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51、遠乗り

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 翌日。ラファエルの乗馬の前鞍に乗せられ、背後から包まれるように抱き込まれて、ジュスティーヌは馬に揺られる。ラファエルは遠目には細身だが、間近に接してみるとしっかりと鍛えた身体つきをしていて、何があっても斃れないであろう、安心感があった。

 ジュスティーヌは蜂蜜色に輝く金髪を幾筋にも分けて編み込みにし、数本の長い三つ編みを頭の後ろ丸めて小さな髷を作り、他は自然に背中に流している。時々、頭の後ろのラファエルの顔が当たるのを感じる。どうやらさりげなさを装って、ひそかに髪の香りを嗅いでいるらしい。

 二人の乗った馬は、なだらかに続く田園の麦畑を貫く道を通り抜け、豊かに広がる牧草地の横切り、ついにごつごつした岩が所々に点在し、灌木と枯草の広がる荒地へと来た。

「随分、寂しいところですのね」

 ジュスティーヌが言うが、ラファエルはまず自分が馬を降り、ジュスティーヌを馬から抱きおろして、言う。

「ええ。でも、美しいでしょう? 人の手によって拓かれ、耕された土地も美しいですが、こういう、自然のままの場所も美しい。王都にいればなかなか見られない光景です」
「それは――本当に、そう」

 秋の空はあくまでも高く、青く澄んで、白い雲が時々流れていく。

「姫とでしたら、こんな何もない場所でも、俺は生きていけますよ?」
「わたくしが無理だわ。――何も、できないんですもの」
「あなたは存在がすでに美しいから、それでいいのです」

 自然に手を取り合い、馬を曳きながらゆっくりと歩いていく。溝を飛び越えるときはラファエルが手を貸して、半ばジュスティーヌを抱きかかえるようにして、少し小高くなった丘の上まで来た。荒地を見はるかすと、畑地の向こうに高くそびえる城の塔が見えた。

「あそこから来たのですね――」

 ジュスティーヌが風に靡く髪を抑えながら言い、ラファエルも頷く。ラファエルが持ってきた毛布(ブランケット)を敷いて並んで座り、バスケットに入れて持参した菓子、パン、チーズを並べる。革袋に入れた葡萄酒をラファエルが取り出し、使い捨てにする素焼きのカップを取り出したところ、一つは振動で割れてしまっていた。

「これは姫がお使いください。俺は革袋からラッパ飲みに……」
「もう夫婦なのですから、カップを二人で使えばいいでしょう」

 ジュスティーヌの言葉を、ラファエルが感動したように繰り返す。

「夫婦! そうですね、夫婦ですから!」
「いちいち反応しないでください。恥ずかしい」

 赤くなって俯くジュスティーヌの頬に、ラファエルが思わず、という風に唇を寄せて口づける。びっくりして青い瞳を見開くジュスティーヌに、ラファエルも赤くなって目を逸らす。

「すみません……つい……調子に乗りました」
「びっくりします。……そんなの」
「その、すみません、突然。……嫌では、ないですか?」
 
 そんな風に聞かれ、ジュスティーヌはラファエルの唇が触れた頬にそっと手をやる。

「その……嫌ではないですが、突然は困ります」
「では……もう一度、口づけても……」
「それは……」

 ほんのわずかに頷いたジュスティーヌの頬に、ラファエルがもう一度触れるだけの口づけをする。触れられた頬が、燃えるように熱くなって、ジュスティーヌは耳まで真っ赤になってしまう。

「本当に、あなたは可愛らしい……」
 
 感嘆したように呟くラファエルを、ジュスティーヌは睨むようにして、言った。

「そんなこと仰って……」
「どうして? 本気で言っているのですよ。本当に、可愛い」
「……ミレイユにも、同じことをなさいましたの?」

 思わず口走ってしまってから、ジュスティーヌはしまったと口を手で押さえる。なんて浅ましいことを聞いてしまったのだろうか。だがラファエルは一瞬、驚いて目を瞠っていたが、次の瞬間には真顔になって首を振る。

「いいえ、ミレイユにはこんなことは何も。……そう言えば、口づけ一つしたことはなかったな」

 ラファエル自身、少し驚いているようであった。

「なぜ……」
「彼女の父親が交際を認めてくれなかったのもありますが、俺は騎士たるもの、女性にみだりに触れるべきではないと思っていました。ましてや口づけなど……」
「じゃあ、わたくしにはなんで……」

 ラファエルは困ったように眉を寄せて、言う。
 
「さあ、なぜあんなことをしたのでしょう。気づいたら、していたのです。俺はミレイユのためなら騎士でなければと思いましたが、ミレイユを得るために騎士をやめようとは思えませんでした。でも、あなたのためであれば、騎士を辞めるのも何とも思いません」

 そんな風にまっすぐに見つめられて言われて、ジュスティーヌはその後、頭がふわふわとして、何を食べてもどんな味だったか、まったく覚えていなかった。
 
 
 
 
 二人の間の垣根はほとんどなくなったように見えた。――おそらく、ラファエルはどこかでそう、思っていた。もっと近づきたい。もっと触れたい。そんな思いで頭がいっぱいになり、ジュスティーヌの抱える傷の深さを思いやることがなかった。

 たとえ表面的には塞がっているように見えても、深い傷は少しの衝撃で再び口を開いてしまう。
 ラファエルはそのことに気づかなかった。





 夕食後、いつものように二人で寝台に上がり、ジュスティーヌは癖なのか、ぽすぽすと羽毛の枕を整えて横になる。その様子を見ていて、ラファエルはどうしようもないほど、ジュスティーヌに触れたくなった。最後まで奪うつもりはない。ただ、抱きしめて、触れたい。

 馬上で、ずっと半ば抱きしめるように腕の中にいたのだ。顔のすぐ前に金色の小さな頭と、馨しい髪の香りがして――。

『もう夫婦なのですから』

 ジュスティーヌの言葉が、彼の押し隠していた欲望を刺激する。そう、目の前にいるのは神の前に誓った、彼の妻。どうして、触れていけないということがある。少しだけ、少し、抱きしめるだけ――。

 誘惑に抗えず、ラファエルは横たわるジュスティーヌを上から覗き込む。蝋燭の光が遮られ、ジュスティーヌの伏せた睫毛に影が落ちる。異変に気付いたジュスティーヌが、目を開けて下からラファエルを見た。

「姫――ジュスティーヌ、愛しています」

 そう囁いて、ラファエルがジュスティーヌの顔に顔を近づける。口づけようとしていたラファエルは、睫毛を伏せていたから気づかなかった。上から迫ってくるラファエルの顔を見上げるジュスティーヌの青い瞳が、驚きではなく恐怖に見開かれたことに――。

 ラファエルの唇が頬に触れるか触れないかの刹那、ジュスティーヌが絹を引き裂くような悲鳴を上げた。

「い、……やああああぁ!」

 はっとしたラファエルが弾かれたように身体を起こした時には、すでにジュスティーヌは恐怖で気を失う寸前だった。

「姫……?」
「や、やああ! いやあああ!」

 そうして、細い身体を仰け反らせて痙攣するように震えた挙句、ジュスティーは意識を失う。
 
「姫、姫?!……姫!」

 悲鳴を聞いた乳母たちが部屋に駆け付けた時、ラファエルはただ、狼狽してただジュスティーヌを揺さぶり、必死に呼びかけることしかできなかった。
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