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17、不満
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偽医者・クライブ・マコーレーの嘘は、ストラスシャーから到着した本物のクライブ・マコーレー医師によって明らかになった。
男の本名はジョン・サンダース。彼は、クライブ・マコーレー医師の同級生――つまり、ローレンス大学の医学部を退学していた。
「やはり、医者の卵ではあったのですね」
僕が聞き返せば、市警のベテラン、ウォード警部が頷く。
「そうです。卒業直前に娼婦のヴィー……つまり今の女房ですが、にハマって抜けられなくなって、そのまま色街でモグリの医者をしていた。その後、偶然、同級生だったクライブ・マコーレーを見かけ、後をつけて荷物を盗み、医師免許を手に入れたようです」
「……わざと狙ったのか!」
「知っている男ならいろいろと誤魔化しやすいと考えたようです。真面目に卒業し、医師としてやっている友人への妬みもあったかもしれません」
脱落してしまった医師としての未来。それを手に入れた友人になり代わり、王都の下町の医師を演じていた。……なんだか、ひどく屈折したものを感じる。
「娼館に避妊薬や堕胎薬を卸し、媚薬なんかも配合してようです。……どの程度効くのかは知りませんが。堕胎薬では死者も出ているので、先生の情報を聞いてピンときました。……絞首刑は免れないでしょうなあ」
僕は眉を寄せる。
ローズマリーが知れば、気にするかもしれない。
「後は検察の判断ですが、先生のお名前は伝えておりますので、もしかしたら、裁判の折には証言をお願いすることになるかもしれません」
「それは覚悟しています」
僕はそれだけ言うと、帽子を手に立ち上がる。市警のロビーはさっきからひっきりなしに警官が歩き回ってとても忙しそうだ。長居すべきでない。
ウォード警部は僕を玄関まで送ってきて、言った。
「同じ医者でも先生とは大違いですな。……ま、あれは偽医者でしたが」
「何が?」
僕が驚いて振り返れば、警部が肩を竦める。
「偽マコーレーですよ。医者を名乗りながら、若い娘を娼館に売り飛ばし、怪しげな薬を売りつけて儲けていた。――先生は王立診療所の医局でも腕がいいと評判だったのに、それを捨てて戦地に向かわれたとか。まだお若いのにご立派なものです。もう、診療はなさらないので?」
見えすいたお世辞に、僕のこめかみがひきつるけれど、気取られないように微笑んで見せた。
「そんな立派な人間ではありません。――戦場では、救えない命がたくさんありました。ちょっと自信を喪失してしまって……兄が死んで、爵位を継ぐことになり、少し迷っています」
「もったいないことです。あなたのような立派なお医者がくすぶっておられるなんて!」
「……そうだね、少しは世の中の役に立たないとね」
僕は警部と握手をして別れた。
マコーレーが偽医者だった。僕はホッとすると同時に、なんだか重い石でも飲み込んだような気分であった。
同じ医者として、正直、マコーレーのやり口は我慢できなかった。
治療代の代わりにと女性の貞操を要求するなんて、医師の風上にも置けないと思っていた。
本物の医者でなかったことに、医師として安堵する。でも――
一応、本物の医師である僕がしてきたことは、マコーレーと比べてどうなのだ。
治療と銘打って虐げられた女性の身体を弄んだことに、変わりはないのではないか。
――マコーレーは偽物だったけれど、それでもバレない程度には医者として働いていた。
二年前、高熱の下がらないルーカスを、本物の医者は誰も診てくれなかったと、ローズマリーは言った。ただ一人、それを診察してくれたのがマコーレーだった、と。
少なくともマコーレーはルーカスと、その母ローズマリーを一度は救ったのだ。
ローズマリーがマコーレーの下種な要求に屈していたのも、医者としてあいつに恩義を感じていたせいもあるだろう。もしかしたら、慕ってさえいたかもしれない。
そう思うと、僕は嫉妬と同時に何とも言い難い、憐憫のような気持ちが湧いてきてしまう。
マコーレーが本物の医者じゃなかったなんて知ったら、ローズマリーはどう、思うのだろう? そんな男にいいようにされて、子供まで孕んでしまった自分を責めるんじゃないだろうか。
マコーレーが逮捕されたことは、ひとまず僕の胸の内に収め、ローズマリーには知らせないよう、ルーカスにも口止めした。子供に秘密が守れるのか不安だったが、ルーカスはやはり賢い子で、数日、注意を向けていたが、ローズマリーの耳に入っている様子はなかった。
僕がマコーレー関係であちこち呼び出されて忙殺された数日間で、ローズマリーはだいぶ回復した。三日後にはベッドから出る許可を出したが、ただし、身体を締め付けない服で、せいぜい温室まで。流産の危険があった、と脅しておいたおかげか、母も使用人たちもローズマリーに気を使ってくれる。ルーカスは子供だけあって、あっと言う間に我が家に馴染んでしまった。
住み込みで働いてくれるという家庭教師も候補者を数人に絞り、あとはブレナンと僕とで面接して決めることになっている。
すべて順調だ。ある一点を除いては。
肝心の、僕とローズマリーの仲がいっこうに進展していない。
なかなかローズマリーと二人っきりになれないのだ。昼間は僕も野暮用で忙しく、あまり屋敷にいられないし、何のかんの言って、ルーカスがローズマリーにべったりくっついている。
ローズマリーはあちこちに遠慮して、なんだか居心地悪そうに見える。それでも貧血も改善したし、悪阻も落ち着いてきたようだ。
家庭教師さえ決まれば、もう少し二人の時間が取れるのだが――
その日、午後の早い時間に面接したミス・トレヴィスは、二十代半ばのなかなか優秀な、感じの良い女性だった。ブレナンが彼女を特に気に入り、彼女に決めてしまおうとその午後は慣らしも兼ね、ルーカスの相手をしてもらうことになった。
二人にはブレナンかドーソン夫人が付き添い、母親のローズマリーと引き離して、簡単な授業をしたり遊んだりしてもらう。つまり、その間、僕はローズマリーとすごす時間ができたのだ。
僕がローズマリーの部屋にすっ飛んでいくと、彼女は窓辺に座って落ち着かなげに窓の外を眺めていた。編みかけの毛糸のおくるみが膝の上にある。手につかないらしい。
「どうしたの、ローズ」
僕が呼びかけると、ハッと目を上げ、驚きのあまり手から編み棒を取り落とす。
「あ……イライアス様」
「様はいらないよ」
僕は大股で歩みより、転がった毛糸玉を拾う。
「ルーカスが心配なの? あの子は利口ないい子だし、ミス・トレヴィス……先生も有能そうだよ? もとは子爵令嬢で、男兄弟がいなくて、爵位が叔父さんに移ってしまい、家を出たそうだ」
我が国は限嗣相続と言って、原則、直系の男子しか継承できない。男兄弟のいない貴族女性は父親を失うと家庭教師などをして何とか食いつなぐことになる。
僕がローズマリーに説明すれば、彼女はためらいがちに視線を泳がせ、それから僕を見た。
「だって、あの子はあなたの子じゃないし、この家とも関係がないのよ。それなのに、住み込みの家庭教師だなんて……!知らない人が見たら、あなたの子だと勘違いされてしまうわ」
「ルーカスが僕の子じゃないのは、この家の者はみんな知ってる」
ローズマリーがまだ、まったく膨らまないお腹に両手を当てる。
「でもこの子は――」
「この子は、僕の子だよ?」
「イライアス!」
ローズマリーが僕を見上げ、真剣な表情で首を振る。紫色の瞳が不安に潤んで、今にも涙が零れそうだ。
「そんなの、やっぱりよくないわ。ヴェロニカ夫人や、他の人たちも、騙すべきじゃない!」
「ローズ。……女嫌いで通っていた僕が、妊婦を連れてきただけで、みんな大喜びなんだよ。君は気にしなくていい」
「やっぱり、嘘はよくないわ。わたしは、ここを出てルーカスと二人で暮らしたい」
この邸を出たいとまで言われ、僕はちょっと頭に血が上る。
なぜだ。何が不満なんだ!
「ルーカスはここに馴染んで、教育も受けて、未来が広がってる。君はそれを潰すのか?」
「それは……こんなにお世話になって、余計にいたたまれないの。みなさんが親切だからかえって辛いの」
「母上はルーカスを可愛がっている。気にしなくていい」
「でも……! わたしは何も返せないわ。こんなピラピラした服を着て……せめてメイドの仕事でもさせてくれるなら――」
ローズマリーが、自分のクリーム色のシュミーズドレスを見下ろして言う。
大きく開いた襟ぐりから、真っ白い胸が半ば見えていて、僕はゴクリと唾を飲み込んだ。
「ローズ……」
男の本名はジョン・サンダース。彼は、クライブ・マコーレー医師の同級生――つまり、ローレンス大学の医学部を退学していた。
「やはり、医者の卵ではあったのですね」
僕が聞き返せば、市警のベテラン、ウォード警部が頷く。
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僕は眉を寄せる。
ローズマリーが知れば、気にするかもしれない。
「後は検察の判断ですが、先生のお名前は伝えておりますので、もしかしたら、裁判の折には証言をお願いすることになるかもしれません」
「それは覚悟しています」
僕はそれだけ言うと、帽子を手に立ち上がる。市警のロビーはさっきからひっきりなしに警官が歩き回ってとても忙しそうだ。長居すべきでない。
ウォード警部は僕を玄関まで送ってきて、言った。
「同じ医者でも先生とは大違いですな。……ま、あれは偽医者でしたが」
「何が?」
僕が驚いて振り返れば、警部が肩を竦める。
「偽マコーレーですよ。医者を名乗りながら、若い娘を娼館に売り飛ばし、怪しげな薬を売りつけて儲けていた。――先生は王立診療所の医局でも腕がいいと評判だったのに、それを捨てて戦地に向かわれたとか。まだお若いのにご立派なものです。もう、診療はなさらないので?」
見えすいたお世辞に、僕のこめかみがひきつるけれど、気取られないように微笑んで見せた。
「そんな立派な人間ではありません。――戦場では、救えない命がたくさんありました。ちょっと自信を喪失してしまって……兄が死んで、爵位を継ぐことになり、少し迷っています」
「もったいないことです。あなたのような立派なお医者がくすぶっておられるなんて!」
「……そうだね、少しは世の中の役に立たないとね」
僕は警部と握手をして別れた。
マコーレーが偽医者だった。僕はホッとすると同時に、なんだか重い石でも飲み込んだような気分であった。
同じ医者として、正直、マコーレーのやり口は我慢できなかった。
治療代の代わりにと女性の貞操を要求するなんて、医師の風上にも置けないと思っていた。
本物の医者でなかったことに、医師として安堵する。でも――
一応、本物の医師である僕がしてきたことは、マコーレーと比べてどうなのだ。
治療と銘打って虐げられた女性の身体を弄んだことに、変わりはないのではないか。
――マコーレーは偽物だったけれど、それでもバレない程度には医者として働いていた。
二年前、高熱の下がらないルーカスを、本物の医者は誰も診てくれなかったと、ローズマリーは言った。ただ一人、それを診察してくれたのがマコーレーだった、と。
少なくともマコーレーはルーカスと、その母ローズマリーを一度は救ったのだ。
ローズマリーがマコーレーの下種な要求に屈していたのも、医者としてあいつに恩義を感じていたせいもあるだろう。もしかしたら、慕ってさえいたかもしれない。
そう思うと、僕は嫉妬と同時に何とも言い難い、憐憫のような気持ちが湧いてきてしまう。
マコーレーが本物の医者じゃなかったなんて知ったら、ローズマリーはどう、思うのだろう? そんな男にいいようにされて、子供まで孕んでしまった自分を責めるんじゃないだろうか。
マコーレーが逮捕されたことは、ひとまず僕の胸の内に収め、ローズマリーには知らせないよう、ルーカスにも口止めした。子供に秘密が守れるのか不安だったが、ルーカスはやはり賢い子で、数日、注意を向けていたが、ローズマリーの耳に入っている様子はなかった。
僕がマコーレー関係であちこち呼び出されて忙殺された数日間で、ローズマリーはだいぶ回復した。三日後にはベッドから出る許可を出したが、ただし、身体を締め付けない服で、せいぜい温室まで。流産の危険があった、と脅しておいたおかげか、母も使用人たちもローズマリーに気を使ってくれる。ルーカスは子供だけあって、あっと言う間に我が家に馴染んでしまった。
住み込みで働いてくれるという家庭教師も候補者を数人に絞り、あとはブレナンと僕とで面接して決めることになっている。
すべて順調だ。ある一点を除いては。
肝心の、僕とローズマリーの仲がいっこうに進展していない。
なかなかローズマリーと二人っきりになれないのだ。昼間は僕も野暮用で忙しく、あまり屋敷にいられないし、何のかんの言って、ルーカスがローズマリーにべったりくっついている。
ローズマリーはあちこちに遠慮して、なんだか居心地悪そうに見える。それでも貧血も改善したし、悪阻も落ち着いてきたようだ。
家庭教師さえ決まれば、もう少し二人の時間が取れるのだが――
その日、午後の早い時間に面接したミス・トレヴィスは、二十代半ばのなかなか優秀な、感じの良い女性だった。ブレナンが彼女を特に気に入り、彼女に決めてしまおうとその午後は慣らしも兼ね、ルーカスの相手をしてもらうことになった。
二人にはブレナンかドーソン夫人が付き添い、母親のローズマリーと引き離して、簡単な授業をしたり遊んだりしてもらう。つまり、その間、僕はローズマリーとすごす時間ができたのだ。
僕がローズマリーの部屋にすっ飛んでいくと、彼女は窓辺に座って落ち着かなげに窓の外を眺めていた。編みかけの毛糸のおくるみが膝の上にある。手につかないらしい。
「どうしたの、ローズ」
僕が呼びかけると、ハッと目を上げ、驚きのあまり手から編み棒を取り落とす。
「あ……イライアス様」
「様はいらないよ」
僕は大股で歩みより、転がった毛糸玉を拾う。
「ルーカスが心配なの? あの子は利口ないい子だし、ミス・トレヴィス……先生も有能そうだよ? もとは子爵令嬢で、男兄弟がいなくて、爵位が叔父さんに移ってしまい、家を出たそうだ」
我が国は限嗣相続と言って、原則、直系の男子しか継承できない。男兄弟のいない貴族女性は父親を失うと家庭教師などをして何とか食いつなぐことになる。
僕がローズマリーに説明すれば、彼女はためらいがちに視線を泳がせ、それから僕を見た。
「だって、あの子はあなたの子じゃないし、この家とも関係がないのよ。それなのに、住み込みの家庭教師だなんて……!知らない人が見たら、あなたの子だと勘違いされてしまうわ」
「ルーカスが僕の子じゃないのは、この家の者はみんな知ってる」
ローズマリーがまだ、まったく膨らまないお腹に両手を当てる。
「でもこの子は――」
「この子は、僕の子だよ?」
「イライアス!」
ローズマリーが僕を見上げ、真剣な表情で首を振る。紫色の瞳が不安に潤んで、今にも涙が零れそうだ。
「そんなの、やっぱりよくないわ。ヴェロニカ夫人や、他の人たちも、騙すべきじゃない!」
「ローズ。……女嫌いで通っていた僕が、妊婦を連れてきただけで、みんな大喜びなんだよ。君は気にしなくていい」
「やっぱり、嘘はよくないわ。わたしは、ここを出てルーカスと二人で暮らしたい」
この邸を出たいとまで言われ、僕はちょっと頭に血が上る。
なぜだ。何が不満なんだ!
「ルーカスはここに馴染んで、教育も受けて、未来が広がってる。君はそれを潰すのか?」
「それは……こんなにお世話になって、余計にいたたまれないの。みなさんが親切だからかえって辛いの」
「母上はルーカスを可愛がっている。気にしなくていい」
「でも……! わたしは何も返せないわ。こんなピラピラした服を着て……せめてメイドの仕事でもさせてくれるなら――」
ローズマリーが、自分のクリーム色のシュミーズドレスを見下ろして言う。
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「ローズ……」
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