていく穏やかな街並みと車の揺れ、そして支木しもくという人力車の車夫が握る手すりみたいなところにつけられている鈴の音が小さく聞こえているのが心地いい。
 たぶん、すごく疲れていたんだと思う。連れ去られて、捕らえられて、怖い目に遭って。
 大好きな人の思い掛けない過去を聞かされて心が揺れたのも、紺と金路がいまにも殺し合いをしそうなほど睨み合っているところを見てしまったのも、どれもすごくショックだった。紺があんな怖い顔をするのも初めてだったし、いつもの丁寧な口調でなくて荒々しい言葉を投げつけるように吐いていたのも衝撃的すぎた。
 それから……あの時本当に金路に犯されなくて、精を注がれなくて、良かった……それが何よりホッとしていることだ。
 だからなのか、ぼくは気が抜けて車に揺られながら段々うとうとし始めていた。

(……揺れと、鈴の音がシンクロするように響いていて、なんかすごくホッとする……――)

 いつの間にか閉じて暗くなっていた視界の中に、リンと鈴の音が大きくちいさく響く。まるで静かな水面に波紋の輪ができるように。
 少しだけ、家に着くまで……そう自分に言い聞かせながら、ぼくはすぅっと意識を眠りの中へ放った。


 ――気が付けばぼくは、浅葱あさぎ色の着物姿で石畳の上を歩いていた。
 辺りはあの朱色の鳥居がずらりと続いていて、とても明るい道だった。明るすぎて、鳥居の間からは景色じゃなくて白い光が漏れている。

(また、あの夢を見てるのかな……?)

 歩きながらこれまでに何回か見てきた夢のことを思い返す。
 たくさんと鳥居に、薄紫色の髪の狐人の女の子に導かれて歩いて行くと、いつも光がお面をつけた狐耳の人――今になって思えば、あれは狐人だったのかもしれない――に出会う、というあの不思議な夢。
 夢の内容だけでなくて、夢を見た後にも不思議なことがいつも起こった。
 紺と出逢ったり、お嫁入りすることを決めたり……それから、赤ちゃんができたり。
 だけどいまはそういう時に見たような夢の中の景色と似ているようで、ちょっと雰囲気が違っている。
 誰もいなくてとても静かで、明るい、だけど寂しい感じはちっともしなかった。ほんの時折、とてもやさしい風が後ろから吹いてきて、ぼくの背中を触れるように押してくれている気がした。
 やがてどこからか、鈴の音が聞こえてきた。小さいけれど凛としていて涼やかな、きれいな音だ。
 ぼくは時々立ち止まったり、辺りを見渡したりして、鈴の音がより聞こえるほうに進んで行く。
 鳥居が延々と続いて行くのかと思っていたら、しばらく進んで行くと少しひらけた、小さな広場みたいなところに出た。
 そこには結婚式を挙げたお狐様の本殿に似ているけれど、それよりもうんと小さい……人間界でよく見た、町の神社のお社みたいな建物だ。
 朱色――この前紺に聞いたら、これは正確には丹色にいろという色だと教えてくれた。たしかによく見たら、朱色とは微妙に違う色合いだ――の柱に白い壁、常盤色の屋根、白い玉砂利の敷地が広がる。
 数段の木の階段があって高くなった正面の木の扉は固く閉じられていて、その前にお賽銭を入れる賽銭箱は見当たらなかった。
 神社じゃないのかな? 神社のようなそうでないような外観を前に、ぼくはぽかんとその建物を見上げる。
 お狐様のところでも白いハトがいたりするのに、ここには何もいなかった。ただ時々、あの鈴の音がするだけで。
 鈴の音は、歩いている間に聞いたよりも少し大きくはっきり聞こえるようになっている。
 じっと聞いていると、それは固く閉じられた木の扉の向こうから聞こえているように思えた。

 ――誰かいるのかな? もしかして……お狐様?

 誰に言うでもなくぼくが呟くと、正面の扉が小さく開く音がした。
 鈴の音が、わずかにボリュームを上げて聞こえる。鈴だけじゃない、何か和楽器の音もする。
 誰が出てくるんだろう、なにが始まるんだろう。 ぼくは急に緊張を覚えてドキドキし始めた。
 太鼓のような音が、お腹に響くように聞こえ始めて、扉がそれに合わせるようにゆっくりゆっくり開いていく。
 固唾をのんで扉が開いてくのを見守っていたら、やがて扉の向こうから人影が見えてきた。
 白い巫女服に朱い袴を身に着け、濃い緑の玉ぐしを手にした薄紫色のふわふわした髪。同じ色の三角の耳の白い狐のお面をつけた若い女の――狐人が。
 お面をつけていて顔はよくわからないけれど、特徴的な髪形と髪色、そして狐耳の色にぼくの心臓は跳ねあがらんばかりに驚いた。

 ――紫音しおん……?

 思わず声に出して呟いた名前に、その人はシィッというように人さし指を口元にあてる。
 ぼくが慌てて口元を手で押さえて頷くと、その……紫音らしき人はにっこりと口角をあげて微笑んだ。
 段上の紫音を見上げるように見つめていたら、やがて紫音の後ろから和楽器の厳かな演奏が始まった。
 紫音は音楽に合わせるようにゆっくりゆっくり階段を下りてきて、そろりそろりとぼくの方に向かって歩いてくる。
 ぼくまであと一メートルちょっとくらいのところで紫音は立ち止まり、手にしていた玉ぐしをひょいとぼくと紫音の間の宙に投げた。
 玉ぐしは薄赤い光に包まれて小さく丸くなって、くるくると回りながらぼくのお腹の中に入っていった。
 光の玉がお腹に入った途端、ぼくのお腹はふわふわとあたたかくなって、以前赤ちゃんを授かった時に見た夢の時よりもうんとはっきりと鼓動するのを感じる。

 ――いまのは、一体……?

 小さく鼓動するお腹の辺りを撫でながらぼくが問うと、紫音はやわらかく口許を微笑ませて答えてくれた。

『――女子おなごの赤子が、そなたに根付いた。あと六月むつきと三週と三日、大事にせよ』
 ――それ、って……
『そなたが赤子を抱けるまでの日数じゃ』

 もしかして、これが、お告げ? 脳裏に過ぎった言葉に、ぼくは撫でていたお腹の鼓動をより一層愛しく思えた。
 ああ、よかった……赤ちゃん、無事なんだ…… あんな怖い目に遭ったから、もし何かあったらどうしようとずっと不安で仕方なかったから。
 無事で、ちゃんとお腹に根付いたとわかって、ぼくはすごく安心したんだろう。気づけば目からはたくさんの涙が溢れていた。
 赤ちゃんのことのお告げはてっきりお狐様のところに行って、何か儀式みたいなものをするとばかり思っていたから、こうして夢でお告げがあるなんて思いもしなかった。しかも、告げてくれたのは紫音だなんて。
 安堵で泣きじゃくるぼくを見つめながら、紫音は鈴のような声で更にこう言った。

『――銀太……いや、紺のこと、頼むぞ』
 ――えっ……あなたは……
『――わたしは、お狐様の側仕えになるので、もう心配するな、と。それをそなたに伝えるために、こたびはお役目を代わっていただいた』
 ――はい、伝えます。

 涙を拭ってなんとか微笑んでぼくが頷くと、紫音は安心したように笑い、それから、着けていたお面を外して素顔を見せてくれた。
 ぼくによく似た、狐人にしては丸い目許には丹色の化粧がされていて、やわらかく微笑む。
 鈴の音が、ひとつ大きく響いたかと思うと、次の瞬間には、ぼくは人力車に揺られているところだった。
 車は見慣れた通りに差し掛かっていて、辺りは夕飯のおかずのいい匂いが漂っている。
 ――ああ、帰ってきたんだ…… 怖いところからも、夢からも。それがとてもぼくを安心させてくれた。


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