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49、行儀見習いたち
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お披露目も無事に済んで、ラファエルとジュスティーヌの新婚生活は問題なく始まった。傍から見れば、二人の仲は文句なく睦まじかった。
実際には、二人の間には夫婦の営みはまだない。ジュスティーヌ付きの侍女三人と乳母は、もちろんそれに気づいてはいたが、姫がラファエルを寝台に入れている以上、いずれはと思って敢えて触れずにいた。――結局、ラファエルはなし崩し的に、ジュスティーヌの寝台で眠る権利を獲得したのである。
城内の雑事は、すべて家令のヨアヒムとアキテーヌ夫人によって取り仕切られ、領主夫人とは言え、ジュスティーヌはしなければならないことは、ほとんどない。
ジュスティーヌ付きの侍女は三人。乳母アンナと、その実の娘であるソフィーとジャンヌ、そしてマリーである。そのほかの使用人はすべてアキテーヌ夫人の配下に置かれていた。
城内にはそのほか、近隣の荘園から「行儀見習い」と言う名目で、住み込みで働いている者が何人もいた。ボーモン領を含めたこの地方一帯は、かつては王家に反目する大諸侯が治めていた。その大諸侯が王家によって誅滅させられた後、いくつかに分割して王の譜代の臣下へ封地として与えられたが、ボーモン領を拝領した家が数代前に絶えて以後は、ボーモン領は王家の直轄地とされてきた。近隣の荘園主たちは、もとはと言えば王家に反目していた大諸侯の支配下にあったため、王家への忠誠の証に、一族の若者を半ば人質として「行儀見習い」に差し出す風習があった。ボーモン城は長く主が不在で、離宮として王家が管理してきたが、そういう城では「行儀見習い」にはさしたる仕事もなくて、ただ習慣として、近隣の名家の若者が集められてぶらぶらしていた。
ラファエルが領主となって赴任し、城内の体制も大きく変わった。領主夫妻の居住する城となったからには、仕える者の意識も当然、変わらねばならないのに、見習いたちの甘い考えはそのままで、正規雇用の使用人たちの足を引っ張る形となり、アキテーヌ夫人などは頭を痛めていた。
それでも、従僕や文官、騎士の見習いとして出仕している近隣荘園主の次男、三男などは、ラファエルの許で働くうちに、ボーモン伯家の郎党としての意識を持ちつつある。問題は、侍女として出仕している娘たちであった。もともと、実家に帰れば荘園主の令嬢として、何不自由なく育ってきた少女たちで、ボーモン城で一年も働けば結婚に際して箔がつくというのもあり、どこか浮ついた気持ちが蔓延していた。
初めて城に入ったころ、ラファエルはそういう「行儀見習い」の娘たちに対し、王都の貴婦人たちに対するのと同様に、丁寧な物腰で接していた。単に、相手の身分によって態度を変えるということを潔しとしなかっただけであるが、それが娘たちを有頂天にさせ、ラファエルが自分に気があると、勘違いしてしまう者が続出した。結婚前で一人寝するラファエルの寝室に、闇に紛れて忍び込む者まで出るにおよび、さすがのラファエルも頭を抱える。
それ以後、ラファエルは極力、彼女らと距離を置くように心がけ、また、さすがにジュスティーヌが嫁いで来たことで、娘たちの狂騒も下火になったかと思われた。だが懲りない娘たちの中には、あからさまに愛人狙いで、ラファエルを落とそうと無駄な努力を重ねる者がまだ、残っていたのであった。
ある時、散歩から戻ったジュスティーヌを家令のヨアヒムがホールで呼び止め、王都からの手紙が来ていると告げる。ヨアヒムがそれを取りに行く間、ジュスティーヌはホールに置かれた長椅子にかけて待つことにした。そのホールの薄い間仕切り一枚隔てただけの裏側を、「行儀見習い」の侍女たちが、大声でしゃべりながら歩いていく。――アキテーヌ夫人であればすぐにも飛んでいって注意するところであるが、ジュスティーヌは姦しさに一瞬、眉をひそめたけれど、咎めだてても無粋だと、そのまま聞き流していた。
「最近、ラファエル様に全然、近づけなくって!――あー、せめて一夜のお情けをいただきたいのに」
「カトリーヌ、無茶言わないの。ラファエル様は新婚ホヤホヤじゃない」
「えー、でもね、洗濯場の人が言ってたのよ。もしかしたら、あの二人、まだ……じゃないのかって。なんか二人でいる雰囲気も、少しぎこちないじゃない?」
「まさか! 毎晩、ご一緒にお休みなのよ? そんな馬鹿な」
その言葉を耳にして、ジュスティーヌが思わず手で胸を押える。
「……だってさ、結局、ラファエル様はあのお姫様と結婚したおかげで、領主になれたわけでしょ? 王様としては一種の厄介払いよね? 好きでもない女を押し付けられて、それも四十も年上の男の相手をしていたような女よ? 姫君ったってねぇ……」
「しぃ! カトリーヌ、いくらなんでも失礼よ? お国のために遠い異国に嫁いでおられたんだから」
「でも気持ち悪いじゃない。四十も上の男なんて、わたしだったら死んだ方がマシだわ。よく我慢できたわよねー。ラファエル様も案外、そういうところが無理だと思っていらっしゃるんじゃない?」
衝立の向こうから聞こえるあからさまなやり取りに、ジュスティーヌも周囲の侍女たちも硬直してしまい、咄嗟に動くことができなかった。我に返り、慌てて止めに行こうとするマリーの腕を、ジュスティーヌが掴んで引き留める。
たしかに今さら止めたところで、お互いに気まずいだけである。だからといって、いくら何でも捨て置くことはできまい。――衝立の裏の主従の葛藤も知らずに、「行儀見習い」たちは喋りながら歩き去っていく。
その夜、気分が悪いので食事はいらないと、ジュスティーヌは早々に寝室に閉じこもってしまった。
実際には、二人の間には夫婦の営みはまだない。ジュスティーヌ付きの侍女三人と乳母は、もちろんそれに気づいてはいたが、姫がラファエルを寝台に入れている以上、いずれはと思って敢えて触れずにいた。――結局、ラファエルはなし崩し的に、ジュスティーヌの寝台で眠る権利を獲得したのである。
城内の雑事は、すべて家令のヨアヒムとアキテーヌ夫人によって取り仕切られ、領主夫人とは言え、ジュスティーヌはしなければならないことは、ほとんどない。
ジュスティーヌ付きの侍女は三人。乳母アンナと、その実の娘であるソフィーとジャンヌ、そしてマリーである。そのほかの使用人はすべてアキテーヌ夫人の配下に置かれていた。
城内にはそのほか、近隣の荘園から「行儀見習い」と言う名目で、住み込みで働いている者が何人もいた。ボーモン領を含めたこの地方一帯は、かつては王家に反目する大諸侯が治めていた。その大諸侯が王家によって誅滅させられた後、いくつかに分割して王の譜代の臣下へ封地として与えられたが、ボーモン領を拝領した家が数代前に絶えて以後は、ボーモン領は王家の直轄地とされてきた。近隣の荘園主たちは、もとはと言えば王家に反目していた大諸侯の支配下にあったため、王家への忠誠の証に、一族の若者を半ば人質として「行儀見習い」に差し出す風習があった。ボーモン城は長く主が不在で、離宮として王家が管理してきたが、そういう城では「行儀見習い」にはさしたる仕事もなくて、ただ習慣として、近隣の名家の若者が集められてぶらぶらしていた。
ラファエルが領主となって赴任し、城内の体制も大きく変わった。領主夫妻の居住する城となったからには、仕える者の意識も当然、変わらねばならないのに、見習いたちの甘い考えはそのままで、正規雇用の使用人たちの足を引っ張る形となり、アキテーヌ夫人などは頭を痛めていた。
それでも、従僕や文官、騎士の見習いとして出仕している近隣荘園主の次男、三男などは、ラファエルの許で働くうちに、ボーモン伯家の郎党としての意識を持ちつつある。問題は、侍女として出仕している娘たちであった。もともと、実家に帰れば荘園主の令嬢として、何不自由なく育ってきた少女たちで、ボーモン城で一年も働けば結婚に際して箔がつくというのもあり、どこか浮ついた気持ちが蔓延していた。
初めて城に入ったころ、ラファエルはそういう「行儀見習い」の娘たちに対し、王都の貴婦人たちに対するのと同様に、丁寧な物腰で接していた。単に、相手の身分によって態度を変えるということを潔しとしなかっただけであるが、それが娘たちを有頂天にさせ、ラファエルが自分に気があると、勘違いしてしまう者が続出した。結婚前で一人寝するラファエルの寝室に、闇に紛れて忍び込む者まで出るにおよび、さすがのラファエルも頭を抱える。
それ以後、ラファエルは極力、彼女らと距離を置くように心がけ、また、さすがにジュスティーヌが嫁いで来たことで、娘たちの狂騒も下火になったかと思われた。だが懲りない娘たちの中には、あからさまに愛人狙いで、ラファエルを落とそうと無駄な努力を重ねる者がまだ、残っていたのであった。
ある時、散歩から戻ったジュスティーヌを家令のヨアヒムがホールで呼び止め、王都からの手紙が来ていると告げる。ヨアヒムがそれを取りに行く間、ジュスティーヌはホールに置かれた長椅子にかけて待つことにした。そのホールの薄い間仕切り一枚隔てただけの裏側を、「行儀見習い」の侍女たちが、大声でしゃべりながら歩いていく。――アキテーヌ夫人であればすぐにも飛んでいって注意するところであるが、ジュスティーヌは姦しさに一瞬、眉をひそめたけれど、咎めだてても無粋だと、そのまま聞き流していた。
「最近、ラファエル様に全然、近づけなくって!――あー、せめて一夜のお情けをいただきたいのに」
「カトリーヌ、無茶言わないの。ラファエル様は新婚ホヤホヤじゃない」
「えー、でもね、洗濯場の人が言ってたのよ。もしかしたら、あの二人、まだ……じゃないのかって。なんか二人でいる雰囲気も、少しぎこちないじゃない?」
「まさか! 毎晩、ご一緒にお休みなのよ? そんな馬鹿な」
その言葉を耳にして、ジュスティーヌが思わず手で胸を押える。
「……だってさ、結局、ラファエル様はあのお姫様と結婚したおかげで、領主になれたわけでしょ? 王様としては一種の厄介払いよね? 好きでもない女を押し付けられて、それも四十も年上の男の相手をしていたような女よ? 姫君ったってねぇ……」
「しぃ! カトリーヌ、いくらなんでも失礼よ? お国のために遠い異国に嫁いでおられたんだから」
「でも気持ち悪いじゃない。四十も上の男なんて、わたしだったら死んだ方がマシだわ。よく我慢できたわよねー。ラファエル様も案外、そういうところが無理だと思っていらっしゃるんじゃない?」
衝立の向こうから聞こえるあからさまなやり取りに、ジュスティーヌも周囲の侍女たちも硬直してしまい、咄嗟に動くことができなかった。我に返り、慌てて止めに行こうとするマリーの腕を、ジュスティーヌが掴んで引き留める。
たしかに今さら止めたところで、お互いに気まずいだけである。だからといって、いくら何でも捨て置くことはできまい。――衝立の裏の主従の葛藤も知らずに、「行儀見習い」たちは喋りながら歩き去っていく。
その夜、気分が悪いので食事はいらないと、ジュスティーヌは早々に寝室に閉じこもってしまった。
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