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Act.1

馬車の中(侍従官視点)*

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 婚姻の許可は出ない、というジルベールの発言に、その場はシンと息を飲んだ。

「なんですと?! そんな、何の権限で!」

 ギュネ侯爵がカッとなって突っかかるのを制し、ジルベールは羊皮紙のリボンを解いて、するりを広げて見せる。

「こちらが、王太子殿下の教令(命令書)です。署名も印璽も間違いありません」
「結婚は家の事情、王家の干渉もできないはず――」

 ギュネ侯爵が怒りに顔を真っ赤にしてなおも食い下がるが、ジルベールは首を振った。騒ぎを聞きつけたラングレー伯爵も部屋にやってきて、異様な状況に目を瞠る。

「……これはいったい……あなたは、ジルベール卿?」

 ジルベールは旧知の間柄のラングレー伯爵を見て、頷いてみせる。 

「ラングレー伯爵、ご息女のロクサーヌ嬢と、殿下の婚約の内示が出ています。にもかかわらず、ロクサーヌ嬢の姉君の婚姻について、事前に王家に一言の相談もなかった。殿下は大変、ご立腹です」
「そんな……!」

 ラングレー伯爵が絶句し、ギュネ侯爵が怒り狂った。

「王太子ごときが、なぜわしの結婚に文句をつける!」
「殿下におかれましては、年老いた義兄など不愉快千万であると」
「なんだと!」

 ギュネ侯爵はあまりの言われように地団駄を踏む。

「国王陛下なならばともかく、王太子ごときが――」
「ラングレー伯爵は王太子妃を出す以上、王家の姻戚となります。その責任をあまりに軽くみているようです。王太后陛下も、だからロクサーヌ嬢では頼りないと、王太子妃の選定にも改めて不満を表明なさいました」
「それは――」

 反論もできないラングレー伯爵に対し、ジルベールはもう一つの巻物を取り出し、するすると開いて見せる。

「王太后陛下におかれては、アニエス嬢を侍女に召し出すと。王太子殿下は、アニエス嬢の結婚を強行するのであれば、ロクサーヌ嬢との結婚は白紙に戻さざるを得ぬと仰せになりました。至急、王太后宮にアニエス嬢を連れていきます」

 一方、ソファに横たわる令嬢は、周囲のやり取りにも反応せず、さっきから苦しげな荒い呼吸を繰り返し、うなされていた。

「何か飲まされているわ」

 覗き込んだジルベールの耳元で、ジョアナが囁く。娘の口元から漂う匂いに覚えがあった。

 近頃王都で流行し被害の出ている怪しい薬物、王太子周辺が出どころを追っている媚薬の香り。やはり噂通りギュネ侯爵と関わりが――

 だが、今はこの娘を王宮に保護するのが先決だ。
 ジルベールは思い決めると、毛織のショールでくるんだ意識のない娘を抱き上げる。金茶色の長い髪が散らばる。驚くほど軽く、そして体は熱を持っていた。

「お待ちください、娘をどこに――」
「待て、それはわしの花嫁じゃ!」

 ジルベールは慌てふためく父親と年老いた花婿を睨みつけ、宣言した。

「王太后陛下のご命令です! ご令嬢を王太后宮にお連れする! 道を開けよ!」
「待て、勝手なことを! 許さんぞ、者ども――」

 ギュネ侯爵があくまで阻もうとするのを、しかしわずかに冷静さを取り戻したラングレ―伯爵が制止した。

「侯爵閣下、ここはひとまず、ご命令に従う以外にございません」
「だが! こんな屈辱、国王陛下に申し上げてきっと痛い目を見せてやる!」
「どうぞ、ご自由に。……陛下のご容態については、ギュネ侯爵の方がよくご存知でしょう」

 国王は倒れて病状は悪化の一途をたどっている。それを知るジルベールは余裕の笑みを浮かべ、ギュネ侯爵は悔しそうに顔を歪める。
 ジルベールが令嬢を抱えて部屋を出ようとすると、ジョアナが寝台から毛布ブランケットをもってきて、令嬢の足元を覆った。

「大判のショールでは足が丸見えですわ。未婚のご令嬢ですのに」

 怒りのあまり顔色がどす黒くなっているギュネ侯爵と、蒼褪めたラングレー伯爵を振り切り、為すすべもなく見送るだけの使用人たちの前を通り過ぎ、ジルベールは待機していた馬車に乗り込む。馬車の奥で身を潜めていた王太子は、毛布にくるまれた女を見て息を飲み、ひったくるように抱き取る。

「何があった」
「説明は後で、すぐに馬車を出します! ジョアナ!」

 うっかり、王太子の手に令嬢を渡してしまって、ジルベールはしまったと思う。王太子は毛布にくるまれた令嬢を抱きしめて離そうとしない。遅れて乗り込んできたジョアナが意外な光景に凍りつく。

 王太子はラングレー伯爵の娘と知り合いなのか?
 だが、問い詰めている暇はない。すぐに扉を閉め、ピシリと馬の鞭が鳴って、馬車が動き始めた。


 

「意識がないのか……」

 毛布にくるまれた女は睫毛を伏せ、だがさっきから苦しげな呼吸を繰り返し、額には汗が浮いている。発熱して身体が熱く、苦悶の表情で唸っている。

「何か飲まされています。おそらくは例の媚薬を――」
をか!」

 王太子もまた、女の口元の匂いを嗅いで、眉を寄せる。王都で最近、乱交パーティーなどで使用され、王宮が出所を追っている催淫性のある薬。

「意識がなくなるなんて、どれだけ飲ませたのだ!」
「効果が出やすくなるように、強い酒に混ぜたのでしょう。修道院育ちということでしたら、酒に慣れていないかもしれません。意識がないのはそのせいと思われます」
「アニエス……」

 王太子が愛し気に意識のない女の瞼に口づけるのを見て、ジルベールとジョアナは顔を見合わせる。

「……その……お知り合いなのですか?」

 勇気を振り絞ってジョアナが問うが、王太子は端麗な眉を寄せ、首を振った。

「いや……初対面だ」

 どう見ても嘘なのだが、それ以上の問いは拒むような雰囲気があった。

「……修道院なら、安全だと思っていたのに……」
「ん……うう……い……うう……」

 だが令嬢は苦し気に首を振り、はあはあと荒い息を吐いている。

「解毒薬は――」

 王太子の問いに、ジルベールもまた眉を顰める。

「完全な解毒薬はまだありません。飲まされた量にもよりますが、薬を抜いてしまう以外には――」
「どうやって抜く?」
「その……この薬は催淫性が強く感覚も鋭くなります。性的に達してしまえば効果は抜けるので、乱交目的には便利な薬ですが、達しない限り効果が長く続いて、拷問にも使うことがあります。……今はおそらく混ぜた酒のせいで意識がないのでマシでしょうが、酒が切れて意識が戻ったら相当に苦しむことになると――」 

 ジルベールの応えに、ジョアナが声にならない悲鳴をあげた。

「……あのクソジジイめ……!」
「意識を失っている間に、貞操を奪って囲い込むつもりだったのでしょうが――」

 目が覚めた時には老人の妻になっていて、逃れられないということだ。王太子はしばらく考えていたが、意を決したように二人に告げた。

「今から見聞きしたことは忘れろ、いいな?」
「殿下?」

 王太子が毛布の下に手を入れ、ごそごそと意識のない女の身体をまさぐる気配に気づき、ジョアナが思わず顔を覆う。

「ふ……ううっ……んっ……んんっ……」
「殿下まさかご自身で……?」
「私以外に誰がいる。ジルベール、目を閉じろ! 早く!」

 気づけば隣に座るジョアナがジルベールにぎゅっとしがみついていて、ジルベールも王太子たちから目を背けるようにして、ほとんどジョアナと抱き合うような体勢になる。

「んっ……んんっ……あっあああっ……やあっ……あっ、はあっ、はあっ……」

 薄暗い馬車の中に、令嬢の甘い声が響き、ガラガラと疾走する車輪の音のはざまから、わずかに水音のようなものが漏れ聞こえる。
 状況が見えないだけに、耳から入る情報があまりに淫靡で、ジルベールは自身の下半身に血が集まるのを感じ、腕の中のジョアナをぎゅっと抱きしめた。

「あっ、あっ……ああっ……はっ……ああああっああ―――――っ」

 女が甲高い悲鳴をあげ、はあ、はあと荒い息を吐く。一度では媚薬が抜けていないと判断したのか、王太子は処置を続け、甘い声はさらに続いた。

 結局、王太后宮に到着するまでに、女は三度ほど達して、それ以後は呼吸も落ち着き、深い眠りに落ちたらしい。

 肩にもたれて眠る女を王太子が愛おしそうに抱きしめ、その長い髪を撫で続ける様子に、ジルベールは踏み込めないものを感じ取って、何も尋ねることができなかった。

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