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20、裏の事情
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すこし頬を赤らめたその様子に、父親と兄はそっと目配せする。二人の耳にも王女とラファエルの噂は入っている。二人は堅物のラファエルしか知らないから、王女といい雰囲気で寄り添っている、という噂が信じられなかったのだが、満更あり得ない話でもないらしい。
ラファエルも内心、王女にかなり心を動かしている。だが王女を選んで恋人を捨てることが、不誠実だと受け入れられぬのであろう。しかし、恋人であるミレイユはともかく、その父親であるアギヨン侯爵のこれまでの態度こそ、不誠実であるとラファエルの父も兄もかなり腹に据えかねていた。ラファエルが自らの変節を責める必要はないのだと、二人は説得にかかる。
「ジュスティーヌ姫が嫌いでないのなら、この話を受けるべきだ。――ラファエル、お前は今でも十分、爵位を得ていてもおかしくないはずなのだ。しかしいまだに封爵が叶わぬのは、それを邪魔する者たちがいたからだ。陛下は例の砦の功績で叙爵するつもりだったのに、横槍を入れた者がいると仰った」
ラファエルが唇を噛む。砦での戦功で、叙爵されればミレイユに結婚を申し込みに行くつもりだった。だが、何等かの理由で叙爵はされず、またもや結婚は振り出しに戻ってしまったのだ。
「その、邪魔をした者たちの最右翼がアギヨン侯爵だそうだ」
「……まさかっ……」
「そのまさかだよ。新たに封地を分けるには土地が足りないだの、地方の力関係が狂うだの、何のかのと理由を付けて封爵に反対したそうだ。だから、王家の方はお前の口からミレイユ嬢の名が出て、正直驚いたらしい。アギヨン侯爵は、お前を婿に迎える気などさらさらないのだ。そうでなければ封爵の機会を潰したりはすまい」
父親の言葉に、ラファエルが両膝を握り締める。
「我が家は代々、王家に忠誠を誓ってきたが、かの家はそうではない。王家の力が強まり過ぎないよう、貴族の同盟を強化してバランスを取り、昔ながらの貴族としての権益を守ろうという、守旧派だ。王家の力を強めたい陛下や王太子殿下とは、対立があるのはお前も承知していよう」
「そのような政治向きの話と、ミレイユは関係ありません!」
「ないわけないだろうが。アギヨン侯爵がお前たちの結婚を認めないのは、お前の爵位云々以前に、あの家では娘の結婚もすべて、政略の駒でしかないからだ。ミレイユ嬢をお前に嫁がせたところで、何の益も生まない。それよりは、もっと旨みのある相手を物色しているにすぎぬ」
全くその通りであるので、ラファエルは反論もできずに唇を引き結ぶ。父はゴブレットを傾けながらなおも言う。
「そなたは真実、ミレイユ嬢を愛しているのかもしれないが、報われぬ恋を引きずっても苦しむだけだ。それよりは、ジュスティーヌ姫と結婚し、王女の婿という栄誉と、領地と爵位を得た方がうんといい。お前のためだけじゃない。我が家の栄誉でもあるのだ。……ここだけの話だが、ジュスティーヌ姫は隣国で虐待を受けて、心身ともに深い傷を負われているそうだ。陛下ははっきり仰った。本来ならば、とても嫁に出せるような身体ではない、と」
ラファエルは紫色の瞳を見開いた。身体の傷のことは初耳であった。――そんな、目に遭っていたなんて。ラフェルの内心に、隣国の大公へのどす黒い怒りと、ジュスティーヌへの同情が湧き起こる。横から兄のガブリエルも口を挟む。
「だが、降嫁を願い出る爺どもは後を絶たず、頑なに結婚させなければ、さまざまの憶測を生む。姫ご自身は修道院を希望しているそうだが、それもまた、あれこれ詮索の種になりかねない。名目的でもなんでも、誰かに嫁がせるのが一番だと」
「それで、俺に――?」
父親は表情を変えることなく、頷く。
「嫁に出せないと言っても、子供が産めないとか、そういうのではないそうだ。大公は相当に性癖が歪んだ男であったらしく、姫君は離宮にほぼ軟禁状態で、救い出された時は身体中、傷だらけだったそうだ。中に、永久に消えないものもある、そういう話であるらしい」
「軟禁――」
「そんなわけで、ジュスティーヌ姫ご自身は結婚を諦めているし、そもそも男性に対する恐怖心が強くて、あるいは白い結婚になるかもしれないと、陛下も仰っていた。そうなると跡継ぎの問題が発生するから、嫡男には嫁にやれぬのだそうだ。お前は次男で、養子の当てもある。相当に条件が良くないことを承知の上で、それでもお前の人柄に頼って、この話を持ち掛けてこられたのだ」
ラファエルはずっと離宮に閉じ込められていた、というジュスティーヌの話を思い出し、身体に震えが走る。――幸せは水に映った月のようだと言ったジュスティーヌの言葉の意味が、初めて彼の心に沁みとおってくる。
どれほどの苦痛を、屈辱を、あの細い身体で受け止めてきたのか。結婚はしたくない、修道院に入りたいと言った言葉の切実さを、ようやく理解する。
――自分は何も知らず、なんて勝手なことを姫に言ったのだ。
ジュスティーヌにとって、結婚は恐怖でしかないのだ。愛も歓びも希望もなく、ただ、中庭の池の水に映る、月影を眺めて心を慰める日々。もう、あんな日々には戻りたくないというのが、偽らざる気持ちなのだろう。だが、王女として生まれた以上、再嫁を望む声は止まず、どうしても結婚を拒むとなれば、それこそ修道院に入るしかない。
だから、俺なのか――
ラファエルも内心、王女にかなり心を動かしている。だが王女を選んで恋人を捨てることが、不誠実だと受け入れられぬのであろう。しかし、恋人であるミレイユはともかく、その父親であるアギヨン侯爵のこれまでの態度こそ、不誠実であるとラファエルの父も兄もかなり腹に据えかねていた。ラファエルが自らの変節を責める必要はないのだと、二人は説得にかかる。
「ジュスティーヌ姫が嫌いでないのなら、この話を受けるべきだ。――ラファエル、お前は今でも十分、爵位を得ていてもおかしくないはずなのだ。しかしいまだに封爵が叶わぬのは、それを邪魔する者たちがいたからだ。陛下は例の砦の功績で叙爵するつもりだったのに、横槍を入れた者がいると仰った」
ラファエルが唇を噛む。砦での戦功で、叙爵されればミレイユに結婚を申し込みに行くつもりだった。だが、何等かの理由で叙爵はされず、またもや結婚は振り出しに戻ってしまったのだ。
「その、邪魔をした者たちの最右翼がアギヨン侯爵だそうだ」
「……まさかっ……」
「そのまさかだよ。新たに封地を分けるには土地が足りないだの、地方の力関係が狂うだの、何のかのと理由を付けて封爵に反対したそうだ。だから、王家の方はお前の口からミレイユ嬢の名が出て、正直驚いたらしい。アギヨン侯爵は、お前を婿に迎える気などさらさらないのだ。そうでなければ封爵の機会を潰したりはすまい」
父親の言葉に、ラファエルが両膝を握り締める。
「我が家は代々、王家に忠誠を誓ってきたが、かの家はそうではない。王家の力が強まり過ぎないよう、貴族の同盟を強化してバランスを取り、昔ながらの貴族としての権益を守ろうという、守旧派だ。王家の力を強めたい陛下や王太子殿下とは、対立があるのはお前も承知していよう」
「そのような政治向きの話と、ミレイユは関係ありません!」
「ないわけないだろうが。アギヨン侯爵がお前たちの結婚を認めないのは、お前の爵位云々以前に、あの家では娘の結婚もすべて、政略の駒でしかないからだ。ミレイユ嬢をお前に嫁がせたところで、何の益も生まない。それよりは、もっと旨みのある相手を物色しているにすぎぬ」
全くその通りであるので、ラファエルは反論もできずに唇を引き結ぶ。父はゴブレットを傾けながらなおも言う。
「そなたは真実、ミレイユ嬢を愛しているのかもしれないが、報われぬ恋を引きずっても苦しむだけだ。それよりは、ジュスティーヌ姫と結婚し、王女の婿という栄誉と、領地と爵位を得た方がうんといい。お前のためだけじゃない。我が家の栄誉でもあるのだ。……ここだけの話だが、ジュスティーヌ姫は隣国で虐待を受けて、心身ともに深い傷を負われているそうだ。陛下ははっきり仰った。本来ならば、とても嫁に出せるような身体ではない、と」
ラファエルは紫色の瞳を見開いた。身体の傷のことは初耳であった。――そんな、目に遭っていたなんて。ラフェルの内心に、隣国の大公へのどす黒い怒りと、ジュスティーヌへの同情が湧き起こる。横から兄のガブリエルも口を挟む。
「だが、降嫁を願い出る爺どもは後を絶たず、頑なに結婚させなければ、さまざまの憶測を生む。姫ご自身は修道院を希望しているそうだが、それもまた、あれこれ詮索の種になりかねない。名目的でもなんでも、誰かに嫁がせるのが一番だと」
「それで、俺に――?」
父親は表情を変えることなく、頷く。
「嫁に出せないと言っても、子供が産めないとか、そういうのではないそうだ。大公は相当に性癖が歪んだ男であったらしく、姫君は離宮にほぼ軟禁状態で、救い出された時は身体中、傷だらけだったそうだ。中に、永久に消えないものもある、そういう話であるらしい」
「軟禁――」
「そんなわけで、ジュスティーヌ姫ご自身は結婚を諦めているし、そもそも男性に対する恐怖心が強くて、あるいは白い結婚になるかもしれないと、陛下も仰っていた。そうなると跡継ぎの問題が発生するから、嫡男には嫁にやれぬのだそうだ。お前は次男で、養子の当てもある。相当に条件が良くないことを承知の上で、それでもお前の人柄に頼って、この話を持ち掛けてこられたのだ」
ラファエルはずっと離宮に閉じ込められていた、というジュスティーヌの話を思い出し、身体に震えが走る。――幸せは水に映った月のようだと言ったジュスティーヌの言葉の意味が、初めて彼の心に沁みとおってくる。
どれほどの苦痛を、屈辱を、あの細い身体で受け止めてきたのか。結婚はしたくない、修道院に入りたいと言った言葉の切実さを、ようやく理解する。
――自分は何も知らず、なんて勝手なことを姫に言ったのだ。
ジュスティーヌにとって、結婚は恐怖でしかないのだ。愛も歓びも希望もなく、ただ、中庭の池の水に映る、月影を眺めて心を慰める日々。もう、あんな日々には戻りたくないというのが、偽らざる気持ちなのだろう。だが、王女として生まれた以上、再嫁を望む声は止まず、どうしても結婚を拒むとなれば、それこそ修道院に入るしかない。
だから、俺なのか――
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