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アキとユズ*第二章

ランチボックス*8

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「……ごめ、ね……」

 ポツン、と呟かれたちいさな小さな言葉が、言いようのないぐらい悲しい色をしていた。
 俺はハッと我に返って、弾かれたように顔を挙げる。薄闇の中、はらはらと声も音もなく涙を零しながら、それでいて真っすぐに俺を見つめているユズの姿があった。儚く消えそうな雰囲気なのに、僅かに感じる凛とした気配が溢れてくる涙の色を濃くしていた。
 濡れて震える涙声で、ユズは俺に何度も同じ言葉を呟いていた。ごめんね、アキくん、ごめんね、と。

「……んな、泣かなくったっ…」
「―――怖い、んだ…」
「…え?」
「怖いんだ、俺……アキくんを、そういう風に見て、想って…伝えるのって。」
「え、なん……」
「……なくしたく、ないから…」

 涙のしずくで濡れたメガネを外し、限りなく子どもに近い感じに泣きはじめたユズは、ぽつりぽつりとその理由を話してくれた、簡単に、すごく短く、だったけど。
 むかし、ユズには大切なヒトがいた。親友とか、そういう類の。相手も、ユズのことをそう思っててくれたんだとかで、ふたりはそりゃあ仲が良かった。
 でも、いつの間にかユズの中に在った感情を、十七の秋にその相手に伝えた瞬間、ふたりの関係は全くの他人になってしまったんだ。受け入れられない、そうはっきりとやさしく言われて、それきり。この世の終わりより目の前が暗くなった、と、ユズは言った。
 想いを伝えることで大切なヒトも想い人も手放さざるを得なくなったことで、ユズは、すっかりヒトを想うことが怖くなってしまったんだって言った。そして、俺をどう想っていいのかがわからない、とも。なくしたくない、それだけは確固として在るのに、とも言いながら。伏せる眼元の先に、怯える想いが揺れる。
 大切なヒトを失くしてしまうぐらいなら、その感情に蓋をする、鍵を掛ける、永遠に――――どこかで感じた哀しい痛みを、俺は思い出していた。そんでそれが綴られた文章を思い起こし、更に胸の奥が痛むのを感じずにはいられなかった。
 今更にそんなことを気付いた自分の鈍さを悔いた。俺がすることは、ユズにこんな顔をとか想いとかをさせるためじゃない……起きてしまった事態は何一つ取り返すことはできないことに今更に気付かされ、唇を噛む。
 ユズの言葉が途切れて、ちいさな嗚咽だけが流れていた。暗がりとそこにぼんやりと映る肩のラインを俺は見つめていた。
 暫くして俺は席を立って、すすり泣きながら俯いてるユズの傍らに膝をついた。そんで、そっと長くもさもさとした髪を撫でた。ほんのりと、煙草の匂いがした。
 俺の手を感じて、濡れた顔と眼が俺の方を見つめる。その眼差しと表情があまりに幼くて儚げで、もっと触れずにはいられなかった。
 そっと手を伸ばして抱き寄せて、強く、そのまま抱きすくめたら、煙草の匂いをさっきよりも濃く感じた。ほのかに、ユズの肌の匂いも。
 ただ触れて抱きしめただけでこんなに胸が痛くなることって今まであったかな……哀しみじゃないその痛みは甘くすらあって、距離を縮めてく程に自分の身体に刻み込まれてく気がした。感覚のすべてにユズを覚えさせようとしているかのように。

「……アキ、く…ごめ…ごめん…言わなくっ…」
「謝んなくていい。謝んないで、ユズ。ごめんね、俺も、酷いこと、言って。」
「……アキ、くん…」
「俺、ちゃんとユズが好きだ。だからさ、安心して、どんどん好きなっちゃってよ。全部受け止められるぐらい、俺も、もっともっと、ユズのこと、好きになるからさ。」
「うん……ありがと…」

 すっかり闇の中に沈んだ部屋の中、ひんやりと冷えた空気が頬を撫でてく。それすら心地いいほどに俺らは互いを近く感じていた。
 顔の輪郭がやっと確認できるぐらいの暗がりで交わすキスは妙に甘くて、何度も何度も俺らはそれを重ねた。啄んで、時々、笑って。
 ささやかな微笑みと微笑みの間で、それ以上にささやかな声で、「…アキくん、好き…」って言うのが聞こえた気がした。

「…え?ね、いま、言った?言ったよね、俺のこと、好きって」
「……った、かなぁ…」
「ちょ…この状況で何でしらばっくれンだよぉ!」

 でも、背けた横顔の口元が僅かに緩んでたから、幻ではないんだろうなと思った。だからそっと、俺はまたユズを抱き寄せた。くすくすと笑う彼の頬はまだ微かに濡れていたけど、もう、泣いてはいなかった。
 ああ、薄っぺたな身体だな…腕の中のぬくもりを感じながらそう思ったら、ますます愛しさとか護ってやりたい想いが湧きあがってくのを感じた。この身体から湧き上がってくる言葉や料理や声や笑顔を。

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