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14、陰陽の龍種
始祖女王の結界
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「初耳だ」
恭親王は盤上から顔を上げる。ユリウスは皮肉っぽく笑った。
「機密事項なんだ。僕はユウラ様の女王認証式に出席できたからね。南の辺境を中心に、始祖女王ディアーヌが張った魔物封じの結界を代々の女王が維持するんだそうだ。もう現在の女王の〈力〉では、新たな結界を張ることはできないらしく、とにかく壊れないように〈王気〉を注いで強化するんだと言っていたよ。……辺境に魔物封じの結界が張ってあって、今の女王ではもう、張り直せないなんて、バレたら大変なことになるからね、これは本当に一部の者しか知らないことなんだ」
「アルベラでは女王になれない、というのはそういうことか!」
恭親王はポンと膝を打った。〈王気〉がなければ、結界に力を注ぐことができない。〈王気〉がなければ女王としての役割を果たせない、とはそのことなのだ。
「当然、イフリート公爵もそれは知っているのだよな?」
「もちろん。その儀式の時、イフリート公爵も出席していたからね」
「知っていてなぜ、アルベラの即位を強行するのだ?」
「だって、ここ数百年来、魔物が出たという報告はちょくちょくあるけど、ただのデカい熊だったり、アルビノ種の虎だったりと、誤報ばかりでね。現実主義者のイフリート公は、魔物なんてもういないと思っているんじゃないの?」
ユリウスが長い髪を揺らし、肩を竦めながら言う。恭親王は椅子に背を預け、芋焼酎を舐めるように飲みながら、思考を巡らす。
女王の〈力〉が減退し、元老院に掣肘されるようになると、もはや龍種としての女王の能力など不要に――むしろ元老院には邪魔なものに――なっていったのだろう。
〈禁苑〉の力が及ばない辺境地域では、現在でも魔物の発生が報告される。東では皇子を中心とした討伐軍が定期的に組織され、魔物の討滅を行っている。始祖女王の強力な結界に守られていた西の女王国では、魔物に対する警戒感も薄れてしまったのだろう。
「……ちょっと待て。認証式で結界を張り直すということは、女王空位の現在、結界はどうなっているのだ……?」
「放ったらかしだろう。唯一の〈王気〉持ちはずっと聖地に籠ったきりなんだから」
恭親王は眉を顰めてこめかみを押さえる。
「……ユリウス、その結界が破られていないか、あるいは辺境における魔物の出現等を監視することは……?」
「領域の東北区域はうちの管轄だから、一応監視は続けているよ。うちはソリスティア領と境を接しているから、異常があれば君のところにも報告が上がるようになっている。でも西南区域とか、東南区域とかはどうだろうね?西南のガルシア辺境伯はナキアにも滅多に顔を出さない偏屈者だから、真面目にやっているとは思うけど」
「大至急で、魔物に対する監視体制について調べてもらえないか?……結界が破れて魔物が大発生したら、国が滅ぶぞ」
恭親王の言葉に、ユリウスが意外そうな顔をする。
「えーっ!デンカは魔物を信じるタイプだったの?」
「去年、南方辺境で何匹か狩ったぞ。帝国最強の皇宮騎士団でさえ、魔物そのものを退治できるのは皇族と貴種の聖騎士だけだ。普通の武器が通用しないからな」
「魔物……狩った……って……えええええー!」
優雅にくゆらせていた葡萄酒を、ユリウスは思わず口から吹き出した。
「ほんと?ほんとに?魔物なんて、やっぱりまだいるの?」
「いるに決まっているだろう。聖地から離れれば離れるほど、陰陽の調和が崩れて魔物が発生しやすくなる。辺境では魔物を崇拝している部族もいるくらいだからな。帝国には結界なんて便利なものはないから、定期的に皇子が軍隊を率いて討伐に向かうのだ」
ユリウスに葡萄酒を拭う手巾を手渡してやりながら、恭親王は言う。
「魔物の発生状況については帝国でも機密扱いだから、西には漏れていないのだろう。民の不安を煽るわけにはいかないからな」
魔物は普通の武器では傷つけることはできず、魔力を内包した聖別された武器が必要だ。そしてその武器の力は龍種の血を受け継ぐ聖騎士しか、発現させることができない。つまり、人にとっては確かに脅威だが、きちんと訓練した騎士たちが攻撃すれば、狩ることは不可能ではない。
本当に怖いのは、魔物の発生によって引き起こされる人心の騒乱状態だ。そして魔物は人のそういう心に付け込むのだ。もし、西の女王国の魔物への備えが始祖女王の結界頼みだった場合、万一結界が崩壊したときの混乱は想像を絶することになろう。
「しかし……〈禁苑〉の奴らは何故、こういう大事な情報を私に伝えないのかな? 始祖女王の結界についてなど、メイローズも一言も言っていなかった」
もはや〈陰陽〉のゲームを続ける気も失って、恭親王が毒づいた。メイローズは二言目には陰陽の調和が何とやら言う癖して、女王空位の影響に触れないあたり、後出しじゃんけんもいいところだ。
「どうだろう。始祖女王の結界は相当強力らしいから、よほどのことがなければ破れたりはしないと聞いたよ。僕も含めて、聖地に近い場所にいれば魔物の発生なんて、思いつきもしなかったよ」
「平和ぼけというやつか。まったく、おめでたいことだ。だいたい四方辺境伯ってのは、女王国を敵や魔物から守るためにいるんだろう?」
「こんな聖地に近い場所で、魔物なんて出る訳ないじゃないか! 知らないよ!」
基本、軍人である恭親王は忌々しそうに葡萄酒のグラスを一気に呷った。
アデライードを是が非でも女王にせねばならぬ理由が明らかになったところで、しかしながらアデライードの潜在能力は全く未知なままだ。そのことを考えると、恭親王はついつい眉根に皺が寄ってしまうのであった。
恭親王は盤上から顔を上げる。ユリウスは皮肉っぽく笑った。
「機密事項なんだ。僕はユウラ様の女王認証式に出席できたからね。南の辺境を中心に、始祖女王ディアーヌが張った魔物封じの結界を代々の女王が維持するんだそうだ。もう現在の女王の〈力〉では、新たな結界を張ることはできないらしく、とにかく壊れないように〈王気〉を注いで強化するんだと言っていたよ。……辺境に魔物封じの結界が張ってあって、今の女王ではもう、張り直せないなんて、バレたら大変なことになるからね、これは本当に一部の者しか知らないことなんだ」
「アルベラでは女王になれない、というのはそういうことか!」
恭親王はポンと膝を打った。〈王気〉がなければ、結界に力を注ぐことができない。〈王気〉がなければ女王としての役割を果たせない、とはそのことなのだ。
「当然、イフリート公爵もそれは知っているのだよな?」
「もちろん。その儀式の時、イフリート公爵も出席していたからね」
「知っていてなぜ、アルベラの即位を強行するのだ?」
「だって、ここ数百年来、魔物が出たという報告はちょくちょくあるけど、ただのデカい熊だったり、アルビノ種の虎だったりと、誤報ばかりでね。現実主義者のイフリート公は、魔物なんてもういないと思っているんじゃないの?」
ユリウスが長い髪を揺らし、肩を竦めながら言う。恭親王は椅子に背を預け、芋焼酎を舐めるように飲みながら、思考を巡らす。
女王の〈力〉が減退し、元老院に掣肘されるようになると、もはや龍種としての女王の能力など不要に――むしろ元老院には邪魔なものに――なっていったのだろう。
〈禁苑〉の力が及ばない辺境地域では、現在でも魔物の発生が報告される。東では皇子を中心とした討伐軍が定期的に組織され、魔物の討滅を行っている。始祖女王の強力な結界に守られていた西の女王国では、魔物に対する警戒感も薄れてしまったのだろう。
「……ちょっと待て。認証式で結界を張り直すということは、女王空位の現在、結界はどうなっているのだ……?」
「放ったらかしだろう。唯一の〈王気〉持ちはずっと聖地に籠ったきりなんだから」
恭親王は眉を顰めてこめかみを押さえる。
「……ユリウス、その結界が破られていないか、あるいは辺境における魔物の出現等を監視することは……?」
「領域の東北区域はうちの管轄だから、一応監視は続けているよ。うちはソリスティア領と境を接しているから、異常があれば君のところにも報告が上がるようになっている。でも西南区域とか、東南区域とかはどうだろうね?西南のガルシア辺境伯はナキアにも滅多に顔を出さない偏屈者だから、真面目にやっているとは思うけど」
「大至急で、魔物に対する監視体制について調べてもらえないか?……結界が破れて魔物が大発生したら、国が滅ぶぞ」
恭親王の言葉に、ユリウスが意外そうな顔をする。
「えーっ!デンカは魔物を信じるタイプだったの?」
「去年、南方辺境で何匹か狩ったぞ。帝国最強の皇宮騎士団でさえ、魔物そのものを退治できるのは皇族と貴種の聖騎士だけだ。普通の武器が通用しないからな」
「魔物……狩った……って……えええええー!」
優雅にくゆらせていた葡萄酒を、ユリウスは思わず口から吹き出した。
「ほんと?ほんとに?魔物なんて、やっぱりまだいるの?」
「いるに決まっているだろう。聖地から離れれば離れるほど、陰陽の調和が崩れて魔物が発生しやすくなる。辺境では魔物を崇拝している部族もいるくらいだからな。帝国には結界なんて便利なものはないから、定期的に皇子が軍隊を率いて討伐に向かうのだ」
ユリウスに葡萄酒を拭う手巾を手渡してやりながら、恭親王は言う。
「魔物の発生状況については帝国でも機密扱いだから、西には漏れていないのだろう。民の不安を煽るわけにはいかないからな」
魔物は普通の武器では傷つけることはできず、魔力を内包した聖別された武器が必要だ。そしてその武器の力は龍種の血を受け継ぐ聖騎士しか、発現させることができない。つまり、人にとっては確かに脅威だが、きちんと訓練した騎士たちが攻撃すれば、狩ることは不可能ではない。
本当に怖いのは、魔物の発生によって引き起こされる人心の騒乱状態だ。そして魔物は人のそういう心に付け込むのだ。もし、西の女王国の魔物への備えが始祖女王の結界頼みだった場合、万一結界が崩壊したときの混乱は想像を絶することになろう。
「しかし……〈禁苑〉の奴らは何故、こういう大事な情報を私に伝えないのかな? 始祖女王の結界についてなど、メイローズも一言も言っていなかった」
もはや〈陰陽〉のゲームを続ける気も失って、恭親王が毒づいた。メイローズは二言目には陰陽の調和が何とやら言う癖して、女王空位の影響に触れないあたり、後出しじゃんけんもいいところだ。
「どうだろう。始祖女王の結界は相当強力らしいから、よほどのことがなければ破れたりはしないと聞いたよ。僕も含めて、聖地に近い場所にいれば魔物の発生なんて、思いつきもしなかったよ」
「平和ぼけというやつか。まったく、おめでたいことだ。だいたい四方辺境伯ってのは、女王国を敵や魔物から守るためにいるんだろう?」
「こんな聖地に近い場所で、魔物なんて出る訳ないじゃないか! 知らないよ!」
基本、軍人である恭親王は忌々しそうに葡萄酒のグラスを一気に呷った。
アデライードを是が非でも女王にせねばならぬ理由が明らかになったところで、しかしながらアデライードの潜在能力は全く未知なままだ。そのことを考えると、恭親王はついつい眉根に皺が寄ってしまうのであった。
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