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43、過去のくびき

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 四本柱の巨大な寝台の周囲にはたくさんの燭台が並べられて、内部を昼間のように明るく照らしている。黒檀の柱にはごってりと重厚な彫刻が施され、四隅でまとめられた、赤い天鵞絨ビロードの天蓋布のドレープの影が、蝋燭の灯影に揺れる。絹の褥の海に埋もれるようにして、小さなジュスティーヌはウトウトとしていた。

 国境を越え、数日かけて隣国の王宮まで旅をして、そのまま休息すら許されずに礼拝堂に直行させられた。痩せた白い髭の司祭様はお優しそうな方だったけれど、現れた大公はお父様よりもうんと年上に見えた。でっぷりした身体に豪華な金糸刺繍の入った天鵞絨の衣装をつけ、ずいぶんとジロジロと眺められて。逃げ出したいような気持を必死に抑えて、ジュスティーヌは言われるままに誓いの言葉を口にし、拙い手蹟でサインをしたためた。――こうして、あの男の妻になった。

 新婚初夜については簡単に説明されていたが、意味は理解できず、また乳母が言うには、連れ添った愛する方がいらっしゃるようだから、この部屋には滅多に来ないのではないか、という話であった。とにかく形だけの結婚でいいのだから、とジュスティーヌらは考えて、旅の疲労に耐えられなくて、ジュスティーヌはさっさと床に就いたのだった。

 全裸で就寝するのが普通であるから、ジュスティーヌも一糸まとわぬ姿で、羽毛の上掛けにくるまっている。もうほとんど眠りに落ちようという時に、突然、荒々しい物音がして、乱暴に部屋の扉が開かれ、誰かが踏み込んできた。

 だれ――?

 眠い目をこすりながら、ぼんやりと身体を起こすと、目の前には彼女の夫――。
 
《ようやく手に入れた、幼い姫よ。――今宵からそちは余のものだ》

 いくつもの指輪を嵌めた大きな節くれだった手が、乱暴にジュスティーヌに伸ばされて、上掛けを剥ぎ取る。寝台に引き倒されるようにして、真上には男の顔があった。蝋燭の明りが、髭に覆われた顔に陰をつくる。ジュスティーヌを引き裂く、大きな手が彼女に迫る――。

「い、いやああああぁ!」

 自分の悲鳴で目を醒まし、寝台の上に起き上がって息を乱す。全身、びっしょりと汗をかいていた。

 また、あの夢――。
 死んでもなお、ジュスティーヌを苛み続ける、あの男の――。
 




 セルジュがジュスティーヌの護衛を退き、王太子マルスランの命により、再びラファエルが護衛に復帰した。

 復帰してしばらくの間、ラファエルは遠慮して王女の御前には出ず、詰所で事務仕事ばかりしていた。ジュスティーヌの方もラファエルが復帰したのは聞いていたが、何となく気まずくてそのままにしておいた。ジュスティーヌの部屋を訪れたマルスランがラファエルを呼び出し、ようやく対面が叶う。それでもラファエルは恐縮してしまい、ジュスティーヌの顔を真っすぐには見られないようであった。

「ミレイユとセルジュのことは知っていたか?」

 マルスランに尋ねられ、ラファエルがより深く頭を下げる。

「いえ……セルジュが庶子で、下町で育ったという話は聞いていましたが、ミレイユの幼馴染だったとは、全く……」

 セルジュは二軒隣の少女がアギヨン侯爵の妾腹の娘だと、母デボラから聞いていた。たまたま自分の班に回されてきた従騎士が、アギヨン侯爵の息子フィリップで、「庶子のくせに」などと突っかかってくるのを、そういう家風の家ではさぞかしミレイユは苦労しているであろうと、密かに心配していた。だが接点もないまま国境の砦を転々とさせられ、王都に戻って来た時には、すでにミレイユとラファエルは恋仲になっていた。

 生真面目で優秀な騎士で、名門の出身、その上に容姿も抜群に美しいラファエルが相手では敵わないと、セルジュは半ば諦めていた。だが、そのラファエルですらアギヨン侯爵は結婚を許さず、さらにラファエルには王女との結婚話が持ち上がって、ミレイユとの結婚は絶望的になる。内心、それを歓びながらも、しかしラファエルを愛しているであろうミレイユの気持ちを思えば、セルジュは随分と複雑な心境であったらしい。

 セルジュがラファエルを卑怯だと詰ったのも、ミレイユに深い思い入れがあったせいだと、今ならわかる。今にして思い出せば、ミレイユのことをやけに気にかけていたが、セルジュとミレイユのつながりを知らないラファエルは、それに気づかなかった。――やはり、物事は落ち着くところに落ち着くものなのだろう。

「それで――だ。次は振られ男の結婚を何とか決めなければならないのだがね。わが妹よ」
 
 二人のやり取りを無言で聞いていたジュスティーヌは、突然話を振られて青い瞳を僅かに見開く。

「……ラファエル程の人であれば、結婚したいと望む女性はあまたいらっしゃるでしょう。何もわたくしのような、出戻りの未亡人を娶らずとも」

 殊更に冷たく言い切れば、ラファエルが大きな肩をびくりと震わせる。

「ではお前は誰に嫁ぐのかね? ブローニュ伯爵か? ル・コント侯爵か? どちらも齢四十を過ぎ、奥方を失ったばかりだ」
「わたくしは誰にも嫁ぎたくはございません」
「そんなのが通用するわけないと、お前自身が一番、わかっているだろうに」

 肘掛椅子に深く腰掛け、長い脚を組んだマルスランが肘掛に頬杖をついて言う。

「お兄様は、わたくしが嫁げるような女だと、思っていらっしゃるのですか?」

 冷たく、突き放すようなジュスティーヌの口調に、マルスランが金色の眉を寄せる。

「もちろんだよ。お前の好きな男に嫁げばいい。まだ十八なんだ。人生これからじゃないか」

 ジュスティーヌは唇を噛んで、少しばかり俯いてしまう。

「……ラファエルは何も知りません。騙すように嫁ぐのは嫌です」
「ならば説明しなさい。お前自身の口から、お前が不安に思うことをすべて。ラファエルならば、受け入れてくれると思うがな」

 ラファエルはマルスランの言葉に驚いて、紫色の瞳を見開いてジュスティーヌを見つめる。落ち着かない様子で視線を彷徨わせていたジュスティーヌが、ラファエルに言った。

「――少し、庭を散歩したいの。付いてきてくださる?」
「仰せのままに」

 ラファエルが跪いたまま、深く銀色の頭を下げた。
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