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4、黒衣の人
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王都も王宮も、末の王女の帰国を心から喜んだ。
王宮の大広間で王女を出迎えたのは、国王夫妻と王太子マルスラン、妊娠中の王太子妃イザベル。国内の貴族に嫁いでいる、ジュスティーヌの姉二人。久しぶりの家族の再会であった。
何しろ六年ぶりの帰郷だ。王も王妃も、幾度も隣国に王女の里帰りを求めたが、大公が頑として要求に応じなかったのだ。
黒い喪服のせいか、抜けるように白い肌はやや蒼褪めて見える。嫁ぐ前は溢れるほどの幸福感をまき散らしていた明るく華やかな末姫が、すっかり憂いを纏った儚げな風情に変わっていて、やはり不幸な結婚であったのだと、母の王妃も姉たちも胸を痛める。――マルスランも王も、ジュスティーヌが受けていた虐待について、女たちには話していなかった。
「本当に帰ってきたのね、ジュスティーヌ。……もう、会えないのかもしれないと、覚悟していたのよ」
王妃が、ジュスティーヌと同じ澄んだ青い瞳に涙を浮かべて言うと、ジュスティーヌも儚く微笑んだ。
「お母様……ご心配をおかけしました」
「あのまま、あちらに留め置かれるのではないかと、慌てて兵を派遣したのだ。間に合ってよかった」
国王も六年で増えた白髪交じりの頭を振る。大公位の継承を狙う妾腹の三男が、ジュスティーヌとの婚姻を企てたのだ。ジュスティーヌの方が七つも年下だが、仮にも義母である。そのような婚姻は神が認めぬとマルスランらが主張すれば、三男とその母の愛妾は、ジュスティーヌと大公は白い結婚で婚姻は無効だと言い始めたのだ。
マルスランとしては、ジュスティーヌの忌まわしい結婚がなかったことになるのは大歓迎ではあるが、処女検査に託けて、ジュスティーヌにさらなる辱めを加えられては堪らないと、亡き公妃腹の長男や隣国の重心とも連絡を取り、砦を一つ落として武力行使も辞さぬ構えまで示して、何とかジュスティーヌを取り戻したのである。強国の大公の未亡人であり、一国の王女でもあるジュスティーヌを妻にと望む野心家は山ほどいる。ジュスティーヌを政略の駒にしたくないマルスランとしては、一刻も早く、国内の誠実な男と結婚させてしまいたいところである。
「その黒い服は忌々しいわ。早く脱いでおしまいなさいよ。ドレスなら王都の商人を呼んで、何着でも仕立てたらいいわ。――最近は、外国の流行が入ってきて、六年前とは全然違っていてよ」
「そうそう、東方の素晴らしい絹が入ってきてね。それに我が国伝統の刺繍やレースをあしらって、どんどん豪華になるわ。お兄様の肝煎りで外国の商人が増えたのよ。遠い異国の珍しい品々やら、宝石やら、前は見たこともないような品ばかり!」
「ジュスティーヌ様の瞳には、サファイアの深い青がよく似合いますでしょう。さっそく宝石商を呼んで、見繕いましょうよ!」
姉二人と王太子妃のイザベルが口々に言い、ジュスティーヌは困ったように黒い喪服を見下ろす。質のいい絹地に黒い糸で刺繍した喪服は、繊細な黒いレースがふんだんに使われ、ドレープの光沢も美しいけれど、何せ黒一色の姿は異様で、華やかな王宮の中にポツンと染みが浮いたようであった。
「ですが……」
言い淀むジュスティーヌに、マルスランが言う。
「大公が身罷られてもう、半年になる。子供がいるわけでもなく、親の家に戻ったのだから、喪服を脱いでも構わないだろう。イザベルに流行のドレスを見立てて貰うといい」
マルスランが妻に目配せすると、心得たとばかりにイザベルが頷く。
「明日にでも城下の商人を呼びましょう。近頃はレザン夫人のドレスというのが評判なんですの。遠い外国の宮廷で流行っているスタイルだとかで、上流の夫人がたはみな、彼女に注文いたしますのよ」
「どれもこれも、ジュスティーヌが隣国に嫁いで和平を実現したおかげだ。そなたも存分に着飾るべきだ。そして早く、相応しい婿を見つけなければ」
国王が茶色い口髭を扱きながら、満足げに笑うが、だがジュスティーヌははっと顔を上げて父と兄を見た。
「あ、あの……わたくし、その……結婚はもう……」
黒い手袋をはめた手で、ギュッと黒いドレスを握り締める。その手が微かに震えるのを見て、マルスランの心臓がつきりと痛む。
「結婚を急がせるつもりはないよ。いずれ、ということだ。今度は政略も何もなく、王都近くに住まう、優しい男に嫁げばいい」
「お兄様、わたくし、本当に結婚はもう……」
蒼白な顔を俯けて震える姿は痛々しいほどで、これまでの生活がそれほど辛かったのかと、母の王妃は思わず白い手で娘の手を上から握る。
「ジュスティーヌ、可愛そうに。――いいのよ、ゆっくりと母様の許でお過ごしなさい。嫌なことはもう、すべて終わったのよ」
「お母様……わたくし、その、結婚するくらいならば、いっそのこと修道院に……」
「ジュスティーヌ!」
王宮の大広間で王女を出迎えたのは、国王夫妻と王太子マルスラン、妊娠中の王太子妃イザベル。国内の貴族に嫁いでいる、ジュスティーヌの姉二人。久しぶりの家族の再会であった。
何しろ六年ぶりの帰郷だ。王も王妃も、幾度も隣国に王女の里帰りを求めたが、大公が頑として要求に応じなかったのだ。
黒い喪服のせいか、抜けるように白い肌はやや蒼褪めて見える。嫁ぐ前は溢れるほどの幸福感をまき散らしていた明るく華やかな末姫が、すっかり憂いを纏った儚げな風情に変わっていて、やはり不幸な結婚であったのだと、母の王妃も姉たちも胸を痛める。――マルスランも王も、ジュスティーヌが受けていた虐待について、女たちには話していなかった。
「本当に帰ってきたのね、ジュスティーヌ。……もう、会えないのかもしれないと、覚悟していたのよ」
王妃が、ジュスティーヌと同じ澄んだ青い瞳に涙を浮かべて言うと、ジュスティーヌも儚く微笑んだ。
「お母様……ご心配をおかけしました」
「あのまま、あちらに留め置かれるのではないかと、慌てて兵を派遣したのだ。間に合ってよかった」
国王も六年で増えた白髪交じりの頭を振る。大公位の継承を狙う妾腹の三男が、ジュスティーヌとの婚姻を企てたのだ。ジュスティーヌの方が七つも年下だが、仮にも義母である。そのような婚姻は神が認めぬとマルスランらが主張すれば、三男とその母の愛妾は、ジュスティーヌと大公は白い結婚で婚姻は無効だと言い始めたのだ。
マルスランとしては、ジュスティーヌの忌まわしい結婚がなかったことになるのは大歓迎ではあるが、処女検査に託けて、ジュスティーヌにさらなる辱めを加えられては堪らないと、亡き公妃腹の長男や隣国の重心とも連絡を取り、砦を一つ落として武力行使も辞さぬ構えまで示して、何とかジュスティーヌを取り戻したのである。強国の大公の未亡人であり、一国の王女でもあるジュスティーヌを妻にと望む野心家は山ほどいる。ジュスティーヌを政略の駒にしたくないマルスランとしては、一刻も早く、国内の誠実な男と結婚させてしまいたいところである。
「その黒い服は忌々しいわ。早く脱いでおしまいなさいよ。ドレスなら王都の商人を呼んで、何着でも仕立てたらいいわ。――最近は、外国の流行が入ってきて、六年前とは全然違っていてよ」
「そうそう、東方の素晴らしい絹が入ってきてね。それに我が国伝統の刺繍やレースをあしらって、どんどん豪華になるわ。お兄様の肝煎りで外国の商人が増えたのよ。遠い異国の珍しい品々やら、宝石やら、前は見たこともないような品ばかり!」
「ジュスティーヌ様の瞳には、サファイアの深い青がよく似合いますでしょう。さっそく宝石商を呼んで、見繕いましょうよ!」
姉二人と王太子妃のイザベルが口々に言い、ジュスティーヌは困ったように黒い喪服を見下ろす。質のいい絹地に黒い糸で刺繍した喪服は、繊細な黒いレースがふんだんに使われ、ドレープの光沢も美しいけれど、何せ黒一色の姿は異様で、華やかな王宮の中にポツンと染みが浮いたようであった。
「ですが……」
言い淀むジュスティーヌに、マルスランが言う。
「大公が身罷られてもう、半年になる。子供がいるわけでもなく、親の家に戻ったのだから、喪服を脱いでも構わないだろう。イザベルに流行のドレスを見立てて貰うといい」
マルスランが妻に目配せすると、心得たとばかりにイザベルが頷く。
「明日にでも城下の商人を呼びましょう。近頃はレザン夫人のドレスというのが評判なんですの。遠い外国の宮廷で流行っているスタイルだとかで、上流の夫人がたはみな、彼女に注文いたしますのよ」
「どれもこれも、ジュスティーヌが隣国に嫁いで和平を実現したおかげだ。そなたも存分に着飾るべきだ。そして早く、相応しい婿を見つけなければ」
国王が茶色い口髭を扱きながら、満足げに笑うが、だがジュスティーヌははっと顔を上げて父と兄を見た。
「あ、あの……わたくし、その……結婚はもう……」
黒い手袋をはめた手で、ギュッと黒いドレスを握り締める。その手が微かに震えるのを見て、マルスランの心臓がつきりと痛む。
「結婚を急がせるつもりはないよ。いずれ、ということだ。今度は政略も何もなく、王都近くに住まう、優しい男に嫁げばいい」
「お兄様、わたくし、本当に結婚はもう……」
蒼白な顔を俯けて震える姿は痛々しいほどで、これまでの生活がそれほど辛かったのかと、母の王妃は思わず白い手で娘の手を上から握る。
「ジュスティーヌ、可愛そうに。――いいのよ、ゆっくりと母様の許でお過ごしなさい。嫌なことはもう、すべて終わったのよ」
「お母様……わたくし、その、結婚するくらいならば、いっそのこと修道院に……」
「ジュスティーヌ!」
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