2 / 68
第一章 呪われた王子
ゴーレム王子とミント・ケーキ
しおりを挟む
「バーティ、お前は所詮、傀儡なの」
王妃宮を支配する雪の女王は、俺に繰り返し言った。
「お前はゴーレムなのよ。粘土でできた人形と同じ。ジョージが病に倒れ、フィリップに万一があったときに備えるために、あの卑しい女の腹を借りて生まれたスペアに過ぎないの。……フィリップに万一のことなんて、あるわけないわ。あの子はわたくしが産んだ、血筋正しきこの国の王太子。あの子を守るために、お前が生まれたんだから」
閉ざされた王妃宮で、些細な落ち度を咎められて鞭打たれ、そのたび彼女は俺にこんな呪詛を吐いた。
「お前はフィリップやジョージの代りに死ぬのよ、バーティ。お前が死ねば、ジョージの病は治るに違いないのに――」
俺の血塗れになった背中に、彼女は尖った爪で何やら唱えながら文字を書く。引き攣れる痛みに悲鳴がこぼれそうになるのを、俺は歯を食いしばって耐えた。悲鳴をあげたら、もっとひどい目に遭わされるから――。
Shem HaMephorash――。
ゴーレムを操る呪いの言葉。雪の女王は俺の背中に、その言葉を刻み込んだ。
「ゴーレムを動かすためには、額に『emeth(真実)』と書くの。ゴーレムは奴隷だから命令に逆らえない。破壊するときは、一文字を消せばいい。『meth(死)』の意味になって、ゴーレムは粘土に戻る」
痛みを堪えていても、堪えきれない涙が目尻から流れ落ちるのを見て、雪の女王は軽蔑したように喉の奥で嗤った。
「土人形のくせに泣くなんて、生意気だこと。……まあいいわ、せいぜい、人間の王子のフリをしていなさい。お前が用済みになる、その時まで。可哀そうな、醜いバーティ」
それはつまり、呪いだった。
幼い頃は、その意味するところが理解できなかった。母であるはずの王妃は俺を疎み、虐待した。庇ってくれるのは、乳母のローズだけ。国王である父上は王妃に遠慮があるのか、滅多に俺のもとにはやって来ないが、来た時はそれなりには親切だ。でも、そんな時間はとても短い。口数の少ない父上は俺を見ているだけで、特に交流はなかった。幼い子供は夜の七時にはベッドに入れられてしまう。
だから、俺を愛してくれているのは、ローズだけだった。
「リジー」
ローズは俺の黒い髪を撫でながら、言う。王妃や兄上たちが呼ぶ、バーティという愛称ではなくて、ローズは二人きりのときにだけ、洗礼名のレジナルドの愛称で呼んだ。
「この名前は秘密の名前なの。本当に愛しているわ、大切なリジー」
ローズに「リジー」と呼ばれる時間だけが、俺の愛される時間。
そのただ一人のローズは、俺が十三の歳に突然死んで、俺は王妃に真実を知らされる。
俺の、本当の母親はローズ。病に犯された第二王子ジョージのスペアとして、国王がローズに産ませた子。
「つまりバーティ、お前はゴーレムなのよ。用が済めば土に返る粘土の人形。ゆめゆめ、王になろうだなんて思わないことよ。お前は神様の許さない関係の結果、生まれた呪われた王子なのだから」
ローズの葬儀にも出られず、バールの離宮に閉じ込められ、執拗な折檻の上で、叩きこまれる。
俺は呪われた、醜い王子。ただのスペアで、本来なら生まれてはいけなかった。いつかは、ジョージの代りに死ぬ。俺が死ねば、ジョージの病が治る――。
バーティの名は、俺にとっては呪いの名前。
ほとんど殺されそうになったところを、従僕のヴァルターに救われた。だが、王妃の怒りを買ったヴァルターは、王宮をクビにされてしまった。
「明けない夜はなく、止まない雨はない。どれほど凍てついた氷も、いつか溶ける。雪の女王は、永遠ではない。いつか、どこかに必ず救いがあるはずです」
呪われた俺に救いなんてあるはずないと思ったが、ヴァルターは俺に、小さな缶を渡してきた。
「何これ、塩……?」
「極地への探検隊が物資の一つに加えたそうです。人は要するに、これと水さえあれば生き延びられる」
缶の中の白い塊は、キンダーという街で作っているミント・ケーキ。ケーキと言うけれど、つまり砂糖の塊。
食事を抜かれるたびに、ヴァルターのくれたミント・ケーキを齧り、俺は雪の女王の支配する凍てついた王宮を生き延びた。――そのおかげで、甘い物が嫌いになったけれど。
十四歳の冬の終わり、ミント・ケーキも食べ尽くし、空腹で半ば朦朧とした俺は、普段は近づかない蓮池の側を歩いていた。
最近読んだ東洋の物語。ブッダという東洋の神が蓮池から下界を覗いて、蜘蛛の糸を垂らす話があった。たまたま一度だけ蜘蛛を助けた罪人はその細い糸を辿り、地獄を抜けようとする。
――蓮池が天界につながるのなら、逆に、この蓮池から覗けば――。
薄暗い濁った蓮池の水に映った、痩せて冴えない少年の顔。
粘土できたゴーレムならば、水に落ちれば元の粘土に戻るのではないか。俺が王妃の実の子ではないという、真実が明らかになれば、額の文字は死に変わり、俺は粘土に戻ることができるのか。
黒く澱んだ池に身を乗り出し――。
そこで、俺の記憶は途絶えている。
王妃宮を支配する雪の女王は、俺に繰り返し言った。
「お前はゴーレムなのよ。粘土でできた人形と同じ。ジョージが病に倒れ、フィリップに万一があったときに備えるために、あの卑しい女の腹を借りて生まれたスペアに過ぎないの。……フィリップに万一のことなんて、あるわけないわ。あの子はわたくしが産んだ、血筋正しきこの国の王太子。あの子を守るために、お前が生まれたんだから」
閉ざされた王妃宮で、些細な落ち度を咎められて鞭打たれ、そのたび彼女は俺にこんな呪詛を吐いた。
「お前はフィリップやジョージの代りに死ぬのよ、バーティ。お前が死ねば、ジョージの病は治るに違いないのに――」
俺の血塗れになった背中に、彼女は尖った爪で何やら唱えながら文字を書く。引き攣れる痛みに悲鳴がこぼれそうになるのを、俺は歯を食いしばって耐えた。悲鳴をあげたら、もっとひどい目に遭わされるから――。
Shem HaMephorash――。
ゴーレムを操る呪いの言葉。雪の女王は俺の背中に、その言葉を刻み込んだ。
「ゴーレムを動かすためには、額に『emeth(真実)』と書くの。ゴーレムは奴隷だから命令に逆らえない。破壊するときは、一文字を消せばいい。『meth(死)』の意味になって、ゴーレムは粘土に戻る」
痛みを堪えていても、堪えきれない涙が目尻から流れ落ちるのを見て、雪の女王は軽蔑したように喉の奥で嗤った。
「土人形のくせに泣くなんて、生意気だこと。……まあいいわ、せいぜい、人間の王子のフリをしていなさい。お前が用済みになる、その時まで。可哀そうな、醜いバーティ」
それはつまり、呪いだった。
幼い頃は、その意味するところが理解できなかった。母であるはずの王妃は俺を疎み、虐待した。庇ってくれるのは、乳母のローズだけ。国王である父上は王妃に遠慮があるのか、滅多に俺のもとにはやって来ないが、来た時はそれなりには親切だ。でも、そんな時間はとても短い。口数の少ない父上は俺を見ているだけで、特に交流はなかった。幼い子供は夜の七時にはベッドに入れられてしまう。
だから、俺を愛してくれているのは、ローズだけだった。
「リジー」
ローズは俺の黒い髪を撫でながら、言う。王妃や兄上たちが呼ぶ、バーティという愛称ではなくて、ローズは二人きりのときにだけ、洗礼名のレジナルドの愛称で呼んだ。
「この名前は秘密の名前なの。本当に愛しているわ、大切なリジー」
ローズに「リジー」と呼ばれる時間だけが、俺の愛される時間。
そのただ一人のローズは、俺が十三の歳に突然死んで、俺は王妃に真実を知らされる。
俺の、本当の母親はローズ。病に犯された第二王子ジョージのスペアとして、国王がローズに産ませた子。
「つまりバーティ、お前はゴーレムなのよ。用が済めば土に返る粘土の人形。ゆめゆめ、王になろうだなんて思わないことよ。お前は神様の許さない関係の結果、生まれた呪われた王子なのだから」
ローズの葬儀にも出られず、バールの離宮に閉じ込められ、執拗な折檻の上で、叩きこまれる。
俺は呪われた、醜い王子。ただのスペアで、本来なら生まれてはいけなかった。いつかは、ジョージの代りに死ぬ。俺が死ねば、ジョージの病が治る――。
バーティの名は、俺にとっては呪いの名前。
ほとんど殺されそうになったところを、従僕のヴァルターに救われた。だが、王妃の怒りを買ったヴァルターは、王宮をクビにされてしまった。
「明けない夜はなく、止まない雨はない。どれほど凍てついた氷も、いつか溶ける。雪の女王は、永遠ではない。いつか、どこかに必ず救いがあるはずです」
呪われた俺に救いなんてあるはずないと思ったが、ヴァルターは俺に、小さな缶を渡してきた。
「何これ、塩……?」
「極地への探検隊が物資の一つに加えたそうです。人は要するに、これと水さえあれば生き延びられる」
缶の中の白い塊は、キンダーという街で作っているミント・ケーキ。ケーキと言うけれど、つまり砂糖の塊。
食事を抜かれるたびに、ヴァルターのくれたミント・ケーキを齧り、俺は雪の女王の支配する凍てついた王宮を生き延びた。――そのおかげで、甘い物が嫌いになったけれど。
十四歳の冬の終わり、ミント・ケーキも食べ尽くし、空腹で半ば朦朧とした俺は、普段は近づかない蓮池の側を歩いていた。
最近読んだ東洋の物語。ブッダという東洋の神が蓮池から下界を覗いて、蜘蛛の糸を垂らす話があった。たまたま一度だけ蜘蛛を助けた罪人はその細い糸を辿り、地獄を抜けようとする。
――蓮池が天界につながるのなら、逆に、この蓮池から覗けば――。
薄暗い濁った蓮池の水に映った、痩せて冴えない少年の顔。
粘土できたゴーレムならば、水に落ちれば元の粘土に戻るのではないか。俺が王妃の実の子ではないという、真実が明らかになれば、額の文字は死に変わり、俺は粘土に戻ることができるのか。
黒く澱んだ池に身を乗り出し――。
そこで、俺の記憶は途絶えている。
15
お気に入りに追加
391
あなたにおすすめの小説
えと…婚約破棄?承りました。妹とのご婚約誠におめでとうございます。お二人が幸せになられますこと、心よりお祈りいたしております
暖夢 由
恋愛
「マリア・スターン!ここに貴様との婚約は破棄し、妹ナディアとの婚約を宣言する。
身体が弱いナディアをいじめ抜き、その健康さを自慢するような行動!私はこのような恥ずべき行為を見逃せない!姉としても人としても腐っている!よって婚約破棄は貴様のせいだ!しかし妹と婚約することで慰謝料の請求は許してやる!妹に感謝するんだな!!ふんっっ!」
……………
「お姉様?お姉様が羨ましいわ。健康な身体があって、勉強にだって励む時間が十分にある。お友達だっていて、婚約者までいる。
私はお姉様とは違って、子どもの頃から元気に遊びまわることなんてできなかったし、そのおかげで友達も作ることができなかったわ。それに勉強をしようとすると苦しくなってしまうから十分にすることができなかった。
お姉様、お姉様には十分過ぎるほど幸せがあるんだから婚約者のスティーブ様は私に頂戴」
身体が弱いという妹。
ほとんど話したことがない婚約者。
お二人が幸せになられますこと、心よりお祈りいたしております。
2021年8月27日
HOTランキング1位
人気ランキング1位 にランクインさせて頂きました。
いつも応援ありがとうございます!!
この度、双子の妹が私になりすまして旦那様と初夜を済ませてしまったので、 私は妹として生きる事になりました
秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
*レンタル配信されました。
レンタルだけの番外編ssもあるので、お読み頂けたら嬉しいです。
【伯爵令嬢のアンネリーゼは侯爵令息のオスカーと結婚をした。籍を入れたその夜、初夜を迎える筈だったが急激な睡魔に襲われて意識を手放してしまった。そして、朝目を覚ますと双子の妹であるアンナマリーが自分になり代わり旦那のオスカーと初夜を済ませてしまっていた。しかも両親は「見た目は同じなんだし、済ませてしまったなら仕方ないわ。アンネリーゼ、貴女は今日からアンナマリーとして過ごしなさい」と告げた。
そして妹として過ごす事になったアンネリーゼは妹の代わりに学院に通う事となり……更にそこで最悪な事態に見舞われて……?】
婚約者が病弱な妹に恋をしたので、私は家を出ます。どうか、探さないでください。
待鳥園子
恋愛
婚約者が病弱な妹を見掛けて一目惚れし、私と婚約者を交換できないかと両親に聞いたらしい。
妹は清楚で可愛くて、しかも性格も良くて素直で可愛い。私が男でも、私よりもあの子が良いと、きっと思ってしまうはず。
……これは、二人は悪くない。仕方ないこと。
けど、二人の邪魔者になるくらいなら、私が家出します!
自覚のない純粋培養貴族令嬢が腹黒策士な護衛騎士に囚われて何があっても抜け出せないほどに溺愛される話。
【完結】要らないと言っていたのに今更好きだったなんて言うんですか?
星野真弓
恋愛
十五歳で第一王子のフロイデンと婚約した公爵令嬢のイルメラは、彼のためなら何でもするつもりで生活して来た。
だが三年が経った今では冷たい態度ばかり取るフロイデンに対する恋心はほとんど冷めてしまっていた。
そんなある日、フロイデンが「イルメラなんて要らない」と男友達と話しているところを目撃してしまい、彼女の中に残っていた恋心は消え失せ、とっとと別れることに決める。
しかし、どういうわけかフロイデンは慌てた様子で引き留め始めて――
結婚前夜に婚約破棄されたけど、おかげでポイントがたまって溺愛されて最高に幸せです❤
凪子
恋愛
私はローラ・クイーンズ、16歳。前世は喪女、現世はクイーンズ公爵家の公爵令嬢です。
幼いころからの婚約者・アレックス様との結婚間近……だったのだけど、従妹のアンナにあの手この手で奪われてしまい、婚約破棄になってしまいました。
でも、大丈夫。私には秘密の『ポイント帳』があるのです!
ポイントがたまると、『いいこと』がたくさん起こって……?
私の愛した婚約者は死にました〜過去は捨てましたので自由に生きます〜
みおな
恋愛
大好きだった人。
一目惚れだった。だから、あの人が婚約者になって、本当に嬉しかった。
なのに、私の友人と愛を交わしていたなんて。
もう誰も信じられない。
愛しのあなたにさよならを
MOMO-tank
恋愛
憧れに留めておくべき人だった。
でも、愛してしまった。
結婚3年、理由あって夫であるローガンと別々に出席した夜会で彼と今話題の美しい舞台女優の逢瀬を目撃してしまう。二人の会話と熱い口づけを見て、私の中で何かがガタガタと崩れ落ちるのを感じた。
私達には、まだ子どもはいない。
私は、彼から離れる決意を固める。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる