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壱、比翼連理

六、

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 今度こそ、と書画骨董を商う一角に向かう。

「あんな綺麗な髪の人がいるんですね」

 胡人を見るのも生まれて初めての紫玲が言い、伯祥が微笑んだ。

「ああ、西の方にはもっと赤い髪や、青や緑の瞳をした人間がいる。……たまに、市で見かけるな」

 西域との交易が盛んになり、絹を求めた商人が大勢、西の砂漠を越えてやってくるようになった。大陸の富が集まる帝国の都には、その富を目当てに、甘い蜜に群がる蟻のごとく、さまざまな国の商人や、芸人や踊り子も集まってくる。

「あんなキラキラした髪や青い目をしていたら、世の中も変わって見えるのかしら……」

 うっとりと言う紫玲の、垂れ布の隙間から覗く黒髪を見ながら伯祥が言う。

「私には紫玲の黒髪の方が美しく見えるよ」

 書画骨董の店が並ぶ一角は、やや人も少ない。骨董商は、市ではなく富豪の得意先に商品を担いで回る方が、実入りがいい。それでも、都の市に店を出すのは伯祥のような好事家や、あるいは短期滞在の地方出身者や異国人の客を目当てにしているのだ。
 ある店では小柄な男たちが数人、店主を囲んであれこれと商談していた。通りすぎてから伯祥が小声で言う。

「あれも異国人だよ」

 そう言われてさりげなく振り返って見たが、黒髪に黒い瞳、顔立ちも服装も、都人と変わらない。

「よく聞けばなまりがある。……たぶん、東の海を越えてきた使節団の随行員だ。もしかしたら留学生かもしれないな。故郷へのお土産を買いに来たのだろう」
「海を……」

 この広大な国の西には砂漠が、東には大海があると話には聞くが、その海の向こうにも人が住んでいたとは。紫玲は単純に驚く。

「遠い国から、この国の文化や教えを学びに来て、帰りにはたくさんの書籍を船に積んで帰るんだ。航海は危険で、辿りつけるのは半分くらいで、多くの船が沈むと聞く」
「船というのは水の上に浮かぶものですよね……沈んだらどうなるのですか?」
「水に落ちたら死ぬだろうね。遠い南に漂流して九死に一生を得て助かる場合もあると言うが……」

 陸地についても、野蛮人に殺されてしまったりと、不幸なこともある、そんな話を聞いて、紫玲は震えあがる。 
 都から出たことがない紫玲は、船に乗ったことはない。一度だけ、城外に出た時に、遠く、大河に浮かぶ船を見たことがあるだけだ。

「恐ろしい……」 

 怯える紫玲に、伯祥が笑った。

「皇宮内の庭の池に、船を浮かべることもある。私も乗ったことがある。あれはあれで不思議な感覚だ。……機会があれば乗ってみようか?」
「少し怖いわ」
「怖がりだな、紫玲は」

 そんなたわいない話をしながら、伯祥は目当ての店につき、そっと中を覗く。小さな小屋の中にびっしりと書籍が積み上げられ、書画の軸が所狭しと掛けられている。揉み手をしながら出てきた初老の店主は、伯祥が女連れのことに少し驚いたようだが、愛想よく頭を下げる。

「これはこれは、よくいらっしゃいました」
「妻、なんだ」
「ご結婚おめでとうございます」

 垂れ幕を少しだけ掲げて頭を下げる紫玲を見て、店主が目を丸くした。

「これはお美しい太太おくさまですな……」

 それからしばし商談して、伯祥はあれこれ眺めた末に、ある山水画の軸に決めた。名のある画家の筆によるが、破格の値で出ていた。それを包んでもらっている間、紫玲が物珍しそうに周囲を見回していると、主人が店の奥から小さなはこを出してきた。

「太太にいかがでございますかね」

 匣の中に入っていたのは、八稜鏡はちりょうきょう(八枚の花型の鏡)であった。

「鏡は夫婦の象徴とも申しますし」

 背面には精緻な双龍の彫刻が施され、表面はよく磨かれていた。

「まあ……綺麗……」

 思わず手に取って裏返すと、鏡の中に紫玲と、横から覗き込んだ伯祥が映っていた。

「気に入ったのなら、求めて帰ろう」

 代金を払おうと懐に手を入れた伯祥を、店主が止めた。

「これはわしからの結婚祝いということで」
「いや、それでは……」
「いいえ、老爺だんなさまには日頃からお世話になっておりますので。ぜひお納めください」

 店主に強いて言われ、二人は礼を言って鏡を受け取った。
   
 


 その夜寝室で、貰った鏡に向かって夜の化粧をしている紫玲のもとに、伯祥がやってきた。

「紫玲は、本当に美しいな。市場でも街でも、幃帽の垂れの隙間から覗く顔に、皆が釘付けになっていた」
「まあ、そんなこと!」

 目を丸くする紫玲に、伯祥が言う。

「正直、外に連れ出したのを後悔した。誰にも見せずに閉じ込めておけばよかった、と」
「そんなこと……でも、伯祥さまがそうお望みであれば、わたしは外出せずにすごします」

 紫玲が答えれば、伯祥は少しだけ顔を俯け、眉間に皺を寄せる。

「私は、お前を縛りたいわけじゃない。ただ……不安なんだ」
「不安?」

 伯祥が紫玲を正面から見つめる。

「父上が選んだ妻がお前だった。幸運が信じられなくて……」       
「伯祥さま……」
「お前を外に連れ出して人の目に留まり、お前の美しさが人の口に上ったらと思うと……」

 不安げに視線を彷徨わせる伯祥の手を、紫玲が両手で包む。

「心配はご無用です。わたしは死ぬまで……いえ、死んだって伯祥さまのお側を離れません」
「紫玲……」

 まっすぐ見上げる紫玲の黒い瞳を、伯祥もまた、強い視線で見つめ返す。

「誓ってくれ。生涯、私だけだと」
「ええ、もちろんです。わたしが愛しているのは生涯、伯祥さまただ一人です。……この、双龍の鏡に誓います」 

 鏡は夫婦の象徴――そんな店主の話を思い出し、紫玲が言えば、伯祥もやっと納得したかのように頷く。

「ああ、私も誓う。生涯、妻は紫玲一人だ」

 この国では、貴族の男は複数の妻妾を抱えるのが普通だ。だから、伯祥の誓いは破格ではあった。

「ありがとうございます。伯祥さま……」

 紫玲が微笑む。
 今は紫玲の美しさを誉めそやしてくれる伯祥だが、月日が経って紫玲の容色が衰えたら、こんな約束は反故にされるかもしれない。

 でも――
 今はこの誓いを口にした伯祥の気持ちが、とても嬉しかった。
 伯祥の顔が下りてきて、口づけを落とされる。ふわりと抱き上げられて臥床に運ばれ、彼の逞しい腕に抱きしめられる。激しく求められ、幾度も愛を囁かれて、紫玲は愛される幸福に酔った。

 ――たとえこの先何が起きても、わたしにとって、愛する人はこの人だけ―― 
   
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