11 / 23
暗闇に血は流れる
しおりを挟む
メイドとアドルフォが出ていって数分後のこと。外から誰かの声が聞こえてきた気がした。聞き間違いとも思えるほど小さな音量だったが、二度・三度と聞こえてきてはもはや聞き逃しようがない。
気になったリチャードは席を立ち、食堂の窓に近づいていった。格子にいくつもの四角いガラス板をはめ込んだガラス窓からは屋敷の前庭の様子が見下ろせる。外は暗闇だが暗視能力のあるリチャードには昼間のようにはっきりと物が見えていた。
若い男がひとり、首に縄を巻かれて手綱を握られている。後ろに垂らされた縄を食事を運んできたメイドと同一人物だろう女が握り、ナイフを突き付けて歩かせていた。屋敷の玄関からもうひとりのメイドとアドルフォが出てくると、男の顔が一層恐怖に引き攣った。
「あれは……」
「無能な下僕の一匹ですよ。客の一人も連れて来られない役立たずを仕置きも兼ねてアドルフォの餌にしているのです」
グラスを片手に隣に並んだケネスが説明する。見下ろすその表情は地面を歩く虫を見ているかのようだった。
客という比喩が何を表すのかは分からないが、あの男はケネスから何らかの指示を受けそれに失敗したらしい。ふと、男の顔に見覚えがあるような気がしたリチャードは、記憶を手繰り彼が眷属化させられた村人の一人であったことに思い至った。エルシーの手伝いをしに行く際に一瞬すれ違った程度だが記憶違いではないだろう。
「頼む! 次はちゃんとやる! だから許してくれ! お願いだ!」
顔面を青く染め、必死に懇願する男に対してメイドの顔には一切の感情が感じられない。彼女は男の膝裏を蹴って膝まづかせると彼の前腕を掴む。男はわずかに抵抗の意思を見せたがナイフの存在のせいか、はたまた彼女の膂力のせいかすぐに諦めた。
「お願いします! やめてください……! やめっ……」
涙を流して弱々しく呟く男の腕を地面に押し付け、メイドは躊躇いなく彼の手のひらにナイフを突き立てた。ぎゃあっという短い悲鳴が男の口から飛び出る。刺された手を抑えようとするその手を、素早く引き抜いたナイフで再び串刺しにするメイド。
「がぁっ……! ぐ……うぅ……!」
苦痛に喘ぐ男の手からは赤い血が流れ、徐々に地面に広がっていった。
「汚い悲鳴だ。酒がまずくなる」
ケネスは眉根を寄せて不快そうに呟く。男が受けた痛みを思い、リチャードは口を噤んだ。
地に赤い染みが広がったころ、アドルフォの鎖を握っていたメイドがそれを手放す。アドルフォはすぐさま地面に溜まった血を舐め始めた。今にも襲いかかってきそうな大型犬を前に、青白く顔を染めた男は頭を抱えて蹲ってしまう。それを二人のメイドは何の情も感じさせない顔で眺めていた。
「よいのですか? あのような扱いをしては折角の眷属が死んでしまうのでは?」
「あの程度で死ぬほど貧弱ではないさ。再生力だけは高くしてあるのでね。それに、死んだら死んだで別に構わんよ。奴隷の一匹や二匹。もしや貴公……」
もはや興味を失ったようにぞんざいな物言いでケネスは席に戻る。ちらりと視線を寄越した彼は僅かに鋭さを増した口調で言った。
「あの男が可哀想だ、などと思っているのかね?」
リチャードの瞳は道徳の欠片さえ存在しない邪悪な行為を写し続ける。
「いいえ。ただ資源を無駄にするのは勿体ないと思っただけです」
「……そうかね。それは失礼をした」
平素と変わらぬ言い方をしたリチャードに心にもない謝罪をするケネスには、僅かに安心したような雰囲気があった。
リチャードは氷のように冷えた瞳で眼下の光景を眺めていた。
気になったリチャードは席を立ち、食堂の窓に近づいていった。格子にいくつもの四角いガラス板をはめ込んだガラス窓からは屋敷の前庭の様子が見下ろせる。外は暗闇だが暗視能力のあるリチャードには昼間のようにはっきりと物が見えていた。
若い男がひとり、首に縄を巻かれて手綱を握られている。後ろに垂らされた縄を食事を運んできたメイドと同一人物だろう女が握り、ナイフを突き付けて歩かせていた。屋敷の玄関からもうひとりのメイドとアドルフォが出てくると、男の顔が一層恐怖に引き攣った。
「あれは……」
「無能な下僕の一匹ですよ。客の一人も連れて来られない役立たずを仕置きも兼ねてアドルフォの餌にしているのです」
グラスを片手に隣に並んだケネスが説明する。見下ろすその表情は地面を歩く虫を見ているかのようだった。
客という比喩が何を表すのかは分からないが、あの男はケネスから何らかの指示を受けそれに失敗したらしい。ふと、男の顔に見覚えがあるような気がしたリチャードは、記憶を手繰り彼が眷属化させられた村人の一人であったことに思い至った。エルシーの手伝いをしに行く際に一瞬すれ違った程度だが記憶違いではないだろう。
「頼む! 次はちゃんとやる! だから許してくれ! お願いだ!」
顔面を青く染め、必死に懇願する男に対してメイドの顔には一切の感情が感じられない。彼女は男の膝裏を蹴って膝まづかせると彼の前腕を掴む。男はわずかに抵抗の意思を見せたがナイフの存在のせいか、はたまた彼女の膂力のせいかすぐに諦めた。
「お願いします! やめてください……! やめっ……」
涙を流して弱々しく呟く男の腕を地面に押し付け、メイドは躊躇いなく彼の手のひらにナイフを突き立てた。ぎゃあっという短い悲鳴が男の口から飛び出る。刺された手を抑えようとするその手を、素早く引き抜いたナイフで再び串刺しにするメイド。
「がぁっ……! ぐ……うぅ……!」
苦痛に喘ぐ男の手からは赤い血が流れ、徐々に地面に広がっていった。
「汚い悲鳴だ。酒がまずくなる」
ケネスは眉根を寄せて不快そうに呟く。男が受けた痛みを思い、リチャードは口を噤んだ。
地に赤い染みが広がったころ、アドルフォの鎖を握っていたメイドがそれを手放す。アドルフォはすぐさま地面に溜まった血を舐め始めた。今にも襲いかかってきそうな大型犬を前に、青白く顔を染めた男は頭を抱えて蹲ってしまう。それを二人のメイドは何の情も感じさせない顔で眺めていた。
「よいのですか? あのような扱いをしては折角の眷属が死んでしまうのでは?」
「あの程度で死ぬほど貧弱ではないさ。再生力だけは高くしてあるのでね。それに、死んだら死んだで別に構わんよ。奴隷の一匹や二匹。もしや貴公……」
もはや興味を失ったようにぞんざいな物言いでケネスは席に戻る。ちらりと視線を寄越した彼は僅かに鋭さを増した口調で言った。
「あの男が可哀想だ、などと思っているのかね?」
リチャードの瞳は道徳の欠片さえ存在しない邪悪な行為を写し続ける。
「いいえ。ただ資源を無駄にするのは勿体ないと思っただけです」
「……そうかね。それは失礼をした」
平素と変わらぬ言い方をしたリチャードに心にもない謝罪をするケネスには、僅かに安心したような雰囲気があった。
リチャードは氷のように冷えた瞳で眼下の光景を眺めていた。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
堕ちた神と同胞(はらから)たちの話
鳳天狼しま
ファンタジー
”彼の人も”また、虚しさと胡乱(うろん)の中で探していた、己の”すべて”をあずけてしまえる誰かを―――――
1600歳を超える神だったジルカース(主人公)は、幼い頃から対話をして親しかった神子のテオを探し下界へと降りる。
しかしジルカースは天界に居た頃の記憶を失っており、また下界は極めて治安の悪い世界だった。
略奪や奴隷狩りが横行する世界で、神であったはずのジルカースはやがていつしか暗殺家業をするようになる。
そんな中でジルカースは人の縁を知り時に絶望して、時に思いを重ねて生きてゆく。
穢れを知り堕ちゆく彼の行き着く先はいかなる場所なのか。
最強魔導師エンペラー
ブレイブ
ファンタジー
魔法が当たり前の世界 魔法学園ではF~ZZにランク分けされており かつて実在したZZクラス1位の最強魔導師エンペラー 彼は突然行方不明になった。そして現在 三代目エンペラーはエンペラーであるが 三代目だけは知らぬ秘密があった
追憶の刃ーーかつて時空を飛ばされた殺人鬼は、記憶を失くし、200年後の世界で学生として生きるーー
ノリオ
ファンタジー
今から約200年前。
ある一人の男が、この世界に存在する数多の人間を片っ端から大虐殺するという大事件が起こった。
犠牲となった人数は千にも万にも及び、その規模たるや史上最大・空前絶後であることは、誰の目にも明らかだった。
世界中の強者が権力者が、彼を殺そうと一心奮起し、それは壮絶な戦いを生んだ。
彼自身だけでなく国同士の戦争にまで発展したそれは、世界中を死体で埋め尽くすほどの大惨事を引き起こし、血と恐怖に塗れたその惨状は、正に地獄と呼ぶにふさわしい有様だった。
世界は瀕死だったーー。
世界は終わりかけていたーー。
世界は彼を憎んだーー。
まるで『鬼』のように残虐で、
まるで『神』のように強くて、
まるで『鬼神』のような彼に、
人々は恐れることしか出来なかった。
抗わず、悲しんで、諦めて、絶望していた。
世界はもう終わりだと、誰もが思った。
ーー英雄は、そんな時に現れた。
勇気ある5人の戦士は彼と戦い、致命傷を負いながらも、時空間魔法で彼をこの時代から追放することに成功した。
彼は強い憎しみと未練を残したまま、英雄たちの手によって別の次元へと強制送還され、新たな1日を送り始める。
しかしーー送られた先で、彼には記憶がなかった。 彼は一人の女の子に拾われ、自らの復讐心を忘れたまま、政府の管理する学校へと通うことになる。
ズボラ通販生活
ice
ファンタジー
西野桃(にしのもも)35歳の独身、オタクが神様のミスで異世界へ!貪欲に通販スキル、時間停止アイテムボックス容量無限、結界魔法…さらには、お金まで貰う。商人無双や!とか言いつつ、楽に、ゆるーく、商売をしていく。淋しい独身者、旦那という名の奴隷まで?!ズボラなオバサンが異世界に転移して好き勝手生活する!
ぽっちゃり女子の異世界人生
猫目 しの
ファンタジー
大抵のトリップ&転生小説は……。
最強主人公はイケメンでハーレム。
脇役&巻き込まれ主人公はフツメンフツメン言いながらも実はイケメンでモテる。
落ちこぼれ主人公は可愛い系が多い。
=主人公は男でも女でも顔が良い。
そして、ハンパなく強い。
そんな常識いりませんっ。
私はぽっちゃりだけど普通に生きていたい。
【エブリスタや小説家になろうにも掲載してます】
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
仲良し家族、まとめて突然!異世界ライフ
ぷい16
ファンタジー
勇者として呼ばれ(家族ごと)、魔王との仲裁をし(25話)、新たな生活が始まった(31話から)。褒賞として爵位と領地と職を手に入れた麻宗(あそう)二郎と薫だったが、貴族としての“当たり前”の勉強やら宮廷魔道士としてのお仕事をこなし、日々、忙しくしていたが、なぜか周囲の国々は、王女を二郎に嫁がせたがる。もう、嫁はけっこうですってばーーーー!
とある召還者家族の嫁たくさん、子だくさんの新生活を、生き抜かねばならないようだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる