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11、対決
尺牘の真実
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マニ僧都が胡散臭そうに尺牘を摘まみあげると、それを読んだ。
「……鑑賞するほどの字とは思えないねえ……。ま、私は東の毛筆にはあまり詳しくはないけれど」
「確かに南の暖かい地方から、帝都の恋人を想う手紙のようですが、宛名がありませんのね」
ミハルが不快そうに眉を寄せる。あれだけアデライード姫一筋に見えた殿下が、その裏で別れたはずの側室にこまめに手紙を書いていたなんて、意味がわからない。
「万一、人目に触れたときのことを考えて、恋文は宛名を書かないものですわ……是非、姫様もご覧になってくださいませ」
サウラは得意そうに語るが、アデライードは夫からの恋文だというその尺牘を見ても、表情一つ変えず、興味もないのか手も出さなかった。アデライードは金色の睫毛にけぶる翡翠色の瞳を、そんなものをわざわざ見せに来たのか、と不思議そうに眇めるだけだ。
「しかし、宛名もない手紙など、偽造もたやすそうですな。筆跡など、いくらでも真似できますし」
エンロンも尺牘を摘まみあげて言う。
「なっ……この木っ端役人が無礼な! 正真正銘、殿下のお手蹟です!」
「それに、やたら相手を心配しているだけで、愛してるなんて、一言も書いてありませんな。正直、恋文にしては、色気がない。病気の乳母とか、使用人宛ての手紙と言われても、納得してしまいそうだ」
サウラが色を生して反論するのに、エンロンが詰まらなそうに言う。
そのやり取りを聞きながら、メイローズも思い起こす。半年近く聖地でアデライードの側近く仕えるうち、恭親王からは贈り物とともに幾度も手紙が来た。だが、それはこんな尺牘ではなくて、東方の紙か羊皮紙のカードかに、ペンで横書きに書いてあった。ダルバンダルあたりを境に、東は毛筆で縦書きに、西はペンで横書きにする。紙の質も、ソリスティアにあるものは、多くがペン書きに適したもので、毛筆書きに適した手漉き紙はあまり流通していない。恭親王もソリスティアでは、正式な書簡と署名は毛筆で縦書きにするが、普段の文書はもっぱらペンで横書きだ。
サウラの手紙はすべて手漉き紙に縦書きだが、この走り書きのために手漉き紙を準備し、毛筆で書くだろうか。そもそもこの楮を使った紙自体、ソリスティアでは貴重で、相当に高価である。
(これは、ソリスティアで書かれたものではないのでは――)
サウラの妊娠について知らされた恭親王はまさに青天の霹靂といった様子で狼狽していた。サウラのことなど、すっかり忘れていたとしか思えない。ただ、エンロンはああ言ったが、この手蹟は間違いなく、恭親王のものだ。
(ならば、この手紙は何だ……)
メイローズは尺牘を一つ手に取り、じっと見る。その時、メイローズの背後に控えていたシャオトーズが、微かに息を飲んだ。シャオトーズはこれに見覚えがあるのだ。
メイローズは、シャオトーズが言っていた、レイナの紛失した手紙のことを思い出した。
(……殿下が、南方の戦地からレイナ様に送った手紙……)
メイローズが知る限り、恭親王がアデライード以外に唯一、心を留めた女。以前の正室には指一本触れなかった彼が、傍目には眩しいほどに寵愛していた女。辺境の子爵の娘で、秀女上がりと蔑まれる彼女を、かつての主は必死で庇っていた。真実の心はただ一人、あの指輪の持ち主に捧げ、叶わぬ恋に殉じるつもりだった彼の、絶望の日々を支えた偽りの寵姫。
そう思って読み返せば、そこに書かれているのは帝都の邸で不安な日々をすごすレイナに対する、残酷な優しさだけで、恋情のかけらもなかった。――つまりこれは、真実愛されることはなかった不幸な彼女に捧げられた、主のなけなしの誠意なのだ。
(それを、こんな風に使って、わが主とアデライード姫の間に、隙間風と吹き込もうとするなんて……!)
しかし、こんな尺牘でアデライードが恭親王の恋情を疑うことはありえない。アデライードの銀の〈王気〉に絡みつき、片時も離れまいと執着する恭親王の金の〈王気〉が、メイローズにもアデライード本人にも、はっきりと視えているのだから。
サウラの目論見はあまりに狡猾で、そして滑稽だった。
(だが、こんなことのために、わざわざソリスティアまで?)
メイローズが眉を顰めたその時。
ガシャーン!と何かが割れる音がして、サウラが苦しそうに腹を抱えて低く呻いた。その足元には茶杯が落ちて割れ、お茶が絨毯を濡らしている。
「サウラ様っ!どうなさったのです?!」
「……お、お腹……が……」
「大丈夫ですか?姫様、しっかりなさって!」
血相を変えてサウラを取り囲む侍女と産婆に、ミハルが眉を顰める。
「身体が大儀ならばとっととお帰りになればよろしかったのに。人騒がせですこと!」
「もしや!お茶に何か入れたのではないでしょうね! 姫様が殿下の初めての御子を身ごもっておられるからって……」
詰る侍女と産婆に、メイローズが言い切る。
「アデライード姫と同じ茶壷のものをお出しして、私が毒見したのを、あなたがたもその目で見たでしょう」
「アデライード姫もあなたも、身ごもっているわけではないでしょう! 妊婦にだけ害のあるものかもしれない! 〈聖婚〉の王女だとか、清純そうな見かけの裏で、なんてひどいことを!」
「……鑑賞するほどの字とは思えないねえ……。ま、私は東の毛筆にはあまり詳しくはないけれど」
「確かに南の暖かい地方から、帝都の恋人を想う手紙のようですが、宛名がありませんのね」
ミハルが不快そうに眉を寄せる。あれだけアデライード姫一筋に見えた殿下が、その裏で別れたはずの側室にこまめに手紙を書いていたなんて、意味がわからない。
「万一、人目に触れたときのことを考えて、恋文は宛名を書かないものですわ……是非、姫様もご覧になってくださいませ」
サウラは得意そうに語るが、アデライードは夫からの恋文だというその尺牘を見ても、表情一つ変えず、興味もないのか手も出さなかった。アデライードは金色の睫毛にけぶる翡翠色の瞳を、そんなものをわざわざ見せに来たのか、と不思議そうに眇めるだけだ。
「しかし、宛名もない手紙など、偽造もたやすそうですな。筆跡など、いくらでも真似できますし」
エンロンも尺牘を摘まみあげて言う。
「なっ……この木っ端役人が無礼な! 正真正銘、殿下のお手蹟です!」
「それに、やたら相手を心配しているだけで、愛してるなんて、一言も書いてありませんな。正直、恋文にしては、色気がない。病気の乳母とか、使用人宛ての手紙と言われても、納得してしまいそうだ」
サウラが色を生して反論するのに、エンロンが詰まらなそうに言う。
そのやり取りを聞きながら、メイローズも思い起こす。半年近く聖地でアデライードの側近く仕えるうち、恭親王からは贈り物とともに幾度も手紙が来た。だが、それはこんな尺牘ではなくて、東方の紙か羊皮紙のカードかに、ペンで横書きに書いてあった。ダルバンダルあたりを境に、東は毛筆で縦書きに、西はペンで横書きにする。紙の質も、ソリスティアにあるものは、多くがペン書きに適したもので、毛筆書きに適した手漉き紙はあまり流通していない。恭親王もソリスティアでは、正式な書簡と署名は毛筆で縦書きにするが、普段の文書はもっぱらペンで横書きだ。
サウラの手紙はすべて手漉き紙に縦書きだが、この走り書きのために手漉き紙を準備し、毛筆で書くだろうか。そもそもこの楮を使った紙自体、ソリスティアでは貴重で、相当に高価である。
(これは、ソリスティアで書かれたものではないのでは――)
サウラの妊娠について知らされた恭親王はまさに青天の霹靂といった様子で狼狽していた。サウラのことなど、すっかり忘れていたとしか思えない。ただ、エンロンはああ言ったが、この手蹟は間違いなく、恭親王のものだ。
(ならば、この手紙は何だ……)
メイローズは尺牘を一つ手に取り、じっと見る。その時、メイローズの背後に控えていたシャオトーズが、微かに息を飲んだ。シャオトーズはこれに見覚えがあるのだ。
メイローズは、シャオトーズが言っていた、レイナの紛失した手紙のことを思い出した。
(……殿下が、南方の戦地からレイナ様に送った手紙……)
メイローズが知る限り、恭親王がアデライード以外に唯一、心を留めた女。以前の正室には指一本触れなかった彼が、傍目には眩しいほどに寵愛していた女。辺境の子爵の娘で、秀女上がりと蔑まれる彼女を、かつての主は必死で庇っていた。真実の心はただ一人、あの指輪の持ち主に捧げ、叶わぬ恋に殉じるつもりだった彼の、絶望の日々を支えた偽りの寵姫。
そう思って読み返せば、そこに書かれているのは帝都の邸で不安な日々をすごすレイナに対する、残酷な優しさだけで、恋情のかけらもなかった。――つまりこれは、真実愛されることはなかった不幸な彼女に捧げられた、主のなけなしの誠意なのだ。
(それを、こんな風に使って、わが主とアデライード姫の間に、隙間風と吹き込もうとするなんて……!)
しかし、こんな尺牘でアデライードが恭親王の恋情を疑うことはありえない。アデライードの銀の〈王気〉に絡みつき、片時も離れまいと執着する恭親王の金の〈王気〉が、メイローズにもアデライード本人にも、はっきりと視えているのだから。
サウラの目論見はあまりに狡猾で、そして滑稽だった。
(だが、こんなことのために、わざわざソリスティアまで?)
メイローズが眉を顰めたその時。
ガシャーン!と何かが割れる音がして、サウラが苦しそうに腹を抱えて低く呻いた。その足元には茶杯が落ちて割れ、お茶が絨毯を濡らしている。
「サウラ様っ!どうなさったのです?!」
「……お、お腹……が……」
「大丈夫ですか?姫様、しっかりなさって!」
血相を変えてサウラを取り囲む侍女と産婆に、ミハルが眉を顰める。
「身体が大儀ならばとっととお帰りになればよろしかったのに。人騒がせですこと!」
「もしや!お茶に何か入れたのではないでしょうね! 姫様が殿下の初めての御子を身ごもっておられるからって……」
詰る侍女と産婆に、メイローズが言い切る。
「アデライード姫と同じ茶壷のものをお出しして、私が毒見したのを、あなたがたもその目で見たでしょう」
「アデライード姫もあなたも、身ごもっているわけではないでしょう! 妊婦にだけ害のあるものかもしれない! 〈聖婚〉の王女だとか、清純そうな見かけの裏で、なんてひどいことを!」
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