77 / 191
11、焦燥
神器の秘密
しおりを挟む
アンジェリカの淹れたお茶を一口飲んで口を湿らせると、恭親王は言った。
「まず、あなたの義父上……と言うべきなのかな、イフリート公子ギュスターブ卿が我々の婚姻に異議を申し立ててきたそうだ。理由は公開の場で直接述べるそうなので、私も知らない。午後から月神殿で公聴会が開かれることになった。メイローズが言うには、あなたも私も、そしてユリウスも、その会議に出なければならないそうだ。あなたをこの別邸から出すのは、気が乗らないのだがな」
恭親王がちらりとメイローズに流し目を送ると、メイローズが一歩踏み出して腰を折った。
「申し訳ございません。やはり当事者である姫君がご欠席では、殿下やユリウス卿が姫君を無理に別邸に留めている、という主張に説得力を与えかねませんので……」
「それは仕方がないね。アデライードがこの結婚に納得している様子を、ギュスターブの野郎には見せつけておかないと」
ユリウスの言葉に、恭親王が怜悧な黒い瞳でアデライードを見ると、アデライードは無言で頷いた。
「私自身はギュスターブには会ったこともないし、取り立てての興味もないのだが、あなたがた兄妹には因縁の浅からぬ人物だ。どういう手でくるかはわからないが、取り乱せば相手に付け入る隙を与える。堂々と受け流して欲しい」
恭親王は懐から例の指輪の入った小箱を取り出すと、二人に言った。
「ギュスターブは、これを喉から手が出るほど欲しがっているらしいが、今、私の手元にあると知れば、どうするかな」
お茶を飲もうとしていたユリウスは、小箱の中身を見て飛び上がり、ガチャンと乱暴にカップを皿に置く。白い皿に茶色いお茶が零れる。
「ええっ!それっ、どうしてっ!」
ユリウスの目は驚愕に見開かれていた。
「どうして神器が君の手元にあるのさ!……アデライード? お前が渡したのか?」
ユリウスの権幕に、アデライードはただ戸惑うように視線を泳がせている。
「まあ、細かいことはどうでもいいだろう。今日はこれを嵌めていくからな」
そういうと、恭親王は何気なく小箱の中身を手に取り、自分の左手の薬指に嵌めた。ユリウスはその動作を見て、一層驚愕の眼を見開いている。
「君、それ、触って大丈夫なんだ。……やっぱり、アデライードが君を択んだってことなんだ……」
「は?」
質問の意味を理解できず、黒い目を瞬きしている恭親王に向かい、ユリウスが説明する。
「これは、女王が選んだ夫以外の男が触ると、大変なことになる。……ほら」
言いながらユリウスが恭親王の左手に伸ばし、指輪に触れようとすると、バチン!と火花が散って弾き飛ばされる。特大の静電気に中ったときのような感じだ。
恭親王はその光景を見て絶句する。
「……メイローズは、触っても大丈夫だったぞ」
メイローズも指輪を見つめて唖然としている。陰の〈王気〉を発しているのは知っていたが、そんな魔術が込められていることまでは、彼には見抜けなかった。
「メイローズって……彼、宦官でしょ? 男にしか反応しないらしいよ」
ユリウスは何言っているの、というように言う。
「十年前、父が死ぬ前に一度だけ見たことがある。……これは、女王が夫である執政長官に渡す指輪だから、女王に選ばれた夫しか触れることができない」
恭親王はたっぷり百数えるくらい沈黙していたが、絞り出すように言った。
「それは……それはたまたま特大の静電気で……」
もう一回ユリウスが指輪に手を伸ばして、やっぱりバチン!と火花を飛ばす。
「ほら、そんな何度も都合よく、特大の静電気は出ないよ」
恭親王は思いっきり唇を引き結んで沈黙する。思考が追い付かないらしい。
「メイローズは何か聞いているか?」
控えている枢機卿に尋ねると、メイローズは緩く首を振った。
「いえ、特には何も……」
「太陰宮の高位神官くらいしか、何が起こるかは知らなんじゃないかな? 僕は十年前、父上の指に嵌っているのを知らずに触れて、ひどい目に遭ったから知っているけどさ。……ね、アデライード、憶えている? お前はまだ幼かったけれど、あの場にいたはずだ。女王が選んだ夫以外は触れてはならない、と言われるだけで、触れたらどうなるかなんて、誰も説明してくれなかったしね」
恭親王は左手の指輪をじっと眺め、やがて肩を震わせて笑い始めた。
「殿下?」
「いや、その……なんだかすごいな……。どういう仕組みなんだか」
「始祖女王ディアーヌの魔術がかかっているというよ」
ユリウスが言うと、メイローズも納得した。
「確かにかなり強い陰の〈王気〉を発しておりますが……」
そのやり取りの間も、ずっと身体を震わせて笑い続けている恭親王に対し、ユリウスは咳払いして、続ける。
「それは十年間、行方不明になっていた。……それが、殿下の手元にあるということは、実はアデライードは神器を隠し持っていて、婚約式の後に殿下に渡したってことなの? この、僕にも黙って」
気まずそうに視線をそらすアデライードを、ユリウスが睨みつける。ユリウスはアデライードが話せることに慣れていないので、アデライードが何も言わなくても不自然には思わないようだった。
恭親王は兄妹の間をとりなすように、言った。
「まあ、そう言うな。アデライード姫には、神器の在り処はずっとわかっていたのだ。あのエイダが神器を狙っていることも、もちろん知っていた。言葉を話せないフリまでして神器を守ってきたのだ。責めないでやってくれ」
「僕にだけは本当のことを話してくれてもよかったのに」
アデライードは目を伏せて、ユリウスの非難の眼差しから逃げるように顔を背ける。
恭親王は二人の様子に指輪を箱に戻して懐にしまい、ユリウスに言った。
「あのエイダという女がずっと張り付いていて、おぬしに助けを求めようにもできなかったのだ。……この、神器が奪われていれば、いろいろと厄介なことになったのを、アデライード姫の機転で救われたのだから」
恭親王がそう言って、アデライードを見る。アデライードは少しばかり複雑そうな表情をして、翡翠色の瞳を伏せた。
「まず、あなたの義父上……と言うべきなのかな、イフリート公子ギュスターブ卿が我々の婚姻に異議を申し立ててきたそうだ。理由は公開の場で直接述べるそうなので、私も知らない。午後から月神殿で公聴会が開かれることになった。メイローズが言うには、あなたも私も、そしてユリウスも、その会議に出なければならないそうだ。あなたをこの別邸から出すのは、気が乗らないのだがな」
恭親王がちらりとメイローズに流し目を送ると、メイローズが一歩踏み出して腰を折った。
「申し訳ございません。やはり当事者である姫君がご欠席では、殿下やユリウス卿が姫君を無理に別邸に留めている、という主張に説得力を与えかねませんので……」
「それは仕方がないね。アデライードがこの結婚に納得している様子を、ギュスターブの野郎には見せつけておかないと」
ユリウスの言葉に、恭親王が怜悧な黒い瞳でアデライードを見ると、アデライードは無言で頷いた。
「私自身はギュスターブには会ったこともないし、取り立てての興味もないのだが、あなたがた兄妹には因縁の浅からぬ人物だ。どういう手でくるかはわからないが、取り乱せば相手に付け入る隙を与える。堂々と受け流して欲しい」
恭親王は懐から例の指輪の入った小箱を取り出すと、二人に言った。
「ギュスターブは、これを喉から手が出るほど欲しがっているらしいが、今、私の手元にあると知れば、どうするかな」
お茶を飲もうとしていたユリウスは、小箱の中身を見て飛び上がり、ガチャンと乱暴にカップを皿に置く。白い皿に茶色いお茶が零れる。
「ええっ!それっ、どうしてっ!」
ユリウスの目は驚愕に見開かれていた。
「どうして神器が君の手元にあるのさ!……アデライード? お前が渡したのか?」
ユリウスの権幕に、アデライードはただ戸惑うように視線を泳がせている。
「まあ、細かいことはどうでもいいだろう。今日はこれを嵌めていくからな」
そういうと、恭親王は何気なく小箱の中身を手に取り、自分の左手の薬指に嵌めた。ユリウスはその動作を見て、一層驚愕の眼を見開いている。
「君、それ、触って大丈夫なんだ。……やっぱり、アデライードが君を択んだってことなんだ……」
「は?」
質問の意味を理解できず、黒い目を瞬きしている恭親王に向かい、ユリウスが説明する。
「これは、女王が選んだ夫以外の男が触ると、大変なことになる。……ほら」
言いながらユリウスが恭親王の左手に伸ばし、指輪に触れようとすると、バチン!と火花が散って弾き飛ばされる。特大の静電気に中ったときのような感じだ。
恭親王はその光景を見て絶句する。
「……メイローズは、触っても大丈夫だったぞ」
メイローズも指輪を見つめて唖然としている。陰の〈王気〉を発しているのは知っていたが、そんな魔術が込められていることまでは、彼には見抜けなかった。
「メイローズって……彼、宦官でしょ? 男にしか反応しないらしいよ」
ユリウスは何言っているの、というように言う。
「十年前、父が死ぬ前に一度だけ見たことがある。……これは、女王が夫である執政長官に渡す指輪だから、女王に選ばれた夫しか触れることができない」
恭親王はたっぷり百数えるくらい沈黙していたが、絞り出すように言った。
「それは……それはたまたま特大の静電気で……」
もう一回ユリウスが指輪に手を伸ばして、やっぱりバチン!と火花を飛ばす。
「ほら、そんな何度も都合よく、特大の静電気は出ないよ」
恭親王は思いっきり唇を引き結んで沈黙する。思考が追い付かないらしい。
「メイローズは何か聞いているか?」
控えている枢機卿に尋ねると、メイローズは緩く首を振った。
「いえ、特には何も……」
「太陰宮の高位神官くらいしか、何が起こるかは知らなんじゃないかな? 僕は十年前、父上の指に嵌っているのを知らずに触れて、ひどい目に遭ったから知っているけどさ。……ね、アデライード、憶えている? お前はまだ幼かったけれど、あの場にいたはずだ。女王が選んだ夫以外は触れてはならない、と言われるだけで、触れたらどうなるかなんて、誰も説明してくれなかったしね」
恭親王は左手の指輪をじっと眺め、やがて肩を震わせて笑い始めた。
「殿下?」
「いや、その……なんだかすごいな……。どういう仕組みなんだか」
「始祖女王ディアーヌの魔術がかかっているというよ」
ユリウスが言うと、メイローズも納得した。
「確かにかなり強い陰の〈王気〉を発しておりますが……」
そのやり取りの間も、ずっと身体を震わせて笑い続けている恭親王に対し、ユリウスは咳払いして、続ける。
「それは十年間、行方不明になっていた。……それが、殿下の手元にあるということは、実はアデライードは神器を隠し持っていて、婚約式の後に殿下に渡したってことなの? この、僕にも黙って」
気まずそうに視線をそらすアデライードを、ユリウスが睨みつける。ユリウスはアデライードが話せることに慣れていないので、アデライードが何も言わなくても不自然には思わないようだった。
恭親王は兄妹の間をとりなすように、言った。
「まあ、そう言うな。アデライード姫には、神器の在り処はずっとわかっていたのだ。あのエイダが神器を狙っていることも、もちろん知っていた。言葉を話せないフリまでして神器を守ってきたのだ。責めないでやってくれ」
「僕にだけは本当のことを話してくれてもよかったのに」
アデライードは目を伏せて、ユリウスの非難の眼差しから逃げるように顔を背ける。
恭親王は二人の様子に指輪を箱に戻して懐にしまい、ユリウスに言った。
「あのエイダという女がずっと張り付いていて、おぬしに助けを求めようにもできなかったのだ。……この、神器が奪われていれば、いろいろと厄介なことになったのを、アデライード姫の機転で救われたのだから」
恭親王がそう言って、アデライードを見る。アデライードは少しばかり複雑そうな表情をして、翡翠色の瞳を伏せた。
12
お気に入りに追加
491
あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる