33 / 58
アキとユズ*第五章
uneasy night*1
しおりを挟む「―――え、いま、なんて…?」
午後の終わり、珍しい相手から電話があった。急ぎの仕事もコンペの予定も憶えがなかった俺は、スマホの画面に表示された相手の名に首を傾げた。と、同時に、ワケもなく淡くぼんやりと不安に近い感情を覚えた。
まだ話も聞いていないのに失礼過ぎるだろ…と、苦笑気味に電話に応じて、そして、ワケもなく輪郭も曖昧だった筈の不安の正体を知ることになった。
「えっとね、八百谷総合病院。救急のとこらしいんすけど…まあ、さっき電話して来てくれたぐらいだから、処置とかは終わってるのかも。」
「……はぁ…」
「んでー…俺ちょうど今日部活休みだし会議とかもないから、荷物届けがてら病院行こうかなって思うんすけどー…」
電話口の声が小声なのは勤務中の私用電話だからなのと、よりにもよって相手が相手だからなのかもしれない。肉親でも、配偶者でもない…友人の恋人、なんて堂々と言えない奴にかけているからかもしれない。それでもあえて彼が俺に報せてくれたのは、たぶん、“同志”だからだろう。
電話口の背後から微かに感じられる彼の職場の気配と声に囁くように告げられる事柄を、俺は震えそうな手でどうにかそこら辺の紙の端に書き留めた。「八百谷、救急、迎え」断片的にならぶ単語の意味は、電話を終えた俺ですら解読できるのか定かではなかったけれど。
大丈夫ですよ、と言って、電話は切れた。あと30分ぐらいしたら迎えに行く、ともつけ足して。
電話を終えた途端、足元が揺らいだ気がして俺はその場にへたりこんでしまった。たった今告げられた事が現実なのか夢なのか、なにか性質の悪い冗談なのか、咄嗟に判断しきれなかったからだ。
指先がちいさく震えていた。膝も、微かに。歯の根が合わなくてまるで猛吹雪の中にそのまま放り出されたかのようにがちがちと鳴り出しそうになっていた。
ふと目に留まった、いつも以上に読みにくい自分の字で綴られたヒステリックなメモ書きが、いまの電話とそれから告げられた事が現実で事実なんだと教えてくれる。知りたくもないって思っているのに、それを丸めて捨てるのもできなかった。
「…と、りあえず…なんか、飲んで…着替え、よ…」
編集さんとの打ち合わせも急ぎの買い物もない、夕方まで特に何の用事もない日は昼ぐらいまで寝ていることが多い俺の格好は、ちょっとすぐに表へ出ていい物ではなかった。
ようやく震えも治まってきた脚を奮い立たせて、のろのろと仕事部屋を後にする。隣の寝室のクローゼットから適当に取りだした服に着替えて、もさもさの髪を撫でつけながら冷蔵庫の中からオレンジジュースを取り出した。
ちいさい紙パック入りので、ストローを挿してひと口啜った時、これは昨日の夕方のお土産だったことを思い出した。「ビタミンとか摂った方がいんじゃないかなーって思って」って言いながら、フルーツがゴロゴロ入っているヨーグルトと一緒に持って来てくれたんだ。たった、10数時間ぐらい前の話だ。
たった1日も過ぎてなくて、まさかこんなことになるなんて思ってなかった。俺も、多分…お土産を持って来てくれたアキくんも。いつもどおりに俺が作った夕飯食べて、並んで片付けをして、ちょっとだけ、じゃれて。
大したことないって、さっきの電話で鹿山くんも言ってくれていたし、アキくんが自分から電話して来ていたって言っていたし…大丈夫だよ、そう、電話口で何度も言われていたのに、言われる程に俺はぽたりぽたり薄墨が真っ白な紙に滴るように、不安が止め処なく積み上がってくのを止められなかった。
不安の色の雪がしんしんと静かにひっそりと俺の足許を埋めていく。いまでも、止め処なく。
鹿山くんを信じてないわけじゃない。職場の関係者でも、まして家族ですらない俺に、それも仕事中にわざわざ報せてくれた彼の親切心にケチをつける様な事なんてできないもの。だけど、どうしても、不安で、同じぐらい悲しくて仕方ない濡れ鼠色の気持ちは拭いようがなかった。
鹿山くんからまた連絡があるまでの間、何をするにも手がつかなくて、本当に文字通りぼーっとリビングの椅子に座って、飲み干す事も出来ないままのオレンジジュースのパックを眺めていると、もう一度スマホが鳴った。
静まり返った部屋に不釣り合いなほどけたたましい音を立てているそれに出ると、鹿山くんがウチのマンションのすぐ下までついたという電話だった。
上着と、部屋の鍵とスマホと財布を放り込んだぺらぺらのトートバッグを引っ掴んで、俺は部屋を飛び出た。
ワインレッド色のちいさな軽自動車で迎えに来てくれた鹿山くんから、病院に着くまでの間簡単に事の顛末を聞かされた。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜
・不定期
僕たち、結婚することになりました
リリーブルー
BL
俺は、なぜか知らないが、会社の後輩(♂)と結婚することになった!
後輩はモテモテな25歳。
俺は37歳。
笑えるBL。ラブコメディ💛
fujossyの結婚テーマコンテスト応募作です。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。
みぃ
BL
自宅マンションへ帰る途中の道に淡い光を見つけ、なに? と確かめるために近づいてみると気付けば落ちていて、ぽん、と異世界に放り出された大学生が、年下の騎士に拾われる話。
生活脳力のある主人公が、生活能力のない年下騎士の抜けてるとこや、美しく格好いいのにかわいいってなんだ!? とギャップにもだえながら、ゆるく仲良く暮らしていきます。
何もかも、ふわふわゆるゆる。ですが、描写はなくても主人公は受け、騎士は攻めです。
【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】
紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。
相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。
超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。
失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。
彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。
※番外編を公開しました(10/21)
生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。
※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。
※4月18日、完結しました。ありがとうございました。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる