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第四章 嘘つき王子

レコンフィールド公爵

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 エルシーと濃密な一夜を過ごした翌日。その日は朝から陸軍の幼年学校の発表会で、俺は司令であり、かつ王族である以上、主賓として子供たちの日ごろの成果を朝から観覧していた。そこへ、司令部からロベルト宛にとんでもない連絡が入った。ステファニーが司令部に押し掛け、俺に会うまで帰らないと居座っているという。

「はあ? ステファニーが、司令部に? 何しに?」
「クルツ主任が困り果ててましてね。殿下にお会いするまで待たせてくれと言い張っているそうです」

 なんだそれは! そこまで非常識な女ではないと思っていたのに。

「追い返せよ、事前の約束アポイントメントもなく、非常識にもほどがあるだろう」

 俺が言うが、ロベルトが肩をすくめる。

「クルツ主任が言うには、仮にも公爵令嬢で、ご婚約も間近と聞いているので、追い返すに追い返せないと……」
「ステファニーとは婚約しないと、何度言ったら!」

 俺は周囲に怒鳴り散らしたいのをぐっとこらえ、ロベルトに指示を出す。

「俺は今日は司令部に戻る予定はないと、クルツ主任に伝え、帰ってもらえ」
「ええまあ、それはいいですが――」

 ロベルトが何か言いたげな顔で俺を見る。

「エルスペス嬢が、お茶をお出しして接待したようですがね」

 そう言われて、俺は眉を寄せる。
  
「エルシーが? ……つまり……」
「公爵のご令嬢がやってきたとなると、クルツ主任の淹れるお茶じゃあってことになります。クルツ主任はお二人の関係は――」
「うすうす勘づいて入ると思うが……」

 俺は思わず胃のあたりを押さえた。……よりによって、エルシーとステファニーが鉢合わせってことか。
 エルシーは、ステファニーと俺は婚約直前だという王都の噂を真に受けている。ステファニーと顔を合わせるのは気まずいに違いない。一方のステファニーの耳にも、俺にがいるという噂は当然、入っているだろう。……でも、ステファニーはの正体までは知らないはず。

 まさか自分で探りに来たわけではないと、思いたいが――。

 俺は思わず天を仰ぐ。――帰国以来、俺はステファニーとまともに話をしていない。婚約は出征前に白紙に戻っていて、俺は彼女と婚約するつもりはない、というスタンスで、話し合いたいというステファニー側の申し出は、すべて断っている。

 だが、俺の職場に押し掛けるに至っては、いくらなんでも放置はできない。

「レコンフィールド公爵家に、抗議を」

 俺がロベルトに言えば、横で聞いていたジェラルドとジョナサンが眉を顰める。

「電話でする話ではないと思いますが」
「……ならば文書で……」
「それは書類が記録として残るので、まずいと思います」
「じゃあ、どうしろって!」

 苛立ちを隠さない俺に対し、ジェラルドが嫌悪感を丸出しにして、言った。

「そもそも、どの面下げて抗議すると言うのです? 昼食会をすっぽかしてとデートして、あまつさえ、彼女をアパートメントに泊めて! この手の噂は、恐ろしい勢いで王都中に広まりますよ!」 
「愛人じゃない! 俺は本気だ!」
「彼女の祖母の入院費を出して、変わりにアパートメントに囲う! 愛人以外の何だと言うんです! 汚らわしい!」
「なんだと! もう一度言ってみろ!」
「殿下! ジェラルドも口を慎め!」

 ジョナサンが仲裁に入り、俺を碧の瞳でまっすぐに見た。その目にも非難の色があった。

「こうなることは、十分、予測されたと思いますがね。それでも強行なさったのです。……本気で結婚したいのなら、なおさら彼女を貴族令嬢として尊重し、もっと節度を持った付き合いをするべきでした」

 俺はジョナサンの正論には反論もできず、ただ、唇を噛んだ。

「だが――ならば、ステファニーの無作法を見過ごせと?」
「それは話が別です。釘を刺しておかれるべきだと思います。……女性は勘が鋭いですから、噂の相手はエルスペス嬢だと、気づいたかもしれません。また、軍の施設という性格から言っても、公爵令嬢の身分を嵩に居座っていい場所ではありません。厳重に抗議すべきです」

 ジョナサンは俺に言った。

「婚約云々とは関係なく、今後、ステファニー嬢が安易にまとわりつかないよう、公爵に要求するべきでしょう。司令部にまで電話をかけてくるのも、迷惑だとはっきり言うべきです。その上で、殿下には婚約の意志がないと、明確に述べておくチャンスでもあります。呼び出すか、邸まで会いに行くかしかないと思いますが」
「公爵を呼び出せるか!」

 俺は第三王子ではあるが、閣僚であり叔父でもある、レコンフィールド公爵の方が偉い。不愉快ではあったが、夜に抗議のために邸に出向くと連絡を入れさせる。

「あくまで、ステファニー嬢ではなく、レコンフィールドに、抗議するのです。ステファニー嬢が出てきたら、席を蹴立てて帰るくらいのつもりで。婚約者でもない王子に、公爵令嬢とはいえ向こうから接触を図るなんて、本来ならあり得ないことですから」

 ジョナサンに言われ、俺も少しだけ頭が冷えた。

 エルシーのことがとても心配だったけれど、俺は夕刻、レコンフィールド公爵邸に立ち寄った。





 たとえ正式な婚約者であっても、軍の施設に事前の約束もなく押しかけ、無理を言って居座るなんてこと、身分を嵩に着た無作法だと批判される。まして、ステファニーは俺の婚約者でも何でもない。さすがに、レコンフィールド公爵は、ステファニーの失態を認識して、俺には平謝りだった。

「娘は自室で謹慎させています」
「事務官に対して高圧的な態度で居座ったと聞いている。二度はない」
「申し訳ありません」
「電話をかけてくるのも迷惑している。取り次ぐつもりはない。やめさせろ」

 ブランデーが供されたが、それには口をつけず、俺は煙草だけを吸っていた。

「……娘は本当に、殿下のご帰還をお待ちしていたのですよ。シャルローで、一時的に殿下の生存が絶望視されたときには倒れてしまって……」
「出征前に婚約の話は白紙に戻している。帰りを待っていたのはそちらの勝手だ。俺はステファニーと結婚するつもりはない」

 俺がはっきり言えば、レコンフィールド公爵は白髪交じりの眉を顰める。
 小柄で、顔つきが王妃に似ていて、昔から大嫌いだった。俺の出生も知っているからか、常にどこか、俺を見下している。

 俺が王妃の実子でないという秘密を知っていることで、優位に立っているつもりなのかもしれないが、実のところ、俺は自分が庶子だと知られることを恐れてはいない。継承権を失っても別に困らないし、なんなら、王族の籍を抜けたってかまわないと思っている。――むしろ今、俺が継承権を失って困るのは、まともな王位継承者がいなくなる、王家や高位貴族層だから。

「……娘と、殿下との結婚は、昔からの約束です。確かに、戦争に行かれる前にはいったん、白紙に戻した。ですが、無事に戻ってこられたのですから……」
「俺は他に、結婚したい女性がいる」
「マクシミリアン・アシュバートンの娘ですか」 
 
 公爵がエルシーの正体を把握していることに、俺は一瞬、目を見張ったけれど、それ以上の動揺は見せずに頷いた。

「そうだ。マックスは俺を身を挺して庇った、命の恩人だ。その恩に報いたい」
「彼は死に、爵位は親族に移ったと聞いております」
「……よく知っているな。だが、彼女が先代伯爵の令嬢である事実は動かない。結婚に問題はない」
「殿下……」

 レコンフィールド公爵がわざとらしくため息をつく。

「このまま、フィリップ殿下に王子が生まれなければ、殿下が国王として即位なさる。王妃は侯爵以上で父兄に閣僚経験者がいることが不文律です。あなたはご自分の立場がわかっておられない! 没落した元伯爵令嬢を王妃にできるわけはないのです!私はステファニーを嫁がせることで、あなたをご後見申し上げようと――」
「不要だ」

 俺はピシャリと言った。エルシーを没落させておいて、何を言うかと詰め寄りたいのを、必死でこらえる。

「貴公の後見がなければ維持できない程度の国王位など、なおさらご免被る。――言っておくけれど、ステファニーとだけは結婚しない。ステファニーと結婚させられるくらいなら、独身を通す」
「殿下……! そこまで、娘が嫌われるのは納得いきません。戦前は仲睦まじくしていたと聞いておりますのに」
「実を言えば昔から嫌いだ。ついでに言うと王妃も大嫌いだ。王妃の縁者など、絶対に嫌だ。二度と俺に近づけないでくれ」

 俺は煙草の吸殻を灰皿に押し付けると、話はそれまでとばかりに席を立とうとした。

「殿下!……我が家がどれほどの犠牲を屈辱を強いられたか! 歪みを正すためにも、娘はあなたの妃になるべきです!」

 レコンフィールド公爵は、本来ならば王妃の子ではなく、正統な王位継承者でない俺が王位に即くのであれば、王妃の姪と結婚して血筋を正すべきだと言いたいのだろう。でも、そんな理屈は俺の知ったことではない。

「つまり、貴公は俺自身が歪みだと言いたいのか?」

 俺の問いに、レコンフィールド公爵はぐっと息を詰めるが、だが苦々しい顔で言った。

「……ステファニーと殿下の婚姻は、我が家が受けた屈辱に対する正当な賠償だ。真実を明らかにすれば、あなたは王位に即けなくなるのですぞ!」
「勘違いしているようだが、俺は王位など即きたくない。真実を明らかにしても俺は何も困らない」

 俺はその場に呆然とするレコンフィールド公爵に背を向け、エルシーの待つアパートメントに急いだ。

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