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34、消えない傷*

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 きっかけは、落馬であったという。
 ほろ酔い気分で馬に乗り、大公は馬から落ちて腰を打った。そうして、男性の機能を喪失した。

 それまで、女への征服欲を隠しもしない乱脈な生活を送ってきた大公にとって、男として役に立たない自分は受け入れられない。大公の不能は、絶対に悟られてはならない重大な秘密となる。数多あまたいた愛人たちに真実を悟られることを恐れ、些細な瑕疵かしを言い立てて城から追い出し、ひどい場合は殺した。ただ一人、三男の母である愛妾だけは残されたが、かなり以前より、すでに夜の伽を命じることもなくなっていた。解消されることのない大公の歪んだ男の欲望は、け口を求めて暴走する。

 年端もいかぬ生娘を甚振いたぶれば、嗜虐心に形を変えた欲望がやや満たされるらしく、初めは身分をやつして娼館を回り、地方から買い付けたばかりの処女を求めていたが、いつか露見する恐れがあった。水揚げされたはずなのに相変わらず処女のままであれば、意味するところは明らかだ。大公の秘密を守るために殺すにしても、限度がある。

 安全なのは、愛人として囲ってしまうことだ。これまでも何人も愛妾を抱えていたから、急に年端のいかぬ小娘を囲ったくらいなら、趣味が変わったのだとの、言い訳も可能だ。だが、公国内の貴族の娘を召し上げることはできなかった。最初のうちは誤魔化せても、不能の事実が娘の口から、父や家族に漏れるに違いない。最初は身分卑しい娘を攫ってきて囲ってみたが、豪奢な公宮にあまりに不似合いで、また躾も行き届かぬ山出しの小娘に、大公の方が辟易してしまう。

 たまたま、隣国の末姫が十二歳になったばかりと聞いて、大公は思いつく。国内に味方のいない、外国の姫であれば秘密も守られ、またさぞ甚振いたぶりがいもあろうと――。
 大公は即座に、隣国との国境に苛烈な攻撃をしかけ、街を焼き討ちした。隣国を和平交渉の席に引きずり出し、まず結婚の決まっている王太子の縁談に口を出す。当然のように隣国はそれを拒絶するが、それこそ大公の術中に嵌ったも同然だった。一度断ってしまえば、二度目の、末姫の件は断ることはできない。

 すべて計画通りに運んだと、くらい笑みを浮かべて告げられた時の絶望は、言葉にできない。

 まだ初潮を迎えてもいないからと、泣いて慈悲を請う乳母を殴りつけ、凶行を止めようとした侍女は、剣で切りつけられて重傷を負った。

『逆らえば乳母も侍女も皆殺しにし、お前の国など火の海にしてやる』

 それからの日々は、ただ、地獄。
 週に一度、敷地内の礼拝堂で祈りを捧げる以外は、与えられた離宮から出ることは許されなかった。隣国の家族との手紙も全て検閲され、救けを求める手段は封じられた。

 毎晩のように、大公はジュスティーヌの寝室に通い詰め、ジュスティーヌにありとあらゆる辱めを加えた。男は夜ごと、寝台の上でジュスティーヌを苛む。どれほど許しを請いても、泣き叫んでも、どこからも救けの手は来ない。にも拘わらず、大公はジュスティーヌの正真の夫婦の契りを結ぶことはできず、ジュスティーヌはまごうかたなく処女のままだった。ジュスティーヌの置かれた悲惨な状況を祖国に伝えようと決意したある侍女は、だが露見してジュスティーヌの目の前で惨殺された。

 数か月に一度、故国からの使者はジュスティーヌに変わりがないか問うけれど、万一、使者に虐待のことを知られれば、使者の命も奪われるに違いない。ジュスティーヌは必死に身体の傷を隠し、表面を取り繕った。

 出口の見えない暗闇が続く。大公が城を空け訪れのない夜、ジュスティーヌは中庭に出る。月のある夜には、四角い池に月影が映り、波に揺らぐ。

 ――幸福とは、水に映った月のようなもの。

 儚い時間。夢のような刻。すぐそばにあるように見えて、触れることも掴むこともできないもの。水に手を差し伸べればそれは崩れ、歪み、消えてしまう。

 絶望に呑み込まれて、いつしかジュスティーヌの涙も涸れ果てていた。




 数年が経ち、幼かったジュスティーヌは成長する。身体つきは丸みを帯び、少し遅めではあったが、女のしるしも得た。だが、ジュスティーヌが女らしさを加えれば、大公の執着はいっそう歪んで激しさを増していく。唯一、許されていた礼拝堂への出入りも禁じられた。たとえ司祭と言えども、男性と言葉を交わしたことが大公の耳に入れば、執拗な折檻を受ける。大公が長く城を留守にするときには、城下の職人に命じて作らせたという、奇妙な貞操帯を装着させられる。大公がジュスティーヌに向けるのは、欠片の愛すらない、ただの執着と、自分のものにできない鬱屈。他の誰かに奪われるのではないかという、恐怖。――先祖伝来の宝物を守るかのように、ジュスティーヌは厳重に鍵をかけられ、外部から閉ざされた。

 大公は男の機能を取り戻すことを、諦めてはいなかった。怪し気な強壮剤をあれこれと服用しては、夜通しジュスティーヌに奉仕を要求する。顎の感覚がなくなるまで、脚の間の醜いものを舐めしゃぶらされても、それは萎えたままでピクリとも反応せず、大公は思うに任せぬ苛立ちのままに、ジュスティーヌの頬を平手打ちした。

『この下手くそがっ』

 そうやって暴力を振るわれるのにも、不思議なことにいつの間にか慣れてしまうものだ。苦痛に耐えるほうが、淫らな責めに耐えるよりもよほど簡単だった。自らを奮い立たせるのを諦め切れない大公は、ジュスティーヌを淫靡に責め苛み、聞くに堪えない言葉で罵ることで、興奮を呼び起こそうとした。

 裸に剥かれ、脚を大きく広げた状態で、雁字搦めに繩で縛られて。恥ずかしい場所を執拗に嬲られ、辱められる。節くれだった太い指が、ジュスティーヌの中を探り、感じる場所を暴こうとする。愛のない行為は屈辱しか生まないが、感じて喘がなければ果てもない暴力が待っていた。いつしか自分を守るために、ジュスティーヌの身体は大公の責めに反応し、喉からは媚びるような喘ぎ声を漏らすようになった。

『んんっ……あっ、ああっ……あんっ……やっ……あああっあっあっ……』
『ここか? ここがいのか、生娘のくせに淫乱になったな……ほら、もっと乱れてみせよ、淫乱な姫よ』
『やあっ……くっ……んんんっ……ああっあああっ……』

 自ら達することのできぬ大公の責めは終わりもなく、夜通し続く。達するたびに嘲られ、詰られ、辱められ、尊厳を奪われていく。どれほど身体が絶頂しても、ジュスティーヌはそれを快楽だとは感じられなくなっていた。それはただの拷問でしかない。そしてジュスティーヌが乱れれば乱れるほど、結局は勃起しないそれを苛立たし気に擦り付けられて、大公はさらに歪んだ怒りを滾らせていく。

『本当はそちも欲しいのであろう、淫乱な売女ばいただからな。……そのうち他の男を咥え込むかもしれん。……そう、余のものであるという、印をつけておいてやろう……』

 歪んだ執着心を拗らせて、大公はジュスティーヌの身体に、永久に消えない傷を残した。けして大公から逃れることができぬという、奴隷の証。それが刻まれた夜の絶望が、見えない鎖となってジュスティーヌを縛り付ける。淫乱、売女ばいた、出来損ない……あらゆる罵倒が繰り返されるたびに、ジュスティーヌの中におりのように積もっていく。

 終わりがないかと思われた絶望の日は、ある夜、突然に終焉を迎える。
 遍歴の薬師が処方した強壮剤を服用した大公のそれは、なんと天に向かって聳え立っていた。

 どれほど奉仕しても屹立しなかったそれが――。

 大公は歓びに下卑た笑顔を歪ませて、ジュスティーヌを押し倒した。

『ようやくだ――この時を待っていたぞ、わが姫よ――』

 恐怖に身を竦め、固く両の目を瞑ったジュスティーヌの耳元に、大公の獣じみた咆哮が響く。次の瞬間、今までないほどの重みで押し潰された。あまりの重みに息もできない。

 だが、大公はジュスティーヌに圧し掛かったまま、ピクリとも動かない。おそるおそる目を開ければ――。 






 白目を剥き、口から泡を吹いた大公が、ジュスティーヌの上で、息絶えていた。
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