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22、卑怯な男

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「それ、卑怯じゃないか?」

 セルジュにはっきりと指摘されて、ラファエルは眉を顰めた。
 王宮内の、ジュスティーヌ王女の住む棟の端にある、騎士の詰所。仮眠用の寝台二つの上に座って、二人でブランデーを舐めながら硬いチーズを齧っている。
 
「卑怯……ですか?」
「卑怯だろ、自分は内々に別の女との結婚を決めておきながら何も言わず、相手の女が去って行くのを待つなんて。結婚するつもりがないのなら、きちんと別れるべきだ」

 吐き捨てるようにセルジュは言う。セルジュはラファエルよりも二歳上で、ラファエルが従騎士として王宮で修行を始めた時の、先輩だ。だが、伯爵家の次男で最初から王太子付きとなり、早々に頭角を現したラファエルと異なり、男爵家のさらに庶子であるセルジュは、騎士叙任の後は地方の砦を転々とさせられていた。数ヶ月前の、国境の砦の衝突で功績をあげ、ラファエルの推挙もあって王女の護衛に抜擢された。役職上はラファエルの方が上になるので、公の場ではラファエルに対して敬語で話しているが、プライベートでは昔通りの口調にもどる。

「結婚するつもりがないわけではないのです。どう考えても結婚できそうもないだけで。ですがそれを言ってもどうしようもないし、あちらはあちらで、縁談がいくつかあるらしい。おそらくこれ以上は躱せないと彼女も言っていました。彼女が他の男と結婚するのを、俺が止める権利はないんです」
「でもお前、姫君との話を了承したのだろう? しかもその話を彼女にはしないままでおくつもりだなんて、卑怯以外の何物でもないだろうに。彼女に言うべきだよ。結婚はできなくなった。どうしようもない理由で、他の女と結婚することになった、って」

 セルジュの苦言に、ラファエルは整いすぎたきらいのある美貌を、ただ無表情に強張らせるだけだ。

「そんな話をすれば、相手は誰だということになるでしょう。例の件はしばらく秘密にしておきたいのです。姫君の耳に入れば、姫君が気になさるでしょうから」
「結婚したらいつかはバレるじゃないか。それに、お前と姫君の件は噂にもなっている。秘密にするったって、限度があるだろう」

 噂、と聞いて、ラファエルはふう、とため息をつく。ついでにブランデーの入った小さな陶器のカップを持ち上げ、舐めるように酒を口に含む。

「姫君は結婚はしたくないとおっしゃっていた。今しばらくは、ゆっくりと過ごさせて差し上げたいのです」
「お前さっきから姫君姫君で、姫君のことしか考えてないが、この件で本当に気の毒なのは、お前に振られるミレイユ嬢だろうが」
「……俺はミレイユを振ったりはしません。ミレイユが俺の叙爵を待ちきれなくて、他に嫁ぐのです」
「だから、それが卑怯だっつってんだろ!」

 セルジュの声が少し高くなり、ラファエルが紫色の瞳を一瞬だけ見開く。少しばかりぽかんとした表情でセルジュを見ているが、その間抜けな表情ですら完璧に美しくて、セルジュは世の中不公平に過ぎると思う。

「……卑怯、ですか?」
「裏切りですら、向こうに押し付けようってんだろ? 自分はとっくの昔に裏切っておきながら。これが卑怯じゃないなら、なんて言うんだよ」
「俺はミレイユを裏切ったりは……」
「湖上祭、姫君と船に乗るんだろ? 警備上の必要だとかなんとか御託ならべてるが、傍から見たら恋人同士以外の何物でもないっつーの!」

 結局、あの後姫君から、湖上祭で舟に乗せて欲しいと頼まれてしまい、当然のようにラファエルは承諾していた。

「だって湖上祭は満月の夜です。姫君が水に映る月を見るときは、常にお側でお守りすると、約束しています」
「この際、本人たちの心情はどうでもよくて、周囲からどう見えるかってのが問題なの!」

 セルジュに指摘され、ラファエルはほんの少しだけ口を横に引き結ぶ。

「湖上祭で、俺と姫君が舟に乗るのは極秘です。ミレイユは知るはずがない。……それに、もともと、俺はいつも騎士団の仕事で、湖上祭をミレイユと過ごしたことはないんです。だから問題はありません」

 ラファエルの返答に、今度はセルジュが溜息をつく。

「仕事だからと諦めているだけで、恋人と湖上祭の舟に乗りたいと思うのは、若い女なら当たり前のことだ。その気持ちを理解もしないで、実は別の女と舟に乗ってたなんて知ったら、ショックで寝込むぞ?」
「だから極秘事項ですから。バレたりはいたしません」 

 セルジュはそれ以上言うのは諦めて、カップに残ったブランデーを一気に空けると、手酌で杯を満たし、ラファエルのカップにも注いでやる。ラファエルはクソ真面目なくせにアホみたいに酒に強く、どれだけ飲んでも全く顔にも出ず、乱れることもなかった。

「……この前の、ヌイイ侯爵家の夜会、彼女来ていただろ?」
「そのようですね」
「気づかなかったのかよ」

 少々呆れ気味のセルジュの声に、ラファエルが少しだけ、端正な眉を寄せる。

「至近距離ですれ違ったらしいのですが、俺には記憶がない。気づいたところで話などできないので、事前に知らせなかったのですが、それも不愉快だったようです。……こちらは、仕事なのに」
「あの時、殿下が事前に報せとけって忠告してくださったのを、無駄にしたのは自分じゃねーか」
「なぜ、事前に知らされなかったと、怒るのかわかりません」
 
 本気で首を傾げているラファエルを見て、セルジュは無意識にこめかみを抑える。ある意味、女性の心の機微に疎すぎる。

「そりゃ、何も聞いてないのに、恋人が他の女と腕を組んで登場したら、ショックを受けるに決まっているだろ」
「でも、俺が王女の護衛なのは知っているのですよ。王女の微行おしのびを事前に漏らすわけにはいきません。姫君と噂になっていることも詰られましたけれど、側に貼りつくのは護衛の職務です。正直言って、いちいち反論する気にもならなくて――」

 そのラファエルの言葉を聞いて、セルジュは思う。――姫君のことがなくても、二人は駄目だったのではなかろうか。

「だからって、何も言わずに自然消滅を狙うのは、卑怯に過ぎる。女の適齢期は短いんだ。あとくされなく解放してやらないと、次に行くのに差し支えるだろ」
「……しかし、姫君のことは理由にはできません。叙爵の可能性がなくなって、彼女の父上の許しを得る当てがないからって言うのは、別れる理由になると思いますか?」
「それは……」

 確かに微妙であった。ミレイユがラファエルに執着するタイプだったりすると、納得はしてくれなさそうである。

「それに、できれば彼女の方から振ってもらいたいのです。……後々、正式に姫君に申し込む際に、俺から別れを切り出したとなると、王女を得るために、恋人を捨てた男だとなって、姫君が気に病まれるかもしれない」

 ミレイユの方から言い出して、円満に切れていたい。――ラファエルの言い分は、一言で言って、卑怯だ。要するに自分はあくまで誠実を貫いたのに、やむを得ず振られたことにしたいのだ。

「そんなに都合よくいかないと思うがな」
「そうでしょうか。このまま俺が行動を起こさなければ、アギヨン侯爵は今年中にもミレイユをどこかに嫁がせると思います」
「それでお前は何とも思わないのかよ」
「……思わないわけではないですが、さりとて、すべてを捨てて、彼女を攫って逃げようとは思えません。――俺は、王家の騎士です。女一人のために、王家に対する忠誠と義務を捨てることはできない」

 そう言って、ラファエルもまた、カップに残った酒を一息に呷った。
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