66 / 191
10、辺境伯ユリウスの遺恨
ユウラ女王の不幸
しおりを挟む
「父の妻の一人でありましたユウラ様が女王に即位されて以来、我が家を襲った不幸を数えるには両手でも足りません。……まず、女王の夫ということで自動的に執政長官に就任させられた父が、王都で急死いたしました」
ユリウスの語るレイノークス伯家の不幸。恭親王は真剣に聞き入った。
「キノコの中毒と聞いているが……」
「表向きは、そのように発表されております」
ユリウスは端正な美貌を憎しみに歪め、吐き捨てるように言った。
「父は……キノコが大嫌いでした。あの、歯ごたえと匂いが嫌いだと、普段一切口にしませんでした」
恭親王が目を見開く。
「では……」
「望んで執政長官になったわけではありませんのに、元老院を中心とする王都ナキアの貴族どもは、父の排除を願ったのです。……さらに、ユウラ様です。あの時、二人目のお子をご懐妊であられたのに……にわかにお苦しみになり、御流産なさった。その悲しみも癒えぬうちに、恥知らずにもギュスターブが……」
ギリっと奥歯を噛みしめる音が聞こえる。
十年前、十四歳だったユリウスは、異母妹アデライードの泣き叫ぶ声を耳にし、ユウラ女王の部屋に急いだ。目にしたのは、部屋の扉から足蹴にされて転がり出て、無情に閉まるドアに必死に取りすがろうとする、幼いアデライードの姿だった。慌てて抱き上げ、泣きじゃくる異母妹を宥め、女王の部屋に入ろうとすると、屈強な近衛騎士に拒まれる。扉の中から物の壊れる音と、ユウラのものらしい悲鳴が漏れる。
『イフリート公子ギュスターブ卿が、女王をお慰めするために参上しているのです。姫君をお連れして暫し場を外していただきたい』
『違う違う! お母様はあんな人大嫌いだって! 追い払って! ねえ、お兄様、あの人を追い払って!』
『このような乱暴な真似、許されるはずがない!中に通せ!』
現在でも細身のユリウスは、十四歳のころはさらに細く頼りなく、その腕はほとんど少女のようで、鍛え上げた近衛騎士に敵うはずもなかった。引きずられるように扉の前から遠ざけられ、アデライードを守るのが精いっぱいだった。
王妹のユウラ姫が父の妻となってレイノークス伯領に嫁いできたのは、ユリウスが六歳の時。
おとぎ話の月の精靈ディアーヌもかくやと言うほどの、輝くような美貌に、幼い少年が憧れを抱いても無理はない。夫の嫡子であるユリウスを、ユウラも隔てなく可愛がったし、アデライードが生まれてからは、可愛い異母妹を腕に抱いた聖母子のような二人をユリウスは心の底から愛していた。
その憧れの人が、扉の向こうで凌辱されているのだ。
何が行われているか理解できる年齢なだけに一層屈辱的で、ユリウスはあの日のことを忘れることができない。命に代えてもアデライードを守る――ユリウスの決意はあの屈辱の中で生まれた。
苦い回想を呑み込み、ユリウスは掻い摘んで、ユウラ女王とギュスターブ結婚の事情を語る。恭親王はそれについてコメントはしなかったが、優美な眉を不快げに歪めた。たとえ執政長官の座を手に入れるためとはいえ、仕えるべき主を力ずくで犯す所業の醜悪さに、虫酸が走る。
本来、辺境伯は国境の守護を司る家柄であり、中央の国政には関与しないと恭親王は聞いていた。即位する予定のない王女を娶ったが故に、慣例により中央政界に引っ張り出され、あまつさえ殺されたユリウスの父も不幸であり、さらに愛する夫を殺された上、貞操まで奪われたユウラ女王には同情を禁じ得ない。
結局、アルベラ姫の女王即位が拒否された――アルベラ姫に〈王気〉がなかったために――ことにより、幸福だった一つの家族が崩壊させられたのである。
父ユーシスの跡を継いでレイノークス辺境伯となったユリウスの苦難は続く。爵位を嗣ぐために領地へ返され、ユウラともアデライードとも引き離される。その隙にユウラとギュスターブの結婚が公にされ、アデライードは聖地の修道院に送られた。さらにはアデライードの誘拐未遂事件と、次々とユリウスを衝撃が襲う中、彼は生母のマリアンナと子飼いの家臣たちを頼りに、必死に領地を経営した。
若い領主に対する、中央のイフリート派による嫌がらせもあった。家臣を引き抜かれたり、臨時の税をかけられたり、他領を通過する際の通行料を勝手に引き上げられたり。そのたびにあの日の屈辱を思い出して復讐を誓い、忍従して力を蓄えてきたのだ。
いつか、アデライードを守るために。
現在、同母弟テオドールも成人し、二人で葡萄酒の生産や貿易に精を出して、ソリスティア周辺でかなりの経済的地歩を固めつつある。もはや、ユリウスを見かけばかり美しい、無力な領主と侮る者はいない。
アデライードの成人を期に、聖地から自領に迎える算段を始めたところであった。そこに、突如として〈聖婚〉が持ち上がったのだ。
「殿下、私はかねてから、アデライードを聖地の外に出し、人並みの幸せを与えてやりたいと思っておりました」
ユリウスの言葉に、恭親王は心持ち首を傾げる。
「人並み……とは、具体的にはどんな?」
ユリウスは真っ直ぐな長いダークブロンドをふぁさりと肩から払い、数え上げた。
「まず、安全であること。次に、家族と共に暮らせること。贅沢でなくとも、衣食住の不自由をしないこと。そしてできれば、真に信頼できる相手と温かい家庭を持つこと、でしょうか?」
「随分と、小市民的な目標だな。要するに、貴卿はアデライード姫の女王即位は望まないというのだな?」
いささか呆れたような恭親王の言葉に、ユリウスは頷く。
「女王になったがために夫を殺され、娘とも引き離されて、ギュスターブに強姦され続けて死んだ、ユウラ女王の二の舞にしたくありません」
ユリウスの語るレイノークス伯家の不幸。恭親王は真剣に聞き入った。
「キノコの中毒と聞いているが……」
「表向きは、そのように発表されております」
ユリウスは端正な美貌を憎しみに歪め、吐き捨てるように言った。
「父は……キノコが大嫌いでした。あの、歯ごたえと匂いが嫌いだと、普段一切口にしませんでした」
恭親王が目を見開く。
「では……」
「望んで執政長官になったわけではありませんのに、元老院を中心とする王都ナキアの貴族どもは、父の排除を願ったのです。……さらに、ユウラ様です。あの時、二人目のお子をご懐妊であられたのに……にわかにお苦しみになり、御流産なさった。その悲しみも癒えぬうちに、恥知らずにもギュスターブが……」
ギリっと奥歯を噛みしめる音が聞こえる。
十年前、十四歳だったユリウスは、異母妹アデライードの泣き叫ぶ声を耳にし、ユウラ女王の部屋に急いだ。目にしたのは、部屋の扉から足蹴にされて転がり出て、無情に閉まるドアに必死に取りすがろうとする、幼いアデライードの姿だった。慌てて抱き上げ、泣きじゃくる異母妹を宥め、女王の部屋に入ろうとすると、屈強な近衛騎士に拒まれる。扉の中から物の壊れる音と、ユウラのものらしい悲鳴が漏れる。
『イフリート公子ギュスターブ卿が、女王をお慰めするために参上しているのです。姫君をお連れして暫し場を外していただきたい』
『違う違う! お母様はあんな人大嫌いだって! 追い払って! ねえ、お兄様、あの人を追い払って!』
『このような乱暴な真似、許されるはずがない!中に通せ!』
現在でも細身のユリウスは、十四歳のころはさらに細く頼りなく、その腕はほとんど少女のようで、鍛え上げた近衛騎士に敵うはずもなかった。引きずられるように扉の前から遠ざけられ、アデライードを守るのが精いっぱいだった。
王妹のユウラ姫が父の妻となってレイノークス伯領に嫁いできたのは、ユリウスが六歳の時。
おとぎ話の月の精靈ディアーヌもかくやと言うほどの、輝くような美貌に、幼い少年が憧れを抱いても無理はない。夫の嫡子であるユリウスを、ユウラも隔てなく可愛がったし、アデライードが生まれてからは、可愛い異母妹を腕に抱いた聖母子のような二人をユリウスは心の底から愛していた。
その憧れの人が、扉の向こうで凌辱されているのだ。
何が行われているか理解できる年齢なだけに一層屈辱的で、ユリウスはあの日のことを忘れることができない。命に代えてもアデライードを守る――ユリウスの決意はあの屈辱の中で生まれた。
苦い回想を呑み込み、ユリウスは掻い摘んで、ユウラ女王とギュスターブ結婚の事情を語る。恭親王はそれについてコメントはしなかったが、優美な眉を不快げに歪めた。たとえ執政長官の座を手に入れるためとはいえ、仕えるべき主を力ずくで犯す所業の醜悪さに、虫酸が走る。
本来、辺境伯は国境の守護を司る家柄であり、中央の国政には関与しないと恭親王は聞いていた。即位する予定のない王女を娶ったが故に、慣例により中央政界に引っ張り出され、あまつさえ殺されたユリウスの父も不幸であり、さらに愛する夫を殺された上、貞操まで奪われたユウラ女王には同情を禁じ得ない。
結局、アルベラ姫の女王即位が拒否された――アルベラ姫に〈王気〉がなかったために――ことにより、幸福だった一つの家族が崩壊させられたのである。
父ユーシスの跡を継いでレイノークス辺境伯となったユリウスの苦難は続く。爵位を嗣ぐために領地へ返され、ユウラともアデライードとも引き離される。その隙にユウラとギュスターブの結婚が公にされ、アデライードは聖地の修道院に送られた。さらにはアデライードの誘拐未遂事件と、次々とユリウスを衝撃が襲う中、彼は生母のマリアンナと子飼いの家臣たちを頼りに、必死に領地を経営した。
若い領主に対する、中央のイフリート派による嫌がらせもあった。家臣を引き抜かれたり、臨時の税をかけられたり、他領を通過する際の通行料を勝手に引き上げられたり。そのたびにあの日の屈辱を思い出して復讐を誓い、忍従して力を蓄えてきたのだ。
いつか、アデライードを守るために。
現在、同母弟テオドールも成人し、二人で葡萄酒の生産や貿易に精を出して、ソリスティア周辺でかなりの経済的地歩を固めつつある。もはや、ユリウスを見かけばかり美しい、無力な領主と侮る者はいない。
アデライードの成人を期に、聖地から自領に迎える算段を始めたところであった。そこに、突如として〈聖婚〉が持ち上がったのだ。
「殿下、私はかねてから、アデライードを聖地の外に出し、人並みの幸せを与えてやりたいと思っておりました」
ユリウスの言葉に、恭親王は心持ち首を傾げる。
「人並み……とは、具体的にはどんな?」
ユリウスは真っ直ぐな長いダークブロンドをふぁさりと肩から払い、数え上げた。
「まず、安全であること。次に、家族と共に暮らせること。贅沢でなくとも、衣食住の不自由をしないこと。そしてできれば、真に信頼できる相手と温かい家庭を持つこと、でしょうか?」
「随分と、小市民的な目標だな。要するに、貴卿はアデライード姫の女王即位は望まないというのだな?」
いささか呆れたような恭親王の言葉に、ユリウスは頷く。
「女王になったがために夫を殺され、娘とも引き離されて、ギュスターブに強姦され続けて死んだ、ユウラ女王の二の舞にしたくありません」
22
お気に入りに追加
491
あなたにおすすめの小説


【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる