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壱、比翼連理
一、
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真っ赤な花娘籠が降ろされ、赤い布地に一面の刺繍が施された豪華な垂れ幕がめくりあげられる。籠の中から現れた花娘は、刺繍の入った赤い垂れ布、紅蓋頭を被り、顔は見えない。左右から侍女に支えられ、おぼつかない足取りで籠から降りる。地に足をつけてはいけない決まりなので、花嫁の輿からはずっと、深紅の絨毯が屋敷まで続いている。
その赤い絨毯の上に、やはり赤い衣装で盛装した花郎が立っていた。二人は拱手の礼を交わし、花郎は花娘の手を取って、奥へと導いていく。途中、小さな火鉢に炭火が熾っていて、花娘はその火を跨がねばならない。そうした細かい儀式を経て、二人は初めて建物の中に足を踏み入れるのだった。
蔡紫玲は、紅蓋頭に開けられた小さな覗き穴から、周囲を注意深く見回した。
邸第はさほど大きくはないが、手入れは行き届いているようだった。内部も赤い布で飾られ、たくさんの赤い燈篭が灯る。覗き穴から見える花郎の横顔は端正で、眉は凛々しく、黒い双眸は燈篭の灯と篝火に煌めいていた。
――よかった。優しそうで、そして綺麗な方だ。
この婚礼は皇帝の命による。どうした理由でか、下級官人の娘である紫玲に白羽の矢が立った。断ることなど到底、許されない。彼もたぶん、そうなのだろう。
それから半年。婚礼までの六礼(納采、問名、納吉、納徴、請期、親迎)は型どおりに進み、二人はようやく今宵、初めて顔を合わせる。
――この人となら、うまくやっていけそう。
足元の悪い紫玲を振り返りつつ、ゆっくり導いてくれる花郎の気遣いに、紫玲は胸が躍り、紅蓋頭の下で頬を赤らめた。
今上帝の庶長子である魏王伯祥は、不遇の皇子であった。
母・連氏は皇后王氏に仕える身分低い婢だったが、たまたま皇帝の寵愛を受け、伯祥を身ごもった。寵を盗んだ連氏に対する皇后の憎しみは深く、伯祥は後宮内で冷遇され、飼い殺しのような扱いであったという。
だが、皇后所生の第二皇子を立太子するに際して、皇帝は第一皇子の伯祥にも魏王の王爵と後宮外の邸第を賜い、一人立ちさせることにした。
そして、その不遇の皇子の正妃として選ばれたのが、蔡氏の娘、紫玲であった。
赤いぼんぼりに照らされた堂内で、花郎が如意を手に、紅蓋頭をめくりあげる。
視界が突如開け、正面から二人、顔を見合わせる。――現れた紫玲の顔を見て、伯祥がハッと息を呑んだ。
紫玲は恥ずかしさに目を伏せる。白粉を塗り、頬には紅を差し、眉は柳の葉のごとく、額には紅い花鈿が描かれている。
普段はこんな濃い化粧はしないけれど――
目の前に、夜光杯が差し出される。それを手に取り、互いの腕を絡めて杯を交わし、飲み干した。
間近に見る伯祥の喉元が、ゴクリと動く。
涼やかな貴公子だけれど、紛れもない男性なのだと、紫玲は思う――
華燭の典はつつがなく終わった。
広間の宴はいまだに続いている。
親族も少なく、客は多くないが、それでも親王である。
二人は宴の喧騒を離れ、夫婦の寝室で対峙した。
実家からついてきた侍女が、結い上げた髷から金銀宝石で飾られた宝髻と、顔の横で揺れる透かし彫りの花釵を外す。前髪をまとめていた小さな櫛を外し象牙の笄を抜けば、高く結っていた黒髪がするりと流れ落ちる。
「もう、いいわ。あとは自分で……」
婚礼のための衣装は古代風な深衣という上下一続きのもので、重たい上に着慣れないそれを脱いで侍女に預け、紫玲はホッと息をつく。あとは白絹の長衫(うわぎ)に下袴だけ。これ以上、侍女の前で脱ぐのは恥ずかしくなり、侍女に下がるように言った。侍女は紫玲のまっすぐな長い黒髪をうなじのところで一つにまとめてから、深衣を丸めるようにして抱いて下がっていく。
振り返れば、伯祥もまた婚礼用の深紅の円領袍を脱ぎ、白絹の長衫という寛いだ姿になっていた。
二人、帳台の上に座り、向かい合う。
「ようやく、二人きりになれた」
伯祥の言葉に、紫玲は緊張で硬くなり、下を向いた。
「もっとよく、顔を見せてくれ……紫玲、と呼んでも?」
「は、はい……」
紫玲は慌てて顔を上げ、伯祥の顔を正面から見る。
「……美しい……」
感嘆したような声に、紫玲は恥ずかしさに再び顔を俯ける。伯祥の手が紫玲の顎に伸びてそっと上向け、もう一度目を合わせる。
「まさかこんな美しい人を、父上が私に寄越してくれるとは思いもしなかった……」
「過分な、お褒めにあずかり……」
恐縮して目を伏せる紫玲に、伯祥が言う。
「過分ではない。……本当に、綺麗だ。清楚で、朝方に咲く花のようだ。私は、天下一の果報者だ」
「……殿下……恥ずかしゅうございます、どうか……」
視線を彷徨わせる紫玲に微笑んで、伯祥が手を離す。
「私たちは夫婦になったのだ。私のことは伯祥と呼んでくれ」
「伯祥さま……」
伯祥の黒目がちの瞳と、まっすぐに目が合い、黒い瞳に紫玲が映っていた。
「いく久しく、よろしくお願いいたします」
そう頭を下げた紫玲に、伯祥が詩を吟じた。
「生きては同室の親と為り、死しては同穴の塵と為る」
名のある詩人のものだとすぐに気づいた紫玲は、とっさに続きの句を詠じる。
「他人すら尚お相い勉む、而るに况んや我と君とをや」
間髪を入れずに諳んじて見せた紫玲に、伯祥が目を見開いた。
「さすが、学問で名高い蔡氏の娘だ! 即座に返してくるとは」
紫玲はハッとして口元を押さえた。
――女が学問をすることを良しとしない風潮もある。伯祥が不快に思ったら――
その赤い絨毯の上に、やはり赤い衣装で盛装した花郎が立っていた。二人は拱手の礼を交わし、花郎は花娘の手を取って、奥へと導いていく。途中、小さな火鉢に炭火が熾っていて、花娘はその火を跨がねばならない。そうした細かい儀式を経て、二人は初めて建物の中に足を踏み入れるのだった。
蔡紫玲は、紅蓋頭に開けられた小さな覗き穴から、周囲を注意深く見回した。
邸第はさほど大きくはないが、手入れは行き届いているようだった。内部も赤い布で飾られ、たくさんの赤い燈篭が灯る。覗き穴から見える花郎の横顔は端正で、眉は凛々しく、黒い双眸は燈篭の灯と篝火に煌めいていた。
――よかった。優しそうで、そして綺麗な方だ。
この婚礼は皇帝の命による。どうした理由でか、下級官人の娘である紫玲に白羽の矢が立った。断ることなど到底、許されない。彼もたぶん、そうなのだろう。
それから半年。婚礼までの六礼(納采、問名、納吉、納徴、請期、親迎)は型どおりに進み、二人はようやく今宵、初めて顔を合わせる。
――この人となら、うまくやっていけそう。
足元の悪い紫玲を振り返りつつ、ゆっくり導いてくれる花郎の気遣いに、紫玲は胸が躍り、紅蓋頭の下で頬を赤らめた。
今上帝の庶長子である魏王伯祥は、不遇の皇子であった。
母・連氏は皇后王氏に仕える身分低い婢だったが、たまたま皇帝の寵愛を受け、伯祥を身ごもった。寵を盗んだ連氏に対する皇后の憎しみは深く、伯祥は後宮内で冷遇され、飼い殺しのような扱いであったという。
だが、皇后所生の第二皇子を立太子するに際して、皇帝は第一皇子の伯祥にも魏王の王爵と後宮外の邸第を賜い、一人立ちさせることにした。
そして、その不遇の皇子の正妃として選ばれたのが、蔡氏の娘、紫玲であった。
赤いぼんぼりに照らされた堂内で、花郎が如意を手に、紅蓋頭をめくりあげる。
視界が突如開け、正面から二人、顔を見合わせる。――現れた紫玲の顔を見て、伯祥がハッと息を呑んだ。
紫玲は恥ずかしさに目を伏せる。白粉を塗り、頬には紅を差し、眉は柳の葉のごとく、額には紅い花鈿が描かれている。
普段はこんな濃い化粧はしないけれど――
目の前に、夜光杯が差し出される。それを手に取り、互いの腕を絡めて杯を交わし、飲み干した。
間近に見る伯祥の喉元が、ゴクリと動く。
涼やかな貴公子だけれど、紛れもない男性なのだと、紫玲は思う――
華燭の典はつつがなく終わった。
広間の宴はいまだに続いている。
親族も少なく、客は多くないが、それでも親王である。
二人は宴の喧騒を離れ、夫婦の寝室で対峙した。
実家からついてきた侍女が、結い上げた髷から金銀宝石で飾られた宝髻と、顔の横で揺れる透かし彫りの花釵を外す。前髪をまとめていた小さな櫛を外し象牙の笄を抜けば、高く結っていた黒髪がするりと流れ落ちる。
「もう、いいわ。あとは自分で……」
婚礼のための衣装は古代風な深衣という上下一続きのもので、重たい上に着慣れないそれを脱いで侍女に預け、紫玲はホッと息をつく。あとは白絹の長衫(うわぎ)に下袴だけ。これ以上、侍女の前で脱ぐのは恥ずかしくなり、侍女に下がるように言った。侍女は紫玲のまっすぐな長い黒髪をうなじのところで一つにまとめてから、深衣を丸めるようにして抱いて下がっていく。
振り返れば、伯祥もまた婚礼用の深紅の円領袍を脱ぎ、白絹の長衫という寛いだ姿になっていた。
二人、帳台の上に座り、向かい合う。
「ようやく、二人きりになれた」
伯祥の言葉に、紫玲は緊張で硬くなり、下を向いた。
「もっとよく、顔を見せてくれ……紫玲、と呼んでも?」
「は、はい……」
紫玲は慌てて顔を上げ、伯祥の顔を正面から見る。
「……美しい……」
感嘆したような声に、紫玲は恥ずかしさに再び顔を俯ける。伯祥の手が紫玲の顎に伸びてそっと上向け、もう一度目を合わせる。
「まさかこんな美しい人を、父上が私に寄越してくれるとは思いもしなかった……」
「過分な、お褒めにあずかり……」
恐縮して目を伏せる紫玲に、伯祥が言う。
「過分ではない。……本当に、綺麗だ。清楚で、朝方に咲く花のようだ。私は、天下一の果報者だ」
「……殿下……恥ずかしゅうございます、どうか……」
視線を彷徨わせる紫玲に微笑んで、伯祥が手を離す。
「私たちは夫婦になったのだ。私のことは伯祥と呼んでくれ」
「伯祥さま……」
伯祥の黒目がちの瞳と、まっすぐに目が合い、黒い瞳に紫玲が映っていた。
「いく久しく、よろしくお願いいたします」
そう頭を下げた紫玲に、伯祥が詩を吟じた。
「生きては同室の親と為り、死しては同穴の塵と為る」
名のある詩人のものだとすぐに気づいた紫玲は、とっさに続きの句を詠じる。
「他人すら尚お相い勉む、而るに况んや我と君とをや」
間髪を入れずに諳んじて見せた紫玲に、伯祥が目を見開いた。
「さすが、学問で名高い蔡氏の娘だ! 即座に返してくるとは」
紫玲はハッとして口元を押さえた。
――女が学問をすることを良しとしない風潮もある。伯祥が不快に思ったら――
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