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一、突然の求婚
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エドナはごくごく平凡な伯爵令嬢である。
茶色い髪にアンバーの瞳、背は高からず低からず、太ってはいないがスタイル抜群とまでは言えず、胸の大きさも普通、容姿も普通。
実家、オースティン家は田舎に領地を持つ、「ごく一般的な」伯爵家で、ものすごく金があるわけではないが、さしあたり金に困ってはいない。平凡を絵に描いたような両親と、兄、姉、エドナ、そして弟。兄姉には両親からのそれなりの期待と、末っ子の弟には母親からの溺愛が与えられていたが、三番目のエドナはその割を食ってはいるのものの、邪険にされてはいない。そんな存在である。
おそらくは父が適当に見繕った平凡な貴族家に嫁ぎ、平凡な一生を送る――
そう、思っていた。あの日、ウォートン侯爵の嫡男フランシス・ウォートンに求婚されるまでは――
滞在先の王都のテラスハウスに、山ほどの白いバラを抱えてやってきた美しい男が、突然、エドナに結婚を申し込んだのだ。
「僕と、結婚を前提にお付き合いしていただきたいのです」
艶やかな黒髪を綺麗に流し、涼やかな目元にはにかむような笑顔を浮かべている。通った鼻筋に頬骨の高い細面の顔立ちは、配置も完璧だ。やや薄いが形のよい唇には清潔感があり、流行の高い襟に結んだタイも、仕立てのよい黒いスーツも身体にピッタリと合っていて、立ち居振る舞いもマナーも洗練され、穏やかでいかにも誠実そうに見えた。
エドナも、エドナの家族も、あまりにキラキラしい求婚者にただただ圧倒されていた。
フランシスは二十三歳で、王太子殿下の侍従官を務めている。幼少から王太子の幼馴染にして親友ポジションにあるという。
均整の取れた長身、黒髪に紫色の瞳で、当代随一の美男子の誉れ高い。物静かで口数は少ないが、学院の成績も常にトップを争い、スポーツも万能。実家の侯爵家は代々、国王側近を輩出する名門で王家とは遠縁にあたる。次期国王の側近として将来は約束され、ここ数年、令嬢たちの婚活レースで一番人気の独身男性である、……らしい。
フランシスに並び立つ男と言えば王太子アンドリューで、こちらは金髪碧眼の眩しいほどの美青年。明るく朗らかで、身分を笠に着ることもなく、常に笑顔を絶やさない理想的な王太子だ。その王太子に影のごとく寄り添うフランシスは、「光の王太子と影の貴公子」だと呼ばれている、のだそうだ。
――らしい、とか、だそうだ、と伝聞口調なのは、田舎から王都に出てきたばかりのエドナは、その手の情報に疎く、すべて王都住まいの姉から伝え聞いた噂話に依拠しているからだ。
要するにフランシスは、王都の若い女性の憧れの的で、婚活中の令嬢が虎視眈々と狙う相手、優良物件中の優良物件なのだ。エドナのような平凡な女からしてみれば、条件が良すぎてしり込みするレベル。
正直に言えば、エドナはすでにしり込みしていた。なんだか怖い。断りたい。
どうしてフランシスが自分に求婚してきたのか、まったく身に覚えがないせいもある。
この社交シーズン、十七歳のエドナは社交界デビューのために王都に出てきた。二歳上の姉は昨年結婚したので、次はエドナの結婚相手を探そうと母と伯母が張り切り、シーズン開始の王宮舞踏会を皮切りに、連日夜会三昧であった。
王宮の舞踏会で、デビュタントは王族と踊ることができる。
エドナも純白のドレスで、光輝くような王太子殿下と一曲踊っていただき、さらにいくつか言葉をかけていただいた。
その時、王太子殿下の側にいた黒髪の男性にも声をかけられ、一曲踊ったのは憶えている。
王太子殿下とは真逆の雰囲気の、甲乙つけがたいほど格好良い男性で、ダンスのリードも完璧だった。エドナにとっては夢のような時間を過ごしたけれど、舞い上がっていたので、何を話したか、まったく覚えていなかった。
――たぶん、あの人がフランシスだったのだ。
その後、社交シーズンは過ぎていったが、エドナの婚活は暗礁に乗り上げていた。
取り立てて名門でも資産家でもないオースティン家の、さらに平凡な容姿の次女。引っ込み思案なエドナは、夜会に出ても気づけば壁の花と化している。
社交シーズンも後半戦を迎え、両親がやきもきし始めた時に、突然の、フランシスからの求婚だった。
――どうして今頃?
デビューの夜会からすでにひと月以上、経っている。あの夜会で出会ってというには、時間が経ちすぎではないか。
もしかしたら他の令嬢に申し込んで断られて、二番手か三番手だった?……いや、でもフランシスに申し込まれて断る令嬢がいるだろうか?
もともと結婚に興味がなく、親に言われてしかたなく?
いろいろ疑問ばかりが湧きだす中、二、三度デート重ねて為人がわかればわかるほど、自分とは格の違う上級の人間だというのも骨身に染み、エドナはますます不安ばかりが膨らんでいく。
平凡な自分とは到底、釣り合わない。お断りするべきでは――
だが、しり込みするエドナを置き去りに、エドナの家族の方はすっかりその気になっていて、断るなんて言い出せない雰囲気だった。
なぜ、こんなに不安なのだろう?
何かが引っ掛かって、心のどこかが警鐘を発している。
怖いのだ。幸運が? それとも、フランシスが――?
母や姉に不安を訴えても、答えはそっけない。
「誰だって結婚を決めるのは不安なものよ。フランシス卿は最上の男よ? あれ以上の男性なんて現れないわよ」
「あんな立派な人が、どうしてわたしなんかに、って思うと……」
目を伏せるエドナに、姉が笑った。
「じゃあ、聞いてみたらいいじゃない。うちは持参金もたいして出せませんよ、って」
「いっそお金目当てとかはっきりしてるなら、納得できるのに……」
結局、何度目かのデートで、エドナは勇気を出して尋ねてみた。
「あの……どうして、わたしなんかに……」
植物園の温室に向かう並木。背の高いフランシスと腕を組んで歩くと、ボンネットのつばが邪魔になって見上げても視線が合わない。フランシスが立ち止まって、見下ろしてくる気配だけを感じる。
フランシスの返答にはまったくよどみがなかった。
「デビュタントの君に一目惚れしたんだ。言ってなかったっけ? もちろん、それから色々調べて、我が家としても問題のない相手だと確かめるのに時間がかかった。申し込みが遅れたのは、そのせいだよ」
ウォートン侯爵家は王家の側近だから、権勢や資産があり過ぎてもいけないし、かといって破産寸前でも困る。そういう点で、すべてにおいて中ぐらいのオースティン家はちょうどよかったのだと。
「君はとても綺麗で可愛い。僕が申し込む前に君の結婚が決まってしまうのではって、不安でたまらなかった。婚約できてすごく、嬉しい。好きだよ、エドナ……」
フランシスが長身を折り曲げるようにして、エドナの耳元に顔を寄せて囁く。爽やかなムスクの香りがふわりと漂い、美麗な笑顔とともにエドナの心臓を直撃した。ドキドキと動悸が高まり、顔が熱くなって火を噴きそうになる。
「わ、わたしは特に美人でもないし、田舎者ですのに……」
「まあ、たしかに少し素朴な雰囲気ではあるね。これから都会風に洗練されていけば、もっと綺麗になるよ」
そうやって余裕たっぷりに微笑むフランシスに、むしろエドナの不安は高まるのであった。
茶色い髪にアンバーの瞳、背は高からず低からず、太ってはいないがスタイル抜群とまでは言えず、胸の大きさも普通、容姿も普通。
実家、オースティン家は田舎に領地を持つ、「ごく一般的な」伯爵家で、ものすごく金があるわけではないが、さしあたり金に困ってはいない。平凡を絵に描いたような両親と、兄、姉、エドナ、そして弟。兄姉には両親からのそれなりの期待と、末っ子の弟には母親からの溺愛が与えられていたが、三番目のエドナはその割を食ってはいるのものの、邪険にされてはいない。そんな存在である。
おそらくは父が適当に見繕った平凡な貴族家に嫁ぎ、平凡な一生を送る――
そう、思っていた。あの日、ウォートン侯爵の嫡男フランシス・ウォートンに求婚されるまでは――
滞在先の王都のテラスハウスに、山ほどの白いバラを抱えてやってきた美しい男が、突然、エドナに結婚を申し込んだのだ。
「僕と、結婚を前提にお付き合いしていただきたいのです」
艶やかな黒髪を綺麗に流し、涼やかな目元にはにかむような笑顔を浮かべている。通った鼻筋に頬骨の高い細面の顔立ちは、配置も完璧だ。やや薄いが形のよい唇には清潔感があり、流行の高い襟に結んだタイも、仕立てのよい黒いスーツも身体にピッタリと合っていて、立ち居振る舞いもマナーも洗練され、穏やかでいかにも誠実そうに見えた。
エドナも、エドナの家族も、あまりにキラキラしい求婚者にただただ圧倒されていた。
フランシスは二十三歳で、王太子殿下の侍従官を務めている。幼少から王太子の幼馴染にして親友ポジションにあるという。
均整の取れた長身、黒髪に紫色の瞳で、当代随一の美男子の誉れ高い。物静かで口数は少ないが、学院の成績も常にトップを争い、スポーツも万能。実家の侯爵家は代々、国王側近を輩出する名門で王家とは遠縁にあたる。次期国王の側近として将来は約束され、ここ数年、令嬢たちの婚活レースで一番人気の独身男性である、……らしい。
フランシスに並び立つ男と言えば王太子アンドリューで、こちらは金髪碧眼の眩しいほどの美青年。明るく朗らかで、身分を笠に着ることもなく、常に笑顔を絶やさない理想的な王太子だ。その王太子に影のごとく寄り添うフランシスは、「光の王太子と影の貴公子」だと呼ばれている、のだそうだ。
――らしい、とか、だそうだ、と伝聞口調なのは、田舎から王都に出てきたばかりのエドナは、その手の情報に疎く、すべて王都住まいの姉から伝え聞いた噂話に依拠しているからだ。
要するにフランシスは、王都の若い女性の憧れの的で、婚活中の令嬢が虎視眈々と狙う相手、優良物件中の優良物件なのだ。エドナのような平凡な女からしてみれば、条件が良すぎてしり込みするレベル。
正直に言えば、エドナはすでにしり込みしていた。なんだか怖い。断りたい。
どうしてフランシスが自分に求婚してきたのか、まったく身に覚えがないせいもある。
この社交シーズン、十七歳のエドナは社交界デビューのために王都に出てきた。二歳上の姉は昨年結婚したので、次はエドナの結婚相手を探そうと母と伯母が張り切り、シーズン開始の王宮舞踏会を皮切りに、連日夜会三昧であった。
王宮の舞踏会で、デビュタントは王族と踊ることができる。
エドナも純白のドレスで、光輝くような王太子殿下と一曲踊っていただき、さらにいくつか言葉をかけていただいた。
その時、王太子殿下の側にいた黒髪の男性にも声をかけられ、一曲踊ったのは憶えている。
王太子殿下とは真逆の雰囲気の、甲乙つけがたいほど格好良い男性で、ダンスのリードも完璧だった。エドナにとっては夢のような時間を過ごしたけれど、舞い上がっていたので、何を話したか、まったく覚えていなかった。
――たぶん、あの人がフランシスだったのだ。
その後、社交シーズンは過ぎていったが、エドナの婚活は暗礁に乗り上げていた。
取り立てて名門でも資産家でもないオースティン家の、さらに平凡な容姿の次女。引っ込み思案なエドナは、夜会に出ても気づけば壁の花と化している。
社交シーズンも後半戦を迎え、両親がやきもきし始めた時に、突然の、フランシスからの求婚だった。
――どうして今頃?
デビューの夜会からすでにひと月以上、経っている。あの夜会で出会ってというには、時間が経ちすぎではないか。
もしかしたら他の令嬢に申し込んで断られて、二番手か三番手だった?……いや、でもフランシスに申し込まれて断る令嬢がいるだろうか?
もともと結婚に興味がなく、親に言われてしかたなく?
いろいろ疑問ばかりが湧きだす中、二、三度デート重ねて為人がわかればわかるほど、自分とは格の違う上級の人間だというのも骨身に染み、エドナはますます不安ばかりが膨らんでいく。
平凡な自分とは到底、釣り合わない。お断りするべきでは――
だが、しり込みするエドナを置き去りに、エドナの家族の方はすっかりその気になっていて、断るなんて言い出せない雰囲気だった。
なぜ、こんなに不安なのだろう?
何かが引っ掛かって、心のどこかが警鐘を発している。
怖いのだ。幸運が? それとも、フランシスが――?
母や姉に不安を訴えても、答えはそっけない。
「誰だって結婚を決めるのは不安なものよ。フランシス卿は最上の男よ? あれ以上の男性なんて現れないわよ」
「あんな立派な人が、どうしてわたしなんかに、って思うと……」
目を伏せるエドナに、姉が笑った。
「じゃあ、聞いてみたらいいじゃない。うちは持参金もたいして出せませんよ、って」
「いっそお金目当てとかはっきりしてるなら、納得できるのに……」
結局、何度目かのデートで、エドナは勇気を出して尋ねてみた。
「あの……どうして、わたしなんかに……」
植物園の温室に向かう並木。背の高いフランシスと腕を組んで歩くと、ボンネットのつばが邪魔になって見上げても視線が合わない。フランシスが立ち止まって、見下ろしてくる気配だけを感じる。
フランシスの返答にはまったくよどみがなかった。
「デビュタントの君に一目惚れしたんだ。言ってなかったっけ? もちろん、それから色々調べて、我が家としても問題のない相手だと確かめるのに時間がかかった。申し込みが遅れたのは、そのせいだよ」
ウォートン侯爵家は王家の側近だから、権勢や資産があり過ぎてもいけないし、かといって破産寸前でも困る。そういう点で、すべてにおいて中ぐらいのオースティン家はちょうどよかったのだと。
「君はとても綺麗で可愛い。僕が申し込む前に君の結婚が決まってしまうのではって、不安でたまらなかった。婚約できてすごく、嬉しい。好きだよ、エドナ……」
フランシスが長身を折り曲げるようにして、エドナの耳元に顔を寄せて囁く。爽やかなムスクの香りがふわりと漂い、美麗な笑顔とともにエドナの心臓を直撃した。ドキドキと動悸が高まり、顔が熱くなって火を噴きそうになる。
「わ、わたしは特に美人でもないし、田舎者ですのに……」
「まあ、たしかに少し素朴な雰囲気ではあるね。これから都会風に洗練されていけば、もっと綺麗になるよ」
そうやって余裕たっぷりに微笑むフランシスに、むしろエドナの不安は高まるのであった。
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