あすきぃ!

海月大和

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第二話

イマリの冒険⑤

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 しーん、とその場が静まり返る。口に出す人はいなかったが、観客たちは一様に「えぇ~……」という表情をしていた。

 さあ噛みついてくれと言わんばかりの高校生の行動。しかし、痛ましい出来事が起こるだろうという観客(僕を含む)の予想は大きく外れることになる。

 ぽす。

 信じられないことに、あれほど猛っていた野良犬くんが、高校生の言葉に従ってお手をしていた。声には出ていなかったが、観客たちは一様に「えぇ~!?」という表情を浮かべている。もちろん僕もだ。

 さらに驚いたことに、

「おかわり」

 さっ。

「ふせ」

 さっ。

「くるっと回って~」

 くるり。

「ジャンプ!」

 びょん。

 白髪の高校生の指示に、次々と野良犬くんが応えていくではないか。開いた口が塞がらないとはまさにこのことだ。
 よく躾けられた飼い犬のように従順な野良犬くんへ、

「よしよし、よく出来たね」

 鞄の中から取り出したビーフジャーキーを与えた高校生は、すっくと立ち上がり、呆気にとられている観客たちに向かってにっこり笑う。

 そして、眉間を人差し指でとんとんと軽く叩いた。

 すると、観客たちは一様に「ああ」と納得したような顔をして、自分の日常に戻って行ったのだった。

「……えっ? あれっ? なんで皆さん普通に納得してるんですか?」
「あれはね、『自分は能力保持者です』っていうジェスチャーなのさ」

 疑問符だらけになっている僕を見かねて、ムタさんが説明をしてくれる。

「あの坊や、動物を操る力でも持ってるんだろうね。それで皆腑に落ちたって顔してたのさ。ま、この街じゃ能力者なんてさして珍しくもないやね」
「能力者を示すジェスチャー? そんなのがあるんですか?」
「あるんだよ。なんでも、一番初めに能力を発現した人物が、力を使うときに眉間を軽く叩いていたからだ、とかなんとか聞いたねぇ」
「ふぇ~。よく知ってますね、ムタさん」
「伊達に長く生きちゃいないってことさ。……おや?」

 小声でやりとりしている内に、この場に留まっている観客は僕たちだけになってしまったらしい。

 野良犬くんを撫でくり回していた件の高校生が、僕らに気付いて近寄ってくる。野良犬くんを引き連れてやってきた白髪の人物は、僕らの前までくると感心したような声を漏らした。

「これはこれは……。美人さんだね」
「へっ?」

 開口一番にそんな言葉が飛び出して、僕は面食らってしまった。もしかして性別を間違われたんじゃ?と軽いショックを受けかけたけれど、どうやら僕のことではないようだ。目の前の人物の視線はムタさんに向かっている。

「君の家の猫?」

 今度こそ僕に向けた言葉だ。僕は首を振る。

「いえ、知り合いの家の猫なんです」
「ふぅん。仲がいいんだね~」

 にこりと笑顔を見せる高校生。柔和な表情と相まって、全体的に柔らかい雰囲気をもった人物だ。

「おっとそうだそうだ。まず自己紹介だよね」

 しまったしまったと呟いてから、白髪の高校生は咳払いをした。

「初めまして。僕は藻波(もなみ)。友人にはモナーって呼ばれてる」
「は、初めまして、藻波さん。イマリといいます。こっちはムタさん」
「藻波さんかぁ。う~ん、どっちかというと、モナーって呼んでくれた方がいいかな。そっちのが慣れてるから」

 照れたように眉を下げたモナーさんは、まぁいいか、とにかくよろしくと僕に告げたあと、しゃがんでムタさんに手を差し伸べ、笑顔を作った。

「よろしくね、ムタさん」
「……」

 対して、ムタさんはモナーさんの顔も見ない。それどころか差し出された手をぺしっと払いのけてしまった。

「……ムタさん?」

 ムタさんはモナーさんを相手にするつもりがないらしく、結局目を合わせることすらなく、モナーさんと距離を取った。

 どうしたんだろう? モナーさんが近くに来てから、ムタさんが不機嫌になったような気がする。

「おや、これは残念。嫌われちゃったかな?」

 モナーさんは茶化すように肩を竦めた。冷たくあしらわれた格好になったけれど、気分を害してはいないようだ。
 僕がほっとした瞬間、携帯電話の着信音がその場に響く。モナーさんはすぐに携帯電話を制服のポケットから取り出し、通話ボタンを押した。

 そういえば、どうしてモナーさんは平日にこんなところにいるんだろうか。

『オイ!! てェめェ、一体どこで油売ってやがんだこの野郎ォ!!』

 僕が首を傾げていると、いきなりモナーさんの携帯電話から怒声が飛び出した。

『俺一人でモララーの面倒なんか見切れねェっつんだよ!! 早ェとこ学校に来きやがれ!!』

 耳を塞いでも聞こえてくるような迫力のある声に、しかしモナーさんは顔色一つ変えず、淡々と対応する。

「ごめん。学校行くの遅くなりそう」
『あぁ!?』
「ってか、もしかしなくても今日はサボるかも」
『ちょっ、待てやコラァ!! ふざけんなこのブラックハー……』

 ピッ。

 容赦なく通話を打ち切ったモナーさんは、携帯電話の向こうにいる人物の剣幕に圧倒されていた僕に笑いかけた。

「それじゃあ、この子を世話してくれるとこを探すから、僕はこれで失礼させてもらうよ」

 野良犬くんの頭を撫でながら、モナーさんは言う。

「ええと、僕も用事があるので……」

 僕がそう返すと、モナーさんはにっこりと笑顔を浮かべて、僕とムタさんを意味ありげに見比べた。

「うんうん。また会えると面白いね」

 野良犬くんを促して、モナーさんは去っていく。もちろん、学校からは遠ざかる方向へ。

「ふん。いけ好かない坊やだよ」

 モナーさんを見送る僕の足元で、いつの間にか戻ってきていたムタさんがつまらなそうに呟いた。

「そうですか?」

 悪い人ではなさそうだけどなぁ、と思うのだけど。

「鈍いねぇ」

 ムタさんは不思議な顔をする僕を真正面から見据える。

「あんたも気を付けなよ。ああいう類の人間にはね」
「ああいう類……? それは、どういう意味なんですか?」
「ま、知らないなら知らないでいいさね」

 僕の質問を受け流したムタさんは、疑問符だらけの僕を置いて歩き出した。

「あ、待って下さいよぅ!」

 慌てて僕はムタさんの背中を追った。

 学校はもう目と鼻の先。道中色々あったけれど、ここまで来れば僕の役目は終わったも同然だろう。このとき、僕は心の底からそう思っていたのだった。

 一番大きなイベントは、この後に待っていたというのに。
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