上 下
1 / 6

一、突然の求婚

しおりを挟む
 エドナはごくごく平凡な伯爵令嬢である。
 茶色い髪にアンバーの瞳、背は高からず低からず、太ってはいないがスタイル抜群とまでは言えず、胸の大きさも普通、容姿も普通。
 実家、オースティン家は田舎に領地を持つ、「ごく一般的な」伯爵家で、ものすごく金があるわけではないが、さしあたり金に困ってはいない。平凡を絵に描いたような両親と、兄、姉、エドナ、そして弟。兄姉には両親からのそれなりの期待と、末っ子の弟には母親からの溺愛が与えられていたが、三番目のエドナはその割を食ってはいるのものの、邪険にされてはいない。そんな存在である。
 おそらくは父が適当に見繕った平凡な貴族家に嫁ぎ、平凡な一生を送る――

 そう、思っていた。あの日、ウォートン侯爵の嫡男フランシス・ウォートンに求婚されるまでは――

 滞在先の王都のテラスハウスに、山ほどの白いバラを抱えてやってきた美しい男が、突然、エドナに結婚を申し込んだのだ。

「僕と、結婚を前提にお付き合いしていただきたいのです」

 艶やかな黒髪を綺麗に流し、涼やかな目元にはにかむような笑顔を浮かべている。通った鼻筋に頬骨の高い細面の顔立ちは、配置も完璧だ。やや薄いが形のよい唇には清潔感があり、流行の高い襟に結んだタイも、仕立てのよい黒いスーツも身体にピッタリと合っていて、立ち居振る舞いもマナーも洗練され、穏やかでいかにも誠実そうに見えた。

 エドナも、エドナの家族も、あまりにキラキラしい求婚者にただただ圧倒されていた。 
  
 フランシスは二十三歳で、王太子殿下の侍従官を務めている。幼少から王太子の幼馴染にして親友ポジションにあるという。
 均整の取れた長身、黒髪に紫色の瞳で、当代随一の美男子の誉れ高い。物静かで口数は少ないが、学院の成績も常にトップを争い、スポーツも万能。実家の侯爵家は代々、国王側近を輩出する名門で王家とは遠縁にあたる。次期国王の側近として将来は約束され、ここ数年、令嬢たちの婚活レースで一番人気の独身男性である、……らしい。

 フランシスに並び立つ男と言えば王太子アンドリューで、こちらは金髪碧眼の眩しいほどの美青年。明るく朗らかで、身分を笠に着ることもなく、常に笑顔を絶やさない理想的な王太子だ。その王太子に影のごとく寄り添うフランシスは、「光の王太子と影の貴公子」だと呼ばれている、のだそうだ。
 ――らしい、とか、だそうだ、と伝聞口調なのは、田舎から王都に出てきたばかりのエドナは、その手の情報に疎く、すべて王都住まいの姉から伝え聞いた噂話に依拠しているからだ。
 
 要するにフランシスは、王都の若い女性の憧れの的で、婚活中の令嬢が虎視眈々と狙う相手、優良物件中の優良物件なのだ。エドナのような平凡な女からしてみれば、条件が良すぎてしり込みするレベル。
 正直に言えば、エドナはすでにしり込みしていた。なんだか怖い。断りたい。
 どうしてフランシスが自分に求婚してきたのか、まったく身に覚えがないせいもある。

 この社交シーズン、十七歳のエドナは社交界デビューのために王都に出てきた。二歳上の姉は昨年結婚したので、次はエドナの結婚相手を探そうと母と伯母が張り切り、シーズン開始の王宮舞踏会を皮切りに、連日夜会三昧であった。
 王宮の舞踏会で、デビュタントは王族と踊ることができる。
 エドナも純白のドレスで、光輝くような王太子殿下と一曲踊っていただき、さらにいくつか言葉をかけていただいた。
 その時、王太子殿下の側にいた黒髪の男性にも声をかけられ、一曲踊ったのは憶えている。
 王太子殿下とは真逆の雰囲気の、甲乙つけがたいほど格好良い男性で、ダンスのリードも完璧だった。エドナにとっては夢のような時間を過ごしたけれど、舞い上がっていたので、何を話したか、まったく覚えていなかった。
 ――たぶん、あの人がフランシスだったのだ。

 その後、社交シーズンは過ぎていったが、エドナの婚活は暗礁に乗り上げていた。
 取り立てて名門でも資産家でもないオースティン家の、さらに平凡な容姿の次女。引っ込み思案なエドナは、夜会に出ても気づけば壁の花と化している。
 社交シーズンも後半戦を迎え、両親がやきもきし始めた時に、突然の、フランシスからの求婚だった。
 
 ――どうして今頃?
 
 デビューの夜会からすでにひと月以上、経っている。あの夜会で出会ってというには、時間が経ちすぎではないか。
 もしかしたら他の令嬢に申し込んで断られて、二番手か三番手だった?……いや、でもフランシスに申し込まれて断る令嬢がいるだろうか?
 もともと結婚に興味がなく、親に言われてしかたなく?
 
 いろいろ疑問ばかりが湧きだす中、二、三度デート重ねて為人ひととなりがわかればわかるほど、自分とは格の違う上級の人間だというのも骨身に染み、エドナはますます不安ばかりが膨らんでいく。
 平凡な自分とは到底、釣り合わない。お断りするべきでは――
 
 だが、しり込みするエドナを置き去りに、エドナの家族の方はすっかりその気になっていて、断るなんて言い出せない雰囲気だった。
 
 なぜ、こんなに不安なのだろう?
 何かが引っ掛かって、心のどこかが警鐘を発している。
 怖いのだ。幸運が? それとも、フランシスが――?
 母や姉に不安を訴えても、答えはそっけない。

「誰だって結婚を決めるのは不安なものよ。フランシス卿は最上の男よ? あれ以上の男性なんて現れないわよ」
「あんな立派な人が、どうしてわたしなんかに、って思うと……」   

 目を伏せるエドナに、姉が笑った。

「じゃあ、聞いてみたらいいじゃない。うちは持参金もたいして出せませんよ、って」
「いっそお金目当てとかはっきりしてるなら、納得できるのに……」
     
 結局、何度目かのデートで、エドナは勇気を出して尋ねてみた。

「あの……どうして、わたしなんかに……」

 植物園の温室に向かう並木。背の高いフランシスと腕を組んで歩くと、ボンネットのつばが邪魔になって見上げても視線が合わない。フランシスが立ち止まって、見下ろしてくる気配だけを感じる。
 フランシスの返答にはまったくよどみがなかった。

「デビュタントの君に一目惚れしたんだ。言ってなかったっけ? もちろん、それから色々調べて、我が家としても問題のない相手だと確かめるのに時間がかかった。申し込みが遅れたのは、そのせいだよ」

 ウォートン侯爵家は王家の側近だから、権勢や資産があり過ぎてもいけないし、かといって破産寸前でも困る。そういう点で、すべてにおいて中ぐらいのオースティン家はちょうどよかったのだと。
   
「君はとても綺麗で可愛い。僕が申し込む前に君の結婚が決まってしまうのではって、不安でたまらなかった。婚約できてすごく、嬉しい。好きだよ、エドナ……」
  
 フランシスが長身を折り曲げるようにして、エドナの耳元に顔を寄せて囁く。爽やかなムスクの香りがふわりと漂い、美麗な笑顔とともにエドナの心臓を直撃した。ドキドキと動悸が高まり、顔が熱くなって火を噴きそうになる。

「わ、わたしは特に美人でもないし、田舎者ですのに……」
「まあ、たしかに少し素朴な雰囲気ではあるね。これから都会風に洗練されていけば、もっと綺麗になるよ」

 そうやって余裕たっぷりに微笑むフランシスに、むしろエドナの不安は高まるのであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約者が巨乳好きだと知ったので、お義兄様に胸を大きくしてもらいます。

恋愛
可憐な見た目とは裏腹に、突っ走りがちな令嬢のパトリシア。婚約者のフィリップが、巨乳じゃないと女として見れない、と話しているのを聞いてしまう。 パトリシアは、小さい頃に両親を亡くし、母の弟である伯爵家で、本当の娘の様に育てられた。お世話になった家族の為にも、幸せな結婚生活を送らねばならないと、兄の様に慕っているアレックスに、あるお願いをしに行く。

義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話

よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。 「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。

【R18】人気AV嬢だった私は乙ゲーのヒロインに転生したので、攻略キャラを全員美味しくいただくことにしました♪

奏音 美都
恋愛
「レイラちゃん、おつかれさまぁ。今日もよかったよ」 「おつかれさまでーす。シャワー浴びますね」 AV女優の私は、仕事を終えてシャワーを浴びてたんだけど、石鹸に滑って転んで頭を打って失神し……なぜか、乙女ゲームの世界に転生してた。 そこで、可愛くて美味しそうなDKたちに出会うんだけど、この乙ゲーって全対象年齢なのよね。 でも、誘惑に抗えるわけないでしょっ! 全員美味しくいただいちゃいまーす。

冷徹義兄の密やかな熱愛

橋本彩里(Ayari)
恋愛
十六歳の時に母が再婚しフローラは侯爵家の一員となったが、ある日、義兄のクリフォードと彼の親友の話を偶然聞いてしまう。 普段から冷徹な義兄に「いい加減我慢の限界だ」と視界に入れるのも疲れるほど嫌われていると知り、これ以上嫌われたくないと家を出ることを決意するのだが、それを知ったクリフォードの態度が急変し……。 ※王道ヒーローではありません

元彼にハメ婚させられちゃいました

鳴宮鶉子
恋愛
元彼にハメ婚させられちゃいました

ハイスペック上司からのドSな溺愛

鳴宮鶉子
恋愛
ハイスペック上司からのドSな溺愛

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる

奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。 だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。 「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」  どう尋ねる兄の真意は……

処理中です...