【R18】水面に映る月影は――出戻り姫と銀の騎士

無憂

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31、楡の木の誓い

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 ちょうど、王の末姫が隣国の大公に嫁ぎ、国境の紛争が終結して和平がもたらされた頃だった。国内も和平ムードが広がり、延び延びになっていた異母姉イブリンの婚礼の準備が急ピッチで進んでいた。実はイブリンはその結婚相手が気に入らなくて、しかし逃れられない鬱憤をミレイユにぶつけてくる。何かにつけてミレイユに難癖をつけ、時には冤罪をなすりつけ、使用人たちも薄々事実を察しながらも、イブリンの味方をしてミレイユへのいじめに加担した。あと少し、あと少しでイブリンはいなくなるはず、とそれをよすがに懸命に耐えて、それでも我慢できずに庭の楡の木の下で泣いていた時に、彼が声をかけてきたのだ。

『どうして泣いているのです』

 まだ少年の面影を残す、少し嗄れた声で話しかけられ、ミレイユはびくりと身を震わせる。

『……なんでも、ありません』
『何でもなければ泣かないでしょう?……君は、フィリップの妹だね?』
『半分だけ……』
『半分?』
『そう……お母様が違うから。ショシだから、卑しいって……』

 ラファエルが形の良い、銀色の眉毛を顰める。

『母上が違っても、侯爵様の子には変わりがない。誰がそんなひどいことを言うのです』
『みんな。……神様の前で誓った、正しい結婚によって生まれた子供じゃないから、罰当たりだって……』
 
 その言葉に、ラファエルが言う。

『子供は親を選んで生まれることはできない。罰当たりなのは、正しくない関係を持った侯爵ご自身であって、その結果生まれた君には何の罪もない。庶子だと君を咎める人は、実は侯爵自身を非難しているのだと、今度言い返してやりなさい』
『そんな……』

 そんなこと、絶対に言い返せるはずがない。だがラファエルは言う。

『神はすべてに平等に愛を注いでくれると、僕は聞いている。庶子だからと君を蔑む人は、神の愛をも否定しているのだ。だから君は何も悪くない』

 この家に来て、初めて自分の生まれを肯定された瞬間だった。フィリップは庶子であることを理由に虐めたりはしなかったが、庶子であることは悪いことではない、とまでは、言ってくれなかったからだ。

『僕の先輩にも庶子がいるけれど、とても強くて頼りになる人なんだ。……そう言えば、初めのころ、フィリップは卑しい庶子のくせにと言って、その先輩に突っかかって、コテンパンにされたことがあった。その後は庶子がどうたらとか、言わなくなったね』

 そう言って、ラファエルが少し悪戯っぽく微笑んだ。

『あなたは、騎士なの?』
『――そう、騎士だよ?』
『騎士なら、わたしを助けてくれる?』
 
 ミレイユの問いに、紫色の瞳を見開いたけれど、すぐに微笑んで言った。

『君が困っているなら、助けるよ? 困っている人を救うのが、騎士の役目だから』

 うっとりと見惚れてしまうような、天使の微笑み。その微笑に、ミレイユは恋に落ちた。 
 初めての恋にミレイユは必死だった。精一杯のさりげなさを装って――実際にはものすごくあからさまだったが――フィリップと庭で話すラファエルの周囲をうろついてみたり、わざわざ庭で本を読んでみたり……。なんとか、ラファエルと話す機会が欲しかった。せめて彼の姿を目にしたかった。

 そんなミレイユの気持ちをフィリップが汲んで、いつからか、それとなく席を外し、ラファエルとミレイユが二人になる時間を作ってくれるようになった。ほんのわずかな隙間のような時間。刹那のようにも、久遠のようにも思える、魔法の時間。少女だったミレイユは、天にも昇るような心地で、ひたすらラファエルに話しかけて、懸命に気持ちを伝えた。
 
 ミレイユが真っ赤になって差し出す、自分で焼いた少し焦げた焼き菓子や、不格好な刺繍を施したハンカチを、ラファエルはいつも、微笑んで受け取ってくれた。お返しは小さな花束だったり、リボンだったり。ミレイユの生まれも、地味な容姿も、不器用さも、何一つ否定しないラファエル。彼だけが、ミレイユのすべてを受け入れてくれた。

 ――告白もまたミレイユから。ラファエルはただ穏やかに、「僕も好きだよ」と返してくれた。
 早くこの家を出たいというミレイユに、ラファエルは少し考えて、「いずれ、結婚しよう」と。

『そうしたら、君はこの家を出られる。僕は生涯、君だけを大切にする』

 楡の木の下で交わされた誓いは、たとえ神の御前での誓いでなくとも、神聖なはずだった。父に結婚を拒まれ、ラファエルの訪問は差し止められた。秘密の手紙をやり取りし、茶会や夜会で目を合わせ、こっそりと抜け出してほんの少し、話をするだけの、細々とした逢瀬。兄フィリップや友人のクロティルドの協力がなければ、とっくに二人の仲は終わっていたに違いない。

 騎士団で昇進するたびに、ラファエルはアギヨン侯爵家を訪れたが、父は頑として迎え入れることをしなかった。夜会などで会っても、父はあからさまにラファエルを無視し、兄のフィリップが苦言を呈しても、「ジロンドの小倅」と呼んで蔑んだ。その屈辱的な扱いにも、ラファエルは一言の不満を漏らすこともなかったのに。

『大丈夫、いつかはお許しをいただける。俺は君を諦めたりしない』

 どうして――。
 楡の木の下で、ミレイユはただ、涙の流れるままに、立ち尽くした。
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