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14、奪われし者
成れの果て
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目覚めた後、ゲルやらゾーイやらがやってくるのを適当にいなし、さっそくアデライードにいちゃつきにかかる恭親王だったが、周囲によって引き剥され、アデライードは自室へと戻された。あと一日は部屋から出ることはない、と言われ、恭親王は不満気にぶつぶつ言う。
「本来ならば、まだ部屋におこもりになられて、お出にならないはずなのを、殿下のお命にも関わるからと無理を言って出てきていただいたのですよ。わがままをおっしゃるものではありません」
メイローズに窘められ、シャオトーズが運んできた熱い白粥を啜る。数日、食べていないので胃の負担を考え、ほとんど重湯に近い。
「こんなもので腹が膨れると思ってるのか」
アデライードがいなくなった途端に機嫌の悪くなった恭親王に、メイローズもマニもジュルチも苦笑する。
蓮華で薄い粥を掬い、ふうふうと息を吹きかけながら、恭親王がふと、メイローズらを見上げて言った。
「アデライードの声だが……」
「精神的なものだと思われます。目の前で夫の心臓が止まったのですよ。姫君でなくても声も出なくなります。もう、こういうのはやめて下さいね」
「……命がたすかったのは儲けものだとは思うが、アデライードには悪いことをしたな。気にするなと言っても、そうもいかないだろうし」
と、そこまで言って、恭親王ははっとして懐を探って叫んだ。
「箱が……! 懐に入れておいたのだが!」
マニが寝台脇の小卓の抽斗を指さして言った。
「あれだったら、箱は黒焦げだったよ。中身はそこの……抽斗にしまってある」
メイローズが抽斗を開けて神器を取り出し主に渡すと、恭親王はそれを握りしめてホッとしたように大きく息をついた。
「よかった……無くしたら大変なことになると思って……」
「おそらく、それと聖剣のおかげで命が助かったのだ。……胸に火傷の痕があるだろう」
ジュルチに指摘され、白い絹の夜着をはだけてみると、ちょうど心臓のあたりに丸い痕が残っていた。
「……本当だ……」
感慨深く火傷と神器を見比べる恭親王に、マニがためらいがちに言った。
「……それは、アデライードから受け取ったのだろう。十年前に」
ぎくり、と恭親王がマニを見上げる。
「それは……アデライードが?」
マニが頷いた。
「アデライードは十年前、森の中で出会った〈シウリン〉という見習い僧侶にそれを渡した、と。君と同じ金の〈王気〉を持ち、君と同じ黒い瞳をした少年僧に。彼女は君が〈シウリン〉かと尋ねたが、君は否定したらしいね。……なぜ、嘘を?〈シウリン〉が死んだと聞いて、彼女は気を失うほどショックを受けたというじゃないか。なぜ、真実を話さない」
ずばりとど真ん中を射抜いたマニに、ジュルチとメイローズは沈黙してやりとりを見つめる。
「……〈シウリン〉は死んだのです。いや、最初から存在しないことにされた。この指輪だけが、〈シウリン〉が生きていたという証です。〈聖婚〉の皇子として、アデライードと結婚したのは、〈ユエリン〉です。アデライードの側にいるためには、〈ユエリン〉として生きるしかないのです」
どこか醒めた、絶望に満ちた黒い瞳で、恭親王はマニをじっと見た。
「私はずっと、いつか僧侶の〈シウリン〉に戻りたいと思っていた。それが本当の私だから。彼女に指輪を返し、皇子としての責任を果たしたら、どれほどの時間がかかっても聖地に戻るつもりでした。……でも、偽りの名で受け入れた結婚相手が、彼女でした。この〈聖婚〉はあくまで、恭親王ユエリン皇子と女王家の王女との婚姻だから、アデライードの夫で居続けようと思ったら、ユエリンでいるしかない。僧侶の〈シウリン〉では王女と結婚はできませんから。……〈シウリン〉に戻るなら、私は彼女を諦めないといけない。両方を手にすることはできないのです」
恭親王の言うことは、確かにその通りだ。だが、それではアデライードの気持ちはどうなるのか。
「アデライードに真実を話すべきだ。君が十年、彼女を想い続けたように、アデライードも君を待っていたんだ」
恭親王は指輪を握りしめ、膝の上の盆に載せられた白粥に目を落とす。
「こんな、馬鹿馬鹿しいペテンにアデライードを巻き込みますか? 天と陰陽を偽る罪は、私一人が負えばいい。何の罪もないアデライードを無理やり共犯に仕立て上げる必要はない」
「でも……!」
なおもマニが言い募ろうとするのを、その肩を押えてジュルチが止める。
「殿下……いや、ここの者は皆知っているから、取り繕うのはやめよう。シウリン、たとえ別の名を名乗ろうとも、お前はシウリンだ。人としてのお前が変わるわけではないだろう。天と陰陽はおそらく、最初からすべてを知っている。偽る罪など存在しない。むしろ、唯一の番であるアデライード姫を偽る罪を犯すつもりか?」
そう言われて、恭親王はきっと黒曜石の瞳で寝台脇に立つ、魁偉な僧の顔を見上げる。
「人は変わります。私は以前のシウリンではない。無垢で自然のままであった〈シウリン〉は、たくさんの竅を穿たれて血塗れの醜い怪物のような〈ユエリン〉になったのです。以前は、そんな自分を認めたくなくて、指輪さえ返せば死ぬつもりでした。でも、この醜い〈ユエリン〉として生きろというのが天と陰陽の意思であるならば、汚らわしい自分も受け入れます。……でも、アデライードに、この醜い化け物が〈シウリン〉の成れの果てだと知られるのだけは嫌です」
「シウリン……」
「マニ僧都もジュルチ僧正も、お二人のことは今でも尊重していますが、私は敵も多く、どこで足を掬われるかわからない。今後、たとえ我々だけの場所でもその名で呼ぶことは禁じます。〈シウリン〉などという僧侶は初めから存在しない。世界の陰陽の調和のために、〈シウリン〉が消えることが必要だったのなら、その歪みは私一人が引き受ければいい」
きっぱりと言った恭親王は、指輪を左手の薬指に嵌めると、この話はこれまでとばかりに粥を掻き込み始める。
マニとジュルチは二人で顔を見合わせ、それからメイローズを見た。メイローズは金色の睫毛を伏せ、無言で首を振る。今はまだ、無理だとメイローズの紺碧の瞳が言っていた。
自身を醜い化け物だと言い放った恭親王に、それ以上踏み込むことはできなかった。
「シウ……いや、殿下。一つだけ。……アデライードを見くびらないでくれ。アデライードの力を見ただろう。彼女はけして、一方的に守られるだけの龍種じゃない。アデライードを愛しているというなら、彼女に誠実であるべきだ。それは側室を持たないとか、常に愛を囁くとか、そんなことではないよ。君は彼女が認めた番だ。それがたとえ化け物だと知れたとして、それでアデライードが怯んだりすると思っているとしたら、それは考え違いだ」
マニの指摘に恭親王が目を見開く。
「君は望むものを得た。アデライードだって同じものを得る権利があるはずだ」
恭親王はその言葉を聞いてぎくりと身体を固くする。無意識に、口元を掌で覆っていた。
(〈シウリン〉の手は、そんな風に血に汚れていない……)
夢の中で会った、プルミンテルンの頂で待ち続けるアデライードの声が甦る。
〈シウリン〉の魂が〈混沌の闇〉に墜ちるのだとすれば、アデライードにとっても、チャンスは一度しかないのだ。
それを、彼が奪うことは許されない――。
昏睡で伸びた、無精ひげが掌にざらざらする。唇に、指輪が触れてひやりと冷たい。
(〈シウリン〉を連れてきて。ずっと待っているの――)
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「こんなもので腹が膨れると思ってるのか」
アデライードがいなくなった途端に機嫌の悪くなった恭親王に、メイローズもマニもジュルチも苦笑する。
蓮華で薄い粥を掬い、ふうふうと息を吹きかけながら、恭親王がふと、メイローズらを見上げて言った。
「アデライードの声だが……」
「精神的なものだと思われます。目の前で夫の心臓が止まったのですよ。姫君でなくても声も出なくなります。もう、こういうのはやめて下さいね」
「……命がたすかったのは儲けものだとは思うが、アデライードには悪いことをしたな。気にするなと言っても、そうもいかないだろうし」
と、そこまで言って、恭親王ははっとして懐を探って叫んだ。
「箱が……! 懐に入れておいたのだが!」
マニが寝台脇の小卓の抽斗を指さして言った。
「あれだったら、箱は黒焦げだったよ。中身はそこの……抽斗にしまってある」
メイローズが抽斗を開けて神器を取り出し主に渡すと、恭親王はそれを握りしめてホッとしたように大きく息をついた。
「よかった……無くしたら大変なことになると思って……」
「おそらく、それと聖剣のおかげで命が助かったのだ。……胸に火傷の痕があるだろう」
ジュルチに指摘され、白い絹の夜着をはだけてみると、ちょうど心臓のあたりに丸い痕が残っていた。
「……本当だ……」
感慨深く火傷と神器を見比べる恭親王に、マニがためらいがちに言った。
「……それは、アデライードから受け取ったのだろう。十年前に」
ぎくり、と恭親王がマニを見上げる。
「それは……アデライードが?」
マニが頷いた。
「アデライードは十年前、森の中で出会った〈シウリン〉という見習い僧侶にそれを渡した、と。君と同じ金の〈王気〉を持ち、君と同じ黒い瞳をした少年僧に。彼女は君が〈シウリン〉かと尋ねたが、君は否定したらしいね。……なぜ、嘘を?〈シウリン〉が死んだと聞いて、彼女は気を失うほどショックを受けたというじゃないか。なぜ、真実を話さない」
ずばりとど真ん中を射抜いたマニに、ジュルチとメイローズは沈黙してやりとりを見つめる。
「……〈シウリン〉は死んだのです。いや、最初から存在しないことにされた。この指輪だけが、〈シウリン〉が生きていたという証です。〈聖婚〉の皇子として、アデライードと結婚したのは、〈ユエリン〉です。アデライードの側にいるためには、〈ユエリン〉として生きるしかないのです」
どこか醒めた、絶望に満ちた黒い瞳で、恭親王はマニをじっと見た。
「私はずっと、いつか僧侶の〈シウリン〉に戻りたいと思っていた。それが本当の私だから。彼女に指輪を返し、皇子としての責任を果たしたら、どれほどの時間がかかっても聖地に戻るつもりでした。……でも、偽りの名で受け入れた結婚相手が、彼女でした。この〈聖婚〉はあくまで、恭親王ユエリン皇子と女王家の王女との婚姻だから、アデライードの夫で居続けようと思ったら、ユエリンでいるしかない。僧侶の〈シウリン〉では王女と結婚はできませんから。……〈シウリン〉に戻るなら、私は彼女を諦めないといけない。両方を手にすることはできないのです」
恭親王の言うことは、確かにその通りだ。だが、それではアデライードの気持ちはどうなるのか。
「アデライードに真実を話すべきだ。君が十年、彼女を想い続けたように、アデライードも君を待っていたんだ」
恭親王は指輪を握りしめ、膝の上の盆に載せられた白粥に目を落とす。
「こんな、馬鹿馬鹿しいペテンにアデライードを巻き込みますか? 天と陰陽を偽る罪は、私一人が負えばいい。何の罪もないアデライードを無理やり共犯に仕立て上げる必要はない」
「でも……!」
なおもマニが言い募ろうとするのを、その肩を押えてジュルチが止める。
「殿下……いや、ここの者は皆知っているから、取り繕うのはやめよう。シウリン、たとえ別の名を名乗ろうとも、お前はシウリンだ。人としてのお前が変わるわけではないだろう。天と陰陽はおそらく、最初からすべてを知っている。偽る罪など存在しない。むしろ、唯一の番であるアデライード姫を偽る罪を犯すつもりか?」
そう言われて、恭親王はきっと黒曜石の瞳で寝台脇に立つ、魁偉な僧の顔を見上げる。
「人は変わります。私は以前のシウリンではない。無垢で自然のままであった〈シウリン〉は、たくさんの竅を穿たれて血塗れの醜い怪物のような〈ユエリン〉になったのです。以前は、そんな自分を認めたくなくて、指輪さえ返せば死ぬつもりでした。でも、この醜い〈ユエリン〉として生きろというのが天と陰陽の意思であるならば、汚らわしい自分も受け入れます。……でも、アデライードに、この醜い化け物が〈シウリン〉の成れの果てだと知られるのだけは嫌です」
「シウリン……」
「マニ僧都もジュルチ僧正も、お二人のことは今でも尊重していますが、私は敵も多く、どこで足を掬われるかわからない。今後、たとえ我々だけの場所でもその名で呼ぶことは禁じます。〈シウリン〉などという僧侶は初めから存在しない。世界の陰陽の調和のために、〈シウリン〉が消えることが必要だったのなら、その歪みは私一人が引き受ければいい」
きっぱりと言った恭親王は、指輪を左手の薬指に嵌めると、この話はこれまでとばかりに粥を掻き込み始める。
マニとジュルチは二人で顔を見合わせ、それからメイローズを見た。メイローズは金色の睫毛を伏せ、無言で首を振る。今はまだ、無理だとメイローズの紺碧の瞳が言っていた。
自身を醜い化け物だと言い放った恭親王に、それ以上踏み込むことはできなかった。
「シウ……いや、殿下。一つだけ。……アデライードを見くびらないでくれ。アデライードの力を見ただろう。彼女はけして、一方的に守られるだけの龍種じゃない。アデライードを愛しているというなら、彼女に誠実であるべきだ。それは側室を持たないとか、常に愛を囁くとか、そんなことではないよ。君は彼女が認めた番だ。それがたとえ化け物だと知れたとして、それでアデライードが怯んだりすると思っているとしたら、それは考え違いだ」
マニの指摘に恭親王が目を見開く。
「君は望むものを得た。アデライードだって同じものを得る権利があるはずだ」
恭親王はその言葉を聞いてぎくりと身体を固くする。無意識に、口元を掌で覆っていた。
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〈シウリン〉の魂が〈混沌の闇〉に墜ちるのだとすれば、アデライードにとっても、チャンスは一度しかないのだ。
それを、彼が奪うことは許されない――。
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