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9、幻影の森

鷹と神器

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 崩れ落ちかけたアデライードを、部屋に走りこんできたメイローズが間一髪で支える。

「姫君!……しっかりなさって」

 メイローズは薄い夜着一枚のアデライードの傍らに、懐かしい黒い鷹の姿を認め、驚愕する。

「エールライヒ?!……お前、まさか帝都から?」

 鷹は窓の近くに置かれた止まり木に羽を休め、黒い瞳でアデライードとメイローズをじっと見ている。
 メイローズは姫君の手から金鎖が零れ出ているのを見て、鷹がはるばる帝都からやってきた理由に思い至り、はっとした。

「リリア、姫君を寝台に運びます。あなたは厨房に行って、エールライヒの餌になる、肉をもらってきてください」  
 
 リリアが部屋を出ていくのを見送って、メイローズがアデライードを抱え上げようとしたが、だがアデライードはメイローズに縋りついて、言った。

「……大丈夫。……もう。……でも、殿下が……これを……」
「落ち着いてください、姫君。わが主がそれを手放すのは、理由があったに違いありません」
「でも……殿下は、もう……」

 メイローズを見上げるアデライードの瞳がみるみる潤んで、涙があふれて零れ落ちる。

「ここには、お戻りにならないかも……わたしのことなど、忘れてしまわれたかも……」
「そんな馬鹿なことがっ! わが主に限ってそのようなこと、あり得ません!」

 メイローズが常にない調子でアデライードを叱る。

 「落ち着いてください。ずっと、気を張っておられたのです。お心を静かに。――取り乱したら、イフリート家の思うツボですよ」

 しかしアデライードはただ無言で首を振り、声もなく涙を流す。
 メイローズはアデライードを寝台に運んで座らせると、その前に跪いた。アデライードの両手を大きな両手で包み、見上げるようにして諭す。

「姫君――姫君が、我々に視えぬさまざまなものを視て、お心を痛めていることは承知しております。ですが、今、この時に姫君が己を失えば、あるいは遠く帝都にある、わが主にも害が及ぶやもしれません」
 
 そう言われて、アデライードは金色の長い睫毛をしぱしぱとしばたき、そのたびに涙が落ちる。

「姫君とわが主は、天と陰陽が認めたただ一つのつがい。けして離れることのない、至上の二人。比翼の鳥、連理の枝として、生涯を共にする定めを負っているです。――どうか、諦めないでください」
 
 メイローズの真摯な言葉に、アデライードは無言で俯く。

「辛いの――怖くてたまらない。殿下がいなくなったら、殿下の愛がなくなったら――わたしは」
「そんなことはあり得ません!」
「でも――っ! 殿下はただ、わたしが銀の龍種だから愛してくださるだけで――」
「そんな馬鹿な。あれだけ執着なさっていたのですよ。――離れていれば、不安になるのも当然です。でも、離れているときこそ、二人の愛が試されているのですよ。姫君のわが主への愛は、その程度なのですかっ!」

 メイローズに叱責されて、アデライードはびくりと身を震わせる。

「ちが……そうじゃ……ない……でも……」
「愛しているなら、信じて差し上げるべきです。わが主は――たしかに、ご結婚前の素行は褒められたものではありませんが、姫君とご結婚してからは、まるで人が変わったように、姫君に誠実を尽くしておられた。その誠実を疑われては、わが主があまりにもお気の毒です」
 
 メイローズが優しく、アデライードの白い手を撫でる。

「わが主はここに戻って来られる。――このメイローズが保証いたしますよ。わが主はしつこいんですよ! 絶対に、姫君のことを諦めたりはなさらない!」

 アデライードは大きく息を吐いて、手の中の神器の指輪を握りしめる。
 この指輪は世界の半分を統べる女王の証――でも、アデライードは今、世界への責任など投げ棄ててしまいたかった。

 世界などどうなってもいいから、あの人を返して。
 世界など割れてしまってもいいから、側にいて――。

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