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第一章 呪われた王子
藤の物語
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十八歳で士官学校を卒業した俺は、王都の陸軍に勤務することになった。オーランド伯爵の叙任され、郊外にオーランド邸を拝領し、王宮を出た。そのころ、第二王子ジョージの病状はかなり重く、王都を離れバールの離宮で療養に入る。王妃もバールで過ごすことが増えていた。
俺とステファニーの関係は相変わらずだった。休みのたびにステファニーに呼び出され、オペラの昼興行や小規模な園遊会、チャリティーの競馬といった、昼間の催しでのエスコートを要求された。
ステファニーと一対一でも十分、面倒くさいのだが、ステファニーは社交デビュー前から取り巻きの令嬢を引き連れていから、ステファニーを信奉する女たちとの交流も強制された。とりわけ、親友格のシュタイナー伯爵令嬢ミランダ・コートウォールと、ミランダの恋人、ギルフォード侯爵子息アイザック・グレンジャー、ステファニーと俺の四人で、何度もダブルデートをさせられた。
ミランダ嬢とアイザック・グレンジャーは婚約間際でラブラブなのだが、俺は別にステファニーが好きでも何でもないので、非常に居心地が悪いのだ。アイザック・グレンジャーはすっかり俺の友人気取りで、しかし話も合わず、退屈極まりない男だ。
それでもまだ、ステファニーの社交デビュー前は比較的自由があった。夜会に行けば寄ってくる女もいて、後腐れのない相手と火遊びを繰り返した。要するに、ステファニーへのあてつけなので、ひどい話だが相手の顔も名前もほとんど覚えていない。
当時の俺は女よりも、王都の貿易商バーナード・ハドソンが持ってくる、投資話に夢中だった。
バーナードは士官学校の友人、ロベルト・リーンの後見人で、彼の姉のパトロンで、東洋との貿易で成功した商人だった。彼の持ってくる話は良心的で外れがなく、俺はそれで少し増やした資金を、ヤバイ投資話に突っ込んで大損したり、逆に一山当てたりして、少しずつ自分の自由になる金を増やしていた。身長も伸び、拳闘で鍛えて物理的にはかなり強くなったが、バーナードと話していると、やはり世の中は金だと、俺は考えを改めた。
バーナードは単なる金儲けが目的の商人ではなくて、東の果ての国、ヤパーネの文明に心酔し、東洋の美しいモノをたくさん、我が国に持ち込んだ。平面的な多色刷りの版画は、西の絵画に大きな革新をもたらしたし、上質な絹のテキスタイルはファッションにも東洋風ブームを引き起こした。
ある時、バーナード主催の文学の会とやらに招かれた。
バーナードがそこで紹介したのは、なんと千年前に書かれたヤパーネの恋愛小説。しかも、作者は宮廷仕えの女官だという。バーナードはその長編小説をランデル語に翻訳した、ハートフォード大学の東洋学者を招き、出版記念と紹介を兼ねた催しを開いたのだ。
「それはどんな小説なの」
友人のロベルトの問いに、見かけはあまり冴えない、翻訳した学者がしどろもどろに答える。
「ヤパーネ王が身分の低い女性に産ませた王子の、女性遍歴の物語です。ヤパーネの王家は二千年続いていて、一夫多妻なんです」
「つまり後宮ってことか?」
俺の問いに、学者が首を傾げる。
「王にはもちろん、後宮があります。主人公の王子は王位には即きませんが、父親の妻と密通して生まれた子が王になります」
ほかの客がざわついた。
「千年前の野蛮な異国の物語とはいえ、不道徳に過ぎないかね?」
「我々の価値観とは違います。宮廷生活には非常に高雅な美意識が貫かれているのです」
不倫と高雅な美意識が同居する社会ってなんだよ、と俺は積んである革張りの翻訳本を手に取る。
「非常に長いので、まだ途中なのですよ。すべてを出版するには資金が足りなくて……」
第三王子の俺が興味を示したのを見て、学者が必死に営業を始める。
「元の本はこういった、縦書きで糸綴じの書物で――」
「すごいな、あんたこれが読めるのか!」
見たこともない異国の文字。俺が翻訳本をめくっていると、学者が横から言った。
「王子の物語なのですよ。……あ、その場面は、王子が後に最愛の妻となる、少女と出会った場面ですね。王子はまだ幼い少女に恋をして、彼女を誘拐して自分好みに教育を施して、後に妻にするんです」
「うぇ?」
変な声が出た。
「それ、犯罪じゃないのか」
「結婚の形態が違いますので」
主人公の王子は十七歳で十歳の幼女に恋をし、誘拐して自分の邸に連れ込み、少女が十四歳で妻にする。
「七歳差……」
俺とエルシーの年の差も七歳。俺も父上が身分の低いローズに産ませた王子だし、許されるなら俺だってエルシーをさらったのに! しかも自分好みに教育? エルシーを理想の淑女に育て上げるだと?――そして十四歳で妻に? ということは俺が二十一? 今じゃないかよ!
なんだその、理想郷のような小説は。
俺は無意識にゴクリと唾を飲み込んでいた。俺の反応に気をよくした学者は、さらに俺の興味を煽るように、少しだけ声を落とす。
「その……彼女と初めて関係する場面が秀逸なのです。もちろん、あからさまな描写はないのですが、無垢だった少女は、突然、豹変した主人公のことが受け入れられず、翌朝、恥じらってベッドから出てこないのです」
「そ、その場面もあるのか?」
「いえ、それはまだ……出版する資金が不十分で――」
「……金は出す。今すぐ出版してくれ」
俺はその場で、彼への援助を決断した。
もっとも、俺たちの会話を横で聞いていたロベルトは、露骨に気味悪そうな表情をしていた。
「え、十歳? 誘拐でしょ、それ。やばくない?」
誘拐するのは十歳だが、関係を持つのは数年後……俺は七歳のエルシーを抱く勇気はなかったけれど、十四歳のエルシーなら……。
「千年前の話だ。今とは価値観が違う。寿命も短いし、結婚する年齢だって早い。我が国だって、百年前なら十二、三で嫁に行っただろう」
「そうですけどー」
ロベルトの母親は南国ロマンザの出身だそうだから、きっと東洋の高雅な趣味は理解しないのだ。
きっとそうだ。俺が幼女趣味の変態なせいでは、断じてない。……たぶん。
俺とステファニーの関係は相変わらずだった。休みのたびにステファニーに呼び出され、オペラの昼興行や小規模な園遊会、チャリティーの競馬といった、昼間の催しでのエスコートを要求された。
ステファニーと一対一でも十分、面倒くさいのだが、ステファニーは社交デビュー前から取り巻きの令嬢を引き連れていから、ステファニーを信奉する女たちとの交流も強制された。とりわけ、親友格のシュタイナー伯爵令嬢ミランダ・コートウォールと、ミランダの恋人、ギルフォード侯爵子息アイザック・グレンジャー、ステファニーと俺の四人で、何度もダブルデートをさせられた。
ミランダ嬢とアイザック・グレンジャーは婚約間際でラブラブなのだが、俺は別にステファニーが好きでも何でもないので、非常に居心地が悪いのだ。アイザック・グレンジャーはすっかり俺の友人気取りで、しかし話も合わず、退屈極まりない男だ。
それでもまだ、ステファニーの社交デビュー前は比較的自由があった。夜会に行けば寄ってくる女もいて、後腐れのない相手と火遊びを繰り返した。要するに、ステファニーへのあてつけなので、ひどい話だが相手の顔も名前もほとんど覚えていない。
当時の俺は女よりも、王都の貿易商バーナード・ハドソンが持ってくる、投資話に夢中だった。
バーナードは士官学校の友人、ロベルト・リーンの後見人で、彼の姉のパトロンで、東洋との貿易で成功した商人だった。彼の持ってくる話は良心的で外れがなく、俺はそれで少し増やした資金を、ヤバイ投資話に突っ込んで大損したり、逆に一山当てたりして、少しずつ自分の自由になる金を増やしていた。身長も伸び、拳闘で鍛えて物理的にはかなり強くなったが、バーナードと話していると、やはり世の中は金だと、俺は考えを改めた。
バーナードは単なる金儲けが目的の商人ではなくて、東の果ての国、ヤパーネの文明に心酔し、東洋の美しいモノをたくさん、我が国に持ち込んだ。平面的な多色刷りの版画は、西の絵画に大きな革新をもたらしたし、上質な絹のテキスタイルはファッションにも東洋風ブームを引き起こした。
ある時、バーナード主催の文学の会とやらに招かれた。
バーナードがそこで紹介したのは、なんと千年前に書かれたヤパーネの恋愛小説。しかも、作者は宮廷仕えの女官だという。バーナードはその長編小説をランデル語に翻訳した、ハートフォード大学の東洋学者を招き、出版記念と紹介を兼ねた催しを開いたのだ。
「それはどんな小説なの」
友人のロベルトの問いに、見かけはあまり冴えない、翻訳した学者がしどろもどろに答える。
「ヤパーネ王が身分の低い女性に産ませた王子の、女性遍歴の物語です。ヤパーネの王家は二千年続いていて、一夫多妻なんです」
「つまり後宮ってことか?」
俺の問いに、学者が首を傾げる。
「王にはもちろん、後宮があります。主人公の王子は王位には即きませんが、父親の妻と密通して生まれた子が王になります」
ほかの客がざわついた。
「千年前の野蛮な異国の物語とはいえ、不道徳に過ぎないかね?」
「我々の価値観とは違います。宮廷生活には非常に高雅な美意識が貫かれているのです」
不倫と高雅な美意識が同居する社会ってなんだよ、と俺は積んである革張りの翻訳本を手に取る。
「非常に長いので、まだ途中なのですよ。すべてを出版するには資金が足りなくて……」
第三王子の俺が興味を示したのを見て、学者が必死に営業を始める。
「元の本はこういった、縦書きで糸綴じの書物で――」
「すごいな、あんたこれが読めるのか!」
見たこともない異国の文字。俺が翻訳本をめくっていると、学者が横から言った。
「王子の物語なのですよ。……あ、その場面は、王子が後に最愛の妻となる、少女と出会った場面ですね。王子はまだ幼い少女に恋をして、彼女を誘拐して自分好みに教育を施して、後に妻にするんです」
「うぇ?」
変な声が出た。
「それ、犯罪じゃないのか」
「結婚の形態が違いますので」
主人公の王子は十七歳で十歳の幼女に恋をし、誘拐して自分の邸に連れ込み、少女が十四歳で妻にする。
「七歳差……」
俺とエルシーの年の差も七歳。俺も父上が身分の低いローズに産ませた王子だし、許されるなら俺だってエルシーをさらったのに! しかも自分好みに教育? エルシーを理想の淑女に育て上げるだと?――そして十四歳で妻に? ということは俺が二十一? 今じゃないかよ!
なんだその、理想郷のような小説は。
俺は無意識にゴクリと唾を飲み込んでいた。俺の反応に気をよくした学者は、さらに俺の興味を煽るように、少しだけ声を落とす。
「その……彼女と初めて関係する場面が秀逸なのです。もちろん、あからさまな描写はないのですが、無垢だった少女は、突然、豹変した主人公のことが受け入れられず、翌朝、恥じらってベッドから出てこないのです」
「そ、その場面もあるのか?」
「いえ、それはまだ……出版する資金が不十分で――」
「……金は出す。今すぐ出版してくれ」
俺はその場で、彼への援助を決断した。
もっとも、俺たちの会話を横で聞いていたロベルトは、露骨に気味悪そうな表情をしていた。
「え、十歳? 誘拐でしょ、それ。やばくない?」
誘拐するのは十歳だが、関係を持つのは数年後……俺は七歳のエルシーを抱く勇気はなかったけれど、十四歳のエルシーなら……。
「千年前の話だ。今とは価値観が違う。寿命も短いし、結婚する年齢だって早い。我が国だって、百年前なら十二、三で嫁に行っただろう」
「そうですけどー」
ロベルトの母親は南国ロマンザの出身だそうだから、きっと東洋の高雅な趣味は理解しないのだ。
きっとそうだ。俺が幼女趣味の変態なせいでは、断じてない。……たぶん。
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