【R18】渾沌の七竅

無憂

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七竅

38、牢獄の中

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 本格的にメイロン県への攻撃が始まれば、所詮素人の農民兵が守る城など、訓練を受けた騎士たちの前ではあっさりと陥落する。しかも数か月にわたる叛乱に、農民たちはすでに疲労していた。
 城門を打ち破って騎士たちが城内になだれ込む。
 戦闘狂の廉郡王は先頭に立って城内に切り込んでいくが、軍師役のダヤン皇子と、総大将の恭親王は本陣にゆったり構えて指示を出すだけだ。

「ゾーイ、お前も行ってこい。少しは手柄を立てないと、帝都に帰ってから、肩身が狭いぞ」
「殿下が無事に帝都にお帰りになることが、俺の最大の手柄です。それ以上の功績など、必要ありません」
 
 堅物のゾーイが真面目に答えるのに、恭親王は少し笑って、言った。

「今回は私は捕まらなくて済んだから、まだマシだったろう」
「もう、あんな思いは御免ですよ」
「私もだよ」

 恭親王は怒涛のごとく城門から攻め入っていく騎士たちを見ながら、叛乱制圧後のことについて考えていた。

 しばらくは軍事行政で強権を発動する必要があるだろう。
 チャーンバー旧王家を滅ぼし、イルファーン王国再興の芽を摘む。多くの犠牲を出しいくつもの城を失った厲蠻レイバンは、しばらく苦しい生活を強いられる。叛乱討伐が過酷であればあるほど、新しい生活を守るための、何か手助けをしてやらねば、再び帝国に反旗を翻すだろう。

 新しい刺史は相当の人格者を据えねばならない。堤防を改修し、洪水の被害を防ぐ。ダメになった農地を整備し直し、租税に不公平の出ないようにする。

(多くの厲蠻の男が死んでいる。親を失った子も多いだろう――孤児院が必要だな)

 恭親王はふと思いつく。いっそ、神殿か僧院か、陰陽の教えを奉ずる施設を作り、そこで蛇神ヴリトラも鎮め、その附属施設として孤児院や病院、そして学校を作ったら――。

 厲蠻の民が二度と、蛇神に縋らなくともいいように、彼らの心の拠り所を作れば、チャーンバー家の姉妹のような悲劇は――その身の内に蛇神を飼い、魔物憑きとなるようなことは――起こらないだろう。

 恭親王はその構想を頭の中で考えつつ、さっきの廉郡王の言葉を反芻していた。
 皇子の地位も国も捨ててもいいと思えるほどの恋。
 彼にはその気持ちはよくわかる。もともと、国にも、地位にも何の愛着もない。どうして自分は逃げないのかとさえ、常々思っているくらいだ。

 初めは、単純に逃げられなかったからだ。
 全く知らない場所に無理矢理に連れて来られ、後宮に閉じ込められていた。外の世界がどうなっているかすらわからない。自分の知らなかった事実を次々に教えられ、恐怖さえ感じていた。そこから逃げて生きていける気がまるでしなかった。
 
 だが今は。力も魔力もある。世間知らずなりに、遊び歩いて世の中のことも知った。知りたくもないことまで、たくさん――。
 〈王気〉を視認されれば身分はバレてしまうだろうが、本気で逃げようとすれば、自分を捕まえることはかなり困難だろう。
 でも、彼の肩にはたくさんの責任が圧し掛かり、さまざまなしがらみができてしまった。部下や多くの使用人、龍種としての責務。この国と民を魔物から守り、支えていく皇族としての矜持。世界の陰陽調和の一端を担っているという、誇り。聖地で天と陰陽に仕えていた彼にとって、陽の龍種として調和の礎となるためならば、我と我が身を犠牲にすることもやぶさかでないと思えるほど、価値あることではある。

 天と陰陽の調和のためならば、彼一人の人生が歪められることも、致し方ないことなのだと、今は思う。
 メルーシナとの未来を天と陰陽が望まなかったのも、そのためなのだと、彼は納得しようとしていた。

(メルーシナのことは永遠に愛している。でも、彼女のために世界を棄てることはできない。龍種としての責任を放棄することはできない)

 恭親王は廉郡王もどこかで、自分と同じように決断するだろうと感じていた。
 始祖龍皇帝はその唯一の番たる西の始祖女王と自ら袂を分かち、大陸の東側を治めるために暁京に帝都を築いたのだ。龍種にとってはたとえ唯一の番といえども、世界の調和に優先してはならないのである。




 廉郡王を先頭に、聖騎士たちはチャーンバー家の邸へと乗り込んでいく。
 邸にはおそらく家人によって火が放たれ、抵抗を止めた使用人たちが聖騎士の前に跪く。

「ラクシュミとヴィサンティはどこだ?」
「お嬢様たちは……ラジーブ将軍が連れてお逃げに……」
「あの痴女たちも一緒にか?」
「さあ、そこまでは……」

 捕まえた家令の襟首をつかんで廉郡王が締め上げるが、はかばかしい情報は得られない。

「女は別に捕まえておいてください、あとで犯します」
 
 ゲルフィンがまるで、「瓶は所定の場所に。再利用しますから」といつもの小言と同じような冷静さで言った言葉に、廉郡王は目を剥いた。

「はああああ? なんだよそれ、てめぇ、気でも狂ったか?」
「狂ってなどおりません。精脈を絶たねばならないのです。ここは魔物が発生した。女たちには魔物の〈気〉が影響している可能性が高いです。血を浄化しなければなりません」
「本気でヤんのかよ!」
「もちろん、殿下がたは参加してはいけませんよ。完全に魔物憑きというわけではないので、殿下がたの精には耐えませんからね」

 廉郡王は言葉も出なくなって、金魚のように口をパクパクさせてしまう。まさかゲルフィンのような男が、そんなことを言い出すとは思いもよらなかったのだ。

「野蛮な行いであることなど、十分承知しておりますよ。――正直、私は参加する気はしませんがね。ですが必要なことです。魔物に穢されてしまった厲蠻の女は、帝国の男たちによって、もう一度穢されなければならないのです。醜悪ではありますが、戦争というのはそういうものなのですよ」

 ゲルフィンの冷酷な言葉に、廉郡王は思わず周囲を見回す。女たちは一カ所に集められ、膝をついて地面に座らせられている。

「――男はどうするんだ?」
「総大将である恭親王殿下は無駄に殺すなとおっしゃっている。甘いと申し上げたら、農民がいなくなったら来年の税収が減るとおっしゃいましたよ! まあ、でも幹部は処罰しないわけにはまいりませんでしょうね」
「あいつはそういう奴だ」
「とにかくラジーブとチャーンバー姉妹を探してください。逃げられては元も子もありません」

 廉郡王は気を取り直して、邸の中を見回った。廉郡王が囚われていた地下牢は、邸の裏手、蛇神の祠の奥にある。何となく予感がして、そこに足を踏み入れる。

「ヴィサンティ……いるなら返事しろ!俺だ!」

 しーんとなった薄暗い石壁に、グインの声が反響する。高いところに空いた小さな窓から、微かな光が射している。
 剣を構え、警戒しながら奥に進んでいくと、松脂の燃える臭いがした。

誰かいるのか?」
 「……誰?」

 聞き違えようもない、愛しい女の声に、廉郡王が駆け足で近づく。

「ヴィサンティ!」
「……グイン……どうして……」

 ヴィサンティはグインが捕らえられていた地下牢に閉じこめられていた。さすがに身体は拘束されておらず、近づいて格子戸に縋りつく。

「どいてろ、今、出してやる」

 グインは木と縄で編まれた格子戸を剣で切り裂いた。
 中に踏み込むと、お互い引き合うようにして抱き合った。

「あんたを逃がしたことがバレて、姉さまに閉じこめられたの」
「それでずっとここに……?」

 ヴィサンティは少し痩せて、汚れていた。
 
「すまない、そんな目に合わせて」
 
 ヴィサンティの柔らかい身体を両腕で抱きしめながら廉郡王が喘ぐように言った。掌で彼女の背中から尻を撫でさする。ずっと触れたいと思っていたのに、両手を縛られて、叶わなかったのだ。

「あんたが来たってことは、落城したのね」
「そうだ。……ラクシュミとラジーブは逃げた。今、追わせている」
「……わたしを、殺すの」
 
 胸の中で少し震えるヴィサンティに、廉郡王ははっとして身体を離した。

「まさか! そんなこと、できるわけねぇだろ!」
「でも、しなきゃだめよ」

 ヴィサンティは黄緑色の瞳で廉郡王を真っすぐ見つめて言った。

「あんたは魔物を狩る皇子で、わたしは魔物憑きの女。わたしは、あんたの手にかかりたい。……他の、誰でもなく」
「ヴィサンティ……俺と、逃げよう。俺、女遊びしかしたことない役立たずだけど、働いたことなんかないけど、働くから!」
「グイン……ありがとう。でも、駄目よ」

 ヴィサンティは少し寂し気に微笑んだ。

「わたしはあんたの命を吸って生きていきたくない。厲蠻の民を守るために、蛇神を受け入れたけれど、本当はずっと、後悔して、解放されたいと思ってた。……でも。最後にあんたに会えて、よかった。愛してる。この世で一番。……だから……」

 ヴィサンティは廉郡王の肩口に顔を埋め、囁いた。

「最後に、抱いて。そして、殺して。……あんたなら、殺せるでしょ? お願い」
「ヴィサンティ……」
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