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14、奪われし者
念話
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アデライードが目を覚ました報告のためにアリナが席を外し、アンジェリカも食器を下げに部屋を下がってしまうと、部屋はリリアとアデライードの二人だけになった。
同様に魔力がなくても、アンジェリカはもともと勘の鋭いところもあって、「あーこれですね?」と案外的確にアデライードの言いたいことを把握してしまうのだが、根が真面目なリリアは姫君の意図をくみ取ろうと妙な気を回してしまい、かえってうまくいかない。アデライードの方も、十年間口をきかなかった間は、自分の意思を人に伝えようという気がなくて、口をきかなくても何も困ることがなく、念話を使って何かを要求しようとさえ、思い至らなかった。人に何かを伝え、それに反応が返ってくる。それが当たり前になった今、突如声が出なくなり、アデライードもまた動揺していた。
(お茶を――)
アデライードは思ったが、リリアは青い瞳を見開いて、寝台の横で小柄な体を硬直させるだけだ。
「その――申し訳ありません。あたしが……魔力がないばっかりに、姫様にご不自由を……」
恐縮して縮こまるリリアにアデライードが驚く。他人の魔力のあるなしなど、ほとんど意識したこともなかったアデライードは、念話を受け取れなかったことで、リリアに魔力がないのだと初めて気づいたのだ。
「やっぱり、あたしみたいな騎士の娘じゃなくて、もっと身分の高いちゃんとした侍女が姫様には必要ですよね……」
小さな髷を結った蜂蜜色の頭を垂れるリリアに対し、アデライードは慌てて首を振り、ダメ元とは思いながらもその手を握って、《そんなことないわ、リリアが側にいてくれる方が、うれしいの》と必死に伝えてみるが、どうにもならない。
もともと、リリアはソリスティアの騎士階級の娘だが、この〈騎士〉という階級は東には存在しない。東では騎士とはあくまで騎馬で戦う戦士の意であり、職業として騎士団に所属する者を指す。その中で貴種の血を受け継ぎ、聖別された武器の魔力を引き出すことができる者を特に聖騎士と称する。騎士団に入るには身分は関係ない。――例外として皇宮騎士団のみ貴族籍を持つ者に限られるが、他の帝都騎士団、州騎士団、辺境騎士団は平民から貴族まで幅広い出身の者が所属し、戦士としての技量だけが彼らを選別するのである。
これはかつて、帝国全土に存在した郷士と呼ばれた武装する自作農の階級が、皇帝権力の伸長に伴い、爵位を有する貴族と爵位のない平民とに分離して消滅し、身分に関係しない職業としての騎士が成立したからである。
一方の西では王権が微弱であるため、各地の封建領主がそれぞれの土地で領民を騎士に任ずることが現在でもあり、騎士号も時に世襲される。つまり、東では皇帝が叙任しない爵位などあり得ないのだが、西では封建領主によって与えられた騎士爵が存在するのである。
ソリスティアは政体としては帝国に属するが、その民俗、文化はかなり西寄りである。常時十万の兵を動かしうる巨大な軍権があり、また聖地との交易路の治安を守る必要から、多くの騎士が抱えられていた。それら土着の騎士たちは二千年にわたって騎士号を爵位のように世襲してきたのである。だからリリアの家は公侯伯子男の五等爵を有しないという点で、東の感覚ではまごうかたなき平民なのだが、西の感覚では代々の由緒ある騎士の家系で、僅かな魔力はあるはずなのだが。その意味で、巨大な財を有するフェラール家のアンジェリカが、東西どちらから見ても由緒正しき平民であるのと、少し事情が異なる。
ちなみにゾラは遇うたびにリリアに向けて「今日も可愛いね」だなんだと口説いているが、貴種の八侯爵家の跡取り息子であるゾラが、名目上平民であるリリアを娶るとすれば女中待遇の妾しかあり得ない。さすがに兄のバランシュはそのあたりのことも承知しているので、なおさら無責任にリリアに纏わりついては甘い言葉を吐いていくゾラに憤慨しているのである。もっとも、リリア本人はそれがゾラにとってはただの挨拶に過ぎないことがわかっているので、本気にせずに適当にいなしていた。
アデライードは俯いてしまったリリアの白い頬に手を触れて、翡翠色の瞳でリリアをじっと見つめた。
「姫様――?」
アデライードの翡翠色の瞳が涙でみるみる潤む。そしてぎゅっとリリアの首に腕を回し、ぎゅっと抱き着いた。
《そんなこと言わないで――爵位も、身分も、魔力も、関係ないから――わたしは、リリアが、好き》
アデライードにぎゅっと抱きしめられて、リリアは高貴な姫君を抱きしめ返していいものか、しばし躊躇する。おずおずと両手をアデライードの背中に回し、リリアもアデライードの細い肩に蜂蜜色の頭を預ける。リリアの間近で、白金色の細い髪が揺れる。毎日、リリアが手入れして、香油を丁寧に塗り込んでいる髪だ。
《いつもありがとう――リリア。これからも側にいて》
ふと、アデライードの声が聞こえたような気がして、リリアがはっと身を起こす。
「今、ありがとう、って仰いました?」
青い瞳を見開いて尋ねるリリアに、アデライードがこくこくと頷く。
「な、なんか聞こえたような気が……もっと念話で喋ってみてくださいますか?」
《えっ、そんな、急に言われても……困るわ》
「困る、って仰いました?」
こくんと頷くアデライードを見て、リリアが思わずガッツポーズを出した。
「やったー! 嬉しい! あたしでも念話が受け取れました! 新たな才能の開花ですっ!」
喜ぶリリアに、アデライードが微笑んで、だが少しだけ気がかりそうに念話で語り掛けた。
《それはよかったけど……なんだかリリア、最近、仕草がアンジェリカに似てきた?》
ぎくり、と一瞬のリリアの動きが止まる。が、すぐに二人は顔を見合わせて、ぷぷっと噴き出した。
「そうですね、やっぱり何事も気合ですっ! 気合だーっ」
おどけてアンジェリカの真似をして拳を振り上げるリリアに、アデライードは初めて花がほころぶような笑顔になった。
同様に魔力がなくても、アンジェリカはもともと勘の鋭いところもあって、「あーこれですね?」と案外的確にアデライードの言いたいことを把握してしまうのだが、根が真面目なリリアは姫君の意図をくみ取ろうと妙な気を回してしまい、かえってうまくいかない。アデライードの方も、十年間口をきかなかった間は、自分の意思を人に伝えようという気がなくて、口をきかなくても何も困ることがなく、念話を使って何かを要求しようとさえ、思い至らなかった。人に何かを伝え、それに反応が返ってくる。それが当たり前になった今、突如声が出なくなり、アデライードもまた動揺していた。
(お茶を――)
アデライードは思ったが、リリアは青い瞳を見開いて、寝台の横で小柄な体を硬直させるだけだ。
「その――申し訳ありません。あたしが……魔力がないばっかりに、姫様にご不自由を……」
恐縮して縮こまるリリアにアデライードが驚く。他人の魔力のあるなしなど、ほとんど意識したこともなかったアデライードは、念話を受け取れなかったことで、リリアに魔力がないのだと初めて気づいたのだ。
「やっぱり、あたしみたいな騎士の娘じゃなくて、もっと身分の高いちゃんとした侍女が姫様には必要ですよね……」
小さな髷を結った蜂蜜色の頭を垂れるリリアに対し、アデライードは慌てて首を振り、ダメ元とは思いながらもその手を握って、《そんなことないわ、リリアが側にいてくれる方が、うれしいの》と必死に伝えてみるが、どうにもならない。
もともと、リリアはソリスティアの騎士階級の娘だが、この〈騎士〉という階級は東には存在しない。東では騎士とはあくまで騎馬で戦う戦士の意であり、職業として騎士団に所属する者を指す。その中で貴種の血を受け継ぎ、聖別された武器の魔力を引き出すことができる者を特に聖騎士と称する。騎士団に入るには身分は関係ない。――例外として皇宮騎士団のみ貴族籍を持つ者に限られるが、他の帝都騎士団、州騎士団、辺境騎士団は平民から貴族まで幅広い出身の者が所属し、戦士としての技量だけが彼らを選別するのである。
これはかつて、帝国全土に存在した郷士と呼ばれた武装する自作農の階級が、皇帝権力の伸長に伴い、爵位を有する貴族と爵位のない平民とに分離して消滅し、身分に関係しない職業としての騎士が成立したからである。
一方の西では王権が微弱であるため、各地の封建領主がそれぞれの土地で領民を騎士に任ずることが現在でもあり、騎士号も時に世襲される。つまり、東では皇帝が叙任しない爵位などあり得ないのだが、西では封建領主によって与えられた騎士爵が存在するのである。
ソリスティアは政体としては帝国に属するが、その民俗、文化はかなり西寄りである。常時十万の兵を動かしうる巨大な軍権があり、また聖地との交易路の治安を守る必要から、多くの騎士が抱えられていた。それら土着の騎士たちは二千年にわたって騎士号を爵位のように世襲してきたのである。だからリリアの家は公侯伯子男の五等爵を有しないという点で、東の感覚ではまごうかたなき平民なのだが、西の感覚では代々の由緒ある騎士の家系で、僅かな魔力はあるはずなのだが。その意味で、巨大な財を有するフェラール家のアンジェリカが、東西どちらから見ても由緒正しき平民であるのと、少し事情が異なる。
ちなみにゾラは遇うたびにリリアに向けて「今日も可愛いね」だなんだと口説いているが、貴種の八侯爵家の跡取り息子であるゾラが、名目上平民であるリリアを娶るとすれば女中待遇の妾しかあり得ない。さすがに兄のバランシュはそのあたりのことも承知しているので、なおさら無責任にリリアに纏わりついては甘い言葉を吐いていくゾラに憤慨しているのである。もっとも、リリア本人はそれがゾラにとってはただの挨拶に過ぎないことがわかっているので、本気にせずに適当にいなしていた。
アデライードは俯いてしまったリリアの白い頬に手を触れて、翡翠色の瞳でリリアをじっと見つめた。
「姫様――?」
アデライードの翡翠色の瞳が涙でみるみる潤む。そしてぎゅっとリリアの首に腕を回し、ぎゅっと抱き着いた。
《そんなこと言わないで――爵位も、身分も、魔力も、関係ないから――わたしは、リリアが、好き》
アデライードにぎゅっと抱きしめられて、リリアは高貴な姫君を抱きしめ返していいものか、しばし躊躇する。おずおずと両手をアデライードの背中に回し、リリアもアデライードの細い肩に蜂蜜色の頭を預ける。リリアの間近で、白金色の細い髪が揺れる。毎日、リリアが手入れして、香油を丁寧に塗り込んでいる髪だ。
《いつもありがとう――リリア。これからも側にいて》
ふと、アデライードの声が聞こえたような気がして、リリアがはっと身を起こす。
「今、ありがとう、って仰いました?」
青い瞳を見開いて尋ねるリリアに、アデライードがこくこくと頷く。
「な、なんか聞こえたような気が……もっと念話で喋ってみてくださいますか?」
《えっ、そんな、急に言われても……困るわ》
「困る、って仰いました?」
こくんと頷くアデライードを見て、リリアが思わずガッツポーズを出した。
「やったー! 嬉しい! あたしでも念話が受け取れました! 新たな才能の開花ですっ!」
喜ぶリリアに、アデライードが微笑んで、だが少しだけ気がかりそうに念話で語り掛けた。
《それはよかったけど……なんだかリリア、最近、仕草がアンジェリカに似てきた?》
ぎくり、と一瞬のリリアの動きが止まる。が、すぐに二人は顔を見合わせて、ぷぷっと噴き出した。
「そうですね、やっぱり何事も気合ですっ! 気合だーっ」
おどけてアンジェリカの真似をして拳を振り上げるリリアに、アデライードは初めて花がほころぶような笑顔になった。
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