【R18】女嫌いの医者と偽りのシークレット・ベビー

無憂

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22、過去の女

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 僕は、患者の一人と関係を持ってしまった。
 彼女――モーガン公爵夫人――は僕より二十近く年上の、誇り高く美しい貴婦人だった。

 もともと、僕は彼女の夫、モーガン公爵の診療を担当していた。

 公爵は五年ほど前に卒中で倒れて以後、寝た切りであった。往診のついでに夫人の不調を診察し、請われるままにを施した。驚いたことに、彼女は男性経験がなかった。

 彼女が公爵に嫁いだのは十八歳の時。公爵は年上の愛人に夢中で、妻に指一本触れなかった。家同士の政略結婚ゆえに、彼女は白い結婚を申し立てることも許されず、盛りの花は無為に萎れるままに任された。愛人の子を後継者にするために、妊娠のフリまでさせられたという。

 僕の目には十分に美しい人であったが、夫は何が気に入らなかったのか。
 ――別邸で倒れた公爵を愛人は見放し、金目のものを持って行方をくらましてしまったという。口もきけない状態で発見された彼は今、公爵邸で冷遇した妻の看護で生きている。ある種の、報いを受けたということなのだろうか?
 
 そんな夫の世話を献身的に行っている公爵夫人に、僕は正直、頭が下がる。もう、四十を越えていると思うが、常に凛として背筋を伸ばし、隙がなくて潔癖そうなタイプだった。邸内の使用人たちの信頼も篤い。
 
 治療を行うまで、僕もまた、彼女が処女だとは気づかなかった。――だから、緊張でガチガチになった様子を不思議に思ったし、僕の治療で初めて絶頂を知ったらしいことに、僕は心底驚いた。
 性の歓びを初めて知った彼女は、僕に傾倒した。
 それは、僕には些か迷惑なことで――
 
 彼女の結婚生活は非常に不幸で、にも関わらず、彼女は矜持を保って凛として生きてきた。その人柄に好感は抱いたが、しかしあくまで、僕にとって彼女は患者の一人に過ぎない。そのはずだった。

 公爵の治療に向かう度に、「ついでに」と彼女にも治療を施す。使用人たちも僕を信用しているのか、寝室には二人っきり。治療のたびに、彼女は僕にを懇願するようになった。
 このまま、本当の歓びを知らないまま死ぬのは嫌だ。一度だけでいいから――

 しかしそれはもはや治療の域を超えているし、医師の倫理に反する。

「それ以上を望むのであれば、もはや、それはではありません」

 僕は医療行為以上のことをするつもりはなかった。
 僕がはっきりと断れば、その時には彼女も納得する。しかし、次の診療の時にはやはり、僕の手を取り、潤んだ瞳で僕に懇願する。

「ハミルトン先生、わたくしは先生が――」
「僕にとっては、あなたはただの患者です。……何より、あなたのご主人はまだ、生きている」

 その頃、夫のモーガン公爵は昏睡に陥っていたがまだ生きていて、そちらも僕の患者なのだ。そんな状況でその妻と不倫なんて、とんでもない。

「あの人はわたくしを愛さなかった。……それでも、妻であり続けなければなりませんの?」

 青い瞳に涙を溜めて言われれば、気の毒で胸は痛むが、僕はあくまで突っぱねた。

 そしてついに公爵は息を引き取り、僕と公爵家の縁も切れると思ったのだが――



 公爵が亡くなって一月、僕を指名しての往診の依頼が入った。断ることはできず、黒い喪服に身を包んだ夫人に出迎えられる。彼女は相変わらず美しく、高貴だった。

「やっと、自由になれました、先生」

 全身全霊で縋ってくる彼女を、僕は振り切ることができなかった。

 彼女に対し、淡い好意がなかったと言えば嘘になる。でも、それは恋慕の情とは明確に違う。――少なくとも、ローズマリーを初めて見た時のような、身体の奥から突き動かされるような強い衝動はなかった。
 往診のたびに関係を持ち半年ほど続いたか。
 愛してもいない女と、しかも患者と関係を持っていることを、僕は男として、そして医師として猛烈に後悔した。
 罪悪感と自己嫌悪でいたたまれなくなり、手首を痛めたことを理由に衝動的に医局を辞め、軍医として戦地に赴いた。

 彼女には、別れの言葉すら告げていない。
 僕は医者としても男としても、最低だと思う。




 なんとなく昔のことを思い出していた時、書斎の扉をノックする音がした。

「どうぞ?」

 おずおずと開かれた扉から、ローズマリーが顔を覗かせた。

「ローズ?」

 珍しいなと思い、僕は読みかけの医学誌を閉じ、立っていって彼女を導き入れる。

「どうした? 何かあった?」
「いえ……」

 ためらいがちにうつむき、それから僕の周囲の本棚を見回す。

「すごい、本……これみんな読んだの?」
「まさか! 買っただけで読んでない本なんていっぱいあるよ」

 僕は扉を閉め、ローズマリーの手を取って本棚の前のソファに並んで腰を下ろす。

「君がわざわざ僕を探しにくるってことは、何かあったんだね?」

 ローズマリーは慌てて首を振る。

「う、ううん……たいしたことではなくて……ただ……その……」
「何?」
「……わたしでも、読めそうな本はないかしらって、思って……」

 僕は目を瞠った。

「ローズ?」
「その……わたし、読み書きはちゃんと学べなかったらから、自分の名前くらいしか書けなくて……少しは努力したら読めるようになるかなって思ったけど、ここには難しそうな本しかないわね……」

 俯いて自信なさげに言うローズマリーに、僕は違和感を覚える。

「女性で文字が読めない人はわりといるし、そんなに恥じ入ることはないよ」
「でも……ルーカスの将来に、文字の読めない母親じゃあって……」

 僕はピンと来て、尋ねた。

「誰かに、何か言われたの?」

 沈黙が、答えを物語っていた。

「誰に?」

 僕が尋ねても、ローズは首を振るだけだ。――母上は、そんなことを言うタイプではない。内心、思っていたとしても、本人に言ったりはしない。最近、この家には来客もなく、ローズマリーと接点を持つのは屋敷内の人間だけだ。

 可能性として残るのは家庭教師ガヴァネスのミス・トレヴィスだが、ローズマリーにそんなことを言う理由がわからない。僕たちの事情には踏み込むなと言ってある。

 僕は眼鏡をかけてやや背が低く、小太りのミス・トレヴィスの姿を思い浮かべる。――性格のいい人だと思っていたのだけど、ローズに余計なことを言うようなら困るな。

 僕はローズマリーが字が読めても読めなくてもどっちでもいいが、ローズが自分で読めるようになりたいと言うなら、協力したかった。

「ちょっと待って」

 僕は立って行って、書棚の中から古びた本を探し出し、ローズマリーの元に戻る。

「あまり子供向きの本はないんだけど、詩集ならどうだろう。これは綺麗な挿絵がついているから、見ているだけでも楽しい。僕が子供のころ好きだった本だよ」

 本を広げて見せると、ローズマリーの紫の瞳が喜びに輝いた。

「素敵……」
「慣れるまでは僕が一緒に読んでもいい」
「でも……」

 ローズマリーが僕を顔を見上げる。

「あなたはお医者の難しい本を読んでいらっしゃったのでは」
「君と一緒に本が読める機会を僕がフイにするとでも?」
「イライアス……」

 僕はローズマリーのうなじを押え、唇を塞ぐ。ローズも僕の背中に手を回すので、僕は舌を深く差し入れ、絡め合って口づけを深める。

「ん……」

 口蓋の裏を舌で舐め上げれば、ローズマリーが身体を震わせる。唾液の甘さに我慢ができなくなり、僕は華奢な体の線片手でなぞり、細い腰に腕を回してぐっと抱き寄せる。

 ローズマリーの手から、詩集が滑り落ちた。
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