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17、兄嫁の提案
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ジュスティーヌがおっとりと言うと、遠く東洋から輸入した白地に青い染付のカップを優雅に持ち上げたイザベルが、あら、と言う風に首を傾げた。
「……どなたかお誘いくださいましたの? ジュスティーヌ様」
「いいえ。前に、お兄様は、あれは大人にならないと乗っては駄目だって仰って……。今はもう大人だから、乗ってもいいのでしょう?」
六年、王都を離れていたジュスティーヌは、当たり前のことを知らなかったりする。
「あれは、想いあった男女で乗るものですわ。どなたかそういう殿方がいらっしゃったら、お願いしてみたら、いかがかしら」
その夜のために、恋人のいる男たちは、早くから舟と船頭を確保して、女を誘う。その夜、小舟の中で愛を誓えば、湖の女神の恩寵を受けて幸福が約束されると言う。
「そうでしたの! 全然知りませんでしたわ」
ジュスティーヌは驚きで目を丸くする。
「わたくしもマルスラン様にお誘いいただきましたわよ? 結婚の前の年に」
イザベルの言葉に、ジュスティーヌが頷く。
「そうそう、憶えていますとも。わたくし、お兄様がお舟を召されると聞いて、その舟に乗せてくれと言って、騒いだんですもの。イザベル様を誘った舟でしたのね。叱られるはずですわ」
屈託なく笑うジュスティーヌを見て、イザベルは密かに胸を痛める。マルスランと先々代の王弟の孫イザベルの婚姻は、政略的に決められたものではあったが、互いに心が通いあい、マルスランは正式な婚約式の前に、湖上祭の舟の上でプロポーズしてくれた。
隣国の大公から、二人の結婚に横槍が入ったのは、あの後だ。マルスランと王が隣国の要求を突っぱねてくれたおかげで、イザベルは無事にマルスランに嫁ぐことができた。だが、その代償に幼いジュスティーヌが、四十以上も歳の離れた大公に嫁ぐことになったのだ。
マルスランは常に、イザベルに言い聞かせてきた。
私たちの六年間の幸福は、ジュスティーヌの犠牲の上に積み上げられているのだ、と。
イザベルはさりげなく、背後に控える騎士に目をやる。いつも貼りついているラファエルは今日は不在で、配下の黒髪の騎士が立っている。
マルスランがジュスティーヌの婿候補として、例のラファエルを推しているのは、イザベルも聞いていた。ラファエルが呼び出されている用件は、おそらくそれだ。
ジュスティーヌと年齢、家柄、爵位ともにつり合う男たちは、皆、すでに妻帯しているか、正式な婚約者がいる。ジュスティーヌは白い結婚だったとも噂されるが、名目的には再婚になるから、年上の、妻に先立たれた高位貴族たちから、後妻に迎えたいとの話がいくつかあると言う。だが、そういう相手では、死んだ隣国の大公と変わるところがないと、マルスランは考えているようだった。
ラファエルは名門ジロンド伯爵の息子とはいえ、次男で現時点で爵位を継ぐあてがなく、王女の婿としては格下感があるけれど、年嵩のやもめ男の後妻にするくらいなら、若くて見目も極上で、何より初婚のラファエルの方がいいと。
ラファエルはジュスティーヌに対し、護衛として忠誠を捧げているが、もともと表情が乏しい上に、護衛としての立場を守って必要以上に近づくことはない。
(それに、確か彼には、恋人がいたんじゃなかったかしら?)
白い茶器を優雅に持ち上げて口元に運びながら、イザベルは考える。ジュスティーヌが隣国で、酷い仕打ちを受けていたのは、イザベルもおぼろげに聞いていた。夫のマルスランがジュスティーヌを溺愛し、何とか幸福な結婚をと、手を尽くすものもっともであると思う。ただジュスティーヌ自身は、どう考えているのか。
――結婚はしたくない。それくらいなら、修道院に入る。
帰国した日に震えながら懇願した言葉が、イザベルの脳裏によみがえる。修道院になんて入られてしまえば、イザベル夫婦は一生、義妹の人生を犠牲にしたことを悔やみながら生きていかなければならない。ラファエルと結ばれてくれれば、彼は生涯、ジュスティーヌを頭の上に押し戴いたように大切にするだろうし、イザベル夫婦も肩の荷を下ろすことができる。
今は結婚など、考えたくもないかもしれないが、ラファエル程の美貌の騎士に傅(かしず)かれれば、ジュスティーヌも絆されるに違いない。今は単なる護衛としか見ていないかもしれないが、要するにジュスティーヌが、ラファエルを恋の対象として意識すればいいのである。
つまり二人をさらに接近させるには――。
「――お舟に乗りたいのでしたら、ラファエルに頼んでみたら如何? 彼なら喜んで舟を出すのではないかしら」
「……どなたかお誘いくださいましたの? ジュスティーヌ様」
「いいえ。前に、お兄様は、あれは大人にならないと乗っては駄目だって仰って……。今はもう大人だから、乗ってもいいのでしょう?」
六年、王都を離れていたジュスティーヌは、当たり前のことを知らなかったりする。
「あれは、想いあった男女で乗るものですわ。どなたかそういう殿方がいらっしゃったら、お願いしてみたら、いかがかしら」
その夜のために、恋人のいる男たちは、早くから舟と船頭を確保して、女を誘う。その夜、小舟の中で愛を誓えば、湖の女神の恩寵を受けて幸福が約束されると言う。
「そうでしたの! 全然知りませんでしたわ」
ジュスティーヌは驚きで目を丸くする。
「わたくしもマルスラン様にお誘いいただきましたわよ? 結婚の前の年に」
イザベルの言葉に、ジュスティーヌが頷く。
「そうそう、憶えていますとも。わたくし、お兄様がお舟を召されると聞いて、その舟に乗せてくれと言って、騒いだんですもの。イザベル様を誘った舟でしたのね。叱られるはずですわ」
屈託なく笑うジュスティーヌを見て、イザベルは密かに胸を痛める。マルスランと先々代の王弟の孫イザベルの婚姻は、政略的に決められたものではあったが、互いに心が通いあい、マルスランは正式な婚約式の前に、湖上祭の舟の上でプロポーズしてくれた。
隣国の大公から、二人の結婚に横槍が入ったのは、あの後だ。マルスランと王が隣国の要求を突っぱねてくれたおかげで、イザベルは無事にマルスランに嫁ぐことができた。だが、その代償に幼いジュスティーヌが、四十以上も歳の離れた大公に嫁ぐことになったのだ。
マルスランは常に、イザベルに言い聞かせてきた。
私たちの六年間の幸福は、ジュスティーヌの犠牲の上に積み上げられているのだ、と。
イザベルはさりげなく、背後に控える騎士に目をやる。いつも貼りついているラファエルは今日は不在で、配下の黒髪の騎士が立っている。
マルスランがジュスティーヌの婿候補として、例のラファエルを推しているのは、イザベルも聞いていた。ラファエルが呼び出されている用件は、おそらくそれだ。
ジュスティーヌと年齢、家柄、爵位ともにつり合う男たちは、皆、すでに妻帯しているか、正式な婚約者がいる。ジュスティーヌは白い結婚だったとも噂されるが、名目的には再婚になるから、年上の、妻に先立たれた高位貴族たちから、後妻に迎えたいとの話がいくつかあると言う。だが、そういう相手では、死んだ隣国の大公と変わるところがないと、マルスランは考えているようだった。
ラファエルは名門ジロンド伯爵の息子とはいえ、次男で現時点で爵位を継ぐあてがなく、王女の婿としては格下感があるけれど、年嵩のやもめ男の後妻にするくらいなら、若くて見目も極上で、何より初婚のラファエルの方がいいと。
ラファエルはジュスティーヌに対し、護衛として忠誠を捧げているが、もともと表情が乏しい上に、護衛としての立場を守って必要以上に近づくことはない。
(それに、確か彼には、恋人がいたんじゃなかったかしら?)
白い茶器を優雅に持ち上げて口元に運びながら、イザベルは考える。ジュスティーヌが隣国で、酷い仕打ちを受けていたのは、イザベルもおぼろげに聞いていた。夫のマルスランがジュスティーヌを溺愛し、何とか幸福な結婚をと、手を尽くすものもっともであると思う。ただジュスティーヌ自身は、どう考えているのか。
――結婚はしたくない。それくらいなら、修道院に入る。
帰国した日に震えながら懇願した言葉が、イザベルの脳裏によみがえる。修道院になんて入られてしまえば、イザベル夫婦は一生、義妹の人生を犠牲にしたことを悔やみながら生きていかなければならない。ラファエルと結ばれてくれれば、彼は生涯、ジュスティーヌを頭の上に押し戴いたように大切にするだろうし、イザベル夫婦も肩の荷を下ろすことができる。
今は結婚など、考えたくもないかもしれないが、ラファエル程の美貌の騎士に傅(かしず)かれれば、ジュスティーヌも絆されるに違いない。今は単なる護衛としか見ていないかもしれないが、要するにジュスティーヌが、ラファエルを恋の対象として意識すればいいのである。
つまり二人をさらに接近させるには――。
「――お舟に乗りたいのでしたら、ラファエルに頼んでみたら如何? 彼なら喜んで舟を出すのではないかしら」
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