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間章 側室リラの物語
ミハルの無茶ぶり
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翌日のお茶の時間。何となく侍女二人に気まずい思いを抱いているらしいアデライードを気遣い、メイローズがミハルをお茶に呼んだ。
サウラの一件の後、ミハルは重傷を負った従弟ランパの世話で忙しかったのだが、ランパの傷もようやく癒えて彼も宿舎に戻った。その後は恭親王に以前から命じられていた、西の国の官僚制度についての調査に精を出していた。
東の帝国では古来より、「牝鶏が晨するは、惟れ家の索くるなり」――雌鶏が時を告げれば家が滅ぶ――と、女性が政治に関わることは強く戒められてきた。さらに皇帝の絶対的権力の下に中央集権化が進行した帝国の人間にとっては、女王が夫である執政長官と貴族の議会である元老院の輔弼と助言の上に政治を行う体制が、そもそも理解できない。有体に言えば、女王はどの程度の権力を持つのか。アデライードの即位を実現させる前に、ある程度の認識は得ておかねばならない。
恭親王は自身も歴史書を繙いて、女王国の政体について学んではいたが、あえてミハルにも調査を命じたのは、ミハル自身でそれを調べ、西の政体についての見識を持たせたいと考えているからだ。ナキアの王城には実務を取り仕切る官僚たちがいて、アデライードの即位後は彼らと対峙していくことになる。女王となったアデライードに、恭親王が四六時中貼りついていられるとは限らない。アデライードの側には信頼できる、そして恭親王の息のかかった秘書官が絶対に必要になる。それで、手っ取り早くミハルに勉強させて女性秘書官に仕立て上げようという、かなり無謀なことを目論んでいるわけだ。――手近で間に合わせた感は拭い去れないが、とくに女性の人材という点で、総督府は人手不足だからしょうがない。
もっとも、ミハル自身は仕事を与えられたことに張り切っていて、またもともと活動的な彼女は侍女やランパを引き連れてソリスティアの街をあちこち見て歩いたらしく、その感想やら文句やらで、アンジェリカと丁々発止やりあっていた。
「ソリスティアは商人の街ですから、市場なんかは活気があって面白いのですけれど、文化面と言いますかしら、そっちの方はまだまだですわよね。帝都でしたら劇場やら何やら、暇つぶしの場所がいろいろありますのに。こっちは歌劇場が一個と、演舞場が二つくらいしかないんですの。あとは市場の野外劇と、広場の大道芸くらいですかしら。全部行ったけど、結局同じ演目ばかりで飽きてしまって……」
演舞場も歌劇場もたくさんある帝都の令嬢らしい、ものすごい我儘な感想をミハルが言い出して、「そんな無茶言わないでください。人口が違いすぎますよ」とアンジェリカに正論で反論されてしまう。
「……歌劇場は歌劇をするところ。演舞場ってのは何をするところ?」
控えめにアデライードが尋ねる。修道院で育ったアデライードは、劇と言えば年一度、修道院内の仲間でやる素人劇しか見たことはない。口のきけないアデライードはいつも、庭で咲いている花の役だった。布でできた花を頭に着けて、時々揺れるだけだ。
「演舞場では講談とか、人形劇とか、手品とか、そういうのを日替わりでやります」
リリアの答えに、アデライードがさらに「講談って何?」と尋ねる。
「講談は、語り物。要するに物語を語るんですわ。それはもう、見てきたように朗々と。」
ミハルが扇を口の端に寄せて言う。
「優れた講談師の講談は、下手な歌劇よりも臨場感がありましてよ。歌劇や芝居なんかだと、ヒーロー役が不細工だったり、ヒロインがでぶだったりすると、それだけでがっかりですもの。講談師は禿のおっさんでも、語りが素晴らしければ、目をつぶっていれば全く気になりませんわ」
ミハルの口から不細工だのデブだの禿のおっさんだの、あんまり聞きたくないと思いながら、リリアも頷く。
「そう言えば、講談じゃないですけど、昨日聞いたお話がとても素敵で――」
「何々それは何なの?」
「いえその、辺境の下級貴族の令嬢が、皇子様に見初められて側室になるお話なんですけど、まだ途中までしか聞けなかったんですが、令嬢の境遇がとても気の毒で。たまたまその年にいろいろな不幸が重なって、宮中に入る以外になくなってしまうんですよ。なんか、もう聞いているだけでドキドキしてしまって。確かに、優れた語り物は下手な劇よりも臨場感が――」
うっとりと言うリリアにミハルが貴族令嬢らしく傲然と命令した。
「あなた、今すぐそれ、お話しなさい。ここで」
「えっ――」
サウラの一件の後、ミハルは重傷を負った従弟ランパの世話で忙しかったのだが、ランパの傷もようやく癒えて彼も宿舎に戻った。その後は恭親王に以前から命じられていた、西の国の官僚制度についての調査に精を出していた。
東の帝国では古来より、「牝鶏が晨するは、惟れ家の索くるなり」――雌鶏が時を告げれば家が滅ぶ――と、女性が政治に関わることは強く戒められてきた。さらに皇帝の絶対的権力の下に中央集権化が進行した帝国の人間にとっては、女王が夫である執政長官と貴族の議会である元老院の輔弼と助言の上に政治を行う体制が、そもそも理解できない。有体に言えば、女王はどの程度の権力を持つのか。アデライードの即位を実現させる前に、ある程度の認識は得ておかねばならない。
恭親王は自身も歴史書を繙いて、女王国の政体について学んではいたが、あえてミハルにも調査を命じたのは、ミハル自身でそれを調べ、西の政体についての見識を持たせたいと考えているからだ。ナキアの王城には実務を取り仕切る官僚たちがいて、アデライードの即位後は彼らと対峙していくことになる。女王となったアデライードに、恭親王が四六時中貼りついていられるとは限らない。アデライードの側には信頼できる、そして恭親王の息のかかった秘書官が絶対に必要になる。それで、手っ取り早くミハルに勉強させて女性秘書官に仕立て上げようという、かなり無謀なことを目論んでいるわけだ。――手近で間に合わせた感は拭い去れないが、とくに女性の人材という点で、総督府は人手不足だからしょうがない。
もっとも、ミハル自身は仕事を与えられたことに張り切っていて、またもともと活動的な彼女は侍女やランパを引き連れてソリスティアの街をあちこち見て歩いたらしく、その感想やら文句やらで、アンジェリカと丁々発止やりあっていた。
「ソリスティアは商人の街ですから、市場なんかは活気があって面白いのですけれど、文化面と言いますかしら、そっちの方はまだまだですわよね。帝都でしたら劇場やら何やら、暇つぶしの場所がいろいろありますのに。こっちは歌劇場が一個と、演舞場が二つくらいしかないんですの。あとは市場の野外劇と、広場の大道芸くらいですかしら。全部行ったけど、結局同じ演目ばかりで飽きてしまって……」
演舞場も歌劇場もたくさんある帝都の令嬢らしい、ものすごい我儘な感想をミハルが言い出して、「そんな無茶言わないでください。人口が違いすぎますよ」とアンジェリカに正論で反論されてしまう。
「……歌劇場は歌劇をするところ。演舞場ってのは何をするところ?」
控えめにアデライードが尋ねる。修道院で育ったアデライードは、劇と言えば年一度、修道院内の仲間でやる素人劇しか見たことはない。口のきけないアデライードはいつも、庭で咲いている花の役だった。布でできた花を頭に着けて、時々揺れるだけだ。
「演舞場では講談とか、人形劇とか、手品とか、そういうのを日替わりでやります」
リリアの答えに、アデライードがさらに「講談って何?」と尋ねる。
「講談は、語り物。要するに物語を語るんですわ。それはもう、見てきたように朗々と。」
ミハルが扇を口の端に寄せて言う。
「優れた講談師の講談は、下手な歌劇よりも臨場感がありましてよ。歌劇や芝居なんかだと、ヒーロー役が不細工だったり、ヒロインがでぶだったりすると、それだけでがっかりですもの。講談師は禿のおっさんでも、語りが素晴らしければ、目をつぶっていれば全く気になりませんわ」
ミハルの口から不細工だのデブだの禿のおっさんだの、あんまり聞きたくないと思いながら、リリアも頷く。
「そう言えば、講談じゃないですけど、昨日聞いたお話がとても素敵で――」
「何々それは何なの?」
「いえその、辺境の下級貴族の令嬢が、皇子様に見初められて側室になるお話なんですけど、まだ途中までしか聞けなかったんですが、令嬢の境遇がとても気の毒で。たまたまその年にいろいろな不幸が重なって、宮中に入る以外になくなってしまうんですよ。なんか、もう聞いているだけでドキドキしてしまって。確かに、優れた語り物は下手な劇よりも臨場感が――」
うっとりと言うリリアにミハルが貴族令嬢らしく傲然と命令した。
「あなた、今すぐそれ、お話しなさい。ここで」
「えっ――」
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