上 下
2 / 44
壱、比翼連理

一、

しおりを挟む
 真っ赤な花娘はなよめ籠が降ろされ、赤い布地に一面の刺繍が施された豪華な垂れ幕がめくりあげられる。籠の中から現れた花娘は、刺繍の入った赤い垂れ布、紅蓋頭こうがいとうを被り、顔は見えない。左右から侍女に支えられ、おぼつかない足取りで籠から降りる。地に足をつけてはいけない決まりなので、花嫁の輿からはずっと、深紅の絨毯が屋敷まで続いている。

 その赤い絨毯の上に、やはり赤い衣装で盛装した花郎はなむこが立っていた。二人は拱手こうしゅの礼を交わし、花郎は花娘の手を取って、奥へと導いていく。途中、小さな火鉢に炭火が熾っていて、花娘はその火を跨がねばならない。そうした細かい儀式を経て、二人は初めて建物の中に足を踏み入れるのだった。

 さい紫玲しれいは、紅蓋頭に開けられた小さな覗き穴から、周囲を注意深く見回した。 
 邸第やしきはさほど大きくはないが、手入れは行き届いているようだった。内部も赤い布で飾られ、たくさんの赤い燈篭が灯る。覗き穴から見える花郎の横顔は端正で、眉は凛々しく、黒い双眸は燈篭の灯と篝火に煌めいていた。

 ――よかった。優しそうで、そして綺麗な方だ。

 この婚礼は皇帝の命による。どうした理由でか、下級官人の娘である紫玲に白羽の矢が立った。断ることなど到底、許されない。彼もたぶん、そうなのだろう。

 それから半年。婚礼までの六礼りくれい納采のうさい問名ぶんめい納吉のうきつ納徴のうきつ請期せいき親迎しんげい)は型どおりに進み、二人はようやく今宵、初めて顔を合わせる。

 ――この人となら、うまくやっていけそう。

 足元の悪い紫玲を振り返りつつ、ゆっくり導いてくれる花郎の気遣いに、紫玲は胸が躍り、紅蓋頭の下で頬を赤らめた。

 今上帝の庶長子である魏王伯祥はくしょうは、不遇の皇子であった。
 母・連氏は皇后王氏に仕える身分低いはしためだったが、たまたま皇帝の寵愛を受け、伯祥を身ごもった。寵を盗んだ連氏に対する皇后の憎しみは深く、伯祥は後宮内で冷遇され、飼い殺しのような扱いであったという。
 
 だが、皇后所生の第二皇子を立太子するに際して、皇帝は第一皇子の伯祥にも魏王の王爵と後宮外の邸第を賜い、一人立ちさせることにした。
 そして、その不遇の皇子の正妃として選ばれたのが、蔡氏の娘、紫玲であった。

 赤いぼんぼりに照らされた堂内で、花郎が如意を手に、紅蓋頭をめくりあげる。
 視界が突如開け、正面から二人、顔を見合わせる。――現れた紫玲の顔を見て、伯祥がハッと息を呑んだ。
 紫玲は恥ずかしさに目を伏せる。白粉を塗り、頬には紅を差し、眉は柳の葉のごとく、額には紅い花鈿が描かれている。
 普段はこんな濃い化粧はしないけれど――

 目の前に、夜光杯が差し出される。それを手に取り、互いの腕を絡めて杯を交わし、飲み干した。
 間近に見る伯祥の喉元が、ゴクリと動く。
 涼やかな貴公子だけれど、紛れもない男性なのだと、紫玲は思う―― 
 
 華燭の典はつつがなく終わった。
 広間の宴はいまだに続いている。
 親族も少なく、客は多くないが、それでも親王である。
 二人は宴の喧騒を離れ、夫婦の寝室で対峙した。
 


 実家からついてきた侍女が、結い上げたまげから金銀宝石で飾られた宝髻ほうきつと、顔の横で揺れる透かし彫りの花釵かさを外す。前髪をまとめていた小さな櫛を外し象牙のこうがいを抜けば、高く結っていた黒髪がするりと流れ落ちる。

「もう、いいわ。あとは自分で……」

 婚礼のための衣装は古代風な深衣しんいという上下一続きのもので、重たい上に着慣れないそれを脱いで侍女に預け、紫玲はホッと息をつく。あとは白絹の長衫ちょうさん(うわぎ)に下袴だけ。これ以上、侍女の前で脱ぐのは恥ずかしくなり、侍女に下がるように言った。侍女は紫玲のまっすぐな長い黒髪をうなじのところで一つにまとめてから、深衣を丸めるようにして抱いて下がっていく。

 振り返れば、伯祥もまた婚礼用の深紅の円領袍を脱ぎ、白絹の長衫という寛いだ姿になっていた。
 二人、帳台の上に座り、向かい合う。

「ようやく、二人きりになれた」

 伯祥の言葉に、紫玲は緊張で硬くなり、下を向いた。

「もっとよく、顔を見せてくれ……紫玲、と呼んでも?」
「は、はい……」

 紫玲は慌てて顔を上げ、伯祥の顔を正面から見る。

「……美しい……」      

 感嘆したような声に、紫玲は恥ずかしさに再び顔を俯ける。伯祥の手が紫玲の顎に伸びてそっと上向け、もう一度目を合わせる。

「まさかこんな美しい人を、父上が私に寄越してくれるとは思いもしなかった……」
「過分な、お褒めにあずかり……」

 恐縮して目を伏せる紫玲に、伯祥が言う。

「過分ではない。……本当に、綺麗だ。清楚で、朝方に咲く花のようだ。私は、天下一の果報者だ」
「……殿下……恥ずかしゅうございます、どうか……」

 視線を彷徨わせる紫玲に微笑んで、伯祥が手を離す。

「私たちは夫婦になったのだ。私のことは伯祥と呼んでくれ」
「伯祥さま……」  

 伯祥の黒目がちの瞳と、まっすぐに目が合い、黒い瞳に紫玲が映っていた。

「いく久しく、よろしくお願いいたします」

 そう頭を下げた紫玲に、伯祥が詩を吟じた。

「生きては同室の親と為り、死しては同穴の塵と為る」

 名のある詩人のものだとすぐに気づいた紫玲は、とっさに続きの句を詠じる。

「他人すら尚お相い勉む、しかるにいわんや我と君とをや」

 間髪を入れずに諳んじて見せた紫玲に、伯祥が目を見開いた。

「さすが、学問で名高い蔡氏の娘だ! 即座に返してくるとは」

 紫玲はハッとして口元を押さえた。

 ――女が学問をすることを良しとしない風潮もある。伯祥が不快に思ったら――

しおりを挟む
感想 20

あなたにおすすめの小説

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい

恋愛
婚約者には初恋の人がいる。 王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。 待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。 婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。 従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。 ※なろうさんにも公開しています。 ※短編→長編に変更しました(2023.7.19)

私の愛した婚約者は死にました〜過去は捨てましたので自由に生きます〜

みおな
恋愛
 大好きだった人。 一目惚れだった。だから、あの人が婚約者になって、本当に嬉しかった。  なのに、私の友人と愛を交わしていたなんて。  もう誰も信じられない。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

【取り下げ予定】お幸せに、婚約者様。私も私で、幸せになりますので。

ごろごろみかん。
恋愛
仕事と私、どっちが大切なの? ……なんて、本気で思う日が来るとは思わなかった。 彼は、王族に仕える近衛騎士だ。そして、婚約者の私より護衛対象である王女を優先する。彼は、「王女殿下とは何も無い」と言うけれど、彼女の方はそうでもないみたいですよ? 婚約を解消しろ、と王女殿下にあまりに迫られるので──全て、手放すことにしました。 お幸せに、婚約者様。 私も私で、幸せになりますので。

処理中です...