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5.一杯の想いを抱いて

封じる光

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 光粒は見る間に数を増し、次々と中空へ吸い込まれていく。
 留まる事の無い激しい光の放出は、その中心で囚われている猫霊の姿を瞬く間に小さくしていった。
 光の粒となり消えて行くのは、猫霊の霊気。詩依良の封印呪により、猫霊本体を傷つける事無く彼女の霊気のみを奪っているのだ。
 この呪法は、怪異の力を奪い去り、拘束し、そうして封印する。
 猫霊の姿が小さくなっていくと共に彼女から発する光も徐々に弱くなっていき、暫くすると彼女から飛び立つ霊気の光は完全に無くなっていた。

 そして、姿猫霊のみがその場に残されていた。

 間宮悠人から吸い取った霊気と、元からあった己の霊気の殆どを放出させられ、彼女は姿となっていたのだ。
 紫を基調とした花柄の着物に身を包んだ、落ち着いた佇まいの美麗な女性である。
 体の前で両手を合わせ、眼を閉じて身動ぎする事無くその場に立ち尽くすその女性は、清廉であると言う表現がぴったりと当て嵌まる。
 そして、先程まで鬼女の如き表情と雰囲気で暴れまわっていた怪異と同一であるとは到底思わせなかったのだった。
 その彼女の体には、詩依良が放った光糸が未だ巻き付き、引き続きその自由を奪っていた。
 しかし彼女の顔に苦悶の表情は無い。封印呪であるこの呪法は、対象に痛みを与えるものではないのだ。

「御方様……」

 ユウキが近づき、彼女に声を掛ける。
 その後ろからは、沙耶に肩を貸しながら詩依良が近づいて来た。
 詩依良の封印呪は殆ど完成しており、後は猫霊本体を封印するだけだった。もはや目の前の女性には、詩依良の呪縛を解くだけの力は全く残されていない。

「私は……誤ってしまったのですね……」

 小さく静かに……そして穏やかに呟く猫霊は、落ち着きのある美しい声の女性だった。
 ユウキはグッと喉を詰まらせた。彼女にかける言葉がすぐに見つからなかったのだ。
 詩依良と彼女に伴われた沙耶は、言葉を掛ける事の出来ないユウキの隣まで進み立ち止まった。

「……お前と間宮悠人の間に繋がる〝霊道〟は、俺の呪法で一時的に遮断している。今すぐお前の霊力が回復する事は無い。だがその呪縛からお前を解放すれば、また間宮悠人から霊気が流れ込み、お前は回復する事が出来るだろう」

 淡々と事実だけを語る詩依良の言葉を、猫霊は目を閉じたまま静かに聞いていた。

「……そうですね」

 そして、それだけをポツリと呟いた。


 霊道が再び開き、間宮悠人の霊力が流れ込むと言う事は、つまり悪霊としての猫霊が復活する事を示唆しており、場合によっては間宮悠人に多大な負担を掛ける事となる。その結果、どの様な霊障が彼に襲い掛かるか、もはや想像に難くなかった。
 間宮悠人を守るために発生した彼女が、彼に負担を強い、彼を害するなど本末転倒もいい所である。
 自我を無くし悪霊となっていた彼女ならば兎も角、今の彼女も、当然ユウキもそんな事は望んではいなかった。

「方法は2つ。……成仏するか……封印されるかだ」

 やはり詩依良は淡々と、その美しい顔に表情を湛える事無く告げた。
 だが、宝石の様なその瞳にのみ微小な揺らぎが生じており、それだけが彼女の心情を映し出していた。
 目の前に映る今の姿こそ猫霊の本来あるべき姿であり、悪霊と化していたのは強すぎる悠人への想いが彼の霊力を吸い上げ、結果として過剰な力を得た事で変化したに過ぎなかったのだ。
 少なくとも今の猫霊は、高い知性と穏やかな心を持っている。そんな怪異を封印するのは、詩依良にとっても忍びなかったのかもしれない。

「……封印……していただけますか?」

 詩依良の言葉に動じることなく、猫霊は先程から変わらぬ姿勢で穏やかに呟いた。その顔には、薄っすらと笑みすら見て取れる。

「そんなっ! 御方様っ!」

 猫霊の言葉にユウキが叫んだ。
 そう選択する事は分かっていたが、それでもユウキは彼女に異を唱えようとした。
 今更ユウキがどれほど引き留めようと、猫霊の考えを覆す事は出来ない。
 彼女達は元々は1つの霊体であり、ユウキも猫霊の気持ちは痛い程理解していた。
 しかし同時に、封印されると言う事がどの様な意味を指すのか、怪異ならば本能で知っているのだ。

「……良いのか? 封印されれば転生する事も出来ず、永劫〝封印石〟の下で過ごす事となるんだぞ?」

 取り乱すユウキには触れず、全てを受け入れるかの様な雰囲気でただ佇む猫霊に、詩依良が再度声を向けた。
 しかし詩依良の声に答える素振りの無い猫霊に代わり、彼女の言葉に強く反応したのはユウキよりも沙耶だった。

「そんなっ! 詩依良ちゃんっ!」

 恐らくは沙耶が考えていたよりも、“封印”と言うものの現実が、彼女には過酷に映ったのかも知れない。

「封印するってのは、そう言う事なんだよ」

 沙耶の視線を真っ向から受け止めて、それでも詩依良は彼女を言い聞かせる様に言った。
 彼女の言葉に声を無くした沙耶は、詩依良からユウキ、そして猫霊へと視線を巡らせる。
 ユウキは視線を地面へと落とし、必死で何かに耐えている様だった。その握った手には、力が籠り強く震えている。

「……良いのです、優しいユウキ。そして優しい少女よ。私はどうやら成仏出来そうにありません。悠人への想いを断ち切れないのです」

 成仏出来ない訳では無い。だがそれを受け入れるつもりも無いと言う事だった。
 間宮悠人が存在し続ける限り、彼女もまた在り続ける。それが彼女の選んだ存在理由であるのだ。

「御方様……御方様っ!」

 ユウキはすでに、他の言葉を掛ける事が出来ないでいる。
 猫霊本体の決断とは言え、永劫この世で閉じ込められ続けるなど、それは正しく無限地獄に他ならないと思えたのだ。
 ユウキは間宮悠人と同じぐらいに、猫霊を敬愛しているのだ。そんな彼女が間宮悠人を見守る事も出来ず、また彼の死後もこの世に留まり続けなければならない。
 そんな事を彼女が受け入れても、ユウキには到底受け入れる事が出来なかったのだ。

「ユウキ、貴女は此方に残りなさい。貴女はもうすでに、私とは違う存在理由で行動しています。貴女はもう、『私』ではありません。すでに私の元を離れた、ただ1体の霊なのです」

 そう言うと猫霊は、体の前で組んでいた手を解き、右手の人差し指と中指を合わせ体の前をスッと横に走らせた。
 彼女とユウキの間に淡い光の線が走ったかと思うと、それはすぐに霧散して消え失せた。
 沙耶には猫霊の行動が何か不思議な行動に見えたが、彼女を除いた3人にはその行為が何を意味するのか分かっていた。

「……御方様っ!」

 ユウキの悲痛な叫びが、猫霊に向けて放たれる。彼女に涙を流す事は出来ないが、その紅い瞳は悲哀の色を湛えていた。

「それから……貴女の中に残る〝強すぎる悠人への想い〟は、私が一緒に持って行きましょう」

 そう言った猫霊がスッと目を閉じるとユウキの体が柔らかく光りだし、彼女の体から拳大の光球が出現した。
 その光球はスゥッとユウキの元を離れ、猫霊に吸い込まれる様に消えて行った。

「ま、待ってください、御方様っ! 私は……私はっ!」

 先程まで目の前の猫霊と戦っていたユウキだが、それは互いの憎しみをぶつけ合っての事では無い。
 ただ本当に僅かな状況の違いだけが、彼女とユウキの立場を違えただけだった。
 今でもユウキは彼女が、彼女の気持ちが、そして間宮悠人への想いが間違っているとは思っていない。何故なら、自分も同じ気持ちでいると信じているからだ。

「……ユウキ。……貴女は、貴女を必要としている人の元で、そして貴方が心から守りたいと思う人の元で、これからはその人の為だけに存在して行きなさい」

 だが猫霊は気付いていた。ユウキも当然気付いている。
 ユウキの中には、既に悠人と同じか、それ以上に想う人が存在している事を。

「……御方様」

 もうユウキは、顔を上げて彼女を見る事が出来なかった。そして、彼女が封印される事を止める事も出来ないと覚悟した。

「それから……せめて悠人が成人するまで見守ってあげて下さい。これは私の願い……我が儘です」

 そう言って、クスリッと猫霊は微笑んだ。
 その言葉は未だ自身の本心を持て余し気味なユウキの背中を、ポンッと優しく押したような、そんな思い遣りに溢れた言葉だった。
 ユウキも彼女に向けて笑みを浮かべる。しかし悲しみからか、その表情は泣き笑いに近い。
 そしてそれが、2人の交わした最後の別れの挨拶となった。

「……優しき少女。……良ければ名を教えて下さいますか?」

 猫霊は沙耶に顔を向けた。
 沙耶は涙を流せない2人に代わるかの様に、大粒の涙を流して号泣していたのだ。
 彼女は猫霊の決意も、ユウキの気持ちも、そして互いを思いやる心も、どれも痛い程理解していたのだ。

「……沙耶。武藤……沙耶です……」

 泣きじゃくりながらも、沙耶はなんとか自分の名前を告げる事に成功した。

「優しい沙耶さん。その涙は、泣く事の出来ない私達の為に流してくれているのですね? 貴方は本当にお優しい……ありがとうございます」

 優しく微笑みかけ浅く腰を折り沙耶に謝意を示す猫霊に、沙耶は言葉で返答が出来ずただ首を横に振る事しか出来なかった。

「沙耶さん……。貴女の力は貴女にしかないものです。その力で、どうかこれからも私達と貴女方の橋渡しをして下さいね」

 優しく諭す様な懇願する様な猫霊の言葉に、沙耶の首は再び振られた。しかし今度は縦方向に、そして力強く。
 沙耶の気持ちを感じ取る事の出来た猫霊は、最後に詩依良へ向き直った。

「……糸使いの少女。……貴女も本当にお優しい。最後まで私を見捨てないでいてくれました。それどころか、こうして最後にすべき事をする時間まで用意して頂き、感謝の気持ちに堪えません。本当にありがとうございました」

 そう言った猫霊は再び腰を折った。丁寧に謝辞を述べられた詩依良は、その美しい肌を赤く染め上げていく。

「よ、止してくれ。そ、そんなんじゃない」

 その言葉と、顔を上げた猫霊の優しい眼差しに耐える事の出来なかった詩依良は、慌てた様にそう言ってプイッとそっぽを向いてしまった。

「宜しければ……貴女のお名前も教えて頂けないでしょうか?」

 真名では無くとも名を知られると言う事は、怪異と対峙するにおいて余り望ましくない。
 本来ならば余程の事が無い限り、

「……詩依良。一之宮詩依良だ」

 だが猫霊に邪な考えや企みを感じる事は出来ない。
 そしてそう感じ取ったから、詩依良は迷いなく自身の名前を猫霊に告げた。

「……詩依良……さん。貴女の様な方に出会えて私は……『ユキ』は本当に幸運でした。本当に……本当にありがとうございました」

 彼女は……ユキは、詩依良に向けてニッコリと微笑んだ。

「それが……あんたの真名か」

 詩依良の問いに、ユキはコクリと頷いた。
 真名を明かすと言う事は、特に怪異にとっては全てを曝け出すに等しい行為だ。自由を奪うにも、傷つけるにも、回復させるにも、そして……封印するにも。
 真名を知っているのかそうでないかで、その効力は随分変わって来るのだ。
 ユキは己の真名を詩依良に告げた。それが何を意味するのか、詩依良も深く察する所だった。

「……葬」

 ユキに向けて頷いた詩依良がポツリと呟いた。彼女が発した言葉と共に、ユキの体が眩い光を放ちだした。

「沙耶さん、詩依良さん、ありがとうございました。私にはこの言葉しか、貴女達に返せるものがありません。そしてユウキ。悠人に……あの人に伝えて下さい。私は……ユキはいつまでも貴方を見守っていると。そしてもし気が向いたらなら、私の封印先へお参りに来てくださいね」

 柔らかい笑みを浮かべ佇む彼女を、その光は激しさを増しながら、更に光の中へと取り込んでいく。
 そして遂には完全に光と同化したかの様に、ユキの姿は原型を無くしていき。

 眩い光の帯となったユキは、長い尾を引き異界の空へと消えて行った。
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