122 / 255
五竅
6、南からの使者
しおりを挟む
すでに彼らがベルンの北岸に囚われて一月以上経って、ようやく、帝都からの使者が凍った河を渡ってベルンチャ族の天幕に現れた。
使者は五人。正使、副使は帝都から駆け続けでやってきたゾーイの父メイガンと、ゾラの父ジームであり、あとは北方辺境騎士団の副団長オロゴンと、廉郡王の傅役ゼクトと侍従文官のゲルフィンであった。皇子たちが人質になっているとはいえ、領土の割譲などは軽々しく行えることではない。そこでまず、恭親王ら人質の無事を確認したいと言われ、使者の一行と人質の対面がなされることになった。
天幕に案内された使者の一行は、天幕の中で恭親王が腕に一羽の鷹を止まらせ、手ずから餌を食べさせている姿を見て、その場にひれ伏した。恭親王は帝都で見た時よりも痩せて、精悍さを増し、どこか皮肉っぽい微笑みを浮かべていた。
「殿下!よくぞご無事で!」
「師父殿ではないか! 元気そうで何よりだ! こんなところまで、師父殿に出張させることになるとは、迷惑をかけたな。頭をあげてくれ」
「陛下がどれほどご心痛になられましたか、また皇后陛下や賢親王殿下もずいぶんとお取り乱しになり、なんとしても無事にお取戻しになりたいと、この老体にお命じになられました」
正直なところ、片手で数えるほどしか会ったことのない父皇帝や、あくまで本物のユエリン皇子しか愛さない母皇后が心痛していると聞いても、なんの感慨もわかない。ただ、一番身近に接してくれている兄の賢親王が心配していると聞き、少し心が痛んだ。
廉郡王の正傅ゼクトと侍従文官のゲルフィンは、げっそりとやつれた成郡王の姿を見て、息を飲んだ。しかもその横には聖騎士の三人の誰かが必ず付き従い、移動は全て抱き上げられていた。
「殿下……もしや、おみ足が……」
ゼクトが蒼白な顔で尋ねると、成郡王が力なく微笑んだ。
「うん……ユエリンがたくさん舐めてくれたんだけど、僕自身の魔力が足りなくて……治らない」
周囲にいる傅役や侍従たちも軒並み疲労の色が濃く、厳しい生活がうかがえた。
「その……肅郡王殿下は……?」
ゲルフィンが、眉を寄せて尋ねる。今、ここにいないということが、とてつもなく不吉なことに思われた。
恭親王が懐から肅郡王の遺品と遺書を取り出し、ゲルフィンに渡した。
「……これを、グインに渡して欲しい。それからこれは、侍従武官のバードの遺髪と、遺品だ」
天幕に衝撃と沈黙が降りた。
「あと、成郡王の傅役のジーノだが、ひどい怪我をしている。僕が昨夜ボルゴールと交渉して、ジーノはそちらに返す許可を得た。ここで起きた詳しいことは、砦に帰ってから、ジーノに聞いて欲しい」
本当は、成郡王も返したいと思っていたが、それは許可が出なかったのだ。
「この鷹は海東青と言って、ベルンチャ族の王族だけに献上される特別な鷹なのだが、ボルゴール殿にもらったのだ。名前はエールライヒと言う」
そう言って、恭親王はメイガンにエールライヒを紹介した。
メイガンとしては、一人の皇子とその侍従武官が死に、もう一人の皇子は身体を損ない、その傅役が重症を負っている状況に衝撃を受けて頭が回らないのに、能天気に鷹の自慢をしてくる恭親王の考えていることが全く理解できない。
恭親王の細い指には、大粒の黒真珠の指輪までが嵌っており、それが族長であるボルゴールの〈寵愛〉の証であることは明らかで、皇帝に対してソアレス家の暗部の者が極秘に告げた忌まわしい事実――皇子たちがその身体をボルゴールに差し出して部下の命を長らえさせている――が真実であることを雄弁に語っていた。
メイガン自身は、その話をあり得ないと思っていた。何せ、恭親王のもとには、我が子ゾーイがついているのである。命を賭しても皇子を守るに違いないと。皇子を生贄に差し出して、我が命を守るなど、耐えられまいと、思っていた。
だが、宿営地を訪れて、そんなことは無理だと悟る。この厳しい場所で、息子たちが強いられた運命は予想をはるかに超えて過酷だったようだ。
そんなことを考えているメイガンに、恭親王が少し痩せて大人びた美貌を曇らせて、言った。
「メイガン、その鷹を褒めてくれないのか? どうだろう、お前の手から是非、餌をやってくれないか?」
しつこく鷹を自慢する恭親王に、ゲルフィンが微笑んだ。
「それは素晴らしいですな。メイガン殿、是非」
メイガンがゲルフィンを意外そうにチラ見すると、ゲルフィンの瞳が少しだけ光った。
メイガンははっとした。
何か、理由があるのだ。
メイガンが恭親王を見ると、恭親王が美しい唇の端を上げて微笑を作る。メイガンは、思わず背筋が寒くなるのを感じた。見たこともないほど、その笑顔は冷酷で、残虐ですらあった。
恭親王が口笛を吹くと、エールライヒがバサリ、と羽ばたいてメイガンの肩に止まる。小ぶりな鷹ではあるが、そのずっしりとした重みと、鋭い爪、鋭利な嘴にドキリとした。
「ほら、メイガン、肉だよ」
恭親王が肉の入った小袋をメイガンに投げてよこす。
肉の小袋を開け、肉を取り出そうとして、メイガンは中に丸めた布が入っているのに気づいた。何喰わぬ顔をしてエールライヒに生肉を食わせ、肉を取り出すフリをしながら、その布を掌に握り込んだ。
交渉はジームとゼクト、ゲルフィンを中心に進み、人質のための食糧の支援、傅役ジーノの引き取り等を決め、ひとまず第一回目の交渉を終えた。
野営地を離れる前、メイガンは我が子のゾーイと言葉を離す機会を得た。
「ゾーイ。変わりはないか?」
「父上……このような仕儀になり、面目次第もござらん」
沈痛な面持ちでゾーイが答えるのに、恭親王が明るい笑い声で遮る。
「ゾーイ、気にするな。僕がむしろお前たちに我儘を強いているのだ。メイガンも、ゾーイらを責めないでくれ……ただ、グインが暴走しないように、気をつけてくれないか」
横で聞いていたゲルフィンが、言った。ゲルフィンは年若い従弟であるトルフィンと、自分を交換してくれるようにボルゴールに申し出たが、却下されたのだ。
「廉郡王殿下については、俺が引き受けた。そのかわり、ゾーイ、トルフィンを頼む」
「わかった」
使者たちとともに南岸に渡るのを、成郡王の傅役のジーノだけは頑なに拒んだが、肅郡王の最期についてグインに告げるように恭親王が命じ、しぶしぶ頷いた。後ろ髪を引かれるように南へと馬に揺られていくジーノを、皇子たち二人は寄り添うようにして見送る。
「ありがとう、ユエリン」
ジーノを南へ返すことができ、成郡王がホッとして言うと、恭親王はどこか突き放したように言い切った。
「違うよ、礼を言われる筋合いじゃない。足手まといだから返しただけだ。……本当は君も返したかったんだけどね」
その言葉に、成郡王は不安そうに恭親王を見上げた。
「……ユエリン、何を考えているの?」
「さあ。強いて言えば……人殺しの方法かな?」
そう言いながら、恭親王は成郡王の額に唇を寄せて魔力を注入した。ゆっくり、二人で抱き合って魔力を循環させる。魔力不足で澱んでいた成郡王の魔力の流れが活性化され、成郡王はほっと息を吐いた。
「ありがとう……頭痛が楽になったよ」
「ボルゴールの用が済んで、まだ余裕があったら、してあげるね。そうしたら、大分楽になるよ」
「うん……いつも、ごめん」
「謝らないで。絶対に、君のことは守るから」
二人のだけの静かな時間は、ボルゴールからの呼び出しがかかるまで、続いた。
使者は五人。正使、副使は帝都から駆け続けでやってきたゾーイの父メイガンと、ゾラの父ジームであり、あとは北方辺境騎士団の副団長オロゴンと、廉郡王の傅役ゼクトと侍従文官のゲルフィンであった。皇子たちが人質になっているとはいえ、領土の割譲などは軽々しく行えることではない。そこでまず、恭親王ら人質の無事を確認したいと言われ、使者の一行と人質の対面がなされることになった。
天幕に案内された使者の一行は、天幕の中で恭親王が腕に一羽の鷹を止まらせ、手ずから餌を食べさせている姿を見て、その場にひれ伏した。恭親王は帝都で見た時よりも痩せて、精悍さを増し、どこか皮肉っぽい微笑みを浮かべていた。
「殿下!よくぞご無事で!」
「師父殿ではないか! 元気そうで何よりだ! こんなところまで、師父殿に出張させることになるとは、迷惑をかけたな。頭をあげてくれ」
「陛下がどれほどご心痛になられましたか、また皇后陛下や賢親王殿下もずいぶんとお取り乱しになり、なんとしても無事にお取戻しになりたいと、この老体にお命じになられました」
正直なところ、片手で数えるほどしか会ったことのない父皇帝や、あくまで本物のユエリン皇子しか愛さない母皇后が心痛していると聞いても、なんの感慨もわかない。ただ、一番身近に接してくれている兄の賢親王が心配していると聞き、少し心が痛んだ。
廉郡王の正傅ゼクトと侍従文官のゲルフィンは、げっそりとやつれた成郡王の姿を見て、息を飲んだ。しかもその横には聖騎士の三人の誰かが必ず付き従い、移動は全て抱き上げられていた。
「殿下……もしや、おみ足が……」
ゼクトが蒼白な顔で尋ねると、成郡王が力なく微笑んだ。
「うん……ユエリンがたくさん舐めてくれたんだけど、僕自身の魔力が足りなくて……治らない」
周囲にいる傅役や侍従たちも軒並み疲労の色が濃く、厳しい生活がうかがえた。
「その……肅郡王殿下は……?」
ゲルフィンが、眉を寄せて尋ねる。今、ここにいないということが、とてつもなく不吉なことに思われた。
恭親王が懐から肅郡王の遺品と遺書を取り出し、ゲルフィンに渡した。
「……これを、グインに渡して欲しい。それからこれは、侍従武官のバードの遺髪と、遺品だ」
天幕に衝撃と沈黙が降りた。
「あと、成郡王の傅役のジーノだが、ひどい怪我をしている。僕が昨夜ボルゴールと交渉して、ジーノはそちらに返す許可を得た。ここで起きた詳しいことは、砦に帰ってから、ジーノに聞いて欲しい」
本当は、成郡王も返したいと思っていたが、それは許可が出なかったのだ。
「この鷹は海東青と言って、ベルンチャ族の王族だけに献上される特別な鷹なのだが、ボルゴール殿にもらったのだ。名前はエールライヒと言う」
そう言って、恭親王はメイガンにエールライヒを紹介した。
メイガンとしては、一人の皇子とその侍従武官が死に、もう一人の皇子は身体を損ない、その傅役が重症を負っている状況に衝撃を受けて頭が回らないのに、能天気に鷹の自慢をしてくる恭親王の考えていることが全く理解できない。
恭親王の細い指には、大粒の黒真珠の指輪までが嵌っており、それが族長であるボルゴールの〈寵愛〉の証であることは明らかで、皇帝に対してソアレス家の暗部の者が極秘に告げた忌まわしい事実――皇子たちがその身体をボルゴールに差し出して部下の命を長らえさせている――が真実であることを雄弁に語っていた。
メイガン自身は、その話をあり得ないと思っていた。何せ、恭親王のもとには、我が子ゾーイがついているのである。命を賭しても皇子を守るに違いないと。皇子を生贄に差し出して、我が命を守るなど、耐えられまいと、思っていた。
だが、宿営地を訪れて、そんなことは無理だと悟る。この厳しい場所で、息子たちが強いられた運命は予想をはるかに超えて過酷だったようだ。
そんなことを考えているメイガンに、恭親王が少し痩せて大人びた美貌を曇らせて、言った。
「メイガン、その鷹を褒めてくれないのか? どうだろう、お前の手から是非、餌をやってくれないか?」
しつこく鷹を自慢する恭親王に、ゲルフィンが微笑んだ。
「それは素晴らしいですな。メイガン殿、是非」
メイガンがゲルフィンを意外そうにチラ見すると、ゲルフィンの瞳が少しだけ光った。
メイガンははっとした。
何か、理由があるのだ。
メイガンが恭親王を見ると、恭親王が美しい唇の端を上げて微笑を作る。メイガンは、思わず背筋が寒くなるのを感じた。見たこともないほど、その笑顔は冷酷で、残虐ですらあった。
恭親王が口笛を吹くと、エールライヒがバサリ、と羽ばたいてメイガンの肩に止まる。小ぶりな鷹ではあるが、そのずっしりとした重みと、鋭い爪、鋭利な嘴にドキリとした。
「ほら、メイガン、肉だよ」
恭親王が肉の入った小袋をメイガンに投げてよこす。
肉の小袋を開け、肉を取り出そうとして、メイガンは中に丸めた布が入っているのに気づいた。何喰わぬ顔をしてエールライヒに生肉を食わせ、肉を取り出すフリをしながら、その布を掌に握り込んだ。
交渉はジームとゼクト、ゲルフィンを中心に進み、人質のための食糧の支援、傅役ジーノの引き取り等を決め、ひとまず第一回目の交渉を終えた。
野営地を離れる前、メイガンは我が子のゾーイと言葉を離す機会を得た。
「ゾーイ。変わりはないか?」
「父上……このような仕儀になり、面目次第もござらん」
沈痛な面持ちでゾーイが答えるのに、恭親王が明るい笑い声で遮る。
「ゾーイ、気にするな。僕がむしろお前たちに我儘を強いているのだ。メイガンも、ゾーイらを責めないでくれ……ただ、グインが暴走しないように、気をつけてくれないか」
横で聞いていたゲルフィンが、言った。ゲルフィンは年若い従弟であるトルフィンと、自分を交換してくれるようにボルゴールに申し出たが、却下されたのだ。
「廉郡王殿下については、俺が引き受けた。そのかわり、ゾーイ、トルフィンを頼む」
「わかった」
使者たちとともに南岸に渡るのを、成郡王の傅役のジーノだけは頑なに拒んだが、肅郡王の最期についてグインに告げるように恭親王が命じ、しぶしぶ頷いた。後ろ髪を引かれるように南へと馬に揺られていくジーノを、皇子たち二人は寄り添うようにして見送る。
「ありがとう、ユエリン」
ジーノを南へ返すことができ、成郡王がホッとして言うと、恭親王はどこか突き放したように言い切った。
「違うよ、礼を言われる筋合いじゃない。足手まといだから返しただけだ。……本当は君も返したかったんだけどね」
その言葉に、成郡王は不安そうに恭親王を見上げた。
「……ユエリン、何を考えているの?」
「さあ。強いて言えば……人殺しの方法かな?」
そう言いながら、恭親王は成郡王の額に唇を寄せて魔力を注入した。ゆっくり、二人で抱き合って魔力を循環させる。魔力不足で澱んでいた成郡王の魔力の流れが活性化され、成郡王はほっと息を吐いた。
「ありがとう……頭痛が楽になったよ」
「ボルゴールの用が済んで、まだ余裕があったら、してあげるね。そうしたら、大分楽になるよ」
「うん……いつも、ごめん」
「謝らないで。絶対に、君のことは守るから」
二人のだけの静かな時間は、ボルゴールからの呼び出しがかかるまで、続いた。
11
お気に入りに追加
196
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました
ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら……
という、とんでもないお話を書きました。
ぜひ読んでください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる