冷血青年

海月大和

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口惜しき現実

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 リチャードから大人二人分ほど距離を取って止まったデリックは、刺すような鋭い怒りのこもった視線を注いでくる。矢を持って弓の弦に手をかけ、いつでも引き絞れるように肩にもやや力が入っていた。鏃を下に向けてはいるが、射ようと思えばすぐにでも矢を放てる体勢だ。

「エルシーが泣いてた。何をした? 何かひどいことを言ったんだろう」

 どうやら涙を拭いながら走っているエルシーを見かけたようだ。ケネスの仲間とみられるリチャードが非道を働いたと思っても無理はない。

「誤解です。彼女とは少し話をして、頼み事をされただけです」

 リチャードは首を振り、デリックの目をしっかりと見て言った。

「頼み事?」

 デリックの顔に疑問の色が浮かぶ。変わらず弓に手を掛けているが、ほんの少しだけ肩から力が抜けた。

「ええ、彼女にケネスを殺してくれと言われました」
「なんだって!?」

 デリックの眉が跳ね上がる。驚きに目を大きくし、困惑に顔をしかめる。

「あいつ、どうしてそんなこと……。お前はあの吸血鬼の仲間だろう?」
「そうでもありませんよ」

 リチャードは肩をすくめてみせた。デリックは猜疑心を刺激されたのか、むすっとした表情を作り口をへの字に曲げる。

「信用できないね。あんた、俺たちを騙してたじゃないか」

 教会の狩人(ハンター)だと言ったことを指しているのだろう。それについてはリチャードも言い訳できないので

「そうですね。それは否定しません」

 と正直に告げた。それから

「ですが、ケネスのやり方を不快に思っているのは事実です」

 と付け加えた。二人の間に沈黙の帳が降りる。嘘でないかリチャードの様子を伺っていたデリックは躊躇うように視線を外したあと、背負っていた矢筒に矢を戻してリチャードに近づいた。

「……本当にあいつを殺せるのか?」

 声のトーンを落としてデリックが尋ねる。

「可能です。しかしそうすると村の人たちも犠牲になりますが」

 リチャードが答えるとデリックは毅然として言った。

「俺は死んでもいい」

 だが一転して表情を曇らせ、

「家族が巻き添えになるのは嫌だけど。でも奴隷みたいに扱われて踏みにじられ続けるくらいなら、相打ちでもいいからあいつを殺してやりたいよ」

 と忸怩たる思いを吐き出した。

「そう考えるならなぜ無抵抗でいるのですか?」

 意地の悪い質問をしているな、とリチャードは言ってから思った。だが村人の諦念の原因を知りたいという気持ちからそんなことを聞いてしまった。

 デリックは再び怒りを露わにして声を荒げる。

「俺だってやれるならとっくにやってる!」

 しかしすぐに暗い顔になり、俯いてしまう。

「昔、村があいつに支配されたとき、大人たちが結束してあいつを殺そうとしたんだ。でもダメだった。悔しいけど手も足も出なかったって暗殺しようとした大人たちが言ってた」
「その大人たちはどうなったんです?」

 デリックはちらとリチャードに視線をくれて

「リーダー格の男は見せしめに殺された。そして次に逆らったらお前たちの家族を殺すって脅されて」

 沈んだ声で悔しそうに絞り出した。

「逃げても必ず見つけ出して殺すって。あいつは俺たちはどうにもできないんだ」

 拳を握りしめて無念さに肩を震わせるデリック。

「教会に助けを求めようとは思わなかったんですか?」
「もちろん考えたさ。でも、この村から離れた所で事情を話そうとするとひどい痛みが体に走るんだ。それで死んだ奴もいる。八方塞がりだよ」

 リチャードの問いに投げやりに近い口調でデリックは返してくる。リチャードは彼の話したことから、おそらくケネスと一定の距離がある時に助けを求めると罰が与えられる縛りが課されているのだと推測した。確かにそれならば村に来るまでエルシーが事情を話さなかった理由が納得できる。

「そういえば、あんたはなんで教会の狩人の証を持ってるんだ?」

 教会の話が出てきてふと疑問が浮かんだのか、デリックが話の矛先を変えた。

「これは形見のようなものです」

 リチャードはシャツの上から黒十字を擦る。

「形見?」
「そうです。私の育ての親の」

 記憶を掘り返して懐かしむリチャードに、デリックが訝しげに尋ねた。

「教会の狩人が育ての親なのか? 人間が吸血鬼を育てたって?」

 にわかには信じ難いとその顔が言っている。そうだろうなと思いながらリチャードはちょっと口端を上げてみせた。

「ええ、だから人間に親しみを持っているんです」

 デリックは複雑な気持ちになったのか、毒気を抜かれたように敵意を消して呟く。

「……あんた、変わってるな。エルシーはそういうところに気付いてたのかな」
「そうかもしれませんね」

 再び沈黙に包まれる二人。気まずげに視線を泳がせていたデリックが苦虫を噛み潰したような顔で下を向いて言う。

「その、あれだ。勘違いして悪かったよ」

「私こそ誤解させるようなことをしてすみませんでした」

 リチャードが軽く頭を下げるとデリックは歯に物が詰まったように「いや、こっちこそ……」ともごもごと呟いていたが、やにわに顔を上げて声のトーンを上げ

「とにかく! 今度エルシーを泣かせたら許さないからな!」

 とリチャードを指差しながら去っていった。

「肝に命じておきますよ」

 リチャードは彼の照れ隠しに苦笑しつつ、聞こえないであろう言葉を背に投げた。太陽がようやく中天に昇る頃のことだった。

 そして次の日、事件は起こる。
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