109 / 255
四竅
35、決意
しおりを挟む
一瞬だけ、開いた幕の中から、明るい四角い窓が絨毯に浮かびあがるが、それが閉じれば天幕の中は再び薄暗い重い空気に包まれた。デュクトとゾーイが懸命に恭親王を止める。
「殿下! このようなことは承服できませぬ。殿下が何故、このような辱めを!」
「そうです! 我々の命など、塵芥にも等しきものと引き換えに、殿下がその御身を差し出されるなど、到底我慢ができません。殿下、お考え直しください!」
恭親王は彼らの言葉は無視し、周囲を見回して声を落とした。
「今から、アイリンとマルインだけでも脱出させられないか? あいつは僕しか見ていなかったから、僕の身体で釣れば、アイリンとマルインは助けられると思ったのに……皇子と名乗らなければよかった。僕の失態だ」
恭親王は唇を噛む。成郡王が首を振る。
「無理だよ。あの男、〈王気〉が見える。僕も肅郡王も、弱いけれど〈王気〉があるんだ。誤魔化せっこない」
「でも……なんとか……僕は、慣れているけど、君たちは……」
成郡王が首を振る。
「僕は仮にも君の兄だよ。兄が弟を犠牲にして逃げるなんてできない」
「僕も……君だけ残していくなんて、無理だよ」
三人の皇子が不安げに寄り添い合うのに、ゾーイはそっと天幕の外を覗き、首を振る。
「蟻の這い出る隙間もありませんし、此処を抜けたとしても、方角が……馬もどこにいるかわからないし、逃げるのは無理です」
恭親王はじっと目を閉じて、そして開いて言った。
「あいつも言っただろう。奴が必要なのは僕たち皇子だけだ。お前たちなど、むしろ邪魔なんだよ。僕たちが要求を飲むまでお前たちを一人ずつ殺していくか、全部ひと思いに殺してを僕たちを好きに弄ぶだけだ。……結局嬲りものになるなら、お前たちが生きていた方がうんといいじゃないか」
「殿下! 古来より、主君のために従者が命を差し出すことはあっても、従者のために主君がその身を犠牲にすることなど、ありません」
ゾーイの言葉に、恭親王はじっとゾーイの精悍な顔を見つめて言った。
「お前たちが僕らに命を賭けて仕えてくれる代わりに、僕らもお前たちの命をできる限り守る義務があるだろう。……それに、お前たちを殺されると困るのは僕ら自身だ。脱出する機会ができても、僕たちだけでは何もできない。主君を守れないとお前たちが卑屈になることはない。これはただの取引だ」
そう言って、恭親王は端麗な顔に皮肉な笑みを浮かべる。
「僕もそれなりに楽しませてもらうことにするよ。……壊されない程度に加減してもらわないといけないけど。馬鹿みたいにデカい一物だったら困るね、ゲル、薬箱を出して」
蒼白な顔で黙っていたゲルが、慌てて荷物の中から簡易の薬箱を取り出す。
「傷薬と……それから何か油がある? 臭いの強くないのがいい」
ゲルが見繕って小瓶を恭親王に渡すと、彼はそれを懐にしまう。そして、端麗な顔に苦悩で歪ませているデュクトに向かって、言った。
「お前の使っている隠密を帝都に走らせ、皇帝陛下にこのことを知らせよ」
デュクトが愕然とした表情で言った。
「殿下……それは……このことも、全て……?」
「あの隠密のことだから、このやり取りも全て聞いているのだろう。だから、そのまま、すべて包み隠さずに申し上げよ。このことが後に露見して、お前たち配下の者が罪を問われることがないように。これは、僕ら皇子たちが自ら望んでしたことであると」
「殿下……」
天幕の中は重い沈黙に支配された。皇帝の愛子である恭親王と、さらに二皇子が、異民族にその身体を蹂躙される。そのようなことを、皇帝が許すはずがない。だが、恭親王はそれを、彼ら自身の望んだことだと皇帝に伝えるよう、命じたのだ。来る日に、彼ら配下の者が処罰されることのないように。
ふと気づけば、今までなかった人の気配が天幕の隅の暗闇にあった。
「カイトと申します。……ご命令、お受けいたしました」
ひそやかな声がして、デュクトが使っている隠密が言った。
「カイトお前……」
デュクトの生家ソアレス家ではそれぞれ直属の隠密を擁しており、彼らはその雇い主にしか忠誠を誓わない。たとえ雇い主の仕える皇子といえども、名を名乗ることもなく、当然のことに直接命令を受けることもない。それが、今この場に現れて皇子に姿を見せ、名を名乗り、命令を聞いた。
「わが主はデュクト様ただ一人。そのデュクト様のためにその身を犠牲にしようという殿下は、わが主も同じ。命に代えても、帝都までお知らせいたします」
カイトが低い、ひそやかな声で続ける。
「……殿下と、デュクト様の御関係も……お話ししても?」
「それはやめておいてくれ」
「承知」
そのまま、その男の気配もろともかき消えた。デュクトは、ただ茫然としていた。恭親王は一同を見回す。
「みんな、この後、僕らに何が起きても、決して激昂して妙な真似をしないと誓ってほしい」
「殿下……」
それから、皇宮騎士団の三人の騎士を見て言った。
「このようなことに巻き込んですまない。……名を、教えてくれるか」
「サヌルと申します」
「テムジンと申します」
「アートと申します」
三人の騎士はいずれも二十代の半ば程、短く刈り込んだ黒い髪に、屈強な身体つきをしていた。
「お前たちには、特に成郡王と肅郡王の警護を頼みたい」
「承知いたしました」
それから、屈辱に青い顔をしているゾーイに近づいた。
「ゾーイ、ちょっと……」
恭親王はゾーイを引っ張って、話し声が聞こえない天幕の隅に連れていく。
「ゾーイ、僕はただやられるつもりはないよ。お前とゾラはさりげなく周辺を探ってくれ。ボルゴールはベルンチャ族の王を名乗っているが、一支族の族長でしかなかったはずだ。それがどうしてこれだけの軍勢を動員できるのか、何かカラクリがあるような気がする。……それと、僕が捕えられたとなれば、砦からは取りも直さず密偵が――多分の、ゼクトの配下が――派遣されると思う。それとうまく接触してくれ」
ゾーイが驚くのに、恭親王は黒曜石の瞳を煌めかせて言う。
「まあ、三日もあればあの男を篭絡してやるよ。お前たちはせいぜい、大げさに嘆き悲しんで、奴らを油断させろ」
「殿下……」
絶句するゾーイに、恭親王は懐から小さな革張りの箱を取り出して手渡す。
「これをしばらく預かっていてほしい。僕が聖地から持ち出せた唯一の品で……大事な預かり物なんだ。これだけは失うことはできない。頼むよ」
ゾーイが頷いて小箱を受け取るのと、天幕の入口が開いて、食事が運ばれてくるのが同時だった。
恭親王は何事もなかったような表情で、周囲に言った。
「栄えあるベルンチャ族の王が用意した食事だよ!さぞ素晴らしいものが出るんだろうね。とっくり味わおうじゃないか!」
その微笑みは、この後に彼ら皇子たちに加えられる凌辱のことなど、全く意に介していないかのように自信にあふれ、無邪気ですらあった。
「殿下! このようなことは承服できませぬ。殿下が何故、このような辱めを!」
「そうです! 我々の命など、塵芥にも等しきものと引き換えに、殿下がその御身を差し出されるなど、到底我慢ができません。殿下、お考え直しください!」
恭親王は彼らの言葉は無視し、周囲を見回して声を落とした。
「今から、アイリンとマルインだけでも脱出させられないか? あいつは僕しか見ていなかったから、僕の身体で釣れば、アイリンとマルインは助けられると思ったのに……皇子と名乗らなければよかった。僕の失態だ」
恭親王は唇を噛む。成郡王が首を振る。
「無理だよ。あの男、〈王気〉が見える。僕も肅郡王も、弱いけれど〈王気〉があるんだ。誤魔化せっこない」
「でも……なんとか……僕は、慣れているけど、君たちは……」
成郡王が首を振る。
「僕は仮にも君の兄だよ。兄が弟を犠牲にして逃げるなんてできない」
「僕も……君だけ残していくなんて、無理だよ」
三人の皇子が不安げに寄り添い合うのに、ゾーイはそっと天幕の外を覗き、首を振る。
「蟻の這い出る隙間もありませんし、此処を抜けたとしても、方角が……馬もどこにいるかわからないし、逃げるのは無理です」
恭親王はじっと目を閉じて、そして開いて言った。
「あいつも言っただろう。奴が必要なのは僕たち皇子だけだ。お前たちなど、むしろ邪魔なんだよ。僕たちが要求を飲むまでお前たちを一人ずつ殺していくか、全部ひと思いに殺してを僕たちを好きに弄ぶだけだ。……結局嬲りものになるなら、お前たちが生きていた方がうんといいじゃないか」
「殿下! 古来より、主君のために従者が命を差し出すことはあっても、従者のために主君がその身を犠牲にすることなど、ありません」
ゾーイの言葉に、恭親王はじっとゾーイの精悍な顔を見つめて言った。
「お前たちが僕らに命を賭けて仕えてくれる代わりに、僕らもお前たちの命をできる限り守る義務があるだろう。……それに、お前たちを殺されると困るのは僕ら自身だ。脱出する機会ができても、僕たちだけでは何もできない。主君を守れないとお前たちが卑屈になることはない。これはただの取引だ」
そう言って、恭親王は端麗な顔に皮肉な笑みを浮かべる。
「僕もそれなりに楽しませてもらうことにするよ。……壊されない程度に加減してもらわないといけないけど。馬鹿みたいにデカい一物だったら困るね、ゲル、薬箱を出して」
蒼白な顔で黙っていたゲルが、慌てて荷物の中から簡易の薬箱を取り出す。
「傷薬と……それから何か油がある? 臭いの強くないのがいい」
ゲルが見繕って小瓶を恭親王に渡すと、彼はそれを懐にしまう。そして、端麗な顔に苦悩で歪ませているデュクトに向かって、言った。
「お前の使っている隠密を帝都に走らせ、皇帝陛下にこのことを知らせよ」
デュクトが愕然とした表情で言った。
「殿下……それは……このことも、全て……?」
「あの隠密のことだから、このやり取りも全て聞いているのだろう。だから、そのまま、すべて包み隠さずに申し上げよ。このことが後に露見して、お前たち配下の者が罪を問われることがないように。これは、僕ら皇子たちが自ら望んでしたことであると」
「殿下……」
天幕の中は重い沈黙に支配された。皇帝の愛子である恭親王と、さらに二皇子が、異民族にその身体を蹂躙される。そのようなことを、皇帝が許すはずがない。だが、恭親王はそれを、彼ら自身の望んだことだと皇帝に伝えるよう、命じたのだ。来る日に、彼ら配下の者が処罰されることのないように。
ふと気づけば、今までなかった人の気配が天幕の隅の暗闇にあった。
「カイトと申します。……ご命令、お受けいたしました」
ひそやかな声がして、デュクトが使っている隠密が言った。
「カイトお前……」
デュクトの生家ソアレス家ではそれぞれ直属の隠密を擁しており、彼らはその雇い主にしか忠誠を誓わない。たとえ雇い主の仕える皇子といえども、名を名乗ることもなく、当然のことに直接命令を受けることもない。それが、今この場に現れて皇子に姿を見せ、名を名乗り、命令を聞いた。
「わが主はデュクト様ただ一人。そのデュクト様のためにその身を犠牲にしようという殿下は、わが主も同じ。命に代えても、帝都までお知らせいたします」
カイトが低い、ひそやかな声で続ける。
「……殿下と、デュクト様の御関係も……お話ししても?」
「それはやめておいてくれ」
「承知」
そのまま、その男の気配もろともかき消えた。デュクトは、ただ茫然としていた。恭親王は一同を見回す。
「みんな、この後、僕らに何が起きても、決して激昂して妙な真似をしないと誓ってほしい」
「殿下……」
それから、皇宮騎士団の三人の騎士を見て言った。
「このようなことに巻き込んですまない。……名を、教えてくれるか」
「サヌルと申します」
「テムジンと申します」
「アートと申します」
三人の騎士はいずれも二十代の半ば程、短く刈り込んだ黒い髪に、屈強な身体つきをしていた。
「お前たちには、特に成郡王と肅郡王の警護を頼みたい」
「承知いたしました」
それから、屈辱に青い顔をしているゾーイに近づいた。
「ゾーイ、ちょっと……」
恭親王はゾーイを引っ張って、話し声が聞こえない天幕の隅に連れていく。
「ゾーイ、僕はただやられるつもりはないよ。お前とゾラはさりげなく周辺を探ってくれ。ボルゴールはベルンチャ族の王を名乗っているが、一支族の族長でしかなかったはずだ。それがどうしてこれだけの軍勢を動員できるのか、何かカラクリがあるような気がする。……それと、僕が捕えられたとなれば、砦からは取りも直さず密偵が――多分の、ゼクトの配下が――派遣されると思う。それとうまく接触してくれ」
ゾーイが驚くのに、恭親王は黒曜石の瞳を煌めかせて言う。
「まあ、三日もあればあの男を篭絡してやるよ。お前たちはせいぜい、大げさに嘆き悲しんで、奴らを油断させろ」
「殿下……」
絶句するゾーイに、恭親王は懐から小さな革張りの箱を取り出して手渡す。
「これをしばらく預かっていてほしい。僕が聖地から持ち出せた唯一の品で……大事な預かり物なんだ。これだけは失うことはできない。頼むよ」
ゾーイが頷いて小箱を受け取るのと、天幕の入口が開いて、食事が運ばれてくるのが同時だった。
恭親王は何事もなかったような表情で、周囲に言った。
「栄えあるベルンチャ族の王が用意した食事だよ!さぞ素晴らしいものが出るんだろうね。とっくり味わおうじゃないか!」
その微笑みは、この後に彼ら皇子たちに加えられる凌辱のことなど、全く意に介していないかのように自信にあふれ、無邪気ですらあった。
11
お気に入りに追加
196
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました
ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら……
という、とんでもないお話を書きました。
ぜひ読んでください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる