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68、過分な妻
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狩の翌日、ラファエルは王太子の執務室に伺候した。
「待っていたぞ、ラファエル。――ずいぶん、顔色もいいようだな」
マルスランがジュスティーヌと同じ蜂蜜色の髪と、青い瞳でラファエルに気軽に声をかける。かつての近衛騎士の、新婚の姿を揶揄いたくてたまらないらしい。
「は、おかげさまで」
当たり障りのない答えを返し、謹直に頭を下げるラファエルに、マルスランが言った。
「これ、でかしたな。数年分の不正の証拠がバッチリだ」
マルスランが手にしたのは、ラファエルが送った、ギヨーム・バルテルの裏帳簿だ。それを指に挟んでヒラヒラと見せながら、王太子が笑う。
「略号を読み解くのにやや、骨が折れたが、だいたい解読できたと思う。それ以前の収穫高と比べ、不自然に減少していた分、やはり不正があったとわかった」
「そうでしたか」
ラファエルは写しを取り、カトリーヌから聞き出した一部の略号を付して原本をマルスランに送っただけで、自らは帳簿の解読は行っていないが、羊皮紙の古さやインクの色から、ラファエルを嵌めるための偽物ではなく、本物だろうとは思っていた。マルスランはベテランの徴税官を動員して裏帳簿を解読し、明らかな不正の跡を発見したということだ。
「この帳簿はバルテルの姪が持っていたというが、どうやって手に入れたのだ」
「これと引き換えに、愛妾にしてくれと言われましたので、帳簿だけいただいて追い返しました」
「……それは、どうやって」
「スカートの中に隠しているというので、スカートをまくってストッキングの中から取り上げて……」
「で、追い返す」
「はい」
何事もないようにラファエルが言うのを、マルスランが金色の眉を寄せる。
「それは……怒っていたのではないか?」
「まあ、さんざん、言いふらしてやるとか、罵っていましたが」
「言いふらされて問題ないのか?」
「事実、関係があるのなら問題でしょうが、別にスカートをめくっただけですから」
なんとなく、マルスランが額に手をあてて溜息をついている。
「おぬしが朴念仁なのは、今に始まったことではないが……妙な噂がジュスティーヌの耳に入れば、厄介なことになるぞ?」
ラファエルも少しだけ眉を顰め、言った。
「それは、姫に信じていただくほかありません」
ジュスティーヌは不安を覚えるかもしれないが、実際、ラファエルはカトリーヌに対して好意はかけらも抱いていないし、ジュスティーヌ以外の女とどうこうするつもりもない。愛しているのはジュスティーヌだけだと、わかってもらうしかないのだと思う。――ミレイユの時も、まだジュスティーヌへの恋を意識せず、ミレイユと結婚するつもりだったのに、ミレイユは噂に流されてラファエルを詰った。結局は二人の間の信頼関係の問題なのだ、と。
「まあいいさ。どのみち、ギヨーム・バルテルは不正を弾劾され、所領の荘園は没収されることになる。おぬしが領地に戻るまでには、書類も全て整えて王令を発布させる。後任が決まるまでは、おぬしが代理で管理をせよ」
「は」
ラファエルが頭を下げると、マルスランは少しだけ、身を乗り出すようにして小声で言った。
「ジュスティーヌはその……どうなのだ?」
「どう、と申されましても……」
マルスランも、ジュスティーヌがラファエルを寝室から閉め出している、という報告を聞いていた。王宮では寝室はともにしているようだが、二人の仲はどうなっているのか。
ラファエルは困ったように、少しだけ相好を崩す。
「ぼちぼち、と言ったところでしょうか。一生懸命に、〈妻のつとめ〉を果たそうと努力なさるところは、大変愛らしい」
なんとなく、その〈妻のつとめ〉という言葉に含みを感じて、マルスランは眉を寄せる。
「なるほど。……上手くいっているのなら、よいが」
だがマルスランは気を取り直し、椅子に深く腰掛けなおしてから、言う。
「ジュスティーヌは我儘で、お転婆な娘だった。父上も母上も、おばあ様までが甘やかすから、したい放題で……それが、突如隣国に嫁ぐことになり、私は妹を守れなかったことをずっと、悔いていた。あんな風に傷ついて戻ってきて、本当に胸が痛かった。結婚してから初めて見たが、顔色も悪くなくて、安堵はしていた。苦労はかけるかもしれないが、大切にしてやってほしいのだ」
マルスランが青い瞳で、ラファエルの紫色の瞳をじっと見つめる。王太子の真摯な言葉に、ラファエルも思わず居住まいを正す。
「もちろんです。俺には過分な妻です。頭の上に戴くように、大切にしたいと思っております」
その返答に、マルスランは少し微笑み、満足そうにうなずいた。
「待っていたぞ、ラファエル。――ずいぶん、顔色もいいようだな」
マルスランがジュスティーヌと同じ蜂蜜色の髪と、青い瞳でラファエルに気軽に声をかける。かつての近衛騎士の、新婚の姿を揶揄いたくてたまらないらしい。
「は、おかげさまで」
当たり障りのない答えを返し、謹直に頭を下げるラファエルに、マルスランが言った。
「これ、でかしたな。数年分の不正の証拠がバッチリだ」
マルスランが手にしたのは、ラファエルが送った、ギヨーム・バルテルの裏帳簿だ。それを指に挟んでヒラヒラと見せながら、王太子が笑う。
「略号を読み解くのにやや、骨が折れたが、だいたい解読できたと思う。それ以前の収穫高と比べ、不自然に減少していた分、やはり不正があったとわかった」
「そうでしたか」
ラファエルは写しを取り、カトリーヌから聞き出した一部の略号を付して原本をマルスランに送っただけで、自らは帳簿の解読は行っていないが、羊皮紙の古さやインクの色から、ラファエルを嵌めるための偽物ではなく、本物だろうとは思っていた。マルスランはベテランの徴税官を動員して裏帳簿を解読し、明らかな不正の跡を発見したということだ。
「この帳簿はバルテルの姪が持っていたというが、どうやって手に入れたのだ」
「これと引き換えに、愛妾にしてくれと言われましたので、帳簿だけいただいて追い返しました」
「……それは、どうやって」
「スカートの中に隠しているというので、スカートをまくってストッキングの中から取り上げて……」
「で、追い返す」
「はい」
何事もないようにラファエルが言うのを、マルスランが金色の眉を寄せる。
「それは……怒っていたのではないか?」
「まあ、さんざん、言いふらしてやるとか、罵っていましたが」
「言いふらされて問題ないのか?」
「事実、関係があるのなら問題でしょうが、別にスカートをめくっただけですから」
なんとなく、マルスランが額に手をあてて溜息をついている。
「おぬしが朴念仁なのは、今に始まったことではないが……妙な噂がジュスティーヌの耳に入れば、厄介なことになるぞ?」
ラファエルも少しだけ眉を顰め、言った。
「それは、姫に信じていただくほかありません」
ジュスティーヌは不安を覚えるかもしれないが、実際、ラファエルはカトリーヌに対して好意はかけらも抱いていないし、ジュスティーヌ以外の女とどうこうするつもりもない。愛しているのはジュスティーヌだけだと、わかってもらうしかないのだと思う。――ミレイユの時も、まだジュスティーヌへの恋を意識せず、ミレイユと結婚するつもりだったのに、ミレイユは噂に流されてラファエルを詰った。結局は二人の間の信頼関係の問題なのだ、と。
「まあいいさ。どのみち、ギヨーム・バルテルは不正を弾劾され、所領の荘園は没収されることになる。おぬしが領地に戻るまでには、書類も全て整えて王令を発布させる。後任が決まるまでは、おぬしが代理で管理をせよ」
「は」
ラファエルが頭を下げると、マルスランは少しだけ、身を乗り出すようにして小声で言った。
「ジュスティーヌはその……どうなのだ?」
「どう、と申されましても……」
マルスランも、ジュスティーヌがラファエルを寝室から閉め出している、という報告を聞いていた。王宮では寝室はともにしているようだが、二人の仲はどうなっているのか。
ラファエルは困ったように、少しだけ相好を崩す。
「ぼちぼち、と言ったところでしょうか。一生懸命に、〈妻のつとめ〉を果たそうと努力なさるところは、大変愛らしい」
なんとなく、その〈妻のつとめ〉という言葉に含みを感じて、マルスランは眉を寄せる。
「なるほど。……上手くいっているのなら、よいが」
だがマルスランは気を取り直し、椅子に深く腰掛けなおしてから、言う。
「ジュスティーヌは我儘で、お転婆な娘だった。父上も母上も、おばあ様までが甘やかすから、したい放題で……それが、突如隣国に嫁ぐことになり、私は妹を守れなかったことをずっと、悔いていた。あんな風に傷ついて戻ってきて、本当に胸が痛かった。結婚してから初めて見たが、顔色も悪くなくて、安堵はしていた。苦労はかけるかもしれないが、大切にしてやってほしいのだ」
マルスランが青い瞳で、ラファエルの紫色の瞳をじっと見つめる。王太子の真摯な言葉に、ラファエルも思わず居住まいを正す。
「もちろんです。俺には過分な妻です。頭の上に戴くように、大切にしたいと思っております」
その返答に、マルスランは少し微笑み、満足そうにうなずいた。
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