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70、今宵の月に誓う
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その夜は王宮の舞踏会で、ラファエルとジュスティーヌは新ボーモン伯夫妻として広間に現れた。ラファエルはこの日のために、ジュスティーヌには月の光のような、白金色のドレスを用意した。首元を飾るのは貞潔を示すサファイアで、彼女の青い瞳によく似あった。ラファエルは濃紺の上着にやはりサファイアをあしらい、二人が並んだ麗しさには、皆溜息をついてしまう。国王夫妻や王太子夫妻に挨拶を終え、ラファエルの父や兄夫婦とも挨拶を交わして、宴も酣になったころ、ラファエルはジュスティーヌをそっと、王宮の庭に連れ出した。
「今宵は月がありますから、水に映った月をご覧になりたいでしょう?」
いつか二人で眺めた、噴水のある池の傍でそう言われて、ジュスティーヌはだが、昨年、この同じ場所でラファエルに振られたミレイユのことを思い出し、居たたまれない気持ちになる。
「そういえば、さっき、セルジュ先輩に会ったんです」
「セルジュ……ということは、ミレイユも来ているのですか?」
水に映った月を見ていたジュスティーヌが、はっとしてラファエルを振り返ると、ラファエルは首を振った。
「妊娠中なんだそうです」
「まあ……」
ジュスティーヌが息を飲んだ。
「今は幸せだから、俺にも、姫にも幸せになって欲しいと」
その言葉に、ジュスティーヌがくたりと力を抜いてラファエルにもたれ掛かるのを、ラファエルは造作なく抱きとめた。
「ミレイユは、わたくしを許してくださるのかしら……」
そう、ぽつりとつぶやくジュスティーヌに、ラファエルは言う。
「ミレイユは最初から、姫を恨んではいませんよ。俺たちが上手く行かなかったのは、姫のせいではないと、彼女もわかっていたはずです」
「でも――」
ジュスティーヌは睫毛を伏せていう。
「わたくしとの話がなければ、二人は今頃――」
「おそらくミレイユは父親の決めた相手に嫁ぎ、俺は一人だったでしょうね」
そうだろうか。だが、ラファエルとジュスティーヌの結婚は、もともと王太子マルスランの薦めによるものだ。王家からの意向を断ることができず、ラファエルはジュスティーヌを受け入れただけなのに。
ラファエルがジュスティーヌの耳元に唇を近づけ、囁いた。
「姫、俺は……姫に嘘をついたことを、謝らねばなりません」
「嘘? 嘘って……?」
ジュスティーヌが驚いて、ラファエルを振り返り、見上げる。
「昨年、俺は姫に言いました。ミレイユと別れたのは、愛よりも義を取ったからだと。本当は、そんな理由ではありません。――俺は、ミレイユから心変わりして、姫を愛してしまった。たとえ姫と結ばれることがなかったとしても、姫以外では無理だと思ったからです。でも、それを正直に口に出して、姫に軽蔑されることが恐ろしかった。俺は卑怯です。まるで、王家への忠義のために、姫との結婚を受け入れるフリをして――」
ラファエルは恥じ入るように、瞼を伏せる。
「本当は、姫が欲しくて堪らなかったのに、白い結婚でも構わないと言った。姫のお優しさに乗じて、姫の寝台に上がり込み、姫の罪悪感を利用して、醜い欲を満たしたいと望んでいる。俺は――」
「ラファエル――」
「姫。俺は、姫を愛しています。あなたと正真正銘の夫婦になりたい。どれだけ時間がかかっても、いつまでも待つつもりではいます。でも――」
まっすぐにジュスティーヌを見つめるラファエルの瞳が、妖しい輝きを宿すのは、庭の篝火のあかりを反射したせいか、あるいは、彼の中にも確実に燃えている、ジュスティーヌに対する獣じみた欲望のせいなのか。
ジュスティーヌはゴクリと唾を飲み込むと、だが視線をふと、噴水の池の水面で揺れる、月影に移す。
幸せは、水に映った月のように儚いもの。自分とは無縁な、触れた途端に零れ落ちるものだと、思い込んでいた。もう、この世にはいない男の影に怯え、自ら掴み取るのを放棄していた。
ジュスティーヌはラファエルの、煌めく双眸をじっと見つめ返す。ジュスティーヌの瞳もまた、篝火に輝いているに違いない。
「ラファエル、わたくしも――あなたの、ちゃんとした妻になりたいと思います。あなたを愛して、夫として受け入れたい。今すぐには、無理かもしれないけれど、あなたが導いてくださるなら――」
「俺の、欺瞞を許していただけるのですか?」
「わたくしこそ、至らない妻ですのに――」
睫毛を伏せるジュスティーヌの頬に、長い指でラファエルがそっと触れる。
「俺たちの城に帰ったら、あなたを求めてもいいですか? ここではなくて、二人の城の、寝台の上であなたを抱きたいのです。たとえ、その時は上手くいかなくとも、いつか、本当の夫婦になれるまで」
ジュスティーヌは頬に触れているラファエルの指に、白い指を絡ませる。目は真っ直ぐにラファエルの目からそらさず、はっきりと頷いた。
近づく夜の約束とともに、ラファエルは長身を折り曲げるようにしてジュスティーヌの顔に顔を近づけ、そっと唇に唇で触れた。
「今宵は月がありますから、水に映った月をご覧になりたいでしょう?」
いつか二人で眺めた、噴水のある池の傍でそう言われて、ジュスティーヌはだが、昨年、この同じ場所でラファエルに振られたミレイユのことを思い出し、居たたまれない気持ちになる。
「そういえば、さっき、セルジュ先輩に会ったんです」
「セルジュ……ということは、ミレイユも来ているのですか?」
水に映った月を見ていたジュスティーヌが、はっとしてラファエルを振り返ると、ラファエルは首を振った。
「妊娠中なんだそうです」
「まあ……」
ジュスティーヌが息を飲んだ。
「今は幸せだから、俺にも、姫にも幸せになって欲しいと」
その言葉に、ジュスティーヌがくたりと力を抜いてラファエルにもたれ掛かるのを、ラファエルは造作なく抱きとめた。
「ミレイユは、わたくしを許してくださるのかしら……」
そう、ぽつりとつぶやくジュスティーヌに、ラファエルは言う。
「ミレイユは最初から、姫を恨んではいませんよ。俺たちが上手く行かなかったのは、姫のせいではないと、彼女もわかっていたはずです」
「でも――」
ジュスティーヌは睫毛を伏せていう。
「わたくしとの話がなければ、二人は今頃――」
「おそらくミレイユは父親の決めた相手に嫁ぎ、俺は一人だったでしょうね」
そうだろうか。だが、ラファエルとジュスティーヌの結婚は、もともと王太子マルスランの薦めによるものだ。王家からの意向を断ることができず、ラファエルはジュスティーヌを受け入れただけなのに。
ラファエルがジュスティーヌの耳元に唇を近づけ、囁いた。
「姫、俺は……姫に嘘をついたことを、謝らねばなりません」
「嘘? 嘘って……?」
ジュスティーヌが驚いて、ラファエルを振り返り、見上げる。
「昨年、俺は姫に言いました。ミレイユと別れたのは、愛よりも義を取ったからだと。本当は、そんな理由ではありません。――俺は、ミレイユから心変わりして、姫を愛してしまった。たとえ姫と結ばれることがなかったとしても、姫以外では無理だと思ったからです。でも、それを正直に口に出して、姫に軽蔑されることが恐ろしかった。俺は卑怯です。まるで、王家への忠義のために、姫との結婚を受け入れるフリをして――」
ラファエルは恥じ入るように、瞼を伏せる。
「本当は、姫が欲しくて堪らなかったのに、白い結婚でも構わないと言った。姫のお優しさに乗じて、姫の寝台に上がり込み、姫の罪悪感を利用して、醜い欲を満たしたいと望んでいる。俺は――」
「ラファエル――」
「姫。俺は、姫を愛しています。あなたと正真正銘の夫婦になりたい。どれだけ時間がかかっても、いつまでも待つつもりではいます。でも――」
まっすぐにジュスティーヌを見つめるラファエルの瞳が、妖しい輝きを宿すのは、庭の篝火のあかりを反射したせいか、あるいは、彼の中にも確実に燃えている、ジュスティーヌに対する獣じみた欲望のせいなのか。
ジュスティーヌはゴクリと唾を飲み込むと、だが視線をふと、噴水の池の水面で揺れる、月影に移す。
幸せは、水に映った月のように儚いもの。自分とは無縁な、触れた途端に零れ落ちるものだと、思い込んでいた。もう、この世にはいない男の影に怯え、自ら掴み取るのを放棄していた。
ジュスティーヌはラファエルの、煌めく双眸をじっと見つめ返す。ジュスティーヌの瞳もまた、篝火に輝いているに違いない。
「ラファエル、わたくしも――あなたの、ちゃんとした妻になりたいと思います。あなたを愛して、夫として受け入れたい。今すぐには、無理かもしれないけれど、あなたが導いてくださるなら――」
「俺の、欺瞞を許していただけるのですか?」
「わたくしこそ、至らない妻ですのに――」
睫毛を伏せるジュスティーヌの頬に、長い指でラファエルがそっと触れる。
「俺たちの城に帰ったら、あなたを求めてもいいですか? ここではなくて、二人の城の、寝台の上であなたを抱きたいのです。たとえ、その時は上手くいかなくとも、いつか、本当の夫婦になれるまで」
ジュスティーヌは頬に触れているラファエルの指に、白い指を絡ませる。目は真っ直ぐにラファエルの目からそらさず、はっきりと頷いた。
近づく夜の約束とともに、ラファエルは長身を折り曲げるようにしてジュスティーヌの顔に顔を近づけ、そっと唇に唇で触れた。
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