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1、女王の器
〈禁苑〉の走狗
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明確に告げられた事実に、アルベラは血が出そうなほど唇を噛みしめた。
「暗殺なんて、そんなっ! わたしは、別に彼女を殺したいなんて思ってないわ!」
「イフリート公爵は殺すつもりだったろう。――現に、聖地にも刺客を送って、彼女と総督を殺そうとした」
「そんなのっ! お父様がそんなこと、なさるはずがないわ! それも月蝕祭の時にだなんて、言いがかりよ!」
アルベラが叫んだ。数か月前、王女と総督の暗殺未遂を理由に、イフリート家は〈禁苑〉から破門を突き付けられたのだ。
「残念ながら、実際に総督ら一行を襲撃した者には、あの時ギュスターブ公子の護衛として聖地入りしていた騎士がいたのだ。よってギュスターブ殿の断罪は避けられぬし、イフリート家としても無関係とは言い切れぬ」
イフリート公爵ウルバヌスは、全てを息子ギュスターブの仕業と押し付け、さらに〈禁苑〉に対して巨額の寄付を行うことで、辛うじて一族全ての破門を切り抜けた。今はまだ、〈禁苑〉との全面対決は時期尚早だという、ウルバヌスの判断である。ギュスターブの行方は捜索中だが、杳として知れない。
暗殺に関与していないアルベラとしては、異母兄のギュスターブの軽挙が、イフリート家全体を破門の危機に陥れたという気分だったが、父のウルバヌスやアルベラが無関係ではないと思われても致し方ない。
「でも……お父様は……」
圧倒的に不利な状況証拠に、アルベラは悔し涙を浮かべ、それでも父を信じていた。
父は、高潔な人だ。
常に、国と民のことを考えている。確かに、父はアルベラを即位させるためには、アデライードの暗殺も辞さないと言っていた。権力のためじゃない。国と、民のためだ。この国を〈禁苑〉や東の帝国の自由にさせるわけにいかない。でも、神聖な月蝕祭の最中に刺客を放つなんて、そんな卑怯なことを、父がするとはどうしても思えなかった。
「アルベラは、自分の父上だからそんな風に思うのだろうけど、アデライード姫にとって、イフリート公爵は命を狙ってくる怖い人にしか思えないだろうよ」
シリルは枯草色の髪を振りながら、アルベラに言った。
「お父様は、……私利私欲のためにわたしの即位を要求しているわけじゃないわ。わたしだって、彼女が女王に相応しいのなら……でも、ずっと〈聖地〉で飼われて〈禁苑〉の犬になりさがったあの子に、女王なんて務まるわけないじゃない!」
アルベラは十年前に一度だけ見た、妖精のような幼い従妹の姿を思い浮かべる。儚げで可憐で、今にも背中に羽根が生えて飛んでいってしまいそうだった。聖地で、俗世と無関係に育てられ、きっといまだに無垢で幼いままに違いない。よき女王たるべしと、常に努力してきたアルベラからすれば、十年間遊び暮らしてきた女に、女王位を掻っ攫われるなんて、許し難かった。
それも、〈禁苑〉の言うままに東の皇子を夫に迎え、その武力を押し立てる形で。――〈狂王〉〈処女殺し〉と言われる、歪んだ性癖の男に純潔を捧げるその代償として、祖国の玉座を要求したのだ。
シリルの持ち込んだ細密画を見るまでは、アルベラもどこかで、アデライードは〈禁苑〉の駒として、〈狂王〉に捧げられた憐れな生贄だと同情していたのだ。カンダルハルの港まで続く松明のリレーを遠く見て、女王国の高貴な王女が、獣のような〈狂王〉に蹂躙されたのだと、自身の身に引き比べて恐怖に震えていた。
だが――〈聖婚図〉に描かれた一対の恋人たちは、アルベラの同情心を打ち砕き、嘲笑うかのように幸福そうに微笑んでいる。
どこから見ても非の打ち所のない二人が、さらに武力を持って西の女王位を要求する。〈禁苑〉の庇護と帝国の後ろ盾をこれ見よがしにちらつかせて、アルベラから全てを奪おうとする。
王位も。国も。アルベラと父の、夢も。
何の、ために――?
アデライードはこの国がどうなってもいいというの?
二千年間、先祖が守ってきた国の独立と尊厳をいとも簡単に譲り渡し、彼女は何を求めているというの――?
女王は、〈王気〉を持つ龍種でなければならない。これは、二千年来の大原則だ。それを曲げて、アルベラ、あなたを女王にしようというのだ。はっきり言えば、非はこちらにある」
テセウスの非情な言葉に、アルベラはついに決壊した。
「〈王気〉――!〈王気〉がなんだって言うの! もうたくさん! あたしだって、好きで〈王気〉を持たずに生まれたわけじゃないわ!そんな、どうにもならないこと、もうたくさん――!」
ぶわっとこみ上げる涙を拭うこともせずにぶちまけるアルベラに、テセウスとシリルは慌てもせずになおも言った。
「わかっているよ、アルベラ。でも逆に言えば、アデライード姫だって好きで〈王気〉を持って生まれたわけじゃないって言うだろうさ。――そのおかげで、たった六歳で母親と引き離され、死に目はおろか、葬儀にも出られず、命を狙われて、東の皇子と結婚させられたんだよ。たまたま、その皇子が男前だっただけで」
「シリルの言う通りだ。だから、被害者ぶるのはやめろ」
二人に言われて、アルベラははっとした。
「暗殺なんて、そんなっ! わたしは、別に彼女を殺したいなんて思ってないわ!」
「イフリート公爵は殺すつもりだったろう。――現に、聖地にも刺客を送って、彼女と総督を殺そうとした」
「そんなのっ! お父様がそんなこと、なさるはずがないわ! それも月蝕祭の時にだなんて、言いがかりよ!」
アルベラが叫んだ。数か月前、王女と総督の暗殺未遂を理由に、イフリート家は〈禁苑〉から破門を突き付けられたのだ。
「残念ながら、実際に総督ら一行を襲撃した者には、あの時ギュスターブ公子の護衛として聖地入りしていた騎士がいたのだ。よってギュスターブ殿の断罪は避けられぬし、イフリート家としても無関係とは言い切れぬ」
イフリート公爵ウルバヌスは、全てを息子ギュスターブの仕業と押し付け、さらに〈禁苑〉に対して巨額の寄付を行うことで、辛うじて一族全ての破門を切り抜けた。今はまだ、〈禁苑〉との全面対決は時期尚早だという、ウルバヌスの判断である。ギュスターブの行方は捜索中だが、杳として知れない。
暗殺に関与していないアルベラとしては、異母兄のギュスターブの軽挙が、イフリート家全体を破門の危機に陥れたという気分だったが、父のウルバヌスやアルベラが無関係ではないと思われても致し方ない。
「でも……お父様は……」
圧倒的に不利な状況証拠に、アルベラは悔し涙を浮かべ、それでも父を信じていた。
父は、高潔な人だ。
常に、国と民のことを考えている。確かに、父はアルベラを即位させるためには、アデライードの暗殺も辞さないと言っていた。権力のためじゃない。国と、民のためだ。この国を〈禁苑〉や東の帝国の自由にさせるわけにいかない。でも、神聖な月蝕祭の最中に刺客を放つなんて、そんな卑怯なことを、父がするとはどうしても思えなかった。
「アルベラは、自分の父上だからそんな風に思うのだろうけど、アデライード姫にとって、イフリート公爵は命を狙ってくる怖い人にしか思えないだろうよ」
シリルは枯草色の髪を振りながら、アルベラに言った。
「お父様は、……私利私欲のためにわたしの即位を要求しているわけじゃないわ。わたしだって、彼女が女王に相応しいのなら……でも、ずっと〈聖地〉で飼われて〈禁苑〉の犬になりさがったあの子に、女王なんて務まるわけないじゃない!」
アルベラは十年前に一度だけ見た、妖精のような幼い従妹の姿を思い浮かべる。儚げで可憐で、今にも背中に羽根が生えて飛んでいってしまいそうだった。聖地で、俗世と無関係に育てられ、きっといまだに無垢で幼いままに違いない。よき女王たるべしと、常に努力してきたアルベラからすれば、十年間遊び暮らしてきた女に、女王位を掻っ攫われるなんて、許し難かった。
それも、〈禁苑〉の言うままに東の皇子を夫に迎え、その武力を押し立てる形で。――〈狂王〉〈処女殺し〉と言われる、歪んだ性癖の男に純潔を捧げるその代償として、祖国の玉座を要求したのだ。
シリルの持ち込んだ細密画を見るまでは、アルベラもどこかで、アデライードは〈禁苑〉の駒として、〈狂王〉に捧げられた憐れな生贄だと同情していたのだ。カンダルハルの港まで続く松明のリレーを遠く見て、女王国の高貴な王女が、獣のような〈狂王〉に蹂躙されたのだと、自身の身に引き比べて恐怖に震えていた。
だが――〈聖婚図〉に描かれた一対の恋人たちは、アルベラの同情心を打ち砕き、嘲笑うかのように幸福そうに微笑んでいる。
どこから見ても非の打ち所のない二人が、さらに武力を持って西の女王位を要求する。〈禁苑〉の庇護と帝国の後ろ盾をこれ見よがしにちらつかせて、アルベラから全てを奪おうとする。
王位も。国も。アルベラと父の、夢も。
何の、ために――?
アデライードはこの国がどうなってもいいというの?
二千年間、先祖が守ってきた国の独立と尊厳をいとも簡単に譲り渡し、彼女は何を求めているというの――?
女王は、〈王気〉を持つ龍種でなければならない。これは、二千年来の大原則だ。それを曲げて、アルベラ、あなたを女王にしようというのだ。はっきり言えば、非はこちらにある」
テセウスの非情な言葉に、アルベラはついに決壊した。
「〈王気〉――!〈王気〉がなんだって言うの! もうたくさん! あたしだって、好きで〈王気〉を持たずに生まれたわけじゃないわ!そんな、どうにもならないこと、もうたくさん――!」
ぶわっとこみ上げる涙を拭うこともせずにぶちまけるアルベラに、テセウスとシリルは慌てもせずになおも言った。
「わかっているよ、アルベラ。でも逆に言えば、アデライード姫だって好きで〈王気〉を持って生まれたわけじゃないって言うだろうさ。――そのおかげで、たった六歳で母親と引き離され、死に目はおろか、葬儀にも出られず、命を狙われて、東の皇子と結婚させられたんだよ。たまたま、その皇子が男前だっただけで」
「シリルの言う通りだ。だから、被害者ぶるのはやめろ」
二人に言われて、アルベラははっとした。
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