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5、言葉で言わなきゃ
言葉で言わなきゃ
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「……本当に、殿下、最低です……」
物堅い兄バランシュの下で清廉に育ってきたリリアも、アデライードに仕えたこの半年でかなりの耳年増になったが、それでも恭親王の麗しい見かけと残念な中身のギャップには、まだ慣れないらしい。スルヤに至っては人妻の落ち着きか、恭親王のことなど軽く無視して、アデライードに夜着を着せ、毛織のショールを羽織らせている。――総督府の主は恭親王であるが、少なくともアデライードの部屋においては、アデライードに纏わりつくハエと同じくらいの扱いしか、してもらえない。
そんな憐れな恭親王に、唯一救いの手を差し伸べるのは、やはり愛しい妻であるアデライードであった。
「もう、いいのよ、アンジェリカ。殿下も悪気はないと思うし。……この後、わたしは殿下に言わなきゃいけないことがあるから、もう、あなたたちは下がっていいわ」
「そうでした! 姫様、いよいよですね! 今日こそ、殿下をコテンパンのギッタンギッタンにしてやってくださいよ! 応援してますからね!」
アンジェリカがぐっと拳を握りしめ、「気合いですよ、気合いだー!」と謎のエールをアデライードに贈っているが、しかしアデライードは困ったように首を傾げている。
(コテンパンのギッタンギッタンって……そんなにアデライードは激怒していたのか……)
今夜は一晩中、土下座で説教を聞く覚悟が必要らしい、と恭親王は内心怯えるが、アデライードは「コテンパン」と「ギッタンギッタン」の意味が理解できずに、眉尻を下げて困惑するばかりだ。――そう、同世代の者との会話経験が圧倒的に足りないアデライードは、擬態語の語彙が少ないのだ。
そしてリリアがアデライードのために温かい香草茶を淹れ、スルヤが恭親王のために温めた赤葡萄酒を用意して、騒がしい女たちはようやくアデライードの部屋を後にした。
ほぼ丸一日ぶりに、恭親王はアデライードと二人きりで向き合うことができたのである。
寝台の上に並んで腰を下ろし、だが二人とも緊張して下を向いていた。
「その……」
「あの……」
同時に言いかけて、はっとしてお互いに顔を見合わせる。
「あ、その……アデライードから、言うか? 私にその、言いたいことがあるのだろう。あなたが無口なことに甘えて、私も少し気づかいが足りなかった。覚悟を決めて聞くから……」
恭親王に言われ、アデライードはあたふたする。
先ほどの姦しい騒ぎで、もはや自分が何に怒っていたのか、アデライードは忘れかけていた。
(そうよね、怒っていたのは、本当なのだから……い、言わないきゃ。アンジェリカも、伯父様も、言う時はちゃんと口で言わないと、っておっしゃってたし)
アデライードはすうっと息を吸い込み、背筋を伸ばした。
「で、では……その、今日という今日は、言わせていただきます……」
こほん、と軽く咳払いして、アデライードは重々しく宣言した。
「……ガ、ガツン!」
「……は?」
ものすごい罵詈雑言も甘んじて受けるつもりで、覚悟して項垂れていた恭親王が、思いっきり不思議そうな顔でアデライードを見上げる。
「あ、あれ?……通じない?……えっと、だから、ガツンっ!ガツンなんですってば!」
アデライードが慌てて「ガツン、ガツン」と繰り返すが、恭親王はただポカンとして、アデライードの顔を穴が開くほど見つめるだけだ。
「アデライード……いったいどうしたんだ?……ガツンって、いったい何の呪文だ?」
「あれっ?だって、アンジェリカも、イスマニヨーラ伯父様も、怒っているときは、ガツンと言えって!」
次の瞬間、それこそ腹筋が捩れるほど恭親王が爆笑したのは言うまでもない。
物堅い兄バランシュの下で清廉に育ってきたリリアも、アデライードに仕えたこの半年でかなりの耳年増になったが、それでも恭親王の麗しい見かけと残念な中身のギャップには、まだ慣れないらしい。スルヤに至っては人妻の落ち着きか、恭親王のことなど軽く無視して、アデライードに夜着を着せ、毛織のショールを羽織らせている。――総督府の主は恭親王であるが、少なくともアデライードの部屋においては、アデライードに纏わりつくハエと同じくらいの扱いしか、してもらえない。
そんな憐れな恭親王に、唯一救いの手を差し伸べるのは、やはり愛しい妻であるアデライードであった。
「もう、いいのよ、アンジェリカ。殿下も悪気はないと思うし。……この後、わたしは殿下に言わなきゃいけないことがあるから、もう、あなたたちは下がっていいわ」
「そうでした! 姫様、いよいよですね! 今日こそ、殿下をコテンパンのギッタンギッタンにしてやってくださいよ! 応援してますからね!」
アンジェリカがぐっと拳を握りしめ、「気合いですよ、気合いだー!」と謎のエールをアデライードに贈っているが、しかしアデライードは困ったように首を傾げている。
(コテンパンのギッタンギッタンって……そんなにアデライードは激怒していたのか……)
今夜は一晩中、土下座で説教を聞く覚悟が必要らしい、と恭親王は内心怯えるが、アデライードは「コテンパン」と「ギッタンギッタン」の意味が理解できずに、眉尻を下げて困惑するばかりだ。――そう、同世代の者との会話経験が圧倒的に足りないアデライードは、擬態語の語彙が少ないのだ。
そしてリリアがアデライードのために温かい香草茶を淹れ、スルヤが恭親王のために温めた赤葡萄酒を用意して、騒がしい女たちはようやくアデライードの部屋を後にした。
ほぼ丸一日ぶりに、恭親王はアデライードと二人きりで向き合うことができたのである。
寝台の上に並んで腰を下ろし、だが二人とも緊張して下を向いていた。
「その……」
「あの……」
同時に言いかけて、はっとしてお互いに顔を見合わせる。
「あ、その……アデライードから、言うか? 私にその、言いたいことがあるのだろう。あなたが無口なことに甘えて、私も少し気づかいが足りなかった。覚悟を決めて聞くから……」
恭親王に言われ、アデライードはあたふたする。
先ほどの姦しい騒ぎで、もはや自分が何に怒っていたのか、アデライードは忘れかけていた。
(そうよね、怒っていたのは、本当なのだから……い、言わないきゃ。アンジェリカも、伯父様も、言う時はちゃんと口で言わないと、っておっしゃってたし)
アデライードはすうっと息を吸い込み、背筋を伸ばした。
「で、では……その、今日という今日は、言わせていただきます……」
こほん、と軽く咳払いして、アデライードは重々しく宣言した。
「……ガ、ガツン!」
「……は?」
ものすごい罵詈雑言も甘んじて受けるつもりで、覚悟して項垂れていた恭親王が、思いっきり不思議そうな顔でアデライードを見上げる。
「あ、あれ?……通じない?……えっと、だから、ガツンっ!ガツンなんですってば!」
アデライードが慌てて「ガツン、ガツン」と繰り返すが、恭親王はただポカンとして、アデライードの顔を穴が開くほど見つめるだけだ。
「アデライード……いったいどうしたんだ?……ガツンって、いったい何の呪文だ?」
「あれっ?だって、アンジェリカも、イスマニヨーラ伯父様も、怒っているときは、ガツンと言えって!」
次の瞬間、それこそ腹筋が捩れるほど恭親王が爆笑したのは言うまでもない。
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