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平川さんに愚痴を言った翌日、悩みに悩んだ末、俺はコウノトリプロジェクトに関する説明を受けた大学病院――帝都大学医学部付属病院、通称・帝都大病院に行ってプロジェクトを受けるための手続きをすることにした。
悩んでいる間にどんどん時間だけが過ぎて、妊娠できたかもしれないチャンスを逃すのが怖かったのと、プロジェクトに賛同して治療を希望するという意思表示だけでもしていれば、いつでも治療に関する相談は受けられるという話だったので、登録だけでもしておこうと思ったのもある。
カップルによっては、仕事や、健康上の理由ですぐに治療に取り掛かれるようなお互いの都合がつかない場合もよくあるらしいし、何より、身体への負担が大きいので、色々と整った状態で臨んだ方がいい、とも病院で話をされてもいたので、登録だけしている、という人も結構いるらしい。
「――治療の内容は以上になりますが、コウノトリプロジェクトは、言わば究極の生殖医療でもありますし、成功例も増えては来ていますが、それが一〇〇パーセントの成果を保証するものではありません。なにより、母体となる独島さんの負担は、かなり大きなものになります。様々な事情で治療を途中で止める例も少なくありませんし、男性母体での成功例は女性に比べると世界ではまだ安心できるほど十分多いとは言えません。それでも、治療を希望されますか?」
産科の特別室に通され改めての説明をされた上で、最終的に本当に治療を受けるかを訊かれる。
産科医の中でも国内トップクラスという、蓮本先生という三十代~四十代くらいの男性の先生が、俺に資料を見せながら一通りまた説明をしてくれて、俺はその一つ一つを真剣に聞いていた。
妊娠するまでに服薬する薬の副作用のことも、身体に起こる変化も、治療そのものにかかる歳月も、男性が母体になっての妊娠出産の成功例の女性に比べて安心できるほど多いとは言えない事も、全部、俺は解っているつもりだ。すべてを承知の上で、今日から始めてくれというつもりでここに来ている。だから、俺は迷うことなくうなずいて答えた。
「はい、希望します。お願いします」
俺の言葉に、蓮本先生はメガネ越しの目をゆったりと細め、「こちらこそ、よろしくお願いします」と微笑む。そのやわらかでやさしそうな雰囲気に俺はこの先生なら大丈夫だな、と、安心感を覚える。
そうしてさっそく最初の診察日の話に移って、その日に何をするかの話が始まる。説明の際の資料のほとんどがタブレットで見るもので、すべての説明が終わった後でQRコードを読み込み、資料を自分の端末に入れる。ここに今日の説明の資料がすべて入っているんだという。
病院を出る時に、“コウノトリノート”というアプリもインストールするように言われ、これから治療のことや、その時の体調や心境なんかをこれに記録していって、毎日アプリ経由で病院に提出して欲しいと言われた。プロジェクトのデータとして、そして今後の研究のために集めているという。
帰り道に寄ったカフェの隅の席で、忘れないうちにもう一度アプリを起動し、すぐに資料を確認する。「パートナーやご家族にも、必ずアプリ入れてもらって下さいね」と、看護師に言われたけれど、俺はそれに曖昧にうなずくしかなかった。実は、今日病院に行くことも、そこで何を始めるかも、まだパートナーであるはずの朋拓に話さないままで来たからだ。
「伝えるべきことはわかって来たけど、いつあいつに伝えるかってことだよなぁ……早いに越したことはないんだろうけど」
治療が軌道に乗って、いつでも妊娠できる、くらいになってから明かした方が話は早いんじゃないだろうか、と俺は思っているのだけれど、どうなんだろう。そんなこと言ったら平川さんに激怒されそうだけれど、なにせ、朋拓の考えがこの前の話を聞く限り頑ななようで、切り出すタイミングが計れない。
(それに、投薬の副作用とかどうなんだろう……ホルモン療法みたいなもんなんだろうけど、歌声に影響強く出たりするのかな……)
正直言えば、コウノトリプロジェクトの治療に不安が全くない、といえば嘘になる。いくら治療を受ける人が増えて、成功例もそれなりにあって、国が推奨しているとは言っても、俺自身にとっては未知のことに挑むことに変わりはないのだから。
それでも、こうしてわざわざ病院に足を運んでまで手続きをして臨みたいという姿勢をとるのは、やっぱり、俺が強く血の繋がりのある家族が欲しい、と望んでいるからだ。その手段にようやく出会えた、それだけでも俺は嬉しく思っている。
「大丈夫……きっと、上手くいく」
ずっとずっと欲しかった存在がようやく手に入るかもしれない。その可能性の影がちらりと見えてきただけでも、俺にはたまらない喜びがある。
母体である俺に負担が大きくて命がけである、相当に危険なことなんだとは思う。でも、ずっと叶えたかった望みが叶うのだったら、命だって惜しくない――そう考えているし、それぐらいの気概と覚悟でいる。
そんな一種の興奮したような状態にあったから、上手くいく場合しか考えきれなかったんだろう。病院で説明されたように、成功例は思っているよりも多いとは言え、途中で何があるかわからない治療であることに変わりはないのに。
ゆったりと暮れていく通りの街路樹の木漏れ日を眺めながら、俺は、ひとりまだ影も形もないぬくもりを抱く想像をしては、ひとり小さく微笑んだ。
悩んでいる間にどんどん時間だけが過ぎて、妊娠できたかもしれないチャンスを逃すのが怖かったのと、プロジェクトに賛同して治療を希望するという意思表示だけでもしていれば、いつでも治療に関する相談は受けられるという話だったので、登録だけでもしておこうと思ったのもある。
カップルによっては、仕事や、健康上の理由ですぐに治療に取り掛かれるようなお互いの都合がつかない場合もよくあるらしいし、何より、身体への負担が大きいので、色々と整った状態で臨んだ方がいい、とも病院で話をされてもいたので、登録だけしている、という人も結構いるらしい。
「――治療の内容は以上になりますが、コウノトリプロジェクトは、言わば究極の生殖医療でもありますし、成功例も増えては来ていますが、それが一〇〇パーセントの成果を保証するものではありません。なにより、母体となる独島さんの負担は、かなり大きなものになります。様々な事情で治療を途中で止める例も少なくありませんし、男性母体での成功例は女性に比べると世界ではまだ安心できるほど十分多いとは言えません。それでも、治療を希望されますか?」
産科の特別室に通され改めての説明をされた上で、最終的に本当に治療を受けるかを訊かれる。
産科医の中でも国内トップクラスという、蓮本先生という三十代~四十代くらいの男性の先生が、俺に資料を見せながら一通りまた説明をしてくれて、俺はその一つ一つを真剣に聞いていた。
妊娠するまでに服薬する薬の副作用のことも、身体に起こる変化も、治療そのものにかかる歳月も、男性が母体になっての妊娠出産の成功例の女性に比べて安心できるほど多いとは言えない事も、全部、俺は解っているつもりだ。すべてを承知の上で、今日から始めてくれというつもりでここに来ている。だから、俺は迷うことなくうなずいて答えた。
「はい、希望します。お願いします」
俺の言葉に、蓮本先生はメガネ越しの目をゆったりと細め、「こちらこそ、よろしくお願いします」と微笑む。そのやわらかでやさしそうな雰囲気に俺はこの先生なら大丈夫だな、と、安心感を覚える。
そうしてさっそく最初の診察日の話に移って、その日に何をするかの話が始まる。説明の際の資料のほとんどがタブレットで見るもので、すべての説明が終わった後でQRコードを読み込み、資料を自分の端末に入れる。ここに今日の説明の資料がすべて入っているんだという。
病院を出る時に、“コウノトリノート”というアプリもインストールするように言われ、これから治療のことや、その時の体調や心境なんかをこれに記録していって、毎日アプリ経由で病院に提出して欲しいと言われた。プロジェクトのデータとして、そして今後の研究のために集めているという。
帰り道に寄ったカフェの隅の席で、忘れないうちにもう一度アプリを起動し、すぐに資料を確認する。「パートナーやご家族にも、必ずアプリ入れてもらって下さいね」と、看護師に言われたけれど、俺はそれに曖昧にうなずくしかなかった。実は、今日病院に行くことも、そこで何を始めるかも、まだパートナーであるはずの朋拓に話さないままで来たからだ。
「伝えるべきことはわかって来たけど、いつあいつに伝えるかってことだよなぁ……早いに越したことはないんだろうけど」
治療が軌道に乗って、いつでも妊娠できる、くらいになってから明かした方が話は早いんじゃないだろうか、と俺は思っているのだけれど、どうなんだろう。そんなこと言ったら平川さんに激怒されそうだけれど、なにせ、朋拓の考えがこの前の話を聞く限り頑ななようで、切り出すタイミングが計れない。
(それに、投薬の副作用とかどうなんだろう……ホルモン療法みたいなもんなんだろうけど、歌声に影響強く出たりするのかな……)
正直言えば、コウノトリプロジェクトの治療に不安が全くない、といえば嘘になる。いくら治療を受ける人が増えて、成功例もそれなりにあって、国が推奨しているとは言っても、俺自身にとっては未知のことに挑むことに変わりはないのだから。
それでも、こうしてわざわざ病院に足を運んでまで手続きをして臨みたいという姿勢をとるのは、やっぱり、俺が強く血の繋がりのある家族が欲しい、と望んでいるからだ。その手段にようやく出会えた、それだけでも俺は嬉しく思っている。
「大丈夫……きっと、上手くいく」
ずっとずっと欲しかった存在がようやく手に入るかもしれない。その可能性の影がちらりと見えてきただけでも、俺にはたまらない喜びがある。
母体である俺に負担が大きくて命がけである、相当に危険なことなんだとは思う。でも、ずっと叶えたかった望みが叶うのだったら、命だって惜しくない――そう考えているし、それぐらいの気概と覚悟でいる。
そんな一種の興奮したような状態にあったから、上手くいく場合しか考えきれなかったんだろう。病院で説明されたように、成功例は思っているよりも多いとは言え、途中で何があるかわからない治療であることに変わりはないのに。
ゆったりと暮れていく通りの街路樹の木漏れ日を眺めながら、俺は、ひとりまだ影も形もないぬくもりを抱く想像をしては、ひとり小さく微笑んだ。
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