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12、銀龍のつがい

最強にして最凶

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「よーするに、姫様が最強にして最凶、っつーことっすよ」

 ガラスの破片で額を切って、絆創膏ばんそうこうを貼り付けたゾラの言う意味が理解できず、トルフィンがミハルを見る。

「その……間違えたらしいんです。魔法陣を」

 さすがに言いづらそうにミハルが言った。フエルが咄嗟とっさに庇ったため、ミハルは床に伏せたときに膝を擦り剥いた程度で済んだ。

「間違えたって?」
「〈防御〉の魔法陣と、〈対人攻撃〉の魔法陣を間違えたのですよ」

 アリナの腕の傷はアデライードのせいではなくて、刺客との戦闘でできたものだ。ミハルとアリナは臨時に詰所になっている総督夫妻の居間のすみっこで、事情を説明しながら侍従官二人に休憩用のお茶を出しているところだ。恭親王の意識が回復せず、二階サロン付近がほぼ大破しているので、三階の総督夫婦の居室部分に主だった者が集まって仕事をしているのだ。アデライードが治療のために恭親王の寝室に籠っていて、アリナも仕事はない。侍女二人は幸いにも大きな怪我はなく、アデライードの寝室で待機、という名の休息中であった。

「魔法陣って、そんなの、間違えるものなの?」
 
 トルフィンが尋ねるが、ミハルもアリナも首を傾げるしかない。

「午前中に、マニ僧都様より、その二つの魔法陣を呼び出す訓練をされていたのですよ。間違えないように、マニ僧都も釘を刺しておられましたので……」

 そんな凡ミスで、彼らの主は一時心臓が止まったのである。あの主だから生きているけれど、普通の人間なら確実に死んでいる。

「超強力な魔法を使えるドジッって、危険すぎるだろう!」
「……レイノークス伯領でも、魔力が制御できず、雷を呼び出して殿下直撃っすよ。幸いにも、すぐに姫様が癒したみたいだけどよ。俺、いくら美少女でも、あの人は無理だわ。命がいくつあっても足りねぇもん」

 ゾラの言葉に、トルフィンも頷く。

「……、殿下が瀕死なんだもんな。俺らとか、ひとたまりもないよね……」

 彼ら後発組が港から戻って、総督府の大門に着いたあたりで、〈奥〉からものすごい轟音がしたのである。あの時の胸がつぶれる気分ったらない。しかも今日はミハルまで〈奥〉に招かれていたのだから。

「それにしても、サウラ様は何がしたかったのかな?」

 トルフィンの疑問に、ミハルがカンカンになって言った。

「あんな女に敬称なんて必要ないですわ! 妊娠も嘘で、お腹には詰め物が入ってたなんて!」
「爆風で吹っ飛ばされて、倒れているサウラ様のお腹がペッタンコなのを見た時は、正直ビビったよ。やっべぇーみたいな。マジ、人騒がせにもほどがあるっつの」

 ゾラもうんざりしたように言う。サウラは医師の診察の結果、妊娠はしていないことが明らかになり、今は地下に幽閉されているという。

「なんだってそんな、いつかは確実にばれる嘘を……」

 巡り巡って、総督府が大惨事に襲われたのだ。アデライードの魔力暴走の責任までサウラに負わせるのは酷かもしれないが、事件の発端がサウラの妊娠偽装であることは間違いがない。サロン付近の被害と、恭親王の負傷の影響で、サウラへの尋問は後回しになっている。ゲルやトルフィンら、遅れて総督府に着いた文官たちは、そもそも事件のあらましを把握することでいっぱいいっぱいで、ゾラやテムジンら武官は負傷者の収容と刺客の身柄確保、現場の検証と後片付けでてんやわんやであった。今、トルフィンがここでゾラ、ミハル、アリナらとお茶を飲んでいるのも、休憩がてらに、その場にいた彼らから事情を聴取中なのであった。

 ちなみに一番の貧乏くじは例によってエンロンで、あの場に居合わせて事情も分かっている、ほぼ唯一の文官ということもあり、水も飲む暇もない。ゲルはエンロンとメイローズから事情の説明を受けた後、転移魔法陣を通して帝都へ第一報を入れ、帝都からの折り返しの指示を待ちながら、新たな情報の整理に追われている。

「あの、ものすごく強い女刺客を、姫君が〈エイダ〉って呼んでましたけど……」
 
 ミハルがトルフィンに尋ねると、トルフィンも眉を顰める。

「〈エイダ〉ってのは、十年間、姫様に張り付いてた二重スパイで、イフリートの〈黒影〉の一味だ。ずっと暗部に命じて行方を追わせていたんだけど……本人はほぼ即死状態、もう一人の刺客も重症で、細かい聴取ができる状態じゃないのだけれど、本当にあれが〈エイダ〉だとすれば、とんでもない大事だよ。イフリートの〈黒影〉が、殿下の元・側室の侍女として、東の人間に化けて総督府に入り込んだわけだから……ゲルさんもゾーイさんも、ついでに暗部の奴らも真っ青だよ」

 暗部を中心に〈エイダ〉の行方を追ってはいたが、まさか帝都に潜伏しているとは、誰も予想していなかった。東西の二国は龍騎士と始祖女王が別れて以来、互いの不干渉を原則にしている。〈禁苑〉の教えでは陰と陽の二つの国が並び立ってこそ、この世界の平安は保たれるから、たとえどれほど国力に差があろうと、帝国が女王国を侵略することなど、あり得ないのだ。

 今回の〈聖婚〉をめぐって、たしかに帝国は女王国の王位継承に干渉しようとしているが、帝国が求めているのは、あくまで〈王気〉のある龍種の女王即位とその王権の安定であって、帝国としては女王国の内政に興味がない。女王国に諜報活動を行う理由がそもそもないのだ。

 だから帝国の人間にとって、女王国のイフリート公爵の暗部が、帝国で何等かの諜報活動を行っていた事実は衝撃以外の何物でもない。

「その、今回のご〈聖婚〉と姫様の女王即位をめぐって、イフリート公爵が帝国内にも諜報の手を伸ばしたということなのですか?」

 甘い物は疲れを癒すのにいいから、とアリナは砂糖菓子や焼き菓子を漆塗りの菓子器に並べ、そっと二人の侍従官に差し出しながら、控えめに尋ねる。トルフィンが金平糖を数個摘まみながら、言った。

「それがさ……どう見ても東の人間にしか見えなかったって、ミハルも言ってただろう? 侍女を見慣れたメイローズやシャオトーズですら、不自然だと思わない変装を、ここ数か月の付け焼刃でできるとは、ちょっと思えないなあ」
「確かに、愛想無しの、気の利かない侍女に見えましたわ。服装も立ち居振る舞いも、こちらの侍女とは全然違う、〈東〉の侍女だと、わたくしも思いました。言葉遣いに帝都の訛りまであって。……あの黒い鈎爪を出したときは吃驚仰天でしたわ。身体検査もしたって聞いてましたのに」
「髪の色も変わってしまって……本当に、手品のようでしたね。彼女たちを連れてきたサウラ様が一番、驚いているように見えました。疑ってもみなかった、という表情でした」

 ミハルもアリナも、昼間のことを思い出して、眉を顰める。

 東西二国、言葉と宗教こそ同一だが、人種、文化、風俗、生活習慣は相当に異なっている。ダルバンダルあたりまでは淡い色の髪や瞳に彫りの深い顔だちの西方人種も多く、混血も進んでいるのだが、帝都周辺は黒髪、黒目でのっぺりした顔だちの東方人種ばかりで、〈黒影〉が潜伏するとしたら特殊な変装が必要である。さらに侍女として仕えるならば長衣の着付けや東方風の髪の結い方、何より東方風の礼儀作法を心得ていなければならない。ある程度の組織的な支援体制と、スパイ養成機関が存在していると見るべきである。
 つまり、イフリートの〈黒影〉はかなりの長期に渡って――今回の〈聖婚〉の件で、帝国と〈禁苑〉がイフリート家の排斥に動くよりも以前から――帝国の内部で組織的な諜報活動を行っていたということになる。
 
「どう見ても、ただの東のおばちゃんだったよな。東の貴族に仕える礼法も完璧で、まったく違和感なかったし、付け焼刃の変装じゃねぇよ。イフリートの奴ら、相当以前から、帝国に対する諜報活動をしてたってことかよ。けったくそ悪りぃ!」
 
 べっとゾラがお行儀悪く唾を吐き、「ちょっと、ここは本来は殿下と姫君のお居間ですのよ!」とミハルが柳眉を逆立てる。

「あの刺客二人はハーバー=ホストフル家のお抱えでした。……まさかハーバー家が……」
 
 アリナが二杯目のお茶を注ぎながら言うと、トルフィンも唇を歪める。

「知っててわざと抱えた可能性は低いと思うけど、殿下に瀕死の重傷を負わせているし、たぶん、ハーバー家はお取りつぶしだね。ゲル様が殿下負傷の第一報を入れて、意識不明の重体、って報せたら、皇后陛下はお倒れになったそうだから。おおもとの原因がサウラだって聞いたらそりゃ……」
「殿下が死にでもしてたら、俺たちのクビも危なかったよ。解雇の方じゃなくて、物理的に飛ぶ方な」

 ゾラが顎の下に手を当てて、横に引いて見せる。

「殿下のご容態はどうですの? 心臓が一度止まるなんて、わたくし、ゾッとして……」
「まだ、予断を許さない情況らしい。マニ僧都と姫様がつきっきりで〈気〉を注入しているけれど……」
    
 トルフィンがもどかしい思いで唇を噛む。結局、今回も主を守ることが出来なかった。ゾラも唇を横に引き結んでいる。
  そこへ、聖地からジュルチ僧正が到着したという報せが入り、トルフィンとゾラは慌てて立ち上がり、あたふたと自分たちの仕事に戻るのだった。
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