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第五章 〈真実〉か、〈死〉か
激昂
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議会の開催されるシェリンガム宮殿は、ランド川の畔にある。
俺は議員ではないから、議会に押し掛けても中に入れない――無理を言えば入れてもらえるかもしれないが、押し入ったところで何もできないだろう。俺は議員のジジイどものやり取りに興味もなかったから、今まで一度も、議会には足を踏み入れたことがない。
だから、俺は議会から道一つ隔てた、王宮に向かった。父上から事情を聴き、ことと場合によっては首謀者を張り倒してやる、そんな気分だった。
俺が王宮に乗り付ければ、侍従のジョナサンがバッジを示し、衛兵が敬礼して中に導き入れられる。
真紅の絨毯の上を荒々しい足取りで進むと、国王の小姓が向こうから速足にやってきた。
「アルバート殿下、国王陛下におかれましては――」
「すぐに取り次いでくれ」
「少々お待ちを。本日はお体の具合がよろしくなくて」
「叩き起こせ!」
「殿下、陛下のお体には休息が必要なのです」
「なら、勝手に俺の婚約を議会にかけた馬鹿野郎を殺しに行くだけだ!」
「バーティ!」
背後から声をかけられ、振り返れば兄上がフロックコートの裾をなびかせながら小走りにやってきた。
「落ち着け、全部丸聞こえだ!」
「うるさい、今日という今日は我慢ならん! 全部ぶち壊してやる!」
「バーティ!」
兄上が止めたところで、父上の居間の方から、王室長官がやってきた。
「アルバート殿下、国王陛下がお会いになるそうです」
俺が父上の居間に入ると、父上は毛織のガウンを着て、寝椅子に腰かけていた。ついていた侍医が、俺の耳元で小声で言う。
「あまり長時間は困ります」
俺は手を振って侍医を追い払うと、父上に言った。
「どういうことです? 俺は婚約を了承していない。勝手に議会にかけるなんて!」
「ウォルシンガムが先走ったのだ」
「ウォルシンガム?」
首相のバーソロミュー・ウォルシンガムは、確かに姪のステファニーを溺愛しているけれど、そこまで俺との結婚を推しているわけじゃないと思っていたのに。
兄上が俺を椅子に座らせ、自分も座って言った。
「グリージャが、きな臭いのだ」
「グリージャ? なんだ、グリージャに何の関係が……」
「グリージャのアーダルベルト王太子を廃嫡にして、妹のエヴァンジェリア王女を女王に推戴する動きがある。その王配の候補にお前が上がっている」
「は?」
兄上の説明に、俺は一瞬、虚を衝かれる。意味がわからなかった。
「なんで俺がグリージャ女王の王配に……?」
いったい何の冗談だ。
「我が国の継承すら危ういのに、外国に貴重な王子を差し出している場合じゃない。父上はすぐに断った。――お前が帰国次第、ステファニー嬢と婚約させるつもりだったし。が、お前が婚約を渋ったために、いったん諦めたかに見えた、親グリージャ派が再び動き始めた。我が国としてはグリージャの内政に容喙するつもりはないと表明するためにも、お前の婚約が必要だとウォルシンガムが――」
ドン!
と俺は思わず、脇のテーブルに拳を叩きつけていた。
「ふざけるな!」
「バーティ! 父上の御前だ、落ち着け」
「これが落ち着けるか! 俺は前から、他に結婚したい相手がいると言ってる! それを無視してステファニーとの婚約を強行する理由がそれかよ! 俺を何だと思ってる! そんなに俺の人生をおもちゃにしたいなら、案山子の額にでも『バーティ』って書いとけよ! 俺はこの世から消えてやるから!」
俺が怒り狂って叫べば、父上は青い顔で額に手をかざす。
「……アルバート……落ち着け」
「落ち着けません! だいたい、婚約を許す勅書など、いつ出されたものなのです! 俺は承諾していない!」
父上が弱弱しい声で言う。
「六月の――そなたが帰還する直前に、セオドアに言われて、詔勅にサインはした。だが、議会に提出するには、本人の自筆の承諾書がいるはずで……」
「私とブリジットの時はそれを提出しました」
兄上も言う。
「だが、それは絶対じゃない。王子の婚約などそうそうあるわけじゃないから、議長も故事に通じていない。――今のサンダース議長は昨年、議長になったばかりだから……」
「まさか通ってしまうなんてことは――」
「問題なく通過するでしょうな」
背後に控えていた王室長官が言う。
「議会の承認を得られれば、この後は結婚式の日取り、予算の算定に入り、閣議決定の後、予算の承認をもう一度かけることになります。普通は一年ほどの準備を見込みますが、実は、殿下の帰国直後から日程その他の調整は進んでおりまして、ウォルシンガム卿は四月には挙式可能だと――」
俺はもう一度、拳をテーブルに叩きつける。
「バーティ!」
兄上が俺を宥めるように言う。
「さまざまな情勢もすべて、ステファニーと結婚するのが一番、丸く収まるんだ」
「俺の気持ちは全く収まらない!」
「戦前は仲良くしていたじゃないか」
「母上が命じていたからだ。ステファニーのわがままを聞かないと、あいつは母上に告げ口して、母上の鞭が飛んでくる!」
兄上が息を飲んだ。
「それは――」
「兄上だって、俺が虐待されていたことは知っているんだろう? 何度も殺されかけたことだって。王妃の姪となんて絶対に結婚しない!ステファニーと結婚するくらいなら、王子の身分も全部捨てて亡命する!」
兄上がしばらく無言で、父上や王室長官と目を見合わせる。
「……バーティ。その……例の彼女のことなら――前例がないわけじゃない。私からステファニー嬢や公爵も説得するから、側室という形なら――」
俺は次の瞬間、勝手に体が動いて、兄上のタイを掴み、首を絞めあげていた。
「殿下!」
「アルバート、やめんか!」
王室長官が俺と兄上の間に割って入り、兄上が喉を押さえて苦し気に咳き込む。
俺は怒りに震えて兄上を殴りつけそうになるが、王室長官のがっちりした腕に押さえつけられてしまう。
「お鎮まりください、殿下。仮にも王太子殿下への狼藉は――」
「離せ!一発殴ってやらなきゃ気が済まない!エルシーや俺をどこまで馬鹿にすれば――」
「……いい、私が悪かった。……大丈夫だ」
兄上が王室長官を宥め、俺を見た。
「すまない、バーティ。王家はお前や、アシュバートン家にすべての歪みを押し付けている」
兄上が俺に頭を下げる。王室長官がごく、小さな声で俺に言った。
「ブリジット妃殿下が病気を理由に離縁する、あるいは、以前の、陛下の時と同様の処置を、という案も出ましたが――」
「……父上の時と同様の処置って?」
「お前のような男児をもう一人、今度は私が儲けるという案だが――」
兄上の言葉に、俺は目を剥いた。
「だが、その案はエルドリッジ公爵が拒否した。嘘と欺瞞によって王権を守るべきでない、と。――もちろん、私も同意見だ」
「……レイチェルが継承できるよう、法を改正すれば――」
俺が言えば、兄上が首を振る。
「ウォルシンガムが強硬に反対している。お前という王子がいるのに、女王を認める必要はない、と」
「――ウォルシンガムは、俺の秘密は――」
「秘密を知るのはここにいる者の他は、セオドアとゴードン、それからオズワルドだけだ」
父上が言う。つまり、レコンフィールド公爵と、ブリジット妃の父親である、エルドリッジ公爵、そしてマールバラ公爵……。
「オズワルドがいれば、ウォルシンガムとセオドアの暴走を止めただろうが――」
国王の従兄、マールバラ公爵はレコンフィールド公爵とあまり仲がよくない。ステファニーとは絶対結婚したくない、と言い張る俺に味方してくれた可能性があったが、現在、講和会議の全権大使として、アルティニア帝国の首都ビルツホルンにいる。
「議会を通ってしまった以上、尊重するのが我が国の国是だ。アルバート、そなたも王子なのだ。王族のとしての振る舞いを逸脱することは許されぬ」
「……父上……」
俺は唇を噛んで引き下がるしかなかった。
その後、婚約の承認決議が可決されたことを報告に来たサンダース議長の前で、俺ははっきりと宣言した。
「ステファニーとは、絶対に、死んでも結婚しない」
議長がぽかんとした表情で俺を見る。――どうやら、俺とステファニーが相思相愛だという、根も葉もない噂を信じていたクチらしい。
横にいた首相、バーソロミュー・ウォルシンガムが、フンっと小ばかにしたように鼻を鳴らす。
「殿下、王族の結婚に個人の意思など通らぬものでございますよ」
「どうしてもと言うなら、継承権も、王族の籍も捨てたってかまわない」
「バーティ!」
父上の横に控えていた、兄上が悲鳴のような声を上げた。
ウォルシンガムも勘違いしているかもしれないが、俺が王族の籍や継承権を放棄して、困るのは後継ぎのいなくなる王家だ。――俺は、こんな王家はとっとと途絶えてしまえばいいと思っているから。
俺は怒りもあらわに、王宮を後にした。
俺は議員ではないから、議会に押し掛けても中に入れない――無理を言えば入れてもらえるかもしれないが、押し入ったところで何もできないだろう。俺は議員のジジイどものやり取りに興味もなかったから、今まで一度も、議会には足を踏み入れたことがない。
だから、俺は議会から道一つ隔てた、王宮に向かった。父上から事情を聴き、ことと場合によっては首謀者を張り倒してやる、そんな気分だった。
俺が王宮に乗り付ければ、侍従のジョナサンがバッジを示し、衛兵が敬礼して中に導き入れられる。
真紅の絨毯の上を荒々しい足取りで進むと、国王の小姓が向こうから速足にやってきた。
「アルバート殿下、国王陛下におかれましては――」
「すぐに取り次いでくれ」
「少々お待ちを。本日はお体の具合がよろしくなくて」
「叩き起こせ!」
「殿下、陛下のお体には休息が必要なのです」
「なら、勝手に俺の婚約を議会にかけた馬鹿野郎を殺しに行くだけだ!」
「バーティ!」
背後から声をかけられ、振り返れば兄上がフロックコートの裾をなびかせながら小走りにやってきた。
「落ち着け、全部丸聞こえだ!」
「うるさい、今日という今日は我慢ならん! 全部ぶち壊してやる!」
「バーティ!」
兄上が止めたところで、父上の居間の方から、王室長官がやってきた。
「アルバート殿下、国王陛下がお会いになるそうです」
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「あまり長時間は困ります」
俺は手を振って侍医を追い払うと、父上に言った。
「どういうことです? 俺は婚約を了承していない。勝手に議会にかけるなんて!」
「ウォルシンガムが先走ったのだ」
「ウォルシンガム?」
首相のバーソロミュー・ウォルシンガムは、確かに姪のステファニーを溺愛しているけれど、そこまで俺との結婚を推しているわけじゃないと思っていたのに。
兄上が俺を椅子に座らせ、自分も座って言った。
「グリージャが、きな臭いのだ」
「グリージャ? なんだ、グリージャに何の関係が……」
「グリージャのアーダルベルト王太子を廃嫡にして、妹のエヴァンジェリア王女を女王に推戴する動きがある。その王配の候補にお前が上がっている」
「は?」
兄上の説明に、俺は一瞬、虚を衝かれる。意味がわからなかった。
「なんで俺がグリージャ女王の王配に……?」
いったい何の冗談だ。
「我が国の継承すら危ういのに、外国に貴重な王子を差し出している場合じゃない。父上はすぐに断った。――お前が帰国次第、ステファニー嬢と婚約させるつもりだったし。が、お前が婚約を渋ったために、いったん諦めたかに見えた、親グリージャ派が再び動き始めた。我が国としてはグリージャの内政に容喙するつもりはないと表明するためにも、お前の婚約が必要だとウォルシンガムが――」
ドン!
と俺は思わず、脇のテーブルに拳を叩きつけていた。
「ふざけるな!」
「バーティ! 父上の御前だ、落ち着け」
「これが落ち着けるか! 俺は前から、他に結婚したい相手がいると言ってる! それを無視してステファニーとの婚約を強行する理由がそれかよ! 俺を何だと思ってる! そんなに俺の人生をおもちゃにしたいなら、案山子の額にでも『バーティ』って書いとけよ! 俺はこの世から消えてやるから!」
俺が怒り狂って叫べば、父上は青い顔で額に手をかざす。
「……アルバート……落ち着け」
「落ち着けません! だいたい、婚約を許す勅書など、いつ出されたものなのです! 俺は承諾していない!」
父上が弱弱しい声で言う。
「六月の――そなたが帰還する直前に、セオドアに言われて、詔勅にサインはした。だが、議会に提出するには、本人の自筆の承諾書がいるはずで……」
「私とブリジットの時はそれを提出しました」
兄上も言う。
「だが、それは絶対じゃない。王子の婚約などそうそうあるわけじゃないから、議長も故事に通じていない。――今のサンダース議長は昨年、議長になったばかりだから……」
「まさか通ってしまうなんてことは――」
「問題なく通過するでしょうな」
背後に控えていた王室長官が言う。
「議会の承認を得られれば、この後は結婚式の日取り、予算の算定に入り、閣議決定の後、予算の承認をもう一度かけることになります。普通は一年ほどの準備を見込みますが、実は、殿下の帰国直後から日程その他の調整は進んでおりまして、ウォルシンガム卿は四月には挙式可能だと――」
俺はもう一度、拳をテーブルに叩きつける。
「バーティ!」
兄上が俺を宥めるように言う。
「さまざまな情勢もすべて、ステファニーと結婚するのが一番、丸く収まるんだ」
「俺の気持ちは全く収まらない!」
「戦前は仲良くしていたじゃないか」
「母上が命じていたからだ。ステファニーのわがままを聞かないと、あいつは母上に告げ口して、母上の鞭が飛んでくる!」
兄上が息を飲んだ。
「それは――」
「兄上だって、俺が虐待されていたことは知っているんだろう? 何度も殺されかけたことだって。王妃の姪となんて絶対に結婚しない!ステファニーと結婚するくらいなら、王子の身分も全部捨てて亡命する!」
兄上がしばらく無言で、父上や王室長官と目を見合わせる。
「……バーティ。その……例の彼女のことなら――前例がないわけじゃない。私からステファニー嬢や公爵も説得するから、側室という形なら――」
俺は次の瞬間、勝手に体が動いて、兄上のタイを掴み、首を絞めあげていた。
「殿下!」
「アルバート、やめんか!」
王室長官が俺と兄上の間に割って入り、兄上が喉を押さえて苦し気に咳き込む。
俺は怒りに震えて兄上を殴りつけそうになるが、王室長官のがっちりした腕に押さえつけられてしまう。
「お鎮まりください、殿下。仮にも王太子殿下への狼藉は――」
「離せ!一発殴ってやらなきゃ気が済まない!エルシーや俺をどこまで馬鹿にすれば――」
「……いい、私が悪かった。……大丈夫だ」
兄上が王室長官を宥め、俺を見た。
「すまない、バーティ。王家はお前や、アシュバートン家にすべての歪みを押し付けている」
兄上が俺に頭を下げる。王室長官がごく、小さな声で俺に言った。
「ブリジット妃殿下が病気を理由に離縁する、あるいは、以前の、陛下の時と同様の処置を、という案も出ましたが――」
「……父上の時と同様の処置って?」
「お前のような男児をもう一人、今度は私が儲けるという案だが――」
兄上の言葉に、俺は目を剥いた。
「だが、その案はエルドリッジ公爵が拒否した。嘘と欺瞞によって王権を守るべきでない、と。――もちろん、私も同意見だ」
「……レイチェルが継承できるよう、法を改正すれば――」
俺が言えば、兄上が首を振る。
「ウォルシンガムが強硬に反対している。お前という王子がいるのに、女王を認める必要はない、と」
「――ウォルシンガムは、俺の秘密は――」
「秘密を知るのはここにいる者の他は、セオドアとゴードン、それからオズワルドだけだ」
父上が言う。つまり、レコンフィールド公爵と、ブリジット妃の父親である、エルドリッジ公爵、そしてマールバラ公爵……。
「オズワルドがいれば、ウォルシンガムとセオドアの暴走を止めただろうが――」
国王の従兄、マールバラ公爵はレコンフィールド公爵とあまり仲がよくない。ステファニーとは絶対結婚したくない、と言い張る俺に味方してくれた可能性があったが、現在、講和会議の全権大使として、アルティニア帝国の首都ビルツホルンにいる。
「議会を通ってしまった以上、尊重するのが我が国の国是だ。アルバート、そなたも王子なのだ。王族のとしての振る舞いを逸脱することは許されぬ」
「……父上……」
俺は唇を噛んで引き下がるしかなかった。
その後、婚約の承認決議が可決されたことを報告に来たサンダース議長の前で、俺ははっきりと宣言した。
「ステファニーとは、絶対に、死んでも結婚しない」
議長がぽかんとした表情で俺を見る。――どうやら、俺とステファニーが相思相愛だという、根も葉もない噂を信じていたクチらしい。
横にいた首相、バーソロミュー・ウォルシンガムが、フンっと小ばかにしたように鼻を鳴らす。
「殿下、王族の結婚に個人の意思など通らぬものでございますよ」
「どうしてもと言うなら、継承権も、王族の籍も捨てたってかまわない」
「バーティ!」
父上の横に控えていた、兄上が悲鳴のような声を上げた。
ウォルシンガムも勘違いしているかもしれないが、俺が王族の籍や継承権を放棄して、困るのは後継ぎのいなくなる王家だ。――俺は、こんな王家はとっとと途絶えてしまえばいいと思っているから。
俺は怒りもあらわに、王宮を後にした。
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