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アキとユズ*第三章

水蜜桃*1

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「すいみつとう?甘い物、それ。」

 昨夜遅く、アキが眠ろうとベッドに寝転んだところに電話が掛かってきた。相手は、そんな折でも歓迎したくなる者だった。
 聞き慣れない単語を、相手の真似をするように繰り返して訊ねると、「えっとね、桃」と、想像とさして遠くない答えが返ってきた。
 水蜜桃、とは、長野の方での桃の呼び方だ、と、電話の相手は言い、ちいさく笑む気配がした。

「長野?ユズの地元って長野だったっけ?」

彼の地元は、アキと同様、現住所から特急列車で数時間程の片田舎の街だった憶えがあったからだ。方向が若干アキとは異なっているぐらいだった、とも。
 「んー、親戚がね、いるんだ長野。」と、ユズは言い、「んでね、桃園…桃の果樹園をね、昔やってて…いまはもうやってないんだけど…樹はだいぶ切っちゃったりしたみたいなんだけど、まだ現役なのがあったりして、毎年桃はいっぱい生って、うちの実家にもたくさん来るんだよ。今年はかなり多かったみたいでさ、俺のとこにも来たんだ。」と、電話の用件を述べた。

「ウチの桃さぁ、すっごい甘くって…俺ひとりじゃとても食べ切れないから、アキくん、どうかなーって。」

 「桃、嫌い?」と、ここまで桃の話をしておきながら、ユズは今更にアキに訊ねてきた。アキは、彼のそんな少しズレたところがおかしく、そして愛しく思えてちいさくひっそりと笑った。普段はスマホのメッセージアプリで済ませてしまうような事を、わざわざ電話で告げてきてくれたその理由を少し垣間見た気がしたからだ。
 きっと、スマホを手に随分と悩んだに違いない。自由業で時間に融通のきくユズの職業と、所謂九時五時勤務であるアキの職業の間に生じるタイムラグと、それに伴う電話をかけるタイミングを考えあぐねていたであろう彼の姿や胸中を。
 そうやって思い悩んでまで直接声を届けてくれたユズのことを想うと、譬え今一日を終えようとしていたところであっても、笑んで許してしまえた。ささやかで下らないと思えるちいさな事でも、相手を、自分を考えてくれる。その心が嬉しく、そしてそれ以上にアキはユズが愛しくて仕方ないのだ。

「ううん、好きだよ、桃。」
「そっか、よかった…あのね、急なんだけどさ、明日、食べにこない?何かこの暑さでかなり熟れちゃってるのがあってさー…ジュースになっちゃいそうで。」
「そんなギリギリのが来たの?」
「うーん…一応、クール便で来たんだけど…甘いから傷むの早いのかもね。アキくん、明日休み?」
「えーと…午前中仕事。」
「あ、俺明日昼に打ち合わせだ…んじゃあ、夜?」
「そうだなー…でも夜はもうビールが欲しい感じが…」
「だよねぇー…それまで家で待ってて…」
「あ、あのさ、」
「うん?」
「ウチ、来る?えっと、その…ユズが面倒じゃなかったら、だけど…」
「え、いいの?」
「すげー、部屋汚いけど…」

 苦笑気味にアキが言うと、「ウチもじゃん」と、ユズも笑う。互いの声を耳にしないで済ませられる会話でさえも、声に載せて交わすだけで特別なきらめきを帯びる。
 遠い過去に会得した筈の当たり前を今更に気付かされ、そのぬくもりを想う。ただそれだけで、鼻先に甘い果実の匂いを覚えたような気がした。

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