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7、無邪気な姫

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 故国に戻ったジュスティーヌは、王宮の片隅でひっそりと過ごした。姉たちは派手な茶会を開いて、ジュスティーヌの帰国を祝おうと言ったが、それは固辞した。毎朝、母王妃の居間に伺候してお茶を飲み、家族で食事をして、王太子妃のイザベルやイザベルの二人の王女たちと遊ぶほかは、自室で過ごすか庭園を散策する程度。

 さすがに喪服は脱いで、だが装飾の少ない、抑えた色味のドレスを身に纏い、蜂蜜色の髪は白いレースのヴェールで覆って、ゆっくりと庭園の池の周りを歩いていく。生垣で作られた緑の迷路を通り抜け、薔薇園で香りを楽しみ、庭園の中にある小さな森の小道を行くコースがお気に入りで、今日も森へと向かう。伴は侍女二人と、護衛騎士のラファエル、少し離れてラファエルの部下がいつでも駆けつけられる位置で付いてくる。

 森の中に入ると、ジュスティーヌはほっとしたように息をついて、白いヴェールを外して蜂蜜色の頭を露出させた。サイドで編み込んで頭の後ろで髷をつくり、真珠をあしらった豪華な金糸のネットで覆っている。装飾らしい装飾はそれだけだった。

 高い梢から降り注ぐ木漏れ日を浴びて、ジュスティーヌの金色の髪が光を弾き、襟足の後れ毛が揺れる。梢を見上げる横顔のほっそりした顎から首筋のラインと、小さな耳、少し開いた花の蕾のような唇。隣国から戻ってきた日の、痛々しさはすでになかったが、だが何とも言えない不安な、儚い雰囲気はそのままだ。

「姫様、リスが……」

 侍女の一人が指差す枝の上を、茶色い小さな生き物が走っていく。

「久しぶりに見たわ! 昔は毎日のように来て、いつか捕まえてやろうと追いかけたものよ」
「ほんに、あのころの姫様はお転婆で……」
「木登りはお手のもので、噴水の池に落ちたことも、一度や二度ではございませんでしたのに」
 
 懐かしそうに語り合う侍女たちに、ジュスティーヌは不満そうに頬を膨らませる。

「やめてよ、ラファエルの前で。彼はそんな昔のわたくしの姿は知らないのに」
「だからこそ、教えて差し上げているのでございますよ」
「そうですとも」

 コロコロと笑い合う三人に、ラファエルは驚いて目を瞠った。
 およそ、ジュスティーヌが木登りなど、想像もできない。

「池に落ちたとは、いったい……」

 周囲には護衛の騎士もいたはずなのに、何をしていたのか。

「落ちたのではなくて、泳ぐつもりだったのよ。でも水を吸ったドレスがあんなに重いなんて、思わなかったわ。脚に纏わりついて全く動かせなくて……沈みそうになって、あの時は焦ったわ」
「ぶ、無事だったのですかっ!」

 思わず詰め寄るラファエルに、ジュスティーヌはくすりと笑った。

「だって、あの池、子供の膝くらいまでしか深さはないもの。あの池で溺れる方が難しいわよ」
「本当にあの頃の姫様ときたら……お乳母様の心痛は見ていても辛いほどで」
「そうなのよね、あの頃は毎日お小言を聞かされていたのに、最近はそんなこともなくて……」

 ジュスティーヌの言葉に侍女が笑う。

「いつまでもお子様では困りますよ。言っておきますけれど、今が普通なのですからね?」
「わかっているわよ。どうして子供の頃、あんなに木登りがしたかったのか、今となっては全くわからないわ」

 クスクスと笑うジュスティーヌは、新調したブルーグレーのドレスの裾を持ち上げるようにして、少し足を速めて、森の小道を駆け足で走り出す。

「姫様! どうなさったのです!」
「姫様!」
「うふふ、ちょっと走りたくなっただけ!」

 突然のことに侍女たちが動揺して息を乱すのをしり目に、ラファエルはやすやすと王女を追いかける。小道を一目散に走り抜けたジュスティーヌは、森の奥の一際大きな木に突進して、その木に抱き着くようにして肩で大きく息をしていた。全く呼吸を乱すことなく追いついたラファエルを見て、ジュスティーヌは微笑む。後からは侍女たちが慌てて追いかけ、ラファエルの配下の騎士達も剣帯を鳴らしながら走ってきた。

「姫様、イタズラはたいがいになさいませ」

 珍しくラファエルが苦言を呈すると、少し肩を竦めてジュスティーヌが謝る。

「ごめんなさい。つい……家に戻って、どこもかしこも同じだから、自分も昔に戻ったような気分になってしまったの。もうしないわ」

 そう言って、ジュスティーヌは抱き着いている大樹の周囲を回って、言った。

「この樹は、森のヌシなのよ。……変わってないわ。昔と同じ。森も、庭も、お城も……わたくしだけが、変わってしまった」

 その言葉に、ラファエルがはっとしてジュスティーヌを見る。ジュスティーヌは青い瞳で大樹の梢を見上げている。その瞳に涙があふれ、みるみる零れ落ちる。

「あの頃は、世界に辛いことがあるなんて、想像もできなかった。毎日が楽しくて、それが永遠に続くと思っていた。たとえ国を出ても、父さまや母さまと離れても、人は皆、優しいと思っていた。わたくしは幸せになれると信じて疑ってもいなかった……」

 ラファエルは、息を飲んだ。ジュスティーヌは大樹に抱き着き、目を閉じてその幹に額を預ける。樹上から降り注ぐ木漏れ日が、ジュスティーヌの金色の髪と頬に流れる涙に反射して煌めいた。

 ジュスティーヌにとって、この庭は幸福だった幼い日々の世界のすべて。その世界の外に何が待っているかも知らされず、無防備なまま連れ出され、傷つけられた。再び庭に戻ってきたけれど、傷ついた自分はもう、昔のままではない。

 この場所が何も変わらないからこそ、ジュスティーヌは気づかされる。

 もう、戻れない。昔の、自分には――
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