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1、女王の器
女王の器
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「冬至の夜以来、何か卑屈になっているようだが、姫様は被害者じゃない。大義名分は、むしろアデライード姫にあるんだ。姫様は、それを自覚するべきだ」
「……自覚……?」
「姫様は自身のこれまでの生き様に恥じるところはなく、正しい道を信じて歩いてきたのだろうが、立場を変えれば見え方も異なる。少なくともアデライード姫から見れば、まず初めに彼女から奪ったのは我々イフリート側の人間だ」
「アデライードから……奪った……」
「姫様にはその自覚すらなかったのだろう。聖地に閉じこもってナキアには不在の、名ばかりの王女のことなど、普段は思い出すことすらしなかった。――姫様に悪気がないのは我々は知っているが、彼女に恨まれていると思い到らないのは問題だ」
アルベラには、アデライードから奪ったつもりなどなかった。むしろ、彼女の母ユウラに女王の位を奪われたかのように思っていた。――ユウラが自ら望んで女王位に就いたわけではないと、知っていたにもかかわらず。
「以前――公爵閣下が姫様に女王になる覚悟があるかと、問うたことがあったが、憶えているか?」
テセウスに真っ直ぐ見つめられ、アルベラもまた、涙で濡れた頬を拭うこともせず、潤んだ翡翠色の瞳で見つめ返す。
「憶えているわ。――手を血塗れにしても、女王になる覚悟があるのかって」
「つまり、悪役になれということだ。正道を歩むのではなく、それが邪な道であるとわかっていても、敢えてその道を辿る覚悟があるのか。――天と陰陽に背いても、自分の信じた道を進む覚悟があるのか」
アルベラは翡翠色の瞳を見開いた。
「祖国への愛、民草への思いやり。言葉は美しいが、要はきれいごとだ。〈王気〉のない姫様が即位するということは、二千年におよぶ、龍種による支配を断ち切ることだ。天と陰陽と、〈禁苑〉の教えに、反旗を翻すことだ。――以前から、俺はそのことを姫様が自覚していないことが、とても危ういと思っていた。そして同時に、公爵閣下が、なぜ、頑なに姫様の即位に拘るのか、理解できないと思っていた。贔屓目かもしれないが、姫様は、たしかに女王の器があると、俺は思う。だが、天と陰陽に反逆を企てるほどの器とまでは、思えない」
テセウスの冷静な言葉は、アルベラの心を酷く抉った。
「聖地に籠っていたアデライード姫にも、女王の器はないだろう。だが、少なくとも彼女には〈王気〉がある。女王になるべき〈龍種〉の証を持ち、天と陰陽の加護と〈禁苑〉の承認がある。――さらに、東の帝国の後ろ盾も得た。アデライード姫は弱くて無力だが、その夫である〈狂王〉は違う。彼は、武力を用いることを、何とも思っていないだろうからな。――ナキアを、この国を、焼き払うのに躊躇はしないだろう」
西の国にも騎士もいれば軍隊もあるが、その練度は東の騎士に大きく劣ると言われている。何しろ、東の多くいる皇子たちはいずれも軍人だ。また封建領主の力の強い西と異なり、強力な中央集権的な皇帝一元支配体制を布いていて、軍隊は鉄の結束を誇る。一方の西は、各諸侯軍の寄せ集めで、いとも容易く裏切るであろう。
「戦争になったら、勝ち目がないわ」
「まともに戦ったらそうだろうな。今まではまだ、〈聖婚〉が成立していなかったから、帝国の皇子である総督が軍を動かす大義名分はなかったが、正式に王女の夫となった以上、いつ仕掛けてきても不思議はない。しかも、〈狂王〉は相当にえげつない性格をしているらしいからな。帝国南方の異民族叛乱を討伐した際は、五つの街が焦土と化したと聞いている。ナキア近郊を根こそぎ焼き払うぐらいはやりかねん」
アルベラは蒼白になって唇を噛んだ。
「……戦争を、避けることはできないの?」
「〈狂王〉の出方次第だな。〈聖剣〉の出現は戦乱の予兆だ。それが〈狂王〉の手にある」
アルベラはストロベリー・ブロンドの髪を振り乱し、叫んだ。
「ナキアを焼き払うなんて! そんなことさせないわ! 絶対に!」
「ならば、考えるんだ。自分の取るべき道を。姫様が本当に守りたいものは何か。被害者ぶっているだけでは、このまま〈狂王〉に薙ぎ払われて終わりだ」
「……まさか、王位をアデライードに譲れっていうの?」
アルベラの声が震える。最も身近に仕えるテセウスすら、彼女の即位を望まないと言うのか。
「そんなことは言っていない。天と陰陽に背く覚悟もなく、所与のものとして女王位を望むのは、間違っていると言いたいだけだ。閣下が、〈禁苑〉からの破門もやむを得ないと覚悟しているのは、姫様が女王になることの意味を理解しているからだ。おそらく……閣下はすでに動いている。何か、奇策があるのかもしれない」
「……奇策?」
アルベラの問いに、テセウスはようやく、薄く微笑んだ。
「姫様がどの道を選んでも、俺はそれに従う。最後まで。……シリルもそうだろう」
横でシリルが頷く。
「でも、このまま自分だけが正しいと思い込んで突き進めば、傷つくのは姫様自身だ。閣下は自ら手を汚し、天と陰陽に背く覚悟を決めているが、姫様をどこまで守るつもりかは、俺にはわからない。――おそらく、今回の〈聖婚〉に〈狂王〉が選ばれたのは、アデライード姫を守る汚れ役を引き受けるためだ。とっくに覚悟を決めている男と、無自覚な姫様では、勝負にならない。閣下の足を引っ張りたくなければ、覚悟を決めるか、早々に勝負から降りるべきだ」
テセウスが遠回しに、女王位を諦めてもいい、と言っているのがわかり、アルベラは胸が軋むように痛んだ。
〈王気〉――。〈王気〉さえあれば、自分は文句もつけようもない女王だったのに。
どうして自分には〈王気〉がないのか――。
どうして、アデライードには、それがあるのか――。
九歳のあの日、女王位認証官の女神官によって〈王気〉がないと認定されて以来、女王に相応しくないと断言されて以来、幾度も繰り返した問い。
屈辱と、哀しみと、劣等感と。どうしても感じてしまうアデライードへの負い目。
〈王気〉もなく、神器すら敵方の手にある今、アルベラは何をすべきなのか。
国を、人々を守るために、自分が取るべき道は何か。アルベラはただ、唇を噛みしめてテセウスを見つめていた。
「……自覚……?」
「姫様は自身のこれまでの生き様に恥じるところはなく、正しい道を信じて歩いてきたのだろうが、立場を変えれば見え方も異なる。少なくともアデライード姫から見れば、まず初めに彼女から奪ったのは我々イフリート側の人間だ」
「アデライードから……奪った……」
「姫様にはその自覚すらなかったのだろう。聖地に閉じこもってナキアには不在の、名ばかりの王女のことなど、普段は思い出すことすらしなかった。――姫様に悪気がないのは我々は知っているが、彼女に恨まれていると思い到らないのは問題だ」
アルベラには、アデライードから奪ったつもりなどなかった。むしろ、彼女の母ユウラに女王の位を奪われたかのように思っていた。――ユウラが自ら望んで女王位に就いたわけではないと、知っていたにもかかわらず。
「以前――公爵閣下が姫様に女王になる覚悟があるかと、問うたことがあったが、憶えているか?」
テセウスに真っ直ぐ見つめられ、アルベラもまた、涙で濡れた頬を拭うこともせず、潤んだ翡翠色の瞳で見つめ返す。
「憶えているわ。――手を血塗れにしても、女王になる覚悟があるのかって」
「つまり、悪役になれということだ。正道を歩むのではなく、それが邪な道であるとわかっていても、敢えてその道を辿る覚悟があるのか。――天と陰陽に背いても、自分の信じた道を進む覚悟があるのか」
アルベラは翡翠色の瞳を見開いた。
「祖国への愛、民草への思いやり。言葉は美しいが、要はきれいごとだ。〈王気〉のない姫様が即位するということは、二千年におよぶ、龍種による支配を断ち切ることだ。天と陰陽と、〈禁苑〉の教えに、反旗を翻すことだ。――以前から、俺はそのことを姫様が自覚していないことが、とても危ういと思っていた。そして同時に、公爵閣下が、なぜ、頑なに姫様の即位に拘るのか、理解できないと思っていた。贔屓目かもしれないが、姫様は、たしかに女王の器があると、俺は思う。だが、天と陰陽に反逆を企てるほどの器とまでは、思えない」
テセウスの冷静な言葉は、アルベラの心を酷く抉った。
「聖地に籠っていたアデライード姫にも、女王の器はないだろう。だが、少なくとも彼女には〈王気〉がある。女王になるべき〈龍種〉の証を持ち、天と陰陽の加護と〈禁苑〉の承認がある。――さらに、東の帝国の後ろ盾も得た。アデライード姫は弱くて無力だが、その夫である〈狂王〉は違う。彼は、武力を用いることを、何とも思っていないだろうからな。――ナキアを、この国を、焼き払うのに躊躇はしないだろう」
西の国にも騎士もいれば軍隊もあるが、その練度は東の騎士に大きく劣ると言われている。何しろ、東の多くいる皇子たちはいずれも軍人だ。また封建領主の力の強い西と異なり、強力な中央集権的な皇帝一元支配体制を布いていて、軍隊は鉄の結束を誇る。一方の西は、各諸侯軍の寄せ集めで、いとも容易く裏切るであろう。
「戦争になったら、勝ち目がないわ」
「まともに戦ったらそうだろうな。今まではまだ、〈聖婚〉が成立していなかったから、帝国の皇子である総督が軍を動かす大義名分はなかったが、正式に王女の夫となった以上、いつ仕掛けてきても不思議はない。しかも、〈狂王〉は相当にえげつない性格をしているらしいからな。帝国南方の異民族叛乱を討伐した際は、五つの街が焦土と化したと聞いている。ナキア近郊を根こそぎ焼き払うぐらいはやりかねん」
アルベラは蒼白になって唇を噛んだ。
「……戦争を、避けることはできないの?」
「〈狂王〉の出方次第だな。〈聖剣〉の出現は戦乱の予兆だ。それが〈狂王〉の手にある」
アルベラはストロベリー・ブロンドの髪を振り乱し、叫んだ。
「ナキアを焼き払うなんて! そんなことさせないわ! 絶対に!」
「ならば、考えるんだ。自分の取るべき道を。姫様が本当に守りたいものは何か。被害者ぶっているだけでは、このまま〈狂王〉に薙ぎ払われて終わりだ」
「……まさか、王位をアデライードに譲れっていうの?」
アルベラの声が震える。最も身近に仕えるテセウスすら、彼女の即位を望まないと言うのか。
「そんなことは言っていない。天と陰陽に背く覚悟もなく、所与のものとして女王位を望むのは、間違っていると言いたいだけだ。閣下が、〈禁苑〉からの破門もやむを得ないと覚悟しているのは、姫様が女王になることの意味を理解しているからだ。おそらく……閣下はすでに動いている。何か、奇策があるのかもしれない」
「……奇策?」
アルベラの問いに、テセウスはようやく、薄く微笑んだ。
「姫様がどの道を選んでも、俺はそれに従う。最後まで。……シリルもそうだろう」
横でシリルが頷く。
「でも、このまま自分だけが正しいと思い込んで突き進めば、傷つくのは姫様自身だ。閣下は自ら手を汚し、天と陰陽に背く覚悟を決めているが、姫様をどこまで守るつもりかは、俺にはわからない。――おそらく、今回の〈聖婚〉に〈狂王〉が選ばれたのは、アデライード姫を守る汚れ役を引き受けるためだ。とっくに覚悟を決めている男と、無自覚な姫様では、勝負にならない。閣下の足を引っ張りたくなければ、覚悟を決めるか、早々に勝負から降りるべきだ」
テセウスが遠回しに、女王位を諦めてもいい、と言っているのがわかり、アルベラは胸が軋むように痛んだ。
〈王気〉――。〈王気〉さえあれば、自分は文句もつけようもない女王だったのに。
どうして自分には〈王気〉がないのか――。
どうして、アデライードには、それがあるのか――。
九歳のあの日、女王位認証官の女神官によって〈王気〉がないと認定されて以来、女王に相応しくないと断言されて以来、幾度も繰り返した問い。
屈辱と、哀しみと、劣等感と。どうしても感じてしまうアデライードへの負い目。
〈王気〉もなく、神器すら敵方の手にある今、アルベラは何をすべきなのか。
国を、人々を守るために、自分が取るべき道は何か。アルベラはただ、唇を噛みしめてテセウスを見つめていた。
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