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6,夏至

ひとりご

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 やりきれなさを振り払うために、日毎に従兄に似てくる我が子へただ、盲目的な愛情を注いだけれど、その最愛の子は長い昏睡の末にプルミンテルンへと召される。半ば虚脱した皇后に、皇帝は追い打ちをかけるように、さらに衝撃的な命令を下す。

 ユエリンの死を秘し、生きて聖地にいる片割れを迎えてユエリンとして育てよ――。

 死んだ子の分までと愛情を注いだ子は死んで、死んだはずの子は生きていた。もはや、何を信じていいのか、彼女はわからなくなる。

『なぜ――なぜ、捨てるようなことをなさったのです』

 入宮して以来、一度として聞き返したことすらない彼女が、初めて皇帝に尋ねた。皇帝の答えは素っ気ないものだった。

『ユエリンに、皇帝位を譲るつもりでいる。同じ母、同じ年の息子が二人いるのは、争いの種になる。ユエリンが死んだ今、あれを取り戻してユエリンとして育てる』

 皇后に突きつけられた、厳然たる事実。
 結局のところ、皇帝が愛する子は賢親王エリン一人だけなのだ。自分の産んだ双子の皇子も、所詮は彼(エリン)の代替品に過ぎない。そして自分はただの、代替品を生むための道具ーー。

 すべては皇帝の、我欲の為すままに。
 
 ――いや、皇帝の身勝手を糾弾する権利など、自分にはない。

 皇后は長い睫毛を伏せ、自嘲する。
 初めて、聖地から連れてこられたあの子シウリンを見た日のことを思い出す。ユエリンに瓜二つの、しかし痩せて顔色の悪い顔。頭は帽子を被せられていたが、それは剃髪しているのを隠すためだと聞いていた。なによりもあの、包帯に包まれた手。僧院で沙弥として労働に追われ、寒さと水仕事のせいどひどく荒れているという。

 わらわと、陛下の子が――!

 死産だったとの言葉を疑いもせず、聖地の片隅に捨て置いて顧みることもなかった。同じ双子でありながら、一人が絹の褥にくるまれ、卓上満載の美食にも飽きていた一方で、一人は寒さに震え、痛む手の甲に薬すら与えられていなかった。

 知らなかったと言って、許されることではない。仮にもその母でありながら、知らなかったし、知ろうともしなかった。それ以上の罪が、この世にあるだろうか。

 あの子シウリンの存在そのものが、彼女に自分の罪を突き付けてくる。お前はどちらの子も守れなかったと、無言で責め立ててくる。

 違う。あの子はユエリンだ。シウリンなどと言う子は、この世に初めから存在しない。

 そう自分に言い聞かせなければ、罪の意識であの子シウリンを真っ直ぐ見ることもできない。目を逸らせば、あの子は自分の存在意義に疑いを抱くだろう。せめて、同じ我が子として愛していると伝えたかった。ユエリンとして扱うことで、ユエリンと同じ愛情を注いでいると、示したかった。――それが、あの子シウリンの神経を逆撫でしていると、薄々皇后も気づいてはいたけれど、他にどう接していいのかわからなかった。

 (その、報いか――)

 ――子捨てした上に、死んだ子のかわりに取り換えた浅ましい女。

 どこかで、自覚があっただけに、皇太子の言葉は皇后の心を抉った。帝国女性の頂点に立ちながら、二人の子のどちらも守れなかった愚かな女。

 部屋の外から近づく気配に、皇后は最後の矜持を振り絞って姿勢を正し、衣紋を整えて長椅子に浅く腰かける。先触れの宦官が扉を開け、皇后に膝をついた。

「――陛下、皇太子殿下が」

 すでに皇太子は新帝として即位し、彼女の后位を廃して庶人に落としたと聞いているが、鴛鴦宮に仕える宦官は以前のままであった。

 皇太子が何をしに来たのか。最悪な想像しか浮かばなかったが、左手に嵌めた金線細工の指甲套付け爪をもう一度右手で撫でて、心を落ち着かせる。

 あの男が望むものは何か。

 おそらくは、異母弟である賢親王や恭親王の失墜――皇子入れ替わりの疑惑に、確たる証拠。
 
 あの件には何も、物的な証拠はない。全て秘密裡に行われた。
 だとすれば求めるのは――最もか弱い女である彼女からの、証言、か。

 その結論に至ると、皇后は左手薬指の指甲套をもう一度撫でる。――手順はわかっている。
 我が子はもちろん、従兄も、自分のせいで苦境に落とすわけにはいかない。

(――これでも、愛していたのよ。真実の名前も呼んでやれぬ母であったけれど――)

 唯一、母としての彼女が為し得ること。――たとえ息子がその愛に気づくことはなくとも。





 部屋に入ってきたのは皇太子、否、すでに即位して新帝となった男を、彼女は咎めた。

「こんな時間に無礼ではありませんか」

 新帝は下卑た笑みを浮かべて言った。

「もはや皇后でもない。庶人のシルフィエラ。――そなたと取引してやってもよい。ユエリンが贋物だと証言せよ。そうすれば、皇后は無理だが、わしの後宮で飼ってやってもよい」

 まだ十分に美しい皇后に、下心を隠しもしない新帝に対し、皇后は思わず眉を顰める。
 父の死後、その妻妾を息子が継承するレヴィレート婚は、辺境の蛮族の風習で、中原では禁則タブー視される。冗談にしても悪趣味だ。

「何のことやら」
「――強情だな。もはや皇后ではないお前をどうしようとも、わしの自由だ。牢獄に入れて、その高慢な顔が許しを請うまで甚振ってやってもいい。それとも――」

 ギラギラと欲望に塗れた瞳で上から下まで皇后を睨めつけながら言う新帝の言葉は、けたたましい皇后の嘲笑に遮られる。

「キャハハハハハハ! なんとまあ、義理の母に向かって何てことを! それが叛乱軍の賊どもが言う、新しい世ということか。汚らわしいこと!」

 左手を優雅に口元に当て、甲高く殊更に耳障りな声をあげて、皇后は笑い続けた。

「煩い黙れ! この女、人が下手に出れば付けあがりおって! 引きずり出せ! 拷問にかけて散々に辱めてやればよい!」
娘娘にゃんにゃん!」

 新帝の命令に、女官や宦官が主を庇って長椅子の前に立ちはだかる。その女官の一人の肩に手を置いて、皇后はゆったりとした動作で優雅に立ち上がった。そして女たちを制して、真正面から新帝に対峙し、嫣然と微笑んだ。そのあまりの美貌と気品に気勢を飲まれた新帝に、皇后が言った。

「愚かしいこと。あの子こそ、龍皇帝の御位を伝えるに相応しい生粋の龍種。天と陰陽がよみし給うた〈聖婚〉の皇子。それが贋物と言うのであれば、この世に本物など存在はせぬ。天と陰陽を愚弄した報い、きっと受けるであろうぞ。――せいぜい、その日まで仮初めの我が世の春を謳歌すればよい」

 次の瞬間、皇后の美しい唇から一筋の赤い血潮が流れ落ち、そのまま女官に抱き着くようにしてガックリと倒れこむ。

「陛下!」
娘娘にゃんにゃん!」
 
 倒れた皇后に近づいた側近の一人は、すでにこと切れた皇后を抱き起し、微かに漂う杏仁の香りにほぞを噛む。

「しまった! 毒だ! 指甲套に仕込んであったのかっ!」
「おのれ、忌々しい! 証言を拒んで死によるとは!」
 
 新帝がどれほど地団駄を踏んでも、すべては後の祭りであった。
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