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間章 側室リラの物語
ユーエルの昔語り・続き
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その夜、ユーエルが食堂に行くと、昨日の姫君つきの侍女が目を輝かせて待っていた。
「ユーエルさん! 待ってたんです! 昨日の続きを聞かせてください!」
「つ、続き?」
「あのお話し、すっごく面白かったから、姫様にもお聞かせしたんです。そしたら、続きが気になるから今日も聞いてこいって!」
「お、面白いって……」
ユーエルは面食らう。殿下のかつての側室の話なのだけど。ちゃんと姫君に説明したのだろうか、この侍女は。
ユーエルは食事をしながらリリアに言った。
「でも、これから先は俺が直接聞いた話ではなくて、姉の手紙に書いてあったことだよ?」
そう、前置きして、夕食を摂りながらユーエルは語り始める。
「……後宮に入った秀女は、儲秀宮って宮に集められて、そこで槐花って名前をもらったそうだよ。同名の者がいるとややこしいだろう。だから、新たに花の名前をもらうんだそうだ」
正月に入宮した新秀女は、儲秀宮で行儀作法や宮中の決まりごとを学ぶ。そして六月に、皇子の宮に分配されるという。
「姉が最初に回されたのが、例のその、うちの領地にやってきた皇子で――順親王殿下って仰る。殿下の兄上に当たられる方だよ」
当然裏から手を回していたらしく、槐花は順親王の宮に入った。
「詳しくは書いてなかったけど、姉はあそこでは結構辛い目に遭ったらしい。順親王殿下はやけに姉に執着したらしくて――そうなると、元からいた秀女のやっかみやら嫉妬やらで、いろいろと嫌がらせを受けたみたいだ」
リリアが目を見開く。いわゆる後宮の女の闘いってやつなのかしら、と。
「それで――皇帝陛下は毎年、夏になると帝都を離れてホラン離宮に避暑に行かれる。主だった妃嬪や、皇子たちも一緒に、まあ、いわば皇宮の引っ越しだね。で、姉は順親王殿下について離宮に行ったんだ。そこでもやっぱり虐められて……偽手紙でおびき出されて夜に人気のない鐘楼に閉じ込められた時は、もうダメかと思ったって。でもたまたま、鐘楼に流星を観察しに来られた若い皇子様たちに救けてもらったそうだ。――その時、初めて殿下とお言葉を交わしたって、手紙には書いてあった」
「それが出会いなんですね。素敵――」
胸の前で両手を組み合わせてうっとりとするリリアに、ユーエルは眉を顰める。
だから君の仕える姫君の夫の死んだ側室の話なんだけど。わかっているのかな。
そんなことを思いながら、ユーエルは話を続ける。
「でも、姉は夜間に外出したことを咎められて、順親王殿下にはひどい折檻を受けたらしい」
「何それ、ひどい! 偽手紙でおびき出されているのに!その皇子最低!」
「その数日後、狩猟の場で他の秀女たちに虐められているところに殿下が現れて、姉を助けてくれたそうだ。まだ十五歳で成人されたばかりで、女の子のように繊細でお美しいお姿なのに、姉を庇って兄の順親王殿下にも、堂々と正論を説いてくださったそうだよ。それで、姉は順親王殿下の宮から出ることができたんだ」
権力を嵩に無理矢理召し上げた男に、人はやすやすと心を委ねたりはしない。女一人の人生を捻じ曲げた自覚を、もっと持つべきだ、と恭親王が年の離れた兄である順親王に説いた時、槐花は自分が何に怒っていたのか、初めて胸にストンと落ちたのだという。
「何それ素敵! 本物の皇子様みたい――!」
「みたいじゃなくて、本物の皇子様なんだけど」
とにかくそれをきっかけに、槐花は恭親王に対して恋心を抱くようになったのだが、恭親王の方は槐花のことは別に気にも留めていなかったらしく、順親王の宮を出た槐花は皇太子の長男肅郡王の宮に入ることになった。肅郡王はおとなしい男で、槐花をとても大切にしてくれたそうだが、秋に北方辺境に巡検に出て、そのまま帰らなかった。
「肅郡王殿下と恭親王殿下、そしてもう一人、成郡王殿下は北方の異民族の虜囚になって、ベルン河の北岸に連れ去られてしまったんだ」
その時はユーエルも見習いとして北方辺境騎士団に出仕していたから、その時の混乱した状況を思い出して眉を顰める。
「北岸で何があったのかは明らかにされていないけれど、三人の皇子の中で、肅郡王殿下は北岸で亡くなられて、遺品だけが届けられた。遺書が残されていて、姉のことを他の二皇子に頼むと、書いてあったそうだ」
一方、順親王はまだ槐花に未練があって、たびたびフランザ家に対して槐花を後宮から下がらせて、順親王の邸に入れるようにと要求があったという。ミシェルやフランザ家の者は、槐花が順親王からほとんど虐待に近い扱いを受けていたと聞いて、肅郡王に寵愛されていることを理由にその要求には応じなかった。だが肅郡王が死んで、順親王の要求を拒む理由がなくなってしまう。フランザ家が対応に苦慮していた時、北方から帰還した恭親王が、肅郡王の遺言を理由に、槐花を自分の宮に入れてくれたのだ。
秀女は後宮に五年も務めれば、お褥下がりと称して後宮を出て、恩給をもらい、実家に帰ることになる。だが、皇子の寵愛を受けたことのある秀女を、迂闊な者のところに嫁がすことはできないから、後妻か側室の先は後宮が斡旋するのだ。辺境の子爵家出身の槐花は、辺境に帰っても釣り合う相手などいない。秀女になると決めた時点で、槐花が故郷に帰る道は絶たれているのである。もし後宮を出れば、順親王が手ぐすね引いて待っているのは明らかだった。
「――それで、殿下は姉を秀女から側室に上げて身近に置くことにしてくださったんだよ。殿下も結婚を控えていたから、皇帝陛下までもがそれに反対なさったそうだけれど、殿下は押し切ってくださった。それ以外に順親王殿下から救う方法がないからね。何より姉は殿下のことをお慕いしていたから、側室にしていただいたことをとても感謝していたんだ」
「……そうだったのですね。その皇子様は本当にご立派ですよね。うちの鬼畜変態エロ皇子とは大違いだわ!」
「ちょっと待って、どこかで話がおかしくなってないかい、どうしてそんな……」
ユーエルとしては、恭親王と彼の姉のなれそめを語っているつもりだったし、途中まではリリアもわかっていたはずなのに、いつの間にか別の皇子の話にすり替わってしまったらしい。
「ありがとうございます! 姫様が昨日の話の続きをすごーく気にされて! こんな素敵な恋物語が現実にあったんですね!」
嬉々として帰っていくリリアを、ユーエルは複雑な思いで見送る。
確かに皇子の側室にはなれたけど、その後、結局正室に虐められて死んでしまうわけなんだけど……。
「まあでも、確かに、あそこで終わればめでたしめでたしだったんだよね」
お伽話というのは、往々にしてそういうものだと、ユーエルはひとりごちた。
「ユーエルさん! 待ってたんです! 昨日の続きを聞かせてください!」
「つ、続き?」
「あのお話し、すっごく面白かったから、姫様にもお聞かせしたんです。そしたら、続きが気になるから今日も聞いてこいって!」
「お、面白いって……」
ユーエルは面食らう。殿下のかつての側室の話なのだけど。ちゃんと姫君に説明したのだろうか、この侍女は。
ユーエルは食事をしながらリリアに言った。
「でも、これから先は俺が直接聞いた話ではなくて、姉の手紙に書いてあったことだよ?」
そう、前置きして、夕食を摂りながらユーエルは語り始める。
「……後宮に入った秀女は、儲秀宮って宮に集められて、そこで槐花って名前をもらったそうだよ。同名の者がいるとややこしいだろう。だから、新たに花の名前をもらうんだそうだ」
正月に入宮した新秀女は、儲秀宮で行儀作法や宮中の決まりごとを学ぶ。そして六月に、皇子の宮に分配されるという。
「姉が最初に回されたのが、例のその、うちの領地にやってきた皇子で――順親王殿下って仰る。殿下の兄上に当たられる方だよ」
当然裏から手を回していたらしく、槐花は順親王の宮に入った。
「詳しくは書いてなかったけど、姉はあそこでは結構辛い目に遭ったらしい。順親王殿下はやけに姉に執着したらしくて――そうなると、元からいた秀女のやっかみやら嫉妬やらで、いろいろと嫌がらせを受けたみたいだ」
リリアが目を見開く。いわゆる後宮の女の闘いってやつなのかしら、と。
「それで――皇帝陛下は毎年、夏になると帝都を離れてホラン離宮に避暑に行かれる。主だった妃嬪や、皇子たちも一緒に、まあ、いわば皇宮の引っ越しだね。で、姉は順親王殿下について離宮に行ったんだ。そこでもやっぱり虐められて……偽手紙でおびき出されて夜に人気のない鐘楼に閉じ込められた時は、もうダメかと思ったって。でもたまたま、鐘楼に流星を観察しに来られた若い皇子様たちに救けてもらったそうだ。――その時、初めて殿下とお言葉を交わしたって、手紙には書いてあった」
「それが出会いなんですね。素敵――」
胸の前で両手を組み合わせてうっとりとするリリアに、ユーエルは眉を顰める。
だから君の仕える姫君の夫の死んだ側室の話なんだけど。わかっているのかな。
そんなことを思いながら、ユーエルは話を続ける。
「でも、姉は夜間に外出したことを咎められて、順親王殿下にはひどい折檻を受けたらしい」
「何それ、ひどい! 偽手紙でおびき出されているのに!その皇子最低!」
「その数日後、狩猟の場で他の秀女たちに虐められているところに殿下が現れて、姉を助けてくれたそうだ。まだ十五歳で成人されたばかりで、女の子のように繊細でお美しいお姿なのに、姉を庇って兄の順親王殿下にも、堂々と正論を説いてくださったそうだよ。それで、姉は順親王殿下の宮から出ることができたんだ」
権力を嵩に無理矢理召し上げた男に、人はやすやすと心を委ねたりはしない。女一人の人生を捻じ曲げた自覚を、もっと持つべきだ、と恭親王が年の離れた兄である順親王に説いた時、槐花は自分が何に怒っていたのか、初めて胸にストンと落ちたのだという。
「何それ素敵! 本物の皇子様みたい――!」
「みたいじゃなくて、本物の皇子様なんだけど」
とにかくそれをきっかけに、槐花は恭親王に対して恋心を抱くようになったのだが、恭親王の方は槐花のことは別に気にも留めていなかったらしく、順親王の宮を出た槐花は皇太子の長男肅郡王の宮に入ることになった。肅郡王はおとなしい男で、槐花をとても大切にしてくれたそうだが、秋に北方辺境に巡検に出て、そのまま帰らなかった。
「肅郡王殿下と恭親王殿下、そしてもう一人、成郡王殿下は北方の異民族の虜囚になって、ベルン河の北岸に連れ去られてしまったんだ」
その時はユーエルも見習いとして北方辺境騎士団に出仕していたから、その時の混乱した状況を思い出して眉を顰める。
「北岸で何があったのかは明らかにされていないけれど、三人の皇子の中で、肅郡王殿下は北岸で亡くなられて、遺品だけが届けられた。遺書が残されていて、姉のことを他の二皇子に頼むと、書いてあったそうだ」
一方、順親王はまだ槐花に未練があって、たびたびフランザ家に対して槐花を後宮から下がらせて、順親王の邸に入れるようにと要求があったという。ミシェルやフランザ家の者は、槐花が順親王からほとんど虐待に近い扱いを受けていたと聞いて、肅郡王に寵愛されていることを理由にその要求には応じなかった。だが肅郡王が死んで、順親王の要求を拒む理由がなくなってしまう。フランザ家が対応に苦慮していた時、北方から帰還した恭親王が、肅郡王の遺言を理由に、槐花を自分の宮に入れてくれたのだ。
秀女は後宮に五年も務めれば、お褥下がりと称して後宮を出て、恩給をもらい、実家に帰ることになる。だが、皇子の寵愛を受けたことのある秀女を、迂闊な者のところに嫁がすことはできないから、後妻か側室の先は後宮が斡旋するのだ。辺境の子爵家出身の槐花は、辺境に帰っても釣り合う相手などいない。秀女になると決めた時点で、槐花が故郷に帰る道は絶たれているのである。もし後宮を出れば、順親王が手ぐすね引いて待っているのは明らかだった。
「――それで、殿下は姉を秀女から側室に上げて身近に置くことにしてくださったんだよ。殿下も結婚を控えていたから、皇帝陛下までもがそれに反対なさったそうだけれど、殿下は押し切ってくださった。それ以外に順親王殿下から救う方法がないからね。何より姉は殿下のことをお慕いしていたから、側室にしていただいたことをとても感謝していたんだ」
「……そうだったのですね。その皇子様は本当にご立派ですよね。うちの鬼畜変態エロ皇子とは大違いだわ!」
「ちょっと待って、どこかで話がおかしくなってないかい、どうしてそんな……」
ユーエルとしては、恭親王と彼の姉のなれそめを語っているつもりだったし、途中まではリリアもわかっていたはずなのに、いつの間にか別の皇子の話にすり替わってしまったらしい。
「ありがとうございます! 姫様が昨日の話の続きをすごーく気にされて! こんな素敵な恋物語が現実にあったんですね!」
嬉々として帰っていくリリアを、ユーエルは複雑な思いで見送る。
確かに皇子の側室にはなれたけど、その後、結局正室に虐められて死んでしまうわけなんだけど……。
「まあでも、確かに、あそこで終わればめでたしめでたしだったんだよね」
お伽話というのは、往々にしてそういうものだと、ユーエルはひとりごちた。
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