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それからどれくらい意識を失っていたかわからない。ただひたすらにじんわりとお腹が痛くて気持ちが悪くて仕方なかった。
搬送されている間も何回か吐いてしまったらしく、そのせいで脱水の恐れがあるとかで点滴もされていた。
目が覚めたのは薄明るい病室の中で、起き上がれない程に体がだるくてしかたない。
「気が付いた? どう、気分は」
目覚めた俺の顔を、傍についていたらしい平川さんが覗き込む。最悪、と答えようにも喉がカラカラで変な声しか出ない。何回か咳をして何とか喋ろうとする俺に、「無理に喋らなくていいよ」と平川さんは言って額を撫でてくれた。
「唯人のコウノトリノートのアプリだっけ、あれがあったから帝都大病院に運んでもらったの。幸い主治医の蓮本先生もいらっしゃったから診て頂いたよ。薬の副作用と、過労じゃないか、って」
「……そっか」
「唯人、なんであんたもう妊娠できる段階になっているって言わなかったの? 蓮本先生にもそろそろ無理したらダメって言われてたそうじゃない」
「つい何日か前に言われたばっかりだったんだよ。報告も今日するつもりだったし」
「でも、まだ朋拓くんに話出来てないんだって? もうそろそろ精子提供者の登録しなきゃなのに、アプリ見たら空欄じゃないの」
「何で勝手に中を見たんだよ……」
「容体知らせる時に目に入ったのよ。見ちゃったのは悪かったけど、空欄のままなのは話が違うじゃない。ちゃんと話合うから朋拓くんと、って言うから社長だっていいよって言ってくれたのに」
「それは……」
呆れた様子で平川さんから矢継ぎ早に言われて俺が黙っていると、更に言葉を重ねられる。
「唯人はね、ちょっと物事軽く考えすぎ。自分がディーヴァであることも、子どもを欲しいと思っていることも、その治療に対しても」
「そんなことない!」
俺なりにちゃんと考えたから治療だって仕事だってやれるだけやろうと思っている。ただ今回はちょっと体調が悪かっただけに過ぎない。次はちゃんとやれる、大丈夫――そう言おうとして勢いよく起き上がった俺を、平川さんが制したところで病室のドアがノックされた。
俺と平川さんがドアの方に振り返るのと、ドアが開いて尋ねてきた誰かが入ってくるのは同時だった。
「――朋拓……なん、で……」
入り口からそっと病室を覗き込んで入ってきた人影を、俺は呆然と見つめる。なんで彼がいまこんなところにいるんだろう。いくら俺がディーヴァであることを知っている恋人とは言え今日の俺がどこで何をしているかまでは知らないはずなのに。
全く予想外な展開に凍り付いている俺をよそに、入り口で同じくどうしたらよいかわからず立ちすくんでいる朋拓を、平川さんが中へと促す。そうして俺が半身を起こしているベッドの傍らに朋拓が立ち、見つめ合う形になった。
「なんで、朋拓が……」
「私が呼んで、来てもらったの」
「え、なんで」
「なんでって、彼は唯人のパートナーなんでしょ? 身寄りのないあんたに何かがあった時に連絡しないといけないのは、マネージャーの私の他には彼しかいないじゃない」
平川さんの言うことは正論ではあるけれど、俺が納得できる理由ではない。この病院に担ぎ込まれた時の俺はディーヴァとして仕事をしていた時であって、だからこそ彼女がそばにいたのだ。マネージャーはアーティストの家族の代わりのようなところもあるから、付き添ってくれたりするのは当然だろうと思う。
でもだからってここに、たとえパートナーだからと言う理由があるにしても、まだ俺と朋拓は籍もいれていないから家族とは言い切れないし、しかも明かしていないコウノトリプロジェクトの治療を請け負っている病院には呼ばないで欲しかったのに。
そう、訴えるように平川さんの方をにらんだのだけれど、彼女は仕方がないだろうと言うように溜め息をついてこう言葉を続ける。
「あのね、非常事態だったんだよ、今さっきのことは。たまたま副作用と過労が重なっただけとわかったけれど、万一のことがあったとしたら朋拓くんに連絡しないわけにはいかないの。わかるでしょう? 唯人はいま重病人と同じなんだから」
「でも、そうだとしても俺は朋拓にあの事は――」
「唯人、もういい加減にしなさい。いつまでも隠し通せることなんてないんだよ」
「……隠してたわけじゃ……」
「隠していたようなもんじゃない、ちゃんと話合えていなかったんだから。それがどういうことになるかよく解ったでしょう?」
小さな子どもに言い聞かせるような口調で説き伏せられて、返す言葉がない。俺が主張していることは結局子どものワガママのように正当性がない話なのだ。反対されて気持ちが離れるかもしれないというような曖昧であやふやな心配を口実に、家族同然である相手に向き合ってちゃんと伝えておくべき最低限のことを黙ったままでいるのはただのバカだ。
俺一人が我を張ってしまったがために結局現場にも迷惑をかけてしまったし、仕事だってしばらく休まなくてはいけないかもしれない。この前プロとしてのけじめをつけたはずなのに、もうこのザマだ。
何より、何も伝えていなかったことで無用に朋拓に心配をかけてしまった。無言で泣きそうな目で俺を見てくる彼の目がそれを如実に物語っている。朋拓はいまものすごく不安で心配しているのか、俺以上に顔色が悪い。
「ごめんね、急にこんなところに呼び出しちゃって。でもあなたがいないとどうにもならないから」
そう、平川さんは朋拓に言い、自分が座っていた俺のすぐ傍の椅子を勧める。子どものようにうなずいた朋拓は黙ってその椅子に座り、泣きそうな顔でじっと俺を見てくる。
「……もう、大丈夫?」
消えそうな声でポツンと訊いて来た朋拓の声に俺は胸がギュッと痛くなった。責めるでも怒るでもなく、ただひたすらに俺ことだけを心配している彼の声が何よりも胸に響く。ああ、自分はずっととんでもないことをしていたんだといまようやく分かったけれど、それをどう取り繕っていいかわからない。
とりあえず俺は朋拓の言葉に小さくうなずくと、朋拓は平川さんがそこにいるのも構わずに俺を抱きしめてきた。「良かった……ホント、良かった……」振り絞るように呟かれる声は震えていて、俺は抱き返すこともできないでそのままされるがままになっていた。
搬送されている間も何回か吐いてしまったらしく、そのせいで脱水の恐れがあるとかで点滴もされていた。
目が覚めたのは薄明るい病室の中で、起き上がれない程に体がだるくてしかたない。
「気が付いた? どう、気分は」
目覚めた俺の顔を、傍についていたらしい平川さんが覗き込む。最悪、と答えようにも喉がカラカラで変な声しか出ない。何回か咳をして何とか喋ろうとする俺に、「無理に喋らなくていいよ」と平川さんは言って額を撫でてくれた。
「唯人のコウノトリノートのアプリだっけ、あれがあったから帝都大病院に運んでもらったの。幸い主治医の蓮本先生もいらっしゃったから診て頂いたよ。薬の副作用と、過労じゃないか、って」
「……そっか」
「唯人、なんであんたもう妊娠できる段階になっているって言わなかったの? 蓮本先生にもそろそろ無理したらダメって言われてたそうじゃない」
「つい何日か前に言われたばっかりだったんだよ。報告も今日するつもりだったし」
「でも、まだ朋拓くんに話出来てないんだって? もうそろそろ精子提供者の登録しなきゃなのに、アプリ見たら空欄じゃないの」
「何で勝手に中を見たんだよ……」
「容体知らせる時に目に入ったのよ。見ちゃったのは悪かったけど、空欄のままなのは話が違うじゃない。ちゃんと話合うから朋拓くんと、って言うから社長だっていいよって言ってくれたのに」
「それは……」
呆れた様子で平川さんから矢継ぎ早に言われて俺が黙っていると、更に言葉を重ねられる。
「唯人はね、ちょっと物事軽く考えすぎ。自分がディーヴァであることも、子どもを欲しいと思っていることも、その治療に対しても」
「そんなことない!」
俺なりにちゃんと考えたから治療だって仕事だってやれるだけやろうと思っている。ただ今回はちょっと体調が悪かっただけに過ぎない。次はちゃんとやれる、大丈夫――そう言おうとして勢いよく起き上がった俺を、平川さんが制したところで病室のドアがノックされた。
俺と平川さんがドアの方に振り返るのと、ドアが開いて尋ねてきた誰かが入ってくるのは同時だった。
「――朋拓……なん、で……」
入り口からそっと病室を覗き込んで入ってきた人影を、俺は呆然と見つめる。なんで彼がいまこんなところにいるんだろう。いくら俺がディーヴァであることを知っている恋人とは言え今日の俺がどこで何をしているかまでは知らないはずなのに。
全く予想外な展開に凍り付いている俺をよそに、入り口で同じくどうしたらよいかわからず立ちすくんでいる朋拓を、平川さんが中へと促す。そうして俺が半身を起こしているベッドの傍らに朋拓が立ち、見つめ合う形になった。
「なんで、朋拓が……」
「私が呼んで、来てもらったの」
「え、なんで」
「なんでって、彼は唯人のパートナーなんでしょ? 身寄りのないあんたに何かがあった時に連絡しないといけないのは、マネージャーの私の他には彼しかいないじゃない」
平川さんの言うことは正論ではあるけれど、俺が納得できる理由ではない。この病院に担ぎ込まれた時の俺はディーヴァとして仕事をしていた時であって、だからこそ彼女がそばにいたのだ。マネージャーはアーティストの家族の代わりのようなところもあるから、付き添ってくれたりするのは当然だろうと思う。
でもだからってここに、たとえパートナーだからと言う理由があるにしても、まだ俺と朋拓は籍もいれていないから家族とは言い切れないし、しかも明かしていないコウノトリプロジェクトの治療を請け負っている病院には呼ばないで欲しかったのに。
そう、訴えるように平川さんの方をにらんだのだけれど、彼女は仕方がないだろうと言うように溜め息をついてこう言葉を続ける。
「あのね、非常事態だったんだよ、今さっきのことは。たまたま副作用と過労が重なっただけとわかったけれど、万一のことがあったとしたら朋拓くんに連絡しないわけにはいかないの。わかるでしょう? 唯人はいま重病人と同じなんだから」
「でも、そうだとしても俺は朋拓にあの事は――」
「唯人、もういい加減にしなさい。いつまでも隠し通せることなんてないんだよ」
「……隠してたわけじゃ……」
「隠していたようなもんじゃない、ちゃんと話合えていなかったんだから。それがどういうことになるかよく解ったでしょう?」
小さな子どもに言い聞かせるような口調で説き伏せられて、返す言葉がない。俺が主張していることは結局子どものワガママのように正当性がない話なのだ。反対されて気持ちが離れるかもしれないというような曖昧であやふやな心配を口実に、家族同然である相手に向き合ってちゃんと伝えておくべき最低限のことを黙ったままでいるのはただのバカだ。
俺一人が我を張ってしまったがために結局現場にも迷惑をかけてしまったし、仕事だってしばらく休まなくてはいけないかもしれない。この前プロとしてのけじめをつけたはずなのに、もうこのザマだ。
何より、何も伝えていなかったことで無用に朋拓に心配をかけてしまった。無言で泣きそうな目で俺を見てくる彼の目がそれを如実に物語っている。朋拓はいまものすごく不安で心配しているのか、俺以上に顔色が悪い。
「ごめんね、急にこんなところに呼び出しちゃって。でもあなたがいないとどうにもならないから」
そう、平川さんは朋拓に言い、自分が座っていた俺のすぐ傍の椅子を勧める。子どものようにうなずいた朋拓は黙ってその椅子に座り、泣きそうな顔でじっと俺を見てくる。
「……もう、大丈夫?」
消えそうな声でポツンと訊いて来た朋拓の声に俺は胸がギュッと痛くなった。責めるでも怒るでもなく、ただひたすらに俺ことだけを心配している彼の声が何よりも胸に響く。ああ、自分はずっととんでもないことをしていたんだといまようやく分かったけれど、それをどう取り繕っていいかわからない。
とりあえず俺は朋拓の言葉に小さくうなずくと、朋拓は平川さんがそこにいるのも構わずに俺を抱きしめてきた。「良かった……ホント、良かった……」振り絞るように呟かれる声は震えていて、俺は抱き返すこともできないでそのままされるがままになっていた。
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